Virtual Reality /Augmented Reality /Mixed Reality ~現実/宗教/神話の世界観を想って



時折目にするVR、AR、MRなる言葉
それぞれにVirtual Reality 、Augmented Reality 、Mixed Reality
の略語のようですが
この違いにふと
現実と宗教と神話の世界観を
重ねてしてしまいまして。

神話と謂えば、幻想 あり夢想ありで
バーチャルリアリティを飛び超えた空想のお話
ではありますが、
此処に云うAugmented Reality 、Mixed Reality にも似て
現実空間を拡張させてみたり
現実と仮想の空間を融合させたり
みたいなところがあります。

一方で所謂”宗教”となれば
一般には、創り話と切って捨てられるものではなく
”現実に根差している”といったような思惑は
付いて回っているようで
Virtual Realityな世界観と
ある意味では、リンクしなくもないのかななんて
そんなことを思ってみたりもした訳です笑。


ところで、
前述のような”神話”と”宗教”ではありますが
実は、その成り立ちは
寧ろ逆転しているんです。

と申しますのは
宗教の神々のルーツって
そもそもが
”神話という虚構に満ち満ちた世界観”の中に
在ったものが少なくないようなんですね。

要は仮想世界が先にあって
現実が後追いしてゆく
或いは、
現実を変えてゆくといったような。

分かり易い例として
古代インドの悪鬼神の類が
仏法に帰依して護法善神になる
といったようなパターンでしょうか。

此処、
あくまでも 空想世界 が源なんですね。

一方で、”神話”となりますと意外や
現実 が先にあるんですね。
例えば、
耐え難い、愛する者との永訣
その絶望からの救済として
そこから空想物語を繰り広げるといったようなケースが
多く見受けられる実態があることに
思いが至ったものでした。


バーチャルリアリティという技術に
拡張現実や複合現実が付加されるという昨今の開発に
巨額の資金調達が充てられているという報道に接し
私の思考も少し飛躍してしまったようです涙


※文中、
古代インドの神を引き合いに出してしまいましたが
研究論文頼りの門外漢です。済みません。
その上で、
ヒンドゥー教徒は、あらゆる出来事が
全てヴィシュヌに結びつくと信じているようで
ヴィシュヌ崇拝とアヴァターラの信仰(ラーマやクリシュナが如くのヴィシュヌの化身etc)に
さした違いはないようです。

インドの思想、哲学、宗教の礎とも謂われる
古代インド文献
取り分けインド文化の根幹を為し
インドアーリア人編纂と然る
(その1/4がインドラへの讃歌という)”リグ・ヴェーダ”全10巻、
また(二大叙事詩)
マハーバーラタ全18巻約10万詩節
上記いずれも日本語完訳は見出せないほどですし
ラーマーヤナも全7巻約2万4千詩節という気の遠くなるような膨大さで
(20巻、1万2千頁に及ぶというユダヤ教の聖典タルムード他しかり)
真摯に向き合う仕事の片手間で読破できるような容量ではないようです涙



















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認識スタイル

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数学者でもあったデカルトに代表される
欧米傾向的とも謂えるアナリスティックな思考法と
老子の”タオ”に顕著に著わされる
東洋傾向的ホリスティックな思考法。

双方の優位性を思いながら
対象に応じて
自在に使い分ける
その意味を思います。























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部外なるものその危うさ

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一定の情報のみ
確かな知見に裏打ちされない
野性的理解の横行

目先の言葉に左右され
時にそれを覆うべく
意図的にかけられるバイアス
その偽善

私たちは
いつの時代も
さまざまな予断と偏見に
脅かされ続けてきたんですよね・・・。











































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寒さに耐えるクリスマスローズのように



自己肯定感というのは
或る程度自由に生きるためには
大切な要素・・・
(これが低いと
承認欲求が高まりますから。
他者の評価を気にしすぎてしまうと
必然生き辛くなってきますからね涙)

