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ドストエフスキー/ボードレール~フェリーニ/テオ・アンゲロプロス~バルテュス~リルケ
DSCN5481.jpg

文学や芸術作品が
果す偉大なる役割

そのひとつ
トラジディーをくぐり抜けてはじめて見出せる光
切ないほどの美しさ

喪失なくして得られない
崇高な境地

それは
ドストエフスキーが突き詰めていった
”不幸な時にこそ知り得る真理”であり
ボードレールが見出した
”苦悩を伴わない美を私は知らない”
そうした類の美であります。

懊悩
哀惜
寂寥
浄化
達観
そして
静謐
といったような世界観

それはまた
ありふれた日常では到底気付き得ないことであり
時間に流されていない
本来の自分に出会える
貴重な機会でもあるのかもしれません。

一切の作為性を排し
哀しい程に研ぎ澄まされた
ある種の特別な感性が醸造し
豊穣なる芸術的フィルターを通じて
描出される

例えばフェリーニの
例えばテオ・アンゲロプロスの
例えばバルテュスの・・・。

喪失が齎す
心象が
イマージュが
俤が
呼び起こす”美”
それはときに
”絶望の輝き”と呼ぶに相応しいものであります。

リルケではありませんが
”喪失は所有を確固たるもの”とし
”喪失こそが永遠の獲得”となる
そうした論理から導き出されるものでありましょう。

此処ではたぶん

永遠に失うことと
永遠に得ることが
同義なんですね・・・。

もしかしたら
喪失の先こそ
不滅の”美”が息衝く場所であり
それもまた
普遍性の獲得と申せましょうか。













※好きな作家さんの企画展
その初日乗り込みの達成感は半端ないですよね^^
そして会期末にまた会いたくなる(笑

バルテュスに纏わるメッセージ
また、その考察から学びを戴きましてありがとうございます。

私と彼との最初の出会いは”嵐が丘”の挿絵でした。
あのデフォルメの仕方が
この小説の全うな理解なくば、

同様な境地に陥らなければ
叶わないような表現方法だと
その思いを深くしたことが強く印象に残っています。












テーマ:芸術・心・癒し - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2014/04/22 12:27 】

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シュルレアリスム~モンパルナス/アンドレ・ブルトン~ウッチェロ~トロツキー~ギュスターブ・モロー/ピエタ
DSC_0786.jpg

新緑の美しいこの季節に
ブルトンが愛したモローへ想いを馳せたお手紙を下さったあなたへ



数年前のパリ、ザザビーズ
”シュルレアリスム宣言”など数点の直筆原稿が
6億近い価格で落札されたのがいまだ記憶に新しいAndre Bretonです・・。

20世紀初頭に
シュルレアリスムを創始し
そのままシュルレアリスムを生き抜いたフランス詩人
もう
シュールを地で行く
典型的シュルレアリストなアンドレ・ブルトンですよね^^

(ここでついフランスを中心とした印象派との対比で
スペインを軸としたミロ、ピカソ、ダリの先のゴヤ、グレコ、ベラスケスという流れの上流へと
そのシュール感?の系譜辿りたくなるのですが脱線するのでまたの機会に・・・ダリはのびのびですね、スミマセン)

ダダイズム経由シュルレアリスムという王道を歩みながら
ルネサンス期の画家ウッチェロを認めていた文学者でもあったんですよね

ゴシック調のウッチェロ
あの空間表現は
幻想に振れている
と申しますか
中世ヨーロッパの所謂”暗黒時代感”
ルネサンスにあってルネサンスに非ず的な処
彼が魅かれるのは解るような気もするのです
(この暗黒という表現への見解にもいつか綴りたいと思いだけは熱いのですが、今日もまた素通りになってしまいます
というのも実際ギリシア ローマ文明があまりに偉大でありすぎまして
そしてその後の教会中心主義の功罪といったところで・・
ですがその実、スコラ学にオックスフォードさらに
ノートルダムの大ゴシック建築など私見と致しましては
12世紀ルネサンスは決して文字通りの暗黒ではないと感じています)

20世紀前半のセーヌ左岸
かのモンパルナスは
絵画、文学、政治が交錯する聖地のような場であったんですよね
(スーティン、モディリアーニ、ジャコメッティらさえも集っていたよう)
ブルトンはここで
レーニンやトロツキーといった政治の亡命者と
自由で闊達な議論を交わすことができた・・
そこで
トロツキーの”レーニン”に傾倒し
メキシコシティまで彼を追って
共同執筆までした経緯もありました。

そんな彼を日本の作家も丁寧に見詰めていたようです
現実と超現実を見た安部公房です。
その著”壁”
こちら、カフカの審判(この先にサルトル、の先にリルケも見えます)
そのオマージュ的作品とも謂える第Ⅱ部にあたる
バベルの塔の狸で取り上げた先生、そのひとがフルトンでありました
結えここでもシュルレアリスム的感性、確かに求められます。

こちらでは
言葉に尽くしがたい人間存在への悲哀感のようなものが
”壁”をもたないブルトンの夢幻的空間のなかに浮遊しているかのような状態
そしてそれが
”ナジャ”の結びのあの言葉と響き合い、呼応する・・・。

そんな
そんな彼が愛したのがギュスターヴ・モロー
その人だったんですよね

もう必然のような気さえ
してまいります。

(彼が、同じ世紀末を生きた芸術家たちに与えた影響
もっといえば
彼なくして
例えばルオーのあの世界観はあったのでしょうか)

ギリシアに
ローマ神話といったミソロジー的世界から
多くのインスピレーションを受けながらの活動であった作家ならではの
ファンタジック感って
確かにあると思うんですね

メトロポリタンで邂逅した”オイディプスとスフィンクス”
対峙するなり瞬時に非日常に誘う”引力”と申しますか
この習作が
最期の時を迎えるときまで制作を続けたというアトリエ
現在のモロー美術館に数多く収蔵されているとの解説に接し
パリ9区
あのモンマルトルの丘に訪れたいと願い未だ叶わぬその理由
それはもちろん機会の問題があります
けれどたぶんそれだけでないんですね

印象派の画家たちと同時代に生きたとは思えないような
独特のモローワールドのうち
個人的には
学生時代に図書館の画集で初めて出会ったあのモロー
彼のピエタにこそ
逢いたい
それが叶わぬ夢だからなのかもしれません・・。
saki







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【 2014/04/14 17:53 】

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緑豊かな水辺の情景~ミレイ/オフィーリア~セーヌ~モネ/ルノワール/スーラ/ピサロ/シスレー~シャバンヌ
水辺が好きで・・・

DSC_0253.jpg

せせらぎが聴こえるような小川も
セーヌやラインにモルダウといった
大河の流れも
スワンの浮かぶ湖も
遙かなる光の海辺も・・・。


水辺の作品と謂えば
文学好きの私にとっては
やはり
シェイクスピアはハムレット
あの世界観を湛えた
ジョン・エヴァレット・ミレイの
”オフィーリア”想起されます


そして
ジヴェルニーの池からのモネ”睡蓮”の連作に
彼のルーアンやアルジャントゥイユを渡るセーヌを描いた作品
他にも
ルノワールにピサロ、シスレー、カイユボットにスーラたちが描き出した
数々のセーヌ河畔の情景など
やはりフランス印象派の絵画が多く脳裏を過ります。

同じフランスで謂えば
シャヴァンヌも
絵画と水との
そこはかとない密接性
示唆してくれているように感じるんですね

私が光と水を愛して止まないせいでしょうか
文学(詩的作用)にはもちろんですが
絵画に於いても
水は光に次いで
私の心を捉えて離しません。

自然現象に過ぎなかった
ただ、ただ美しいものが
素晴らしき画家たちの体内を通して
情感を湛える
心揺さぶる芸術に昇華されてゆく・・


ーーMy words fly up, my thoughts remain below:
Words without thoughts never to heaven go.ーー


このハムレットからの科白のように
言葉の世界だけでなく
深き想いが伴うということの
意味性を
痛いほど
感じています・・・。










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【 2014/03/29 13:54 】

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白夜を想って~ハラルド・ソールベリ /北の花畑
こんな気持ちのときに・・・

瞳を閉じると
浮かぶ情景

それは
ハラルド・ソールベリ
ノルウェー新ロマン派
ソールベリの描いた
”北の花畑”

