映画 ”Shine” を讚するあなたへ


メッセージありがとうございます。
私も観ました!!
映画 ”シャイン”

オーストラリア映画なんですね
感慨深いです。

ジェフリー・ラッシュの演技に
ただただ感服の作。

直近では、
”鑑定士と顔のない依頼人”
"やさしい本泥棒”と続き
彼が演じ切った(というか乗り移ったというか笑)
ヴァージル・オールドマンに
ハンス・フーバーマンに
魅せられたばかりでしたけれど。

ジェフリー・ラッシュは当に
映画を芸術に押し上げる
名優中の名優という印象。

そうなんですね、彼自身実際、ピアノを嗜まれる方なんですね。
なんだか納得です。
造詣の有無で
演技にも奥行きが出るという面は
否めないのかもしれませんね。

ほんとうに
素晴らしい映画”シャイン”。

私的にそもそもラフマニノフが大好きですし
描かれたデイヴィッド・ヘルフゴットそのひとの
恰も痛みの代償のような“シャイン”が
哀しいほど美しくて・・・。

この感銘を戴くと
感動再びと
映画への彷徨が、また始まってしまうんですね。

生きてる限り
終わらない旅のようです^^

紗希














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【 2017/04/06 12:06 】

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映画 君の名は。~RADWIMPS/前前前世*なんでもないや
ーーずっと何かを
       誰かを探しているーー

IMG_1257.jpg

新海誠氏の”君の名は。”からのフレーズ。

ーー組紐
寄り集まってカタチを創り
捻じれ絡まって、時に戻って
途切れ、また繋がり。
それが結び。
それが時間ーー

なんだか
納得(笑)

”時間”って結びなんだ・・

だから
生という時間のなかで
一度は結ばれて
なぜか解けて
はぐれてしまったひとを無意識に
探しているような感覚が残る。

これって
多くのひと
もしや
誰しもが抱えてる
感覚かもしれないナ
なんて
そんなことを今
ぼんやり考えています・・。






※新海誠氏
”秒速5センチメートル”
その由来が、桜の花びらが地上に舞い降りる速度
と教えられた、そうしたイメージのひとで、
それ以上でも以下でもなかったんですけれど

機会あって観た”君の名は。”

歴史にもしがあったお話
とゆーか
新海版”胡蝶の夢”
ならず
時空を超えた愛に信頼を寄せる
ストイックな素敵さを感じました。

そして
”ひとを暖めるような風景”
そんなフレーズが胸の奥に残った。

いい……。



エンドロールで流れてきた楽曲。

ーーもう少しだけでいい
あと少しだけでいい
くっついていようかーー


そうなんですね。
ずっと
とか
永遠
とかを求めてるわけじゃなくて

あと少しだけ
ほんの少しだけで
いいんですね。

そして


ーーふたりの間
通り過ぎた風は
どこから寂しさを運んできたの

泣いたそのあとは
やけに透き通っていたんだーー



妙に共感を呼ぶこのフレーズ
その理由は・・・

長さじゃなくて
クオリティを思うから?

それとも

淋しさと爽やかさは
少し似ているから?

そして

ひとを想うこと
そのこと自体に既に
淋しさが含まれているから?






        ⁂




ーー叶えたい夢も今日で100個できたよ。
たったひとつと
いつか交換こしようーー














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【 2017/03/03 00:16 】

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映画 コッポラの胡蝶の夢 III〜科学負の遺産と東洋思想との親和性への警鐘


本作品は各シークエンスごとに
深いメッセージが鏤められ

優しささえ痛みに変わるほどに
細やかに創られており
その解釈の仕方次第では
思索深度まで見透かされてしまいそう(涙


          *

言語の起源って
取りも直さず
そのまま意識の起源
なんですね。

よって
此処でもまた“言葉”でしょうか。

ー“時間”という概念ほど客観性に欠けるものはないー
こちらに絡めて
心の二元性がひとつめの主題かなと。

さらに
作品を通奏低音のように流れていたのが
東洋思想それと
核利用へのスタンスとの親和性
その警鐘でしょうか。

シヴァ神への言及の意味性
それを東洋思想に謂うある“悟り”として括ってしまうことの恐さ
(タイトルは荘子のそれですが、彼の思想はこと本作の局面に照らせば
老子とは、似て明らかに非なるもの…)

と申しますのは
作中、科学技術に起因する負の遺産
核さえ受容してしまうかのような哀しい科白が
ありまして。

こちら
ー善と悪は意味を失い
存在は無ー
そうした東洋哲学の立場を
核を認めることと結び付けてしまう愚かさへの
コッポラの問題提起なんですよね。

目的は手段を正当化しません。

そもそも
ヒンドゥー教は
古代、あくまで“自然現象”を神格化したものが多いヴェーダ由来
不可抗力の自然災害と
科学負の遺産の区別もできない
そうした悟りならば
私もそんなものは要りません。

コッポラが示しているように
そうした意味での善悪は、やはり厳然と在るんですね。


*未来の子供たち
生きとし生けるものを取り巻く環境を守るため
(負へ進む現実には徹底的に抗し)
今を生きる大人たちが
それぞれの立場で
出来る限りのことをすべく責任があろうことは
明白ですから…*






























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【 2017/02/20 22:38 】

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映画“コッポラの胡蝶の夢 II〜哀しみの在り処
DSC_1206.jpg

永遠の愛を込めてー

言葉は一葉でも
カタチも角度も様々。

取り分け
男性のそれと女性のそれは
別物のように思えて来ました…。

ー私が一生をかけた仕事は未完
その上彼女まで失ってしまった
人生は“無“ー

生涯の研究テーマの完成をみれば
人生は無でないのが
男性の人生かもしれません。
女性はそれを感じ取るから
だから身を引く

一方で
愛を失えば仕事がどうあれ
無と感じるのが……。


            *


作品終盤で
“研究の完成”の代償が彼女の命と気付き
別れを決意しますけれど
これは
もう愛以前
倫理かな…と。
なぜなら
たぶん相手が誰であっても
命を重んじるだろうから。