そのためには
確かな自己アイデンティティが
求められるんですよね。

実際、その人のアイデンティティを語る上で
”職業”が重要なファクタとなっているが如く
自己アイデンティティは、どうやら仕事と不可分の関係にはあるようです。

かつてのマルクスの研究論文にみるように
労働が義務であった時代に比すれば
今や最早それは手段などでなく
自発的に為され
如何にも”自己目的”的になって来てはいるようです。

こうなりますと
労働は糧である以前に
それ事体がライフワークとなって
自らの価値観や思想を具現化せしめる
自己実現とも呼べるもの、
当に、自己アイデンティティの源泉足り得ましょう。

その一方で
仕事は、仕事と割り切り(或いは切り捨て)
プライベートの時間の遣い方こそ
自らのアイデンティテとしてもってゆくというようなケース。

こうした状況は、趣味こそが
自己アイデンティティの中核をなしてくるものでしょうか。

多くの人生が
いつの日か仕事から解き放たれる時を迎える環境下にあることを踏まえるなら
そんな日のためにこそ
実益だけでなく趣味
もっと言えば生きることそのものに
いい意味で拘り
アイデンティティのウエイトのシフトを心掛けることで
自身の価値観を体現した実生活が送れるようにも感じています。

もちろん、自律的労働は、理想ですけれど
時間のなかに充実感を見出す
所謂、日常に内在する実存的価値の位置付け

そのために
あらゆる手段を
目的化できるような生き方
これはひとつの”強さ”だと思っています。

































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マルクスへの気紛れ交響的断章 終章~ヘーゲルVermittlung

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ヘーゲルにとっての哲学は哲学史全体でした結え
(ヘーゲル弁証法とは、自己意識の中の運動ですから 全体が見えなければならない
部分だけ見て分かったような感覚に陥るのはある意味 楽で羨ましいのですが)
全体を見渡すという観点にのみ成立しうる理論であり
時代は移り変わりますから、ヘーゲル美学もまた推して知るべしな面は否めません。

そしてまたマルクスの如く
作品が作者を創る側面も確かにございましょう。

けれどマルクスのこの一連の主張を認めてしまえば
(歴史の背後に息衝く精神もまた想像物に過ぎなくなるハズであり)
彼が強く主張していた類的本質としての人間存在の実現など
あり得ないということになってまいります。
こうした論理矛盾の数々
なんとも人間味溢れる経哲草稿であります。

しかし、マルクスに限らず瑕疵のない思想はありません。
さらには、時代(背景)が変われば書々は必ずや
読み換え、本質を抽出する必要に迫られます。ですが
そんな必要にして最低限の配慮も出来ないままに
断片的に読み誤ったマルクスの思想基盤から
人間の本質に背いた理想主義的目標が設定されてしまい
さらには、その目的のためには手段を択ばない姿勢
ともすれば、革命という名の暴力的側面を備えてしまうことは
既に歴史が証明しています。
(ロシア、中国、カンボジア、エチオピア、北朝鮮各国で
何を引き起こしてきたかを抜きにマルクスは語れません)

確かにヘーゲルはマテリアルを軽視しました。
そしてそこに異を唱えたマルクス
ですが
マルクスの一連の論理矛盾を読み解くなら
彼がmaterialistなのは
そもそもが唯物論者だからではないようなんですね。
ただ、イデアを退けマテリアルに付こうと試みたから
こうしたマルクス主義は、寧ろidealismのようでもあり
一連のイデオローグは
”意味という病 ”という印象が拭えないのです。

マルクス的唯物論もヘーゲル的観念論も
観点が異なることを鑑みるなら
実は、両者さほど相反する概念でもないんですね。
(二元論で語れるようなレベルの対象ではありませんし)

アリストテレスやヘーゲルを否定した
マルクス(ニーチェしかり、キルケゴールしかり)をさえ
既にヘーゲルが含んでいたこという現実も
それを知らしめてくれているようです。