白夜を思わせるこの情景

冬には極寒の地となる
北欧の大自然のなかから
優しさだけを
そっと掬い取ったような絵画

私自身が
白い花が好きなせいもあるのですが・・。



緑の大地に
ぽつんと立つ建物への愛情までも感じられます。

大好きなひととふたりきり
触れ合うくらいに肩を並べて

いつまでも
いつまでも
眺めていたい
そんな安らぎの原風景が
ここにはあるようで・・・。

683px-Harald_Sohlberg,_Flower_Meadow_in_the_North,_1905

あの丘の先は
日本では北岬と呼ばれる
ノールカップでしょうか・・・。






















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【 2014/03/25 08:52 】

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地獄の門/ロダン~神曲/ダンテ~天国の門/ギベルティ
ル・コルビュジエが基本設計を手掛けたという国立西洋美術館で
システィーナ礼拝堂500年を記念しての
ミケランジェロ展開催されているのですが・・

DSCN5025.jpg

そのミケランジェロを崇敬したロダン
遺作ともなった”地獄の門”がこの地に・・
其処から放たれる偉大なるオーラ

声なき
ロダンのメッセージが胸に刺さって
その疼きに心捉われ
例によって美術館入館前に
この前庭で
暫し拘束状態に陥ってしまうんですね
私・・・。

時は19世紀末
パリ政府から
装飾美術館エントランスの門扉依頼を
受けての制作
未完の作品です。

地獄の門とくれば
アルノ河畔に広がるルネサンスの香り高きフィレンツェ
この街を優しく見守るあのオレンジ屋根のドゥオモの傍に
燦然と輝く聖ジョヴァンニ洗礼堂門
ロレンツォ・ギベルティが手掛けたという
黄金の扉(旧約聖書がモチーフ)前で立ち竦んだ記憶が
鮮やかに甦ってきます。
そう・・ミケランジェロが”天国の扉”とまで絶賛した作品なんですね。

ダンテフリークのロダンが”神曲”からインスピレーションを得て
それを制作の原動力としたことは想像に難くないのですが
今此処にあるこのブロンズの門は
”神曲”のイメージとは必ずしも重なりません

あまりに強く
狂おしいほどのリアリティ・・・
けれど
だからこそ
心の琴線に
ダイレクトに訴えかけてくるんですね
きっと

そして
美しい

あらゆるパーツが
そして
総体が・・・。


”パオロとフランチェスカ”此処は限りなくダンテ
何処までもダンテ・・・

”ランスロットとグイネヴィア王妃の物語”を一緒に読んだ
たったそれだけのことだった・・はず
なのに
心を止める手立てはなく
許されざる罪となって・・・
ロダンの”接吻”のなかで永遠なるふたり・・・
地獄の門に似つかわしくはないScene
結え外されたものでしょうか。

中世イタリアの貴族
皇帝派の海軍提督”ウゴリーノ(と息子たち)”の壮絶なその人生

詩作にふけるダンテの影なき”考える人”
意識のすべてをそちらに向けた”三つの影”

哀しみの”立てるフォーネス”

自身の心の声を聴く”瞑想”

詩人の悲劇”オルフェウスとマイナスたち”

届かない愛”フギット・アモール”

セイレーンの哀しみ”ネレイスたち”

”美しかりオーミエール”の嘆き・・・



※企画展ミケランジェロreliefは況や
ル・コルビュジエと20世紀美術も
見応え充分
ノートルダム・デュ・オー礼拝堂
開かれた手の碑関連資料に
思いは彼の地へ・・・。





















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【 2013/10/25 08:37 】

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フランドル絵画とその精神性 Ⅰ~プロテスタント/近代資本主義/内発的活動~デューラー/ファン・アイク
”最初に購入された画集がデューラーで
   2冊目に購入された画集がファン・アイク”という藝術家のあなたへ

当blogフランドル絵画の記事に纏わり
素敵なMAILを戴きまして
その大切な想い出に接し
胸の奥深くに眠っていた
デューラーの”ネーデルラント紀行”に記されたフレーズ
”あまりに素晴らしい・・・”に始まるあの一節が
甦って参りました
それは聖バーフ大聖堂に収められている
ファン・エイク兄弟の手による”神秘の子羊”へ向けられた賞賛の言葉でございまして
ここに想いを致しますと
そのお気持ちが伝わってくるようで・・・

DSC_0400_20130802124930ff9.jpg

ーーあ・・・因みにブリュッセル郊外の随想で
ブラームスを列挙したのは他でもなく
"藝術的スタンスの転換期"という共通項で
括ったまでのことでございましたーー



ここにお贈り戴きました
フランドル地方の画家たちに纏わるメッセージとは
かの地での”活発な商業活動”
そして”優秀な商人を育むような精神活動”
さらに”プロテスタンティズム”
ここに通底する何ものかがありはしないか・・

そしてそこで育まれた精神に裏打ちされた画家たちの
現実肯定的な力強さ・・・
といったような
奥ゆきのある考察が記されたものでした。

こちらのMAILに
甚く共感致しましたのは
私自身が素晴らしき藝術作品に邂逅したとき
その偉大さの前に
言葉もなく立ち竦んでしまい
時が止まったかのようにただただ魅入る時間
自身の中のあらゆる感覚、経験が呼び覚まされ交錯し
想いは止め処もなく溢れてくる・・・
自在な思考を巡らす儘に身を任せるあの至福の時間は
藝術鑑賞歓びの極みであろうかと
強く感じているところからなんです。

彼は
ルーベンスにもフェルメールにもレンブラントにも
ゴッホにもマグリットにも
そして
今回私がクレラー・ミュラー国立美術館、ハーグ市立美術館で初めて対面した
コンポジションの画家モンドリアンや
さらには
アントワープ王立美術館でまみえた
カーニバルの仮面が印象的なJames Ensorにも触れてらして
この辺りはどうであろうかと・・・。

そしてそんな彼らを
ロシア革命時に亡命し
ブリュッセルで美術を学んだニコラ・ド・スタールや
自身だけの作品展示室ロスコルームを強く望んでいた
マーク・ロスコらに比して
そのメンタル面を対比してらしたもので
それはあまりにカオス的と申しますか
美術史以外の観点
歴史的思想文化的検証を綿密に重ねても
確定的な結論はたぶん出せない・・

とにかく大変に重層的で多元的で
輻輳していて・・・

けれど
私も何かしらの傾向はあると
思われてなりませんでした。

まして専門家(芸術家)の方のお感じになる
直観ですとか
その思考プロセスですとかは
私にとって学びであり
本当に興味深くて
大切にしたいと思っています・・。


歴史を鑑みるに
ネーデルランド毛織物の興隆期は
実はプロテスタントが興る中世
宗教改革以前からではあるようなのですが・・・

それは
ネーデルランドというよりは寧ろ
フランス北部、ベルギー西部、オランダ南西部にあたる
所謂フランドル地方が興りなんですね
そして
程なくして始まった宗教改革に対し
このエリアではカトリックによる
カルヴァン派(プロテスタント系です)の迫害が始まるのですが
このカルヴァン派
その多くは
確かに
海運、貿易を担っていたその道のエキスパートでありました。
そうなんです
プロテスタントでありまして

まさに
ドイツの社会学者マックス・ヴェーバーの
プロテスタンティズム倫理と資本主義精神に合通じるところなんですね
研究者の間では
プロ倫とも呼ばれるこの概念
その展開を一言で謂うなら
ーー往時、カルヴィニズムの影響が色濃く出ていた国(英米もそうですが)は
”非合理的合理主義”で埋め尽くされていた
そして、このイズムが近代資本主義を発展させたーー
こういった理論です。
(”非合理的合理主義”言葉が相反しているようですがここがポイントなんですね)

少しだけ説明させて戴くなら
上記”非合理的合理主義”の非合理性を内包しない
通常の合理主義ー実践的合理性を図ったのが
イタリア、スペインに代表されるカトリックの国々でして
こちらは顕著に、資本主義に遅れを取りました。
そして
これを単なる偶然ではないと考えたのが
ヴェーバー、そのひとだったんですね
ここで彼が着目したのは
カルヴァン主義の”予定説”
こちら
”善き人間は救われる”とした因果論の完全否定
であり
人間は、お布施や献金などで救われる類のものではないとし
神の意思は人間には不可知であり
もっと言えば
”神の絶対性の堅持”を主張したものでした。
さらには
これキリスト教ですから、仏教のような
輪廻転生の望みが在るでなく
もうこうなれば
人々は救いを求むるべく手立てが何一つなくなってくる訳なんですね
よって
この予定説は
人々に極度の不安と緊張を強いることになったのですが

それに立ち向かうべく
彼らがとったスタンス
これが凄くて・・

”救いが何処にもないのなら
只管、ストイックに生き
持てるエネルギーの総てを
信仰と労働に捧げ社会に貢献する”