(彼女はただ彼の賭していること
その役に立ちたいだけで…)
まして
ー君の死を見守るより
若くて美しかった君
再び美しくなる君を失う方がいいー

こんなに哀しい愛の言葉があるでしょうか。

ふたりの愛は
それぞれに真実の愛には
違いないものでしょう。

けれど
その間には
埋められない溝が横たわっている

すれ違う想い

それが

胡蝶の夢が如く
3本目の薔薇
あの場所で
初めて埋まる
裏を返せば
あの場所でしか
互いに埋まらないのかもしれません。














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【 2017/02/18 10:15 】

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映画 華の乱〜与謝野晶子/有島武郎〜シューベルト/水の上で…

ー美しいものは
すべて淋しいものですー



永畑道子さんの
“夢のかけ橋”は下敷きになっているだけで
やはり映画のタイトル通り
“華の乱”がメインストーリーなんですね。

ですので鉄幹との愛その影は薄いです。

与謝野晶子と周辺人物
有島武郎、島村抱月、松井須磨子、
波多野秋子、大杉栄、伊藤野枝らを追ってはいますが
当然乍、その会話の多くがフィクション
けれど
ほんとうにまことしやかに
描かれていて

深層の心理には
そんな感情もあったのだろうと。

心あるひとを苛む
秘めた想い
深い志に自身を重ねられるような
巧みな作品構成になっていました。


そして
死に至る病を乗り越えさせるものとは…。

















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【 2017/02/16 01:01 】

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映画 コッポラの胡蝶の夢 I〜若さなき若さ〜荘子


少しもロマンティックでなく
クリスマス・イブに始まる物語。
タイトルから察せられる通り
荘子の“胡蝶の夢”をベースにしながら
プレリュードで
死ぬまで君を愛し続ける
と語らせ
しっかりと貫せる
真実なる愛に忠実なストーリー
胸が苦しくなるほどに。



時間をどう扱うか
こちら
もしかしたら
記憶の活かし方の問題なのかもしれません。

中観に照らせば
時間は
現実であって
現実になく

またある時は
確かに
夢の二元性に
近しくもあるようで…。



思想的には

人間に必要不可欠なもの
との問いに
西洋の文化遺産
音楽と詩
ある分野の古典哲学
と並べ

そして
何よりも科学
と続ける。

それが
創造の神であり
同時に破壊の神である
シヴァ神にも結び付いて仕舞うが如くの
哀しきスタンス


そして
3本目の薔薇はやはり

カタチなく
感情なく
無となり
選ばす
意識なく
すべては消え去り
遥か遠く
跡形のない

その手に…。




*音楽は、あの“耳に残るは君の歌声”のゴリホフ
だったんですね…納得の作曲家です。









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【 2017/02/14 00:20 】

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改めて・・・文芸作品というもの
DSC_0003_20170127141647d34.jpg

原作を知らない文芸作品は
気に入ると
必ずと言っていいほど
原作も読みたくなります。

けれど、基本
映画と小説は
まったく別物だと思っています。

文字で表現したい意図
その多くを
映像と音楽
短い科白(或いはナレーション)に置き換えてゆく作業

まして
映画には時間の制約がありますゆえ
心に深く響いた記述さえ
ひとつひとつ
極限まで削ぎ落して
かつ表現材料を変えてでも
監督が解釈し得た本質を
抽出する必要に迫られるんですね。

想像するだけで
悩ましい(笑)

ですが
それゆえに
その作品解釈が如実に伝わってもくるんですよね。

特に結末を周知された古典の映画化など
それぞれのシークエンスから
監督が原作をどう受容されたのかを垣間見ることができて
寧ろそれが楽しい
それが醍醐味
みたいなところまであります・・・。











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【 2017/02/01 00:46 】

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映画 The Book Thief〜やさしい本泥棒
20170129195745379.jpg

アメリカ、ドイツ合作の映画
“The Book Thief”
邦題は“やさしい本泥棒”


優しさだけが人生
優しくなくちゃ生きてる意味がない

生の歓びはやはり
他者への思いやり
その内側にこそ息衝くもの

そして
ひとはそれを愛と呼ぶものでしょうか。

だから
共に重ねる
時間が耀くんですね。


古今東西の思想家、作家たちに
云い古されてきた
そんな当たり前のことそれを
理窟抜きに知らしめてくれる作品。

軸足が此処にあれば
それさえ揺るがなければ
それで
世界はどれだけ変われるのでしょう…。


❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎


グローバリズムに背を向け
モンロー主義さえ彷彿とさせる
当代米国大統領就任演説

あの
アメリカ第一主義

アメリカファーストが強調された
内向きの政策に胸が痛みます。













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【 2017/01/29 20:04 】

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映画 ブルックリン


人生を豊かにするものは
仕事でしょうか

愛でしょうか



故郷はひとつだけでしょうか

(真なる)愛はひとつだけでしょうか






































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【 2017/01/07 04:00 】

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NewOrderさんお薦めの“La migliore offerta”〜鑑定眼、審美眼そして慧眼
何があろうと
あなたを愛してるー

IMG_0099.jpg

2013年制作のイタリア映画
英題は、“ The Best Offer”

我が愛する“ニュー・シネマ・パラダイス”の
ジュゼッペ・トルナトーレ監督作品です。

余韻を響かせる
エンディングは至高。

主人公が
天才的な鑑定眼を武器に
世界中の美術品を仕切るオークショニアであることと

贋作は、必ず痕跡を遺す
(その痕跡はひとつの真実でもある訳で)
といった科白

この辺りが伏線。
大切なことへの示唆を含んで…。




プラハは
それは
美しい街ですけれど
スメタナの交響詩のひとつ
“ヴルタヴァ”の哀愁流るるモルダウ
その象徴の地でもあるんですね。

(真実は
心の琴線にダイレクトに訴え
理屈を越えた
真実と言う名の共通言語によって
時に
真実だけが
真実を呼びよせる
私は
そんなふーに信じているのですが。)

そして
"Night and Day"は実在した…


彼は待つ…。


そこにある彼の想いと

Automatonの放つ哀しみ

それだけは
紛れもなく本物

故、待ち続ける彼こそが
ひりひりと今を生きている
よって
過去の遺物の対極にあるのかもしれません。



















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【 2017/01/04 03:05 】

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34丁目の奇跡〜今宵は、大切なひとと映画を…


“34丁目の奇跡”
(1947年度アカデミー賞受賞作品)

