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美学/美意識/価値観~葉隠/風姿花伝~森鴎外/紀貫之/アインシュタイン~原発
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”美学”
かつて、鴎外によって”審美学”という訳語を与えられていた言葉。
美の本質、基準、価値を研究対象とする学問ですが
その出発点は、そもそも
”科学的認識”と”美的認識”のズレに違和感を覚えるといった処から始まっているんですね。
この辺りかなり興味深いというか私自身
日進月歩で進化してゆく科学技術によってめまぐるしく移り変わってゆく日常.
そうした最中で日々痛感していたこと、それが、正にこの認識の”ズレ”でありまして・・・。

歴史を紐解けば、18世紀
自然科学の発達に伴い深まる、科学的、感覚的認識のギャップ。
(当時の啓蒙思想、多分に影響していると思われます)
このギャップが背景にあったがゆえ、
”感性的認識に独自の論理を見出す”美学”が学問として認められたのは、時代の必然という感は否めません。
そしてそれは、”感性的認識論”即ち”美は感性的認識の完全性”であり”美について考察する学問”そのまま
”芸術理論”であると・・。

しかしながら理性的認識論に比しては、下位に位置付けられていたようです。
確かに”美的判断を行う能力”
当然ながらここには、普遍的原理は見当たりません。
誰の目にも判り易く、共通認識を持ち易い理性的認識に
説得力があるのも無理からぬことで・・・
よってカント、シラー、シェリング、ヘーゲルらを通して
美に対する哲学的批判の学問へと変遷してきたんですね。
また、そこには実存主義・分析哲学・ポスト構造主義によるアプローチもあったようです。

ただ
やはり忘れてならないのが
ーー美学、それは”知性的認識としての論理学”を”感性的認識”で補完することにあったーー
ということ・・・。

如何に普遍的原理がなくとも
個人個人の”感性的認識で、常に補完し続ける”努力は
怠ってはならないのでは
ですとか
最終的には、それが最上位に位置付けられるものでなければ
なんて思ってみたりもする訳です。

日本にはまた”美意識”という言葉があります。
古くからある、”理想的(勝敗や損得を超越したもの)に生きようとする思考”は
紛れもなく美意識と感じますし
具体的には
紀貫之、和歌の世界では既に理論化されその流れを汲んだ鴨長明、藤原定家らによって
”幽玄論”として確立した概念がありました。
こちらは、優美を根底に持ち併せながら、静寂な余情の漂うさま・・・
そう、芭蕉の謂う”気”ですとか、千利休の茶道にも通ずる"風雅の精神"ですね。
そして、
世阿弥”風姿花伝”にみるような”秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず”的美感から
後の”葉隠”へ受け継がれた美意識(”恋の至極は忍ぶ恋”といった感性など)
或いは侘、寂が象徴するような滅びゆくものへの同調からの滅びの美学。
さらには、江戸時代の町人文化の間に生まれた”粋”の文化などなど
いずれも美意識に通じる概念であろうかと。
こうしたもののあわれを知ることこそが、
人間が人間たる所以であるとした、平安時代の文学的理念は
現代にもそのまま通じる美的理念であろうと思っています。

そして
何をもって美しいと感じ
何を大切に生き
何を切り捨てるか

こうして考えると
美学、美意識と価値観とは非常に近いところにあるとも思うんですね。

価値観という言葉は日常よく使われますが
人は、たぶん自分の美意識(或いは美学)に従って
その価値を決めているのではないかと見受けられ
よってこれらは
その人のライフスタイルに大きく関わって来ます。

価値観が多様化している現代ですが
そこには必ず何かしらの傾向はある。
そしてそれは
国、文化圏、地域性
そして教育(環境)であったり
また、芸術(文学、美術、音楽)、或いは組織(学校、社会)に身を置く中での思索の積み重ねなどによって
成熟させてゆく類のものであるとも考えています。