というものだったんですね。
こちら
逃げ場を失くした彼らが決して諦めずに
コペルニクス的転回で切り抜けるという
生命力の強さを如実に顕したもの・・

と申しますのは
最終的に救われる人間とは
理想的人間に違いないであろうと
彼らは確信した
であるなら
理想的人間に到達しようと

そうなれば必ずや救われるに違いない
こうした逆転的とも謂える三段論法は
如何にもポジティブで
なんとしても生き抜くという逞しさに満ち満ちています。

それまでカトリック(ヘーゲルの”美学講義”にはカトリシズム
なんていう言葉もありましたけれど^^)と同様に
利潤追求を否定してきたプロテスタンティズムでしたが
利潤を得ることの否定
それは取りも直さず
資本主義と相容れないものになってしまう
ですが、彼らはそこに陥らなかった

目的はあくまで勤労奉仕
そしてその結果としての利潤
そして
得た利潤は
禁欲的概念のもとに浪費せず
大切に蓄積しさらなる資本として
新たな市場に再投資する
というこの姿勢は
利潤追求を否定し続けた南欧のカトリック圏で顕著に見られる
穏やかな労働とは
対極に在る労働意欲でありまして
科学的合理性に基づいた生産力の高いシステム導入を図るものであり
バイタリティ溢れる現実肯定的労働と謂えるものではないでしょうか・・。

労働の動機が外圧的なものでなく
内的なそれ
自発的であるという
此処、ここの意識が
生きる原理ともなってきたのではないかと
私は思うんですね。

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ささやかな個人的考察を加えさせて戴きましたが
その後の彼らの発展的成功を鑑みるに
もう一つの偉大なる精神性を
想わないではいられないんです

それを・・・
次回
触れてみたいと思っています。














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【 2013/08/03 10:04 】

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美しきもの日本画~日本の美学/美意識その心と技法~成川美術館~最後の晩餐/テンペラ画~幽玄論~カント/ウィトゲンシュタイン/壮子
イタリアはミラノ
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の壁画に描かれた
レオナルド・ダ・ヴィンチの”最後の晩餐”に邂逅したあの日
正面の壁一面から立ち上ってくる
美しき緊張感は
見えない光となって私を照らし続けました
息を呑んで立ち竦んだあのとき
西洋のテンペラ画に潜在する見えざる美
その正体も掴めないままに
唯々西洋絵画に惹かれ
仕事が押せば閉館間際に滑り込むといったような
駆け足の美術館巡りを重ねて久しい頃のことでした。

油彩画からは得られない何ものかが
テンペラ画に秘められていることに気付かされ
そのフラットな印象に
日本画の趣が重なり
帰国後ふと思い立って
箱根の成川美術館に赴いたのは
それから間もない
春の日の昼下がりでした。

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油彩画に特有の
光沢に相俟う光と影の競演、
積層的な厚みは
日本画が湛える静謐感のもとに蔭を潜め
そのしじま
余白の美しさは
胸に深く沁み入って私を捉え
容易には作品から離れることができずにいました。

日本人が古くから育んできた美意識
西洋絵画には見出せない情趣が
息衝いているようで・・。

憂愁とはまた違った
美を基調にした静寂
その余情に美しさを見出す”幽玄論”
にも似た美的概念と申しましょうか。

描かれていないが結えに

余韻に戯れようとする自身の情感が刺激され
より深く
より強く
その作品に身を委ねることができる
その余情の在り処・・。

そして
言葉もまた
想いを越えられません
言葉で表現しカタチにしてしまった時点で
最早その心象とは別物になってしまう・・。

西のヴィトゲンシュタイン(語りうることは明瞭に語られうるが、言いえないことについては沈黙せねばならない)
東の荘子(知るものは言わず、言う者は知らず)
その論理しかりです・・。

また日本古来の美学には、

その溢れる想いを
秘めることによってのみ得られる
感懐があり

それは時に
永遠性をも感じさせる
美しい概念であります。

もののあわれを知ることこそが人がひとたる所以である
とした文学的理念もまた
中世から脈々と受け継がれてきた日本古来の美学なんですね・・。


絵画には自律性といった問題もあるものでしょう
思想にさえ寄らない純粋な芸術
ですが
宗教性や文学性
或いはイデオロギーに基づくその制作理念が
作家個人のものなればそれは他律的であるべくもなく
信じる理念に基づいて為された作品であってこその
個別の世界観であり
また
そこにある種の傾向、系統性は見出せるものでしょう。
けれどそれはあくまで二次的なものに過ぎないんですよね・・。

鎌倉時代からの
不立文字
経典を持たない禅の
その精神に学んだ
既成概念に縛られない思考プロセスは
掛け替えのない財産かと・・。


”正義はなされよ、世界が滅ぶとも”は
カントの著作”永遠平和のために”の作中に於いて
ドイツ皇帝フェルディナンドⅠ世の言葉として引用された格言でありましたが
カントの行き過ぎた形式主義に対する
シラーらの批判にも明らかなように
感性の上位に理性を置こうという社会通念の枠組みの中では
知性的認識としての論理学は、
感性的認識で以て
常に補完してゆく必要があるということかもしれません。

美的判断論や美的価値論、芸術の哲学
プラトンやアリストテレスに始まりカントやヒュームに受け継がれた
美学、包括的に論じた数えきれないほどの書物に触れても
見出せないものがあります。
また、美を論理的に検証すれば
それはそのままに美学論争に発展します。

私たちはあらゆる経験と考察の中から
各々
生(=価値観)を温めそして育みまた
それは日々成熟させてゆく類のものであとうかとも思うんですね。
ですが如何に知識の牙城を築き上げても辿りつけない高み
その先にあるものは
感性の奥底に潜む真理(美)を
真っ直ぐに見つめることのできる
凛とした心の眼差しでしょうか・・。

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日本画という言葉を真に
理解するには
日本古来の画材を用いたその伝統的技法の感得を置いて他
ないのかもしれません。
基底材に表す独自の色合いの生成へのプロセスがあり
線を中心とした構築性
表現描法といったものもありましょう・・・。
到底踏み込むことのできない領域です。
ですが
描かれた日本画に漂う
言葉に置き換えることのできない表象
を受け取める感性は、培ってゆくことが
できるように思うんですね^^

後期ヴィトゲンシュタインの考察
ーー言語の限界は世界の限界ーー
に鑑みて
ささやかにタイピングしてみました^^






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【 2013/01/17 21:30 】

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印象派の人びと~ジュリー・マネの日記/肖像~ ルノワール/モネ/ドガ/マルメラ~ベルト・モリゾ~バタイユ
私が16歳になった今日の朝陽
ほんとうに素晴らしかった
それは薔薇色
ベンガル花火のような完璧な薔薇色だったの
総てがヴェールに包まれたよう・・・
1984/11/14Wed.
~(私訳にて)”ジュリー・マネの日記/印象派の人びと”より

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絵画のなかの少女ジュリーの
憂いを含んだ淋しげな眼差し
彼女の瞳の先にあるものとは・・・

ジュリー・マネ
西洋近代絵画のプレリュード
19世紀半ば
パリはカフェ・ゲルボワで芸術論を繰り広げる若き画家たち
クールベとともにその中心的存在であったマネ
そして
彼のモデルであり女性画家でもあったベルト・モリゾ
このモリゾはバタイユに
”君がいなければ、マネは印象主義の絵画は描かなかったであろう”
とまで評させた魅力的な女性でした。
ーー光と色彩の祝祭
    印象主義のひとつの星ーー

この女性とマネの弟ウ―ジェーヌの間に生まれた女の子
それがこの肖像画の少女ジュリー・マネ、
ルノワール1884年の作品です。

ジュリー15歳からその7年後
ドガの紹介で彼の弟子エルネスト・ルアールと
ルーブルで巡りあい結婚をするまでの日記は
19世紀フランス絵画界の貴重な記録という側面もあり
”印象派の人びと~ジュリー・マネの日記”
として書籍化されたものでした。
(今日では絶版のようです)

両親揃って画家という家庭環境も然ることながら
ルノワールを始めとした
モネ、ドガ、ルノワールそして象徴主義詩人マラルメら
一流の文化人に囲まれ育ったジュリー

ですが
16歳でジュリーは相次いで両親を失います。
孤児となった彼女に芸術家たちは救いの手を差し伸べ
マラルメを後見人とし
印象派の画家たちに見守られながら成長したその日々が
ソフィスティケートされゆく彼女の
優れた美観と感性に基き
豊かな色彩と情景の描写となって
初々しく綴られた日記です。