信じることの意味を
教えてくれる
Christmasを舞台にした
素敵なステキな物語。

信じる対象って
基本、瞳に映らないもの
なんですね
そして
奥行きのあるもの…


もっと云えば
結果に捉われ過ぎてはいけないのかな
なんて思わせてもくれるそんな作品でもあります。

そもそも
信じなければ
始まりさえしないようなことも
少なくないし

信じるチカラは
重要な
モチベーションになったりも
する訳で。

まして、大切なのは
未来なんかじゃなくて
今、この時、この瞬間

プロセス
そのものなんですよね…。


そう
今を
より良く生きなければ

いつまで経っても
しあわせには届かないみたい…。


























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【 2016/12/24 20:52 】

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コクリコ坂から雪のひとひらへ〜永遠の安らぎ〜ゲーテ


フランス語で雛芥子(ひなげし)を意味する
コクリコ
英語ならばシャーレイポピー。
(そー言えば、漱石作品の“虞美人草”
コクリコの別名なんですよね)
花言葉は、労わり、思いやり、明るい優しさ
そんなコクリコをタイトルに掲げた映画
“コクリコ坂から”

昨夜、こちらの作品のワンシーンを
贈って下さったあなたから学んだこと…。


主人公の少女“海”が学業の傍ら
両親不在の留守宅を健気にも懸命に守るなか
ある日みた夢
それは
居る筈のない両親が帰って来てくれた夢。

気丈に振る舞いながらも
張り詰めていた長女としての
責任から解き放され安らぎに包まれる…

けれどそれも束の間。
次の瞬間
目覚め
また
現実に引き戻され
甘え方さえ忘れた少女の頬を伝う涙…

こちら
本編にはさして影響のない
さり気ないエピソード
ですが

確かに子供心に
母親の朝食の支度の音で目覚め
父親の力強い腕のなかにあると言うのは
形容し難い安らぎが
あるものなのかと…

母性、父性とは
こうしたものなんですよね…。

柔らかに
暖かく
優しく
そして何より
胸に抱える辛さ、苦しさに
そっと寄り添ってくれる…

そんな愛。

此処、ゲーテの謂う
“永遠に女性的なるもの我らを導く”
にも通ずる部分あるのかなって。

さらにそれは
女性的とも限らないようで。

例えば
ギャリコの“Snowflake”

ひとり残され孤独に消えゆかんとする
雪のひとひら最期の時に
聴こえてきたのは
彼女が終生愛し続けた雨のしずくの囁き。
彼が汲み尽くしてくれたのはその悲哀
そうした深い理解に懐かれ
哀しみからも
痛みからも解放され
安らぎに抱き締められて
至福のなか旅立ってゆく…。

たぶん
こちらもまた
(先日の知音に繋がる)
理解
なのかなって感じたんです

私たちを導いてくれる
“永遠なるもの”って
深い理解に繋がるものだと。

何故なら真なる愛なくば
ほんとうの理解に
届きはしないだろうから
そして
“理解”以上の救いが
他にあるのだろうかと。

紗希





















テーマ:つぶやき - ジャンル:日記

【 2016/12/03 21:47 】

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雨のニューオリンズ〜This Property Is Condemned/テネシー・ウィリアムズ
映画 雨のニューオリンズの原作
“This Property Is Condemned”を
贈って下さったあなたへ

IMG_5983.jpg


生の儚さ(虚しさ)が
際立った作品

そんな印象を受けました…。

そうなんですね。

ひとの命

その儚さは
避けて
通れないとしても


生の充実が
得られるような
生き方を知るなら

此の世に
生を受けた意味は
必ず
見い出せる

そして
その時から
時間は深く
かつ
重いものに
変容してゆくように感じています。


拘りは
(例えば)
地位でも
名譽でも
財力でも
ない


或る生き方

それは
長さでなく
高さ(クオリティ)

此処に尽きませんでしょうか…。















テーマ:伝えたいこと - ジャンル:日記

【 2016/09/19 20:16 】

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Superior review of NewOrder~A Whiter Shade of Pale”存在的示唆に富んだ名作Oblivion”


”存在的示唆に富んだ名作”
という評価で綴られた
昨夜のNewOrder ”オブリビオン”の映画レビュー

私にとっては未見の作ですが
Authorの
”終の住処にしようと語った湖畔の家で、
あれはあなたの曲よ、と言われて流れたのがプロコルハルムの「青い影」”
というご説明に
情景が鮮やかに浮かび
体内にはあの旋律が
こだまして・・・

音楽の持つ意味性を
改めて思ってみたり。


           *


そして
”ひとにとって最も大切なものは、記憶―情報”

こうしたフレーズにも
深く共感致しました。

と申しますのは
私自身
日々時間を重ねてゆくなかで
此処
にゆきあたらない日はないから。

記憶(過去)を
丁寧に辿りながら暮らすことが
ともすればネガティブに捉えられがちな
傾向も見受けられるなか


未来に向けて
今を生きるに

記憶(軌跡)なしに
どんな意味があるものでしょう。

流れゆく時
重ねた時間
かけがえのない瞬間の
ひとつひとつを
慈しみながら
生を繋いでゆきたい・・・

そんなことを想っています。
























テーマ:つぶやき - ジャンル:日記

【 2016/09/15 09:58 】

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映画“父/パードレ・パドローネ”〜自然と言葉と・・そして愛
DSC_0001_20160523111838b5e.jpg

高名な言語学者ガヴィーノ・レッダ氏の
“Padre Padrone”(英語圏ならば“My Fathe My Master”)
タイトルそのままに、彼のお父様(必然御自身のルーツ)を描いた自伝
を映像化した、映画“父 パードレ・パドローネ”