いかに科学技術が進歩しても
譲ってはいけない何か
守らなければならない何か
時にそれが利便性と対極にあることも少なくありません。

ーーテクノロジーの進歩は、病的な犯罪者が手にした斧のようなものであるーー
数十年前にアインシュタインが残したこの言葉は
そのまま
今日の原発が象徴する”人類の科学技術の使用法”への明白なメッセージになってしまったようです。

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テーマ:意識・認識・認識論 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2012/09/20 00:02 】

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コメント
--- 荒野の狼さま ---

ご訪問&コメントありがとうございます♪

> ”価値観は思索の積み重ねによって成熟していくもの”
ここは私がいちばん大切に考えている処でございまして
本当に嬉しく拝読させて戴きました。

日本の美意識の侘びは,
そうですね、禅が伝わった鎌倉時代から随分と時代は下っていますが
その影響は大きくあるように私も感じております。
寂は日本古来より伝わる滅びの美学からのものでしょうか。
西洋のアンティークにも近しい何かがあるかもしれませんね^^
また、禅は不立文字。経典を持ちません故
そうしたものに縛られず自分の奥底に潜む仏性にを見つめる姿勢
”感性のほうで理性に否定的、文字に書いてあることは信じない”と仰られるのは大変よく解ります。

>これは科学や医学の世界では当たり前です。

医学に携わっている方がおしゃること
この”当たり前”のお言葉が今更ながら
尊敬と共に重く深く強く胸に響いてきます・・。

>アメリカの抽象画家のAgnes Martinの思想

アマゾンの書評も併せて拝読させて戴きました。

幅広い教養と経験に裏打ちされた方々のインスピレーション、
何を美しいと感じ何を真、善と感じるか
それは
知性に依存するより(大切な要素である)研ぎ澄まされたバランス感覚に則り
より確かなものであるようにも思えてなりません。
貴重な情報をご教授下さり心から御礼申し上げます。


saki * URL [編集] 【 2012/12/25 15:42 】
--- 侘 寂 禅 Agnes Martin ---

Sakiさん

2012年12月23日のものと合わせて読ませていただきました。”価値観は思索の積み重ねによって成熟していくもの”という考えに同感です。日本の美意識の侘びとか寂びとかは、禅から影響をうけているようですが、禅はまさに感性のほうで、理性とかには否定的で文字に書いてあることは信じないみたいなアイデアです。ただ、そうした世界でも、自分や先人の努力や修行といった積み重ねが、成熟したものを生み出すものであると思います。これは科学や医学の世界では当たり前ですが、芸術の世界でも、たとえばピカソのことをアメリカの後に大画家となった人たちが、ひたすら模写して身につけていったように、当てはまることだと思います。理性と感性について、アメリカの抽象画家のAgnes Martinが以下のような深い思想を、著書のWritingsで述べています。もっとも、Martin自身も、この境地に達するまで、禅、キリスト教、道教、瞑想などあらゆる体験をしたようですが。

“The great and fatal pitfall in the art field and in life is dependence on the intellect rather than inspiration. Dependence on intellect means a consideration of observed facts and deductions from observation as a guide in life. Dependence on inspiration means dependence on consciousness, a growing consciousness that develops from awareness of beauty and happiness. To live and work by inspiration you have to stop thinking. You have to hold your mind still in order to hear inspiration clearly. Even now you can hear it saying, ‘Yes’ and ‘No’. If it says “Yes” it means that you have just made the work that you should have made. What your mind says never applies to anyone else.”

私のアマゾンのMartinの本の書評は以下にあります。

http://www.amazon.co.jp/Writings-Agnes-Martin/dp/3893223266/ref=cm_cr-mr-title
荒野の狼 * URL [編集] 【 2012/12/24 04:50 】
--- モノリスを見上げるパンツを履いた猿 さま ---

コメントありがとうございます♪
こうした記事
人として大切な部分で共感できますこと
心からうれしく思っています・・。
saki * URL [編集] 【 2012/09/20 19:46 】
--- 二拝二拍手一礼。 ---

「拍手」を100個くらいつけたいです。(FC2の運営に「拍手」度を計測できるようにと要望を出しました。)
モノリスを見上げるパンツを履いた猿 * URL [編集] 【 2012/09/20 00:36 】
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