随所に鏤められた
モンマルトルの丘の上に暮らすルノワールとのエピソードは
取り分け胸に沁みます・・。

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こちらはルノワール
”猫を抱く子ども”

少女の可愛らしさも然ることながら
抱かれている猫の幸せそうな表情が印象的な作品です。
日本の三毛猫のよう・・
フランスではトーティ・アンド・ホワイト
トライカラーとしてトリコロール、ジャパニーズボブテイル
なんて呼ばれたりもしている品種で
往時のモネの”ラ・ジャポネーズ”
広重に傾倒したゴッホらのような
ジャポネズリー、ジャポニスム的要素
(浮世絵には猫もよく描かれていました)からの影響もあるものでしょうか。

そして
この少女は
冒頭の作品の7年前のジュリー・マネ
愛情深い両親に見守られ
穏やかに優しい時間を重ねる
ジュリーの肖像です。

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【 2012/12/17 00:18 】

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ECB欧州中央銀行~EU17~ユーロ紙幣刷新~エウロパ/エウロペ~ティツィアーノ
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フランクフルト時事によりますと
ECB欧州中央銀行は欧州17ヵ国の共通通貨である
ユーロの紙幣デザインを刷新すると発表したようです。
で、
新紙幣の透かしにギリシア神話の”エウロペ”を取り入れるそうなんですね。
ヨーロッパの語源となったとされるギリシア・ローマ神話に登場する王女の名です。
現在は債務危機の震源となってしまっているギリシャ
若干,顰蹙な感も否めませんが欧州の文化文明発祥の地である由緒あるエリアですものね
2002年にユーロが流通し始めてからのデザイン変更は今回が初めてです。
来年5月の5ユーロ紙幣を皮切りに段階的に数年で500ユーロ紙幣まで
7種全ての紙幣デザインを変更する模様です。
デザインそのものの詳細は未だ発表になっていませんでした。
ユーロ紙幣って子供銀行券みたいで偽造対策かなと思いつつ
(実際チップに100倍払っちゃったみたいで、あまりに喜ばれたので気付いたのですが、まさかおつりとも言えず凹んだ過去ありですaha)
透かしにエウロペの肖像が浮かぶという情報はちょっと聞き捨てなりません(笑
実際に印刷されるエウロペは
フランスルーブル美術館収蔵の壺に描かれたものを採用するそうです。

※古ギリシア語エウロペは
ギリシア神話に登場するお姫様の名前であり
ローマ神話(ラテン語)ではエウロパと発音。
欧州を指すヨーロッパや木星の衛星エウロパ
その名は下記のようなお話が由来となってます。

海辺で波と戯れる
テュロスのフェニキア王の美しき娘エウロペ。
この王女に一目見て夢中になってしまったのがゼウス。
ヘルメスにこの海辺での牛の群れの散歩を命じ
自ら白い牡牛に変身します。
エウロペは侍女と花を摘んでいましたが、
通りかかった白い牡牛が
大人しいので、エウロペはなぜたり、角に花飾りをかけたりして戯れているうち
ついその背に乗ってしまいました。
すると突然その牡牛は、エーゲ海を泳ぎはじめ
エウロペをクレタ島へとさらって行ってしまったのです。
連れ去る際に、
エウロペを乗せて駆け回ったエリアが現在のヨーロッパ
というお話らしいんですね。
そして、クレタ島のゴルテュンの泉の傍らでゼウスは本来の姿に戻り、
彼女を最初の妃とします。
ふたりの間には、ミーノースやラダマンテュス、サルペードーンが生まれます。
ですが彼はエウロペに三つの贈り物を、子供たちに新しい父を与え
再び白い牛に姿を変えて星空へ上ってゆきました。
それが現在のおうし座
らしいです^^
エウロペを探しに旅に出た兄のカドモスは後のクレタ王となり
テーバイを創建した人物とされています。

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※ティツィアーノの作品”エウロパの誘拐”です。
ティツィアーノはルネサンス期に
ダンテの神曲にあった星々を従える太陽
とまで評されたヴェネツィア派の画家です。

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【 2012/11/09 18:10 】

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ジョヴァンニ・セガンティーニの道/ソルダネーラホテル~アルプス三部作~生成/生/牧場の午後~存在/自然/日没の家路~消滅/死/夜明けの葬送~湖を渡るアヴェマリア~マルチン・ルター
800px-Fabbro_Segantini_Museum_Winter.jpg

北イタリアはアルプスの裾野に生まれた
19世紀イタリアの
点描主義、象徴主義の画家ジョヴァンニ・セガンティーニの美術館です。

文学、哲学に傾倒
深い思索を重ねながらペンを絵筆に変えて記した
アルプスの画家"ロンバルディアのミレー"を讃えて
20世紀初頭にオープンした歴史ある記念館。
スイスレーティッシュ鉄道サンモリッツ駅からゆっくり歩いて20分。
凍てつくサンモリッツ湖を見下ろす丘の上の
ソルダネーラホテルからセガンティーニの小路を暫く行くと
落葉松とモミの樹々のあいだから丸屋根の可愛らしい美術館が見えてきました。

高原独特の静穏な空気に包まれたドーム下に
パノラマのようにアレンジされていたのは
アルプスの一日を人間の一生に重ね合わせ制作されたという
アルプス三部作”生成・存在・消滅”です。

セガンティーニが画き出した画布からは
100年の時を超えて尚新しい
厳かな静謐感が放たれていました。

一枚目”牧場の午後、生成(生)”
二枚目 ”日没の家路、存在(自然)”
そして三枚目”夜明けの葬送、消滅(死)”の上にはアルプスの夜明け。
未だ見ぬ新しいステージ という暗喩もありましょうか。
貫く寂静、寧静、憂戚そして光・・。

重い病を押して
標高2700メートルという極寒のシャーフベルクで描き続けたがゆえ
遺作となったこの作品群は、セガンティーニ無念の未完。
ですが
”死は人生の終末ではない。生涯の完成である”と語ったのは
かのマルチン・ルター でありました。

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【 2012/10/28 01:02 】

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カンディンスキーの青Ⅲ~マルク/青騎士~レンバッハハウス美術館~ピカソ/ルソー/クレー/ブラック/ドラン/ルオー/セザンヌ~シェーンベルク~アール・ヌーヴォー/ユーゲント・シュティル
絵画史において
多くの画家がに魅せられてきた理由
確かに
青は手の届かない”空の色”であり、”海の色”はその青色が映り込む現象なんですね・・。
青はそうしたものを想起させますので
地上に根差す色(緑など)よりも遥かなるイメージ、思惟、深い感懐を湛えているような印象があります。

rose01.jpg

20世紀の初頭
”青”に魅せられた画家
カンディンスキーとマルクが創刊した綜合芸術誌”ブラウエ・ライター”
日本語で”青騎士”
ミュンヘンにある”レンバッハハウス美術館”は彼らの活動の軌跡が刻まれた美術館です。

ブラウエ・ライターは
前衛芸術家たちの芸術談義で熱を帯びていたミュンヘンを拠点とし
取り分け表現主義画家たちの芸術家サークルとして発足しました。
印象派モネ、後期印象派ゴーギャン、新印象派スーラらによって解き放たれた絵画におけるフォルム
さらにフォーヴィスムとの共振、またドイツ表現主義、象徴主義、ロマン主義傾向も巻き込みながら広まり
それは最早芸術運動を超え、文化の革新、芸術の闘争とも謂えるものだったようです。

主宰の展覧会にはパリに集う画家たち、ピカソにルソー、クレー、ブラック、ドラン、ルオー、セザンヌら錚々たるメンバーの参加という環境下で、カンディンスキー達は技術探究を重ねながら精密な理論による芸術の構造的分析を進めました。
この活動がフォルムに捉われない構成的絵画を可能とし抽象絵画を生みだしていったんですね。
その上抽象的芸術表現の極みとした音楽の構成要素を絵画に適用しようと試みます。
時期を同じくして画家であり作曲家であったシェーンベルクが調性に寄らない音楽を目指していたことで
伝統的原理を覆そうとしていた双方の思考性に共通認識を見出し
結果、絵画・音楽といった芸術領域の境界をこえた総合芸術の運動に発展させます。
(カンディンスキーは”印象ーコンサート”というタイトルのもとシェーンベルクの音楽会を絵画にしています。)
ここで総合芸術と謂えばワーグナー、
ですが彼の原理は、第一義的には壮厳さを求めることありましたから、それが表層的な統合に過ぎないとして
芸術の根源的なるもの、魂の共鳴を目指したブラウエ・ライターとは相容れないものとして袂を分かちます。
そして僅か3年という活動期間には余りある芸術理論の構築を成し遂げました。
この潮流は19世紀末の
アール・ヌーヴォーへ
ユーゲント・シュティル(ウィーン分離派)へ
メゾン・キュビストへ
フューチャリズム、ダダイズムへ
さらに
ナチスにより全ての作品が壊滅されたというMerzbauへと波紋を広げて行きました。