1977年の製作で
イタリアはサルディーニャ島が舞台になってます。
故、彼、たぶんギリシア神話のOedipus意識してますね(笑

ファーストシーンをエンディングでも使う演出
この手法が
ほんとうに
効果的に効いて

観る者に深い余韻を齎す構成になっているのが
印象的…。

いかに理不尽に見えても
いかに不器用であっても
抑えても
隠そうとしても
溢れて
伝わってしまうのが

なんですね…。

そして
そこに
愛さえあれば…

受け手が好むと好まざるに拘わらず
何処かで
何かの
実を結ぶものでしょうか。

         *

自然の音に耳を澄ませながら
幼少期を過ごした彼が
見えない糸に導かれるように
言語学者になったことと

言語(話し言葉から詩文、散文まで)が
音楽の一部でもあるということとは
無縁ではないのかもしれません。

話す声のリズムやトーンに
美を纏わすもの。

それは
それ以前に身に付けた
音楽的能力が関与する
と言ったような意味合いのこと
かのダーウィンも記していましたけれど。

言語が音楽から生まれたと考えた彼の
主張に一定の理解は私でもできます。

具体性には欠けるかもしれませんが
音楽も言語と同じように
情感を伝えるという大きな共通項もありますし。

ポリフォニー(複数の旋律や和音)を
奏でる音楽の響き
それは
五感を働かせ深層に訴え
体内で処理され
複雑な感情の理解を生む

言葉を持たないが故に伝わるものは
計り知れなくて

そこでは
和音進行から対位法、
調性に転調など
多岐にわたる見事な話法(楽典)が
貢献しているようで

謂わば世界共通言語でもある
音楽世界に
思いを馳せれば馳せるほど
鮮やかなるその技法に
延いては
言語
その美しさに
感無量であります・・・。


































テーマ:読書メモ - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2016/05/31 17:51 】

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ヴィム・ヴェンダース~映画 パリ、テキサス~Friendship/ひとつ星の州を想って


ヴィム・ヴェンダース監督での
西ドイツ、フランス合作の
ロードムービー的映画
”パリス・テキサス”

人影のない
アメリカの原野を
ひとり歩く謎の男性
そんなシーンから始まるこの映画の
舞台はテキサス。

(そしてL A)さらには
愛するひとを求めて
ヒューストンへと続くドライブ。

タイトルのパリ、テキサスは
(仏蘭西とは無縁の)
テキサス州のパリのことで
作中でさえ
写真のなかにしか登場しません。

見渡す限りの広大なテキサスの荒野
たったひとり
一本の真っ直ぐな線路上を歩く姿は
彼の抱える孤独を
そのまま可視化したような印象を受けましたっけ。

時にドイツのアウトバーンのような道路を
時にスカイブルーの空のもと
時に宵闇迫る臙脂の地平線に向けて
時にワイパーを動かす雨の中
その・・・
テキサスという場所に
或るひとへの
想いが重なって
ふいに
ヴェンダースの映像美が
胸のなかに甦った。
ただそれだけのこと
だったのですが・・・。

       *

Paris,Texas
そのテーマは・・・

なんでしょう、
たぶん
こころ弱いひとのための
バイブル?
(心強きひとに、救い-聖書-は不要ですものね)
そう感じてもしまうほど、
sensitiveな精神への
監督の眼差し
優しいです^^

       *

主人公の男女に限らず
そもそも
傷付け合わない恋など
あるのでしょうか。

好きだから
傷付く

好きだから
上手くいかない。

やはり

離ればなれになってしまった
ふたりを救えるものは
”真実”だけ
ということでしょうか。





※”World of Words”に拠れば
メイン州のある地点を起点に
そこから車で一時間以内の所に
アテネ、ベオグラード、ブレーメン、チャイナ、
デンマーク、ドレスデン、フランクフルト、
リスボン、マドリッド、メキシコ、ナポリ、
ノルウェー、オックスフォード、パレルモ、
ペルー、ポーランド、ウィーンそしてパリス
といった名の街がすべてあるそうですが、
ほんとうでしょうか。
そう致しますと
パリテキサスのあの寂しさもなぜか
納得してしまいます(笑




























テーマ:伝えたいこと - ジャンル:日記

【 2016/05/10 17:17 】

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英国映画”Fahrenheit 451” (華氏451)~書を愛したトリュフォー~HTTPコー451承認


思想管理のために
時の政府が、
書物を禁じる社会を描いた
トリュフォー監督の英国映画”Fahrenheit 451”
こちら
本が燃え始める温度 華氏451度(≒摂氏233度)が
そのまま映画のタイトルになったもの。

主人公が
文豪ディケンズの描き出した”デイヴィッド・コパフィールド”に接し
小説が放つチカラに目覚めるところや
扱われている
”高慢と偏見/オースティン著”
”君主論/マキャベリ著”
”国家/プラトン著”
さらには
”アンリ・ブリュラールの生涯/スタンダール著”
”ユダヤ人/サルトル著”など
書を愛したトリュフォーでなければ撮れないショット多数であることなど含め
書物への愛溢るる作品になってました。

映画となれば
ない筈のないタイトルバックやクレジットが一切なく
そこは、延々と朗読されるのみ。

文字を禁止する世界を描くという作品コンセプトに照らした
あの異空間が
なんとも印象的な作品でもありました。

        *

ここで
この”Fahrenheit 451”を取り上げたのは
他でもなく
新しいHTTPコード”451”承認の報に接したからであります。

この”451”は、
検閲によるウェブサイト閲覧禁止を示す
ステータスコードを示すもので
検閲されていることを警告するエラーコードとも
謂えましょう。

そもそも
インターネットでは、
100~500番台までのステータスコードが採用されてきたようで
従来のコード表示では
技術的理由(サーバーダウン)でアクセスできないのか
法的な理由(政府介入)でアクセスできないのか
判別ができなかったんですね。
そこでIESG(Internet Engineering Steering Group)なる
インターネット技術標準化組織がこの明確な提示を承認したもののようです。

(欧州でも
インターネットは検閲対象となっていて
海賊版コンテンツにリンクするウェブサイトへのアクセスを禁止するよう
インターネットサービスプロバイダに強制執行してきました。
また中国の”万里のファイアウォール”に象徴される閲覧制限初め
ロシア、韓国などのウェブの厳しい規制は知られたところです。)

ですので
従来の様に
403ステータスコードが表示されても
それがなぜ「Forbidden」(閲覧禁止)なのか区別が付かない
という状況は、とりあえずなくなることに。

ウェブ世界で、目に見えて広がりゆく規制を憂い
上記 ”華氏451が扱った問題”
少なくとも”理不尽な検閲”が起きないようにと
そんな祈りを込めて
このステータスコード”451”を採用したのなら
粋ですね。