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【 2012/10/25 23:29 】

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カンディンスキーの青Ⅰ~フェルメール/シャガール/ピカソ/グレコ/ベラスケス/ドイツロマン派/地中海/世紀末/中世の闇
blauer-reiter.jpg


Blue
カンディンスキーにして
天上の色と言わしめた青色

ベラスケスの青
グレコの青
フェルメールの青
ピカソの青
シャガールの青
ドイツロマン派の青い花

それは
世紀末の色
聖母マリアが纏う真実の色
憂愁の色
ノヴァーリスの色
そして
地中海の夜の海色
悠遠なるBlue

ーー青が深まれば深まるほどに
ひとは無限の思慮に惹きこまれて往く
厳かなる高踏的世界に誘う色
青は天上の色であるーー


カンディンスキーが”芸術における精神的なもの”において
芸術の”内的必然性”と呼んだものは、
(ワーグナーのそれは外的必然性であった模様ですが)
物質主義への挑戦であり
文明退廃への危惧でありました。
達意に記すれば
理屈でなく”感性で受け取る芸術”
ということなんですね..。

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【 2012/10/23 21:13 】

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ショパン愛と悲しみの旋律~ノクターン 第20番 嬰ハ短調 「遺作(動画視聴)」/戦場のピアニスト~ドラクロワ~ジョルジュ・サンド~


ーーあなたを好きな女性がいますーー


ジョルジュ・サンドがショパンに贈った愛の言葉。




120111-1
ルーブル美術館に収められている
19世紀フランス ロマン主義の画家ドラクロワが描いたショパンの肖像画です。



images 2
そしてこちらが、同じくドラクロワが描いた
文豪ユーゴーやフローベール等からも影響を受けたという女性フェミニストの先駆者で作家のジョルジュ・サンドの肖像画
コペンハーゲンに在るオードロップゴー美術館、所蔵作品です。




ですが
この2つの作品は
もともと一枚のキャンバスに描かれていたものでした・・。

ChopinSandDelacroix.jpg
サンジェルマン・デ・プレ教会の裏のドラクロワのアトリエに残されていたであろう作品が、こちら。

作品が2つに分断された理由は、
モーリス(サンドの子供)説、経済的理由など
諸説ありますが明らかにはなっていません。


ハンガリー出身のリストに見出され、メンデルスゾーン、ベルリオーズ、ハイネ、バルザックなどとも親交を深めてゆく矢先、革命のエチュードを演奏している”ピアノの詩人”ショパンに魅せられ
サンドの方からのラブコールで始まったこの恋。
二人の愛は、地中海のマヨルカへの旅そして夏はパリ、冬はノアンのサンドの館で育まれ、
その9年という季節に、ショパンは多くの名曲を残します。

そして

この恋の結末と肖像画のそれが
哀しくもクロスオーバーしているんですね。

ショパン ノクターン 第20番 嬰ハ短調 「遺作」
映画”戦場のピアニスト”のメインテーマにも使われた作品です。
Chopin: Nocturne No.20 cis-moll Op.posth (←動画視聴)

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映画 ショパン 愛と哀しみの旋律

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【 2012/10/04 18:37 】

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風の花嫁~オスカー・ココシュカ/アルマ・マーラー~スイス/バーゼル美術館~エゴン・シーレ/クリムト~運命の歌/ブラームス~テンペスト~パオラとフランチェスカ
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私たちは定められている
どこに足を止めてもやすらうことができないように
過ぎてゆく
落ちてゆく
悩みを負う人の子は・・
~ヒュペーリオン/ヘルダーリン

スイス バーゼル美術館所蔵の”風の花嫁”
エゴン・シーレと同時期にクリムトに見出されたオーストリアの画家
オスカー・ココシュカの作品です。

原題は”テンペスト”
画家の友であり詩人であるディェ・ウィンデスバルトの命名です。

これだけ文学的余韻を与えてくれる絵画も
そう多くはないのでは・・と思える作品です

表現主義から入ったココシュカですが
クリムトの象徴主義傾向、その華麗な装飾性と官能性
さらには、アールヌーボーをも総括したウィーン分離派とは
一線を画してゆきました。
因みにこのウィーン分離派には、哲学者ウィトゲンシュタインのお父様のバックアップもあったようです。
モチーフは、多分にギリシャ的な”愛と死”だったり
ファム・ファタルをテーマにしてみたりで
深層心理を古典絵画技法により精緻かつ幻想的に写実主義をもって表現しようとする
ウィーン幻想的レアリスム派です。


19世紀末ウィーン
ココシュカがこの作品を手がけた動機は
作曲家でウィーン国立歌劇場の正監督でもあったグスタフ・マーラーの未亡人への想いにありました。

背景は、オーストリア・ハンガリーの二重帝国。
チェコ、ポーランド、クロアチアなど幾つもの民族を抱える大帝国です。
そこは、フロイト、シェーンベルクらの知識人に加え、多くの芸術家たちが集った芸術の都。
アルマ・マーラーは、そのウィーン社交界の華と言われた女性です。
彼女は、出会ったその日にココシュカを自宅に招き”トリスタンとイゾルデ”を奏でたといいます。
亡き夫マーラーがワグネリアンであったことを差し引いても
ケルトに起源を持つ古代トリスタン伝説をモチーフにしたこの楽劇の”イゾルデ 愛の死”を敢えて選んだアルマが、運命的な何かを感じていたことは想像に難くありません。

大海原の難破船に互いに慈しむように横たわる男女
それは、ココシュカ自身
そして彼が生涯愛し続けた女性アルマを描いたものです
制作当初は、薔薇色の華やいだ色調の作品でありましたが
二人の関係が悪化するにつれ
ココシュカの行き場のない哀しみをキャンバスに塗り込めるように
青く、沈んだトーンに変容してゆきます。
現在バーゼル美術館からは門外不出の作品とされていますが
少しでも移動すると剥がれ落ちてしまいそうな画布一面、厚塗りの作品となっています。

一見フォーブ的でありながらバロック的でもあり
当時は、理解を得られない前衛芸術家として
”クンストシャウ”を最後にウィーン美術界から追放を受けます。
同時期にアルマとの恋も破局を迎え
傷心の果て、
人道主義的でもあった彼は、第一次世界大戦に従軍
帰還したときには、アルマは別の男性と結婚していました。


こうした経緯を鑑みても
ココシュカの芸術的思想と
彼のうちに秘めるその想いには既に境界線はなかったように受け取れます。


私が初めてこの絵画に邂逅したのは22歳、
卒業旅行の時でした。
以来、この作品の前に佇むと
作品の背後から微かにブラームスのメロディが聴こえてくるような錯覚を覚えます。
そのメロディとは、彼がヘルダーリンの書簡体小説ヒュペーリオン「運命の歌」をモチーフに作曲した
同タイトルの楽曲なのですが・・・。

冒頭に掲げた詩は、この”運命の歌”からの引用です。
彼はこの章に来ると
プレストの不協和音を多用していますが
個人的印象は少し違っていて
最終的にココシュカはその懊悩をも乗り越えた
達観した境地に行きついている
私はこの絵画からそんな静謐なものを感じています。

ー男の死は 、男と女の再生の象徴である ー
記憶の片に埋もれたフレーズも蘇ります。

ー愛する人を失った者は永遠に漂い続ける運命ー
確かに、ロマン派の文学、音楽、絵画には好んで使われたテーマですが
これは古典に見る愛のプロトタイプであろうと思います。

例えば
ギリシャ神話”オルフェウスとエウリディーチェ”
エウリディーチェへの愛を貫き通したオルフェウスの儚く美しい愛の物語で
”オルフェオとエウリディーチェ”としたグルックのオペラセリアでも有名な作品です。
また
アーサー王物語からの伝説の騎士ランスロットとアーサー王の王妃グィネヴィアとの許されない恋 。
湖の乙女という妖精に育てられたため湖の騎士とも呼ばれ、後に円卓の騎士の一員となったランスロット。
トランプのクラブジャックのモデルにもなっている人物です。
さらに時代を下ると
中世ヨーロッパのサン・ドニ修道院長ピエール・アベラールとその弟子パラクレー女子修道院長エロイーズの
ラテン語の往復書簡集 ”アベラールとエロイーズ”
もっと言えば
画家カバネルの作品で有名な
ダンテの長編叙事詩”神曲”地獄編に在るパオラとフランチェスカの姿、しかりです。