       *

今後は、
検閲を好む政府が
その行為を隠すために451使用禁止を打ち出す可能性も
なくはありませんが
それは極めて困難なようですので
意図的に情報公開を阻止され
正確な情報を得られないでいる共産圏で、
何らかのステップアップに
繋がりゆくことになるのでしょうか・・・。















テーマ:伝えたいこと - ジャンル:日記

【 2015/12/23 00:17 】

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映画 幸福~さよなら幸福
DSCN9864.jpg

切ないほど鮮やかな色彩に
ヌーヴェルバーグ
セーヌ左岸のひと
アニエス・ヴァルダ監督作品
”le boneur”を想起しました。
邦題はそのままに
”幸福”

雨に始まり雪に終わるという映画美にも似た
ピクニックに始まり
ピクニックに終わるという
所謂、映画文法をこれほどまでに
際立たせた理由(わけ)は
一見幸せな筈のピクニックという語感がゆえの
そのラストシーンが含むある哀しみ。

胸が締め付けられる情景を
出来過ぎなほどに
モーツァルト独自の音楽性が包みます。

プレリュードに”アダージョとフーガ・ハ短調”
続く
”クラリネット五重奏曲イ長調 ”その第1楽章。

あれを幸福と呼ぶなら
幸福なんか求めない
そんな声も聴こえてきそうな
”忘れられない映画”です。












































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【 2015/11/03 00:42 】

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小豆島への憧憬~映画 八日目の蝉と魔女の宅急便(実写版)/グーチョキパン屋さん~
DSCN7054.jpg

小説や映画の世界に遊ぶと
その舞台となった地に
訪れたくなる
その雰囲気に包まれたくなるから。

             *

”魔女の宅急便”が実写化されましたね^^
心の原風景と響き合うような
あの世界観を描き出した
アイテムのひとつ
グーチョキパン屋さん。

オーストラリア タスマニア州はロスという街の
”Ross Village Bakery”がモデルになっているらしんですけれど・・・。

映画で遣われたグーチョキパン屋さんが
此度、小豆島オリーブ公園
花と香りのガーデンへ移設されたようなんです^^

            *

それでなくても
小豆島は
”八日目の蝉”の舞台でもあって
幼い薫が希和子と離れることになった
あのフェリー乗り場
薫の佇まいを想うだけで
胸が苦しくなるほどに
感情移入してしまった
そうした作品空間が生きる場所

なので
小豆島は憧れで
ずっと
小豆島に行きたくて
行きたくて・・・。

この五月は小豆島を
目指します
















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【 2015/04/29 06:49 】

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映画 Love Letter~プルースト/失われた時を求めて~図書のなかで
DSC_0243_20150423134942ccd.jpg

円環的時間を描き出した
プルーストの”失われし時を求めて”

時間軸に沿って並んでいるようにみえる出来事に対し
感情は時系列に積ってゆくような種のものではないんですね。

それは
システム内に
いつくものフィードバックループが存在している
ということもあるでしょうし
気付きや
新たな発見
そして
新たなる認識などが
複雑に交錯して共振してくるんですね。


         *


映画”Love Letter"は
細部と謂うより
音楽を含めて作品が立ち昇らせる質感が
とても印象的な作品です
詩情が
想いが
胸のここまで
毀れて
溢れるくるような・・・。



舞台は北国
そして神戸の
ニ都物語的。
 
見渡す限り
雪に覆われた地方都市
とある丘の上で、瞳を閉じ
息を止めて
仰向けに横たわる女性

そして立ち上がって
音もなく坂を下り
麓の小さなお家に入ってゆくまでを
カメラが1カットで追う
ここで
そのすべてを伝えてくれるかのような
素敵な長まわしでした・・・。

物語の核心は
かつて通った中学校の図書室に。

概して
図書館は
古書店もそうですが
失われた時間と出会える場所。

通常であれば出会えない筈のひとと出会え
届かない筈の想いが届く
その象徴的空間かな
なんて思ってもみます。

大きな状況の変化がなくとも
哀しみを乗り越え
再生を促す
そんなカタルシスを与える構造を持たせた作品
所謂、名作とされるなかには多いように思います。

愛する人を失った者は
その理不尽さに
苦しみ続ける訳ですから・・。

私は彼を忘れない。
だから、あなたも彼のことを忘れないで
って
もらった手紙のすべてを
”樹”に送るんですね・・・
けれど
”樹”はもう
忘れる訳が
否、忘れられる訳が
ないんですね。

図書室の貸し出しカードという名を借りた
(想いを伝えるツール)”Love Letter”に
気付かされる
美しくも秀逸なラストシーン

言葉に出来ないから
しないからこそ
伝わるものって
確かに
あるんですね。

ピュアにも繊細な精神性が
見事に映像化され
日本の古くからの美意識を貫いた本作
岩井俊二監督作品で
いちばん好きな映画です。





どこかで読んだ本の科白が
聴こえる

ーいくつの海を越えたら、白い鳩は砂地で安らげるのか
                その答えは風に吹かれているー













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【 2015/04/26 08:34 】

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映画 インターステラー/ノーラン監督~apollo nonsenseな時代だからこそ・・・
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昨晩秋に公開された
ノーラン監督の映画”インターステラー”
こちら本筋に於いては
科学的基盤に裏打ちされており
SFが不得手な私でも
感情移入し易すかったです。

緻密な科学的精査に耐えるべく
著名な理論物理学者に監修され
科学面からの解説も為された
”The Science of Interstellar”
このガイドブックは
別の意味でワクワクが止まりません(笑

本作プレリュードで
”apollo nonsense”な時代志向性を認め
その上で作中に英国詩からのフレーズ
”Rage. Rage against the dying light”
を挟み込む
そんな
監督の冷静で
透徹した志の高さに惹き込まれる

そんな作品でもありました・・・。





















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【 2015/04/12 20:21 】

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パリ テキサス~ベルリン天使の詩/ヴェンダーズ~リルケ詩集
ー時が癒す?時が病気だったらどうするのー

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ベルリンの空の上に

こちらは
ヴェンダーズの映画”ベルリン 天使の詩”の原題
(Der Himmel uber Berlin)です。

タイトルが暗示しているように
この映画の舞台
いえ、主役も
もしかしたら
世界が資本主義、共産主義に分断された象徴
”ベルリンの壁”を擁した
重い街であり
或いはあの緊張感だったのかもしれません。