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パオラとフランチェスカ/ワッツ

noble lovers
愛に生きる純粋さと崇高な精神があってこその永遠性
広く文学界、絵画界、音楽界の芸術家たちに
インスピレーションを与え続けている
それは、全てのものが移ろいゆくこの世界に於いて、決して変わることのないもの
人は心のどこかでそうしたものを求めているということでしょうか。

この絵画”風の花嫁~Die Windsbraut~” の中で ふたりは尚
優しさと温もりに包まれていたあの時、あの刹那を紡ぎ続けているようです
ディェ・ウィンデスバルト
ココシュカの想いは風になって、
今もスイスのミュレン 、イタリアナポリの空の上を
漂います
伝えたくて伝えきれなかった想いを乗せて・・・ 。



※時を措いてココシュカは
ドイツ表現主義から高い評価を得、ドレスデン美術大学の教授に迎えられます。
実際、シーレの「死と乙女」もこの作品から構図のヒントを得たと言われていますし・・。

ココシュカとアルマ、その後二人は生きて会うことはありませんでした。
芸術に最高の価値を置いたアルマは
”4大芸術の未亡人”と呼ばれたように
初恋の相手ユーゲントシュティールの華麗な画家クリムトへの恋に始まり、
その後4度の結婚をしました。
しかし、 彼女の言葉によりますと
「最初の夫マーラーの音楽は好きになれず、次の夫グロピウスの建築は理解できず、その次の夫「聖少女」のウェルフェルの小説には興味もなかったけれど
ココシュカ、彼の絵にはいつも感動させられたわ」

この”風の花嫁”をもって、彼女に”私の最も美しい肖像”と言わしめたココシュカは
絵画の中だけでなく現実に於いても愛の勝利者だったのかもしれません。

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【 2012/09/28 00:02 】

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モネ/印象派~睡蓮/ルーアン大聖堂/積みわら/ポプラ並木~小林秀雄/三島由紀夫
ー瞬間こそ永遠と信じる道だったのであろうかー

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フランスの古都ルーアンに在る大聖堂を描いたモネの作品。
ルーアンは百年戦争下、ジャンヌ・ダルクが処刑されその灰がセーヌに流された地であり
また教会が多く点在する街でもあります。
モネは此処にあるルーアン大聖堂のファサードを
ほぼ同じ構図で30点近く描いています。
違うのは、時間、光、色彩。
私はこの絵に魅かれてルーアンを訪れました。

陽の光が差し込んでいる限り
ルーアン大聖堂は刻々と表情を変えます。
全く別の建築物のようにその色彩を変えて行くんですね。

「この絵を観る人に自分が感じたものを追体験して貰いたい」
モネの言葉がここに残されています。
光を""したこの聖堂を眺めていると
時間とともに
モネの一連の作品が、Repeatabilityにも匹敵するReproducibilityといった印象さえあるほどの再現性を秘めていたことに気付かされる・・・、
有意な時が流れました。
朝、この聖堂の背後から陽が差し込み始め、午後に太陽は聖堂の正面に廻り込んできます。
そして斜光角度が下がってくると聖堂西側の建築物がファサードに陰翳を創りはじめます。
此処にこうして厳然と立ちはだかる大聖堂は、あの時モネの描いた大聖堂、
「一回性」「再現不可能性」の否定をも内包しているようにも受け取れる作品・・・。
あとは、言葉になりません。

モネが後年になって制作した”積みわら”ポプラ並木”ルーアン大聖堂”等の蓮作をもって
小林秀雄氏は次のように記されていました。

ー瞬時も止まらず移ろい行く、何ひとつ定かなもののない色の世界こそ、これもまた果てしなく移ろい行く絵描きに似つかわしい唯一の主題だと信じていたのであろうか。そしてそれは瞬間こそ永遠と信じる道だったのであろうか
中略
風景を描くとはこの主題的な色彩の反映を展開させることだ。それは丁度音楽家がソナタの或るテーマを展開させるのと同じ性質のやり方である。従って音楽家にとって音楽の観念とは音のハーモニーをもった展開自体を指す様に、画家にとっては絵の観念即ち色の展開であるー


古典的文脈で謂えば、聖書、ギリシア神話、シェイクスピア作品が多く絵画のモチーフとされてきたという芸術的経緯、謂いかえれば芸術家たちが強くインスピレーションを受けるその対象にはある一定の法則があったことをおそらくは認た上で、敢えて”絵画に似つかわしい”唯一の主題”とさえ踏み込んだ氏の洞察。
モネ自身気付き得ない深層にまで降り立とうとする
そうした徹底性からか絵画を悉く音楽に、文学に映し出してゆく
美の極み、美しき芸術のその先にあるもの形而上的存在まで突き詰めてしまうおうとするならば
もしかしたら、それは、一点に収斂されてゆく。それこそが
(総てが移り変わって行くなかで)唯一”永遠なるのもの”であるのかもしれません。


小林秀雄氏の”美”に向け続けた透徹な眼差し
対象の深淵に迫らんとするその覚悟
そこにある厳密な論理性
かつての三島由紀夫氏に通ずる硬質な 感性に裏打ちされたその孤独性が
ルーアン大聖堂とともに心の琴線に響いてきます。

384px-Claude_Monet_-_Rouen_Cathedral,_Facade_(Sunset)



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【 2012/09/23 13:18 】

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フェルメール~真珠の耳飾りの少女/牛乳を注ぐ女~ヒヤシンスブルーの少女
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イタリア フィレンツェのウフィツィ美術館近くの書店で見つけた小説
”ヒヤシンスブルーの少女”(原題:Girl In Hyacinth Blue)

ーー赤錆色のスカートにヒヤシンスブルーの布を纏った少女。
その瞳は、真珠のように清楚な輝きを湛えている。
開け放たれた窓から降り注ぐ柔らかな陽の光。
「これは、本物のフェルメールだ」彼は小さく呟いたーー



目に飛び込んで来たこのフレーズ(かなり意訳入ってます)に魅せられ即購入
ペーパーバック版で読みました。

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真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)であまりに
有名なフェルメールですが、
残存する作品が少ないこともあって、隠れた真作を求めるが故に贋作の噂も後を絶たない・・
そんな彼の
ここにある一枚の絵を巡り
8章の物語からひとつひとつ時代を遡って350年間の過去への旅が初まる・・・といった構成です。

作者はSusan Vreeland(スーザン・ブリーランド)
米国のハイスクールの先生で、小説に於いては全くの新人のようですが
WEBで検索するとニューヨークタイムズ始め各メディアの称賛の記事が散見され
有名な文学賞をも受賞されている巷でもお勧め短編連作集のよう・・。

フェルメールを題材にした文学は
トレイシー・シュヴァリエの”Girl With a Pearl Earring”
シリ・ハストヴェットの”Yonder: Essays”などいくつか発表されていますが
こちらの小説は、主役である”フェルメールの作品”そのものがフィクションです。
けれど
フェルメールの絵画への評価はリアル過ぎるほどで、美術評論家顔負けの鋭い洞察力が全編を貫いています。
”ヒヤシンス・ブルーの少女”という架空の絵画を巡って
現代のアメリカから、第二次世界大戦時のアムステルダム
さらに19世紀末オランダ、フランス、19世紀初頭のオランダへと
小刻みに舞台を移しながら物語は進行して行きます。
そしていよいよ1717年にクライマックスを迎えます。

オランダの片田舎が歴史的な洪水に見舞われた折
乳児を乗せた一艘の小舟が・・そこにはその子の全てが託されたフェルメールの絵。

絵画に秘められた謎と画家フェルメールの苦悩に迫り
最後にこの絵のモデル、娘のマフダレーナの夢に辿りつく。

彼女のプロット創作センスも去ることながら
オランダの美しい田園風景の描写に、登場人物たちの人生の光と影を交錯させて
ヒヤシンスブルーの絵画の旅に誘うという彼女の手法に嵌りました。

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レンブラントと二人、17世紀オランダ画家の双璧とされる
デルフトの画家フェルメールですが
日常の些事を優しい眼差しで切り取った
”牛乳を注ぐ女”
こちらが個人的にいちばん好きな絵画です。

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【 2012/08/19 23:27 】

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映画 レンブラント 夜警~東京都美術館マウリッツハイス美術館展
世界三大名画のひとつと見る向きも高い
名画”夜警”ですが
このタイトルは18C以降からの通称であり、実際は、”夜”でなく陽の光の下で描かれたことが判っています。