       *

充実感を
歓びを
しあわせを
真に感じる事が出来るのは
人間らしい
哀しみや 痛みを知っているからこそ
のものなんですよね・・・。

想起するのはリルケの詩

”大切なことは生きていること
それこそが
何より大切なこと・・・”

”或る事が困難だと云うことは
尚一層、それを為す理由でなければなりません”

そう
リルケが生の深淵を見詰め
見詰め尽くした
あの眼差しさえ感じさせる
ちょっと哲学的で
詩的美しさを備えた作品でありました。

私たちにとって
ほんとうに大切なのは
日常と平行に流れゆく永遠の時なんかではない
限られた僅かな隙間に
垂直に立ちあがる
心揺さぶる瞬間なのだと
そんなことを教えてもくれています。
そして
”パリ テキサス”で抉り出した
胸の奥その淵に潜むegoismな恋を
この作品にして
見事に
愛へ昇華させたんですよね・・・。

(何れも
映画は紛れもなく芸術だと
強く確信させてくれた名作には違いありませんけれど・・)






※図書館や古書店などが
上手に切り取られたshotは
なぜか永くそして深く
記憶に残ります・・・。


















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【 2015/04/04 22:38 】

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昼下がりの・・・
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恋にはシャンパン
なんて
古い映画の科白にありましたっけ。

やはり
シャンパンはお洒落かなって
思います。

かのポンパドゥール夫人も
女性が飲んで
美しさを損なわないのは
シャンパンだけだと
おっしゃっていたようですから^^













【 2015/04/01 04:13 】

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ティファニーで朝食を~Moon Riverからゴルトベルクを想起されたあなたへ
ヘップバーンの”ティファニーで朝食を”
そのプレリュードは
OLDファンには伝説的とも云えるものでしょうか。

舞台はニューヨークのティファニー本店前
イエローキャブのタクシーから
大きなサングラスに
タイトな躰を
ジバンシーのリトルブラックドレスで包んだ
ヘップバーン扮する
ホリー・ゴライトリーが降り立つあのシーン。

ストリートで
ティファニーのショーウィンドウを眺めながらの朝食
メニューはテイクアウトの珈琲に角クロワッサン
そこにインストゥルメンタルで
ヘンリー・マンシーニの”ムーン・リバー”が被っているのですが・・・。

彼女が見詰める先
硝子越しのジュエリーに
実は(個人的には)
少しの価値もありそうには
見えないこの不思議・・・。

朝陽でほんのり臙脂に染まる
都会のビル群が象る地平線を背景に
オープニングクレジットがロールしてゆく・・・。
      *
      *
      *
私のなかでも
映画音楽”Moon River”が
独り歩きをしていました。

と申しますのは
1マイルよりも広い河
月の光が流れる夜空
そんな断片的フレーズからの先入観と
無機的で硬質
人気のない早朝のニューヨーク5番街
ましてジュエリーとの
イメージが掛離れていて
そのギャップに完敗な状態でした(笑

手元にあります
原作となったカポーティの”Breakfast at Tiffany's”
その冒頭には
”軽やかにも涼しげ
BLACKドレスに同色サンダル
シックな印象の華奢な首筋には
真珠のネックレス
少女ではなくも
成熟ともゆかない横顔・・・”
と(かなり意訳もありますが)
こんなニュアンスで記されております結え
ビジュアル的にはとても近しいですよね。

けれど
”慣れることは、死ぬこと”で
”どこまでも自然体でいたい”
という名前を持たない彼女の
奔放さの度合いと
その
結末はまったく違うんですね。
(よって土砂降りのなかで
胸に猫を抱きしめるその意味合いも大きく変わってくる・・)

それでも
美は正義なり
と確信できるほどの
オードーリーの演技とその振舞は
原作にない美しさを纏っていて
これはもう、例によって
映画と原作は”別もの”
として、しっかりとその素晴らしさ
享受させて戴きました。

映画では
彼女がヴェランダで弾き語ったMoon River
その”向こう岸”に辿り着くこと
できたんですよね。

夢を見ながら暮らしてきたこの街が
どんなふうに変ったとしても
ふたりは
たぶん
もう
どこへも行かない。
それは
あの虹の先を
終の棲家と決めたからなんですよね。

この度、あなたから戴いた
この”ムーン・リバー”が
ヴェランダでなく室内で
尚、”ゴルトベルク変奏曲”だったら・・・
というメッセージ

なんとも興味深いご提案に
かなり
心くすぐられました^^

と申しますのも
ゴルトベルク変奏曲には
人間が本質的に抱える
言葉にはならない繊細な感情
その比喩としての旋律
愛、寂寥、哀愁、郷愁・・・
こうしたものが交錯する
せつなくて複雑な想いが
閉じ込められているように感じますゆえ。

映画には
やはり”Moon River”
かもしれませんが、
その多感な季節でのイノセンスに関わる危機と
原作の結末
そうしたことを想い浮かべながら
ゴルトベルク変奏曲を聴いていますと
それだけでもう胸がいっぱいに・・・
それほどに
シンクロしてゆく何ものかががあるんですね・・。

その手に触れられるものは
哀しいかな
永遠ではないんですよね。
ですが
その手を離した瞬間から
掛け替えのない
何かが心に芽生える・・・。

それに気付けるひと
そうはならないひと

今を生きる
私たちにもそのまま通じる
形容し難い
この心の綾を
何百年も前にバッハは
音楽で
表現してくれていたんですね。

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【 2015/02/20 17:31 】

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映画 エターナルサンシャイン~アベラールとエロイーズ~シェイクスピア/ルソー~善悪の彼岸/ニーチェ
祈り~あなたへ
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2004年公開のアメリカ映画に
”エターナルサンシャイン”があったのですがこちら
原題の”ETERNAL SUNSHINE OF THE SPOTLESS MIND”に
魅了され roadshowを待ちわびて
初日に観に行った作品でした。