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また、市警団の肖像画であるにも関わらず
一人の女性に焦点が当てられていることなど
様々な理由から、当時かなりセンセーショナルな肖像画となったようです。
さらには、(絵の周囲がカットされてしまったり、
ナイフや薬品による3度に及ぶ受難など)信じ難いようなエピも残されていまして、
それがレンブラントの人生とも重なって波乱万丈な物語として触発されたのでしょうか、
美術作家でもあられる映画界の巨匠ピーター・グリーナウェイが
脚本、監督されての映画化でした。

東京都美術館マウリッツハイス美術館展の記念映画会で
映画”レンブラントの夜警”が再上映されていましたので
思いもかけず見逃していたこの作品を鑑賞する機会を得ました。

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ピーター監督の”夜警”への個性的な考察が大変に興味深く・・・
画材の劣化で夜の帳、重い雰囲気に包まれてしまっているこの作品そのもの
に息を吹き込んだ・・というか、一貫して
絵画のようなフレームで縁どられた美しい映画ビジュアル
”夜警”は繰り返し音楽化され
聴覚にも強く訴えかけてくる音響効果
一方
その対比としてエンドロールが鳴らす静寂
同監督の芸術的なコンセプトが、随所に散りばめられた作品です。


※レンブラント・ハルメンス・ファン・レイン(1606年7月15日 - 1669年10月4日)
カラヴァッジョ派を出発点としたレンブラント
彼の姓ファン・レインはオランダを流れるライン川の意なんですね・・・

ーー知識は実践せよ。
  さすれば知らぬ事、学ばねばならぬ事が自明になるーー

絵画の才能は元より
相当な知識人であったであろうことも伺えるレンブラントの言葉・・・。

アムステルダム国立美術館収蔵のこの作品
正式タイトルは『フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ラウテンブルフ副隊長の市民隊』
日蘭交流記念行事に日本への貸し出しを打診したそうですが
”クレイジー”の一言で片づけられてしまったという逸話が残されている程ですから
当に”門外不出”の作品です。
あのモナリザでさえ幾度か来日していますので
それはもう
オランダでしか邂逅不可のオランダ至宝中の至宝
アムステルダムの”夜警”
ということになりましょうか・・・。

出演 マーティン・フリーマン / エミリー・ホームズ / エヴァ・バーシッスル
ジョディ・メイ/トビー・ジョーンズ

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【 2012/08/12 22:46 】

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デルフトの眺望/フェルメール~失われた時を求めてプルースト~マウリッツハイス美術館展
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トレ・ビュルガーの論文で一躍有名になったというフェルメールですが
かのプルーストもまた、1921年のフランス パリのオランダ絵画展で
この作品に邂逅し感銘を受けたひとりです。
そして彼は
当時執筆中だった長編小説”失われた時を求めて”に
”ベルゴットの死”としてこの絵画への想いを差し込んでいます。
小説中の言葉を借りれば、
(この企画展において他に居並ぶ絵画を)
”どれもこれも、ヴェネチアのある宮殿、いや海のほとりの単なる
一つの家を吹く風、照らす日光にも及ばない”
と、登場人物ベルゴットに酷評させるシーンがあります。
けれど、”デルフトの眺望”を前にした科白では

”フェルメールの絵の前に来た。
最後にほんの小さく出ている黄色い壁面のみごとなマチェール”
と、深いメッセージを読者に贈り付けています。
そして、プルーストはこの絵の前で
なんと
ベルゴットを死なせてしまうんです・・・。

登場人物をフェルメールの絵の前で息絶えさえることで
その作品への感動を伝えるプルースト。
彼が世界屈指の作家であることは異論のない処ですが
プルーストにそこまでさせた
フェルメールの天才振りが改めて伝わってくるエピソードでもあります。

東京都美術館で2012.9.17まで開催されるという
”マウリッツハイス美術館展オランダ・フランドル絵画の至宝”
には、残念ながらこの絵は来ていないようです。
けれどこの絵をして”永遠の夏の午後”と見立てたプルーストの思い入れが
痛いほど伝わってくる作品であります。

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【 2012/08/11 09:55 】

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美しき古都トレド~エル・グレコ/オルガス伯爵の埋葬~世界三大名画
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こちらスペインの古き都トレドです。
かつての西ゴート王国の首都です。
タホ川に囲まれたこのエリア
中世にはイスラム教・ユダヤ教・キリスト教と所謂世界三大宗教、その文化が交錯して繁栄した美しき古都。

トレドが首都であった時代は長くはありませんが
スペイン史的には
紀元前2世紀、グラナダの語源ともなったザクロ
その栽培で成功を得たハンニバルを経てのローマ支配と
その後の800年間のイスラムの支配。
それからレコンキスタの波にのまれ、1492年のグラナダ陥落、アルハンブラ宮殿の無血開城へと向かいました。
そして同年のコロンブス新大陸発見からスペイン大航海時代が始まったんですね。
ハプスブルグ家がヨーロッパの半分を占めたというこの時代、スペインもその支配下に入ります。
16世紀に首都は現在のマドリードに戻りますが
中世12、13世紀にはここトレドで
イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒の学者達が
”トレド翻訳グループ”を結成し
古代ギリシアからローマ哲学さらには神学・科学などの
重要文献をアラビア語からラテン語に翻訳しゆきました。
中世西ヨーロッパの12世紀ルネサンスに大きく寄与したこの共同作業は
世界三大宗教に属する学者たちによって成された偉業だったんですね。

今私たちがアリストテレスやプラトンを読めるのは
こうした経緯があってこそなんですよね。
スペイン建築・工藝・音楽・文学などには今もイスラムの色彩が
色濃く残っています。

そして、
こうした歴史あるトレド街の中心にサン・トメ聖堂があります。

Imagen-escaneada-110920008.jpg

こちらの教会の壁に、世界三大名画の一角を成す”オルガス伯爵の埋葬”が描かれています。
マニエリスム最大の画家と称されるエル・グレコの作品です。
魂の昇華と肉体の埋葬という2元構成 です。

20100324_695180.jpg

因みに他2作品は
マドリードプラド美術館所蔵、バロック絵画の巨匠ディエゴ・ベラスケス作のラス・メニーナス。
スペイン国王フェリペ4世の娘である皇女マルガリータを中心に描写された絵画の神学ともされる作品です。
制作当初は”王家の肖像”とも呼ばれていたこの作品と
そしてオランダアムステルダム美術館収蔵のレンブラント”夜警”

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以上3つを世界三大名画とする見方があるようです。

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【 2012/08/10 20:17 】

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真実の恋~ルーブル美術館~カノーバ~ベニス/フラーリ聖堂
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フランス、パリ ルーブル美術館です。
アントニオ・カノーヴァ(Antonio Canova)の作品との最初の出会いの場です。

タイトルは”アムールとプシュケ”(1787年 - 1793年)
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2世紀のローマ詩人による逸話から
エロスの接吻で目覚めるプシュケの姿を作品化したものです。
こちらの物語は永遠の愛、変らない愛を描いています。
そう、真実の愛ならば、終わらない・・と。
例え引き裂かれ、逢えなくなっても
どんなに遠く離れようとも
想いは止まらない。
視えない時空でふたりの想いはいつもひとつに重なり合っています・・。
めぐり逢ったふたりが
どんな誤解も、障害も、そして逢えない時間をも乗り越え
最後には結ばれるという
ハッピーエンドの王道のような伝説です。
カノーヴァに限らず、こうした不滅の愛のカタチに
多くの芸術家たちが作品へのインスピレーションを得たようです。
そしてカノーヴァの導き出したフォルムの美しさといったら
200年の時を越えて現代の美観とも見紛うほどです。

カノーバはイタリアの彫刻家で
バロックから、古典主義に回帰した典型的な新古典主義の芸術家でもあります。
そして切っても切れないのが、パトロンのファリエ家
またそのご子息とは生涯の親友でもあられたとか。
尚、故郷のアーゾロ近郊ポッサーニョ村にはカノーヴァ美術館も残されています。
当時ロシアからもオファがあり
実際、カノーヴァの多くの彫刻が、サンクトペテルブルクのエルミタージュ博物館に展示されています。
そして
私が愛してやまない作品がこちら
イタリア べニスのサンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂内のカノーヴァの記念碑です。
こちらの教会にはゴンドラが浮かぶ水路を縫うように水上タクシーで訪れました。
この大理石のピラミッドには、カノーヴァの心臓が埋葬されているそうです。
彼の精神の宿る処でもあるんですね..。

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【 2012/08/09 14:45 】

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ガウディ~スペイン三大巨匠/ピカソ・ミロ・ダリ
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バルセロナ グエル公園です。
バルセロナほど青空の似合う都市もめずらしいかな
なんて思ってしまうほど
爽やかな街です。
フランス、アール・ヌーボーにも似たカタルーニャ地方モデルニスモ。
この芸術様式の代表選手ガウディで有名なスペインですが
20世紀三大巨匠と言えばやはり
ピカソ、ミロ、ダリ。
この御三家のうち特にピカソ青の時代とミロの作風は
受ける印象において対照的です。
何を主題に持ってくるかも作品の印象を決定付ける
重要な要素ですけれど。
それはひとまず置いておいて、
その背景を探るために拙い乱読経験から少し考察を・・・。

パリ時代を経たという共通項を経て
ピカソは南仏
ダリはニューヨーク
そしてミロは、マヨルカ島へ。

三人ともシュルレアリスムの洗礼を受けたのだけれど
ミロは、ご存じのように
極端なデフォルメ(ピカソもそうだけれど)と
”地中海”に燦々と降り注ぐマヨルカの陽光にふさわしい明るい原色を駆使して
作品を作り続けた作家さん
ですよね・・・

研究書等には
マヨルカという環境以外にも
ミロは、ピカソやダリのような巨匠にありがちな
強烈で難解な個性はなく、
あくまで、”温厚”と分析されていました
さらには。
ピカソからも”永遠の子供”と評されるような
純真無垢、天真爛漫さ?を兼ね備えた方でもあったよう。

過酷なフランコ独裁政権下でカタルニア人として耐え続け
さらには、あの2つの大戦をも経験したミロですが
そんな彼が紡ぎだしたのが
このような
自由奔放で、詩情あふれる作品の数々だったという
その背景には
前述に絡み、
自然の魂を描き出すミロの神髄が見え隠れしてくるんです。
そう、ミロご自身も語っていました。
”太陽と,
屈託のない昆虫や動物たちが僕に勇気をくれたんだ”
って・・・。

ミロと謂えば、日本では大阪万博だったんですね。
その時”ガス館”を担当されていたミロ氏の
ダイナミックなお仕事ぶりが日本での彼の知名度をあげました。
モンジュイックの丘に立つミロ美術館はバルセロナの象徴的存在のひとつとも感じています。

一方、”青の時代のピカソ”

親友の自殺。
その悲しみから
ピカソ青の時代は始まったと言われています。
その後ピカソは
貧困や絶望を描くようになります。
”社会から見放され底辺で生きているような人々”を
作品のモチーフにしていた訳です。
ですからその作品が悲哀に満ちているのも
頷けますよね・・。
(その後、彼のひとつの恋愛を契機に
薔薇色の時代へとその作品も恋愛遍歴も
変遷して行くんでしたよね・・)

なぜ”青”だったのかと謂えば
エル・グレコの影響
だとか
当時貧しかったピカソにとって
青色の絵の具が安く買い求めやすかった
とか故郷マラガの心象
だとか諸説あるようですが・・。

いずれにしても、ピカソはその”青”で
社会主義的観点から
人間社会の負の側面を描き出して行ったんですよね。

"青"は西洋絵画の伝統においては
聖なるカラーアンサンブル【赤(愛)と青(信仰)】とされる ”高貴な色”
それは、”遥かなる憧れの色”であり”希望”の色でした。
カンディンスキーにして”天上の色”とまで形容させた色です。
それを思うと、
当時のピカソのカラーワークって
戦略的にも、群の上にも群を抜いていたと
改めて感じずにはいられません。

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【 2012/08/07 14:40 】

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ピカソは天才?~科学と慈愛
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キュビズム一辺倒でなく新古典主義だったり、版画だったり彫刻だったり多様なprincipleとジャンルの作品の中で
正確かつ精緻で、尚 少年とは思えない重厚な雰囲気を醸し出している作品
そんな作品の前に佇むともう
その深みにハマってしまい脱出不能(笑
所謂、努力だけでは到達できないと感じさせる何か、
もう、天才としか言いようがないというか・・・。

例えば、”Science and Charity ”
ピカソ美術館ではいちばん有名な作品かもしれません。
死にゆく女性を、お医者さまと子供を抱いた修道女が見守っているというアングル。
お医者様が”科学”の象徴、一方修道女が慈愛の象徴ということなんですね。
十代の少年でコレですから、もう恐るべしプレゼン能力って感じです^^

ピカソの十代の作品を前にすると
個人的にモーツァルトのメロディが流れて来るんです
25番 ト短調 が7歳、ディヴェルティメント ニ長調 K136 が16歳位でしたっけ?
私の中で、音楽界の天才ぶりと彼のそれが被るんですね。

”子供たちの巣”とか”ベレー帽の男”など
そこに記載されている制作年を知り
あまりの凄さに、思わずゾっとした経験があります。
けれど・・・。
一般論で
画集で見知った絵画に実際に対面した時
印象が大きく変わる作品とそうでないものありますが
私にとってピカソは多くの場合後者の方なんです。
彼の作品数が多すぎて、芸術というより
生活のために描かれた作品も多く世界中の美術館に散りばめられてしまっている
そんな現実も影響していると思うのですが、
でもたぶんそれだけの理由ではないと・・。

作家の開高健氏は、少なくとも”ピカソはほんまに天才か”の中では
かなり、否定的な見解を持たれているようでした。
他にも同様の評論が目に付いたりもします。

けれど医学界では意外と評価が高そうなんですね。
彼らの意見を伺っていると(ヒトの脳のメカニズムを生理学的に踏まえていらっしゃるからでしょうか)
ピカソは大脳の視覚野を意識的にコントロールできる能力があるということで
ゆえ、同様の能力を持たれている方が、彼の作品に触れると、
空間イメージ構成力を意図的にコントロールしてそこからロジカルに推論してゆける・・
よって、彼の絵の神髄が見えてくるのだとかなんとかかんとか・・。

そんな能力欠片もない私に推論できるはずもなく
妙に納得。
というか。。。とくに”ゲルニカ”
今はソフィア芸術センターに移ったゲルニカですが
寧ろ、政治的意味合いで解釈される傾向もあるというか
反ファシズムという思想的価値に共感するというか
ただの”戦争”というタイトルでなく”ゲルニカ”のタイトル勝利というか・・・。
そういったプロパガンダ的色彩も濃い側面をもって
評価されてきた作品でもあると思うんですね。

そー謂えば。
昔どこかで読んだ評論に面白いご意見があったっけ。

ニュートンの万有引力の法則は
学べば、誰でも、ニュートンの偉業を”なぞる”ことができる
けれど
ゴッホの絵はなぞっても描けない
よって学術的に、絵画は物理の上位にあるとか。
テキトー☆

あの独特のプルシアン・ブルーの世界観
そのピカソを持ってしても
ベラスケスやレンブラント、 ダ・ヴィンチ、ミケランジェロそれにフェルメール辺りが
世界最高峰の画家との評が多数で
作品は納得の行くものだけを残した方が
後世の評価は高いのかな
なんて、また、個人的にはどーでもいい感覚に至ってしまう訳です。

いずれにしても
向き合う絵から何が受け取れるか、
コミュニケーションの成立が図れるか
それって、もう理屈抜きの相性
というか
好きかそうでないか
そこに尽きるとは思うんですけれどね。

ただ、いろんな方の評論や
研究論文を読むのは、
えーーーそんなユニークな見方があったの?的な
発見があり、かつ自身の視野を広げても頂けたりなど楽しいので
好きなんです。
で、つい、こんな雑談を・・・

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【 2012/08/07 11:32 】

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マグダラのマリア
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こちらイタリアはミラノ
”最後の晩餐”の壁画が描かれているサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院です。
世界遺産にも登録されています。
レオナルド・ダ・ヴィンチが、
ルドヴィーコ・スフォルツァ公に依頼されて手掛けたこの壁画は
周知の通りヨハネによる福音書からインスピレーションを得たものです。
さらに
未完の作が多いダ・ヴィンチにとって、数少ない完成された作品でもあるんですね。
420 cmx 910 cm という大作です。
この壁画が描かれている修道院の食堂に一歩足を踏み入れた瞬間
その場の空気が変わりました。

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息を飲むとはこんな時のためにある言葉なのかと思いました。
そして使徒ヨハネと解釈されていることが定説であることをもってしても
ダ・ヴィンチが描いたこの人物は
マグダラのマリアに他ならないと確信してしまった瞬間でもあります。
私は後にも先にもこのように美しい女性を知りません。

※こちら予約がないと入れません。
是非ご予約を・・・
こちらからWEB上でオンライ予約できます。
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【 2012/07/23 17:59 】

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