と申しますのは、
18世紀の英国の詩人ポウプが
12世紀のフランスに実在した書簡を題材に
愛の純粋性を著した”エロイーザからアベラードヘ”からのフレーズが
そのまま映画タイトルになっていましたので。
(実はその基になるところに
ルソーやシェイクスピアも影響を受けたという
”アベラールとエロイーズ”なる書簡文学もありまして
そこには、男女の擦違いその恋の危うさをも
如実に描き出されてもいて
この辺りは、映画の中でも氷上にふたり躰を横たえる情景が象徴的に扱われていましたけれど)

ーHow happy is the blameless vestal's lot.
The world forgetting, by the world forgot.
Eternal sunshine of the spotless mind.
Each prayer accepted, and each wish resignedー

手元の書からの抜粋ですが
その前後も含めて
なんだか哲学的思想を思わせるメッセージ性を
感じたりもしています。

そう
穢れのない心にしか
ほんとうの幸せは
降りてはこないといったところ・・・
とても解るような気もするんですね。

そして実際
忘却が求められる時
それは、
やはり
”許し”の時
なんですよね。

美しいスタンスだと思います。

永遠なるサンシャインは
真実を見出して
その祈りを
叶えるものでしょうか。

もうひとつ

ー忘却は、よりよき前進を生むー

こちら”善悪の彼岸”からですね
またしてもニーチェです。

原文は
ーSelig sind die Vergesslichen: denn sie
werden auch mit ihren Dummheiten fertig.ー

ですので
実篤のお目出たきひと的な意味合の方に近しいようで
ポジティブな意味で使われていないことは、伝わって参ります。

確かに。

忘れられないものを
忘れることが
必ずしも是とは
どうしても思えませんし。

現に、
この映画の主題は
最終的には
記憶は忘れ去らせるものなんかではなく
”記憶こそが愛を繋ぎとめる”
だったように
受け止められます結え。

”記憶”って
たぶん人間の本質そのものなんですね。
アイデンティティであり
生きてきた証
レゾンデートル
そのすべてが
そこにあるといっても
過言ではないのかもしれない。

ですので
やはりどんな記憶であれ
その多くは
忘れることでなく
乗り越えることで
進んでゆくのが
在るべき姿なんですよね。

そうした記憶は・・・
*
感情や精神は、場所にあるという
あなたの示唆に
深く想いを寄せてもいます・・・。

そして尚
プルーストではありませんが
香りに宿り

旋律に宿る

その
有り様

言葉に成らない
懐古感に支えられて
浮かび上がってくるようです。

※映画は
第一義的に映像作品
ですので
情景ですとか
表情ですとかの描写
そして
音楽などを含めた
”言外のメッセージ性”にこそ
耳を澄ませて受け止めています・・・。

































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【 2015/02/10 17:35 】

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母、その想いの在り処~映画 秋のソナタ/イングマール・ベルイマン~ゴルトベルク変奏曲
DSC_0122_20150101080700c16.jpg

幼い子はなぜあんなにも
母を
求めるのだろう

見失ったときの
あの不安
あの執着は
なんなんだろう

その恋しさ
離れ難い感情は
幾分か
恋とも
親和性があるようだ
       *
       *
       *
柔らかに
暖かな
眼差し
石鹸の香り
囁くように話しかける
優しみの声
そばにいてくれるだけで
安らぎに包まれる
唯一無二の存在
それが私の母へのイメージ

6歳の夏
母を失うまでの・・・。

絶望だとか
悲しみだとかより
気持ちのやり場をなくした
その居たたまれなさが
とにかく
堪えた。

ひとり
ベッドのなかで
枕に顔を埋めることでしか
永遠に続くかのような
重苦しい時間を
遣り過ごす術がなかった。

そもそもが
かなりの
淋しがり屋で
ちょっと泣き虫だったから。
       *
       *
       *
スウェーデンの巨匠
イングマール・ベルイマン監督作品に
”秋のソナタ”
という映画があった

こちら
母と、娘の
愛情の相克を描いた作品

とにかく
音楽の扱いが
際立った作品で
科白よりも雄弁に想いを描出する
ベルイマンの感性に
戦慄した。

先にご紹介した
ゴルトベルク変奏曲
その第25変奏も遣われていた

家庭を顧みない
世界的ピアニストの母と
愛情に飢えた時間を引き摺る娘

ショパンのプレリュードをめぐる
それぞれの奏でのシーンも凄い

会話でなく
映像で心理を伝える手法も見事だ。

”心の闇”
と謂えば
そうかもしれない
”断絶”と謂えば
そうなのかもしれない

けれど
私のような立場の人間からすると
ぶつかり合う
いえ、ぶつけ合う感情は
それがどんなものであれ
やはり
愛に帰結するようにしかみえない

愛の反対は
無関心であり
憎しみは
愛の(負の)側面を表す
感情範疇にあろう結え
       *
       *
       *
たった一度でいい
もう一度
髪を梳かしてほしい

その膝をまくらに
頭を撫ぜて欲しい

充たされない想いは続いた

6歳のあの日から
願って
切望した
永遠に叶わない祈りは
いつのまにか
母の痛みを慮る愛に変った

幼子を残して旅立つ辛さは
如何ばかりだったろうかと。

そして今
それが私にとって
世界でたったひとりの母への
愛の在り処と感じてもいる。

あの日のままに

ピアノの脇の椅子に腰かけて
伏し目がちに読書する母の姿
あの日の儘に
綺麗で
優しい
母の面影が
私の胸を充たしてゆく

密やかな酸味と
触れると消えてしまいそうな
微かな温もりを湛える
透明な秋の空にも似た
母への愛。


























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【 2015/02/07 12:28 】

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哀しみのセルフィッシュ・ジーン Ⅰ~地球の静止する日/アルジェの戦い/いのちの戦場 アルジェリア/馬謖
いつも
数え切れないほどの学びを下さるあなたに・・・

DSC_0115_20150123164511013.jpg

”地球が静止する日”
ゴルトベルク変奏曲を聴くscene・・・。

この変奏曲は
通常のそれとは異なり
低音部の和声進行に誘(いざなわ)れる
とても繊細な変奏を
幾重にも重ねるスタイルで進行してゆくのですが
そのひとつめの変奏へ移行したその時の
僅かな反応から
それまで認めてこなかった
人間の豊かさを
(理屈抜きに)受け入れてゆくといった様子が伝わってくる瞬間がありました。

シンプルなメロディラインを
バロック特有の通奏低音で
グラデーションのような優しさに紡ぎ上げ
あのような楽曲を構築する
バッハの力量
その偉大さ・・・・。

宇宙空間に比して
塵ほどに微力な存在でしかないかのようにも映る人間
ですがその内側には
際限のないような崇高な世界観を
広げることもできる
そんな矜持を感じさせてくれる場面でありました。

(”地球が、静止”こちらは
そのリセットを意図するようにも思えて・・・)
       *
       *
       *
不毛の争いを繰り返す世界情勢を鑑みても
(自然を含め)各立場を越えた共栄が目指されるべきなのは
明かですのに
なかなかそこに辿り着かない、着けない
もどかしさに胸が痛みます。
共存を考えられないということは
取りも直さず
そのまま
自身を追い詰めてる結果になることに
他なりません故・・・。

だからこそ
それを超え出るチカラが
求められる
ということなんですよね
(そうして2000年が過ぎて来ましたけれど)

ニーチェのツァラトゥストラではありませんが
彼のそれを独特のエリート論なんかに矮小化せずに
ひとり、ひとりの
人間性が大切だと
説くその意味に

ひとり、ひとりが
乗り越え
超越してゆかねばならないものがある
というその問題意識への
気付きが必要だということでありましょうか・・・。










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【 2015/01/26 18:51 】

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メトロポリスからクラフトワークへ


古代都市とディストピアを繋いでくれたあなたへ

学生時代、恩師のバースデーパーティに
訪問させて戴いた際のことでした。

そろそろ失礼しなければと思い始めた矢先
壁一面の書棚の片隅に
背表紙”Metropolis”の文字が目にとまったんです。
私はアレクサンドリアやダマスカスのような
古代ギリシア都市関係の本かと
そのペーパーバックを手に・・・。

ですが
思いも付かないような
書き出しで始まるその展開に
止まらなくなって(笑

そんな私を見て友人のひとりが
それが20世紀初めの
モノクロサイレントムービーの
ノベライズ的小説であること、
また、その映画は現代にしても
SFのバイブルとも云うべき名画であるということ、
その作品があるご夫妻の共同制作であったということ、
この書籍がその奥様名義で出版されたことなど
を丁寧に教えてくれました。
そして後に、奥様はナチスに傾倒し
ユダヤ人であった御主人と
袂を分ったという逸話まで・・・。

確かに時は
1920年代、ヴァイマル共和政の時代なんですね。
この作品は
イデオロギー問題(共産主義と民主主義の対立)も
軸となっていて
新感覚な社会派傾向を感じさせもします。
ですので、奥様が純粋さを含んだ発足当初の思想に
傾倒していったのは解からなくもありません。
ですがその先を考えると
ご主人がユダヤ人であったという事実
そのことのほうが衝撃的で・・・
この映画の存在は忘れる事ができないでいました。

また
サイレントムービーのもつ意味

音に溢れるこの時代に在って
音のない世界には
静謐に耳を澄ませる
原始への憧憬のようなものさえあります。
そして尚、
色彩を排したモノクロームの世界観・・・

ですのに
或る日
カーステレオから
クラフトワークなるテクノミュージックグループが
かつてのこの映画をモチーフに作曲したという
同名タイトルの楽曲が流れてきて
あの時のイメージが
ここで
ひとつに重なり合っていったこと
時を超えた融合
その不思議な感覚は
稀有の経験だったと思っています。











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【 2015/01/24 11:03 】

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哀しみのBLUE WORLD~贖罪を想って~アナーザープラネット~罪と罰/レ・ミゼラブル
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”ANOTHER EARTH ”と謂えば
BLUEを基調にした
詩的に
哀しい美しさを纏った映像が
記憶に残っています。

贖罪がテーマになってくると
受け手は
作中の罪を犯したものの心情に
寄り添わなければ
物語の理解には届かない

そして

寄り添うなら
”Another Earth”が
想定されてきたというのが
痛いほど自然に
受け入れられてしまう
そうした精神世界が広がっていたように思います。

(正しいかどうかとは別のお話です)

それが
如何に苦しいものであっても
逃げることは許されません結え・・・。

贖罪と謂えば
菊池寛の”恩讐の彼方に”
イアン・マキューアンの”贖罪”
ドストエフスキーの”罪と罰”
ユーゴーの”レ・ミゼラブル”などの
名作も胸に去来します。

ここで
たった
ひとつだけ謂えること
それは
真っ直ぐに
罪に向き合う他手立てがないということ

そこに
救済があって
許されるのかどうかさえ
私には分りません

けれど

償いだと
僅かでも
信じ得るものがあれば
其処に向けて
ただ
ひたすらに
邁進するしか術はないのものでしょうか。



































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【 2015/01/19 18:24 】

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強さの源・・・それは愛~映画 悪人
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灯台のある岬で

遙か
水平線に
落ちてゆく夕陽を
見詰める眼差し
その
限りのないような優しさ

そんなSceneで
エンディングを迎える
2010年公開の映画 ”悪人”
モントリオール世界映画祭出品作

こちら
2006年からの朝日新聞の連載小説で
その後毎日出版文化賞に
大佛次郎賞を受賞された
吉田修一氏原作の映画です。
絵本版も英語版(”Villain”)も出版されてます。

夕陽を見詰めて
そして・・・
見詰め続ける
主人公のあの眼差しに
監督のメッセージが込められていると
昨夜
”芸術に生きていらっしゃる”ような
アーティストの方がおっしゃられていたんですけれど・・・

とても
共感しました。

真実の愛を知ると
ひとは
強くなれる

こころの中に
汲めども
尽きない
ぬくもりの泉が
生まれる・・・


例え
その愛が
どんなカタチで
あっても・・・。

********************************

ゲーテの
”ヘルマンとドロテーア”の世界観ではありませんが

きっと
多くのひとが
何かを切に願い
何かを夢みながらも
それをそっと胸の奥に秘めて
日々に
出来る範囲のことたちを
ていねいに
仕上げてゆく・・・

他者を想い
感謝のうちに
一日
いちにちに丹精を込める
その積み重ねの大きさこそが
ヴィヴェーカーナンダが導かれるような
ひとつの
美しい(大きな境地へ誘われる)
生き方なのかもしれません・・・。


























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【 2014/12/27 07:11 】

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