*革命と一口に謂っても…。

歴史を見渡しても
所謂、ブルジョワ革命(日本では、西欧にはない“市民革命”を訳語に当てたりもしているようですが)
と呼べるのは、アメリカ独立革命くらいでしょうか。
(イギリス革命もフランス革命もその意味では不完全でした由)
こちらの革命は、封建社会或いは絶対王政に対して
市民(ブルジョワジー)が蜂起し、市民の自由・平等、政治的権利などを
獲得するタイプの変革を指しています。
結果、ブルジョワ(産業資本家層)が政治的権力を握ってしまう革命であり
例えば、フランスの二月革命に見られるように
革命自体が
市民内部の資本家層と労働者層といった新たな対立軸の萌芽を含んでいます。
ですから、マルクスが示唆した革命
プロレタリア独裁は
“ブルジョワ(“資本の支配”をその客観的な目標としている)革命”
にのまれ不可避的に圧砕される宿命を抱えてしまう。
そしてこれが
人間という生き物の在り様を端的に示しているということに
私たちは、思いを致し
その融和をこそ目指さねばならないんですよね。)






























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マルクスへの気紛れ交響的断章 Ⅵ

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交換原理に照らせば
作品と商品はよく似ているんですね。

マルクスは、商品とはマテリアルなもの
交換して始めて生じる価値
交換価値と看做しました。
(故、資本制生産は不透明性を持っていると。
マルクスの立場は、ヴァレリーの指摘にも似て
書き手(売り手)、読み手(買い手)を同時に見ることはできないとするもの。
意図や観念は存在せず、
作品が作者を作る ・読み手が作者を想定し
作者の思想が実在するのでなく、作品しか存在せず
作者の実在さえもマルクスは、
想像的主体に過ぎないと断じたわけです。
しかし、彼の論理に倣うなら例えばギリシア悲劇をどう捉えればという話になってしまう訳で
此処 、書き手も読み手もいらない、作品とは精神
といったようなヘーゲル美学的見解ならば、実に分かり易いんですね。
実際、あのフォイエルバッハのヘーゲル批判も
その精神哲学を感性の立場から批判した処までは
わからなくもありませんが
実は、ヘーゲル哲学は
観念論特有の制限性があるにせよ
フォイエルバッハらが捉えきれていなかった
人間の豊かなる社会的、歴史的関係性をも包括した
極めて客観的概念でありましたゆえ。)

そしてマルクスは、それまでの論理展開に反し
自身で、交換以前に価値=労働時間を設定し
結果、それを実体的なものと認めざるを得ない
論理矛盾に陥ってゆく。

さらには
等価性に根拠なしとしたアリステレスへの批判として述べた
価値=労働の結晶
所謂、価値形態論
(こちらアダム・スミス以来の、価値=労働時間説でなく
哲学に置換したらヘーゲルになるような思考法への
批判でありましたけれど)
を提唱する一方で
価値は、偶然、必要の問題とも記述しており

此処で、自身の絶対的剰余価値との矛盾を起こし
相対的剰余価値を肯定する
アリストテレス回帰をみせてもいました。

最早、Vermittlung(媒介)的現象構造の解明が
通奏低音のように
資本論を貫いている様相は否めないんですね・・・。

※Vermittlung: ヘーゲル用語
有限なものは単独では存在せず,他の有限なものとの関係性において成立しうるとする概念。
また,個々のものを、関係性において把握すること。










































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マルクスへの気紛れ交響的断章 Ⅴ

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マルクスに代表される概念
対象化、類的本質 、疎外
この疎外に致しましても
原義は、交換と謂えましょう。

罪と罰 しかり
(かのヴァレリーとも一致をみる)作者と読者しかり 。

先に記したように資本論の読み方って
構造主義的であるよりレヴィ=ストロースの親族構造の交換体系
から入る方が理解が及びやすいんですね。
そう、”資本論の相対的価値形態”的な価値論であります。

マルクス主義は
謂わばひとつの人間主義化とも謂えます
いかにも自明の理に映る商品
こちらをして、
”形而上的繊細さと 神学的意地悪さに満ちた奇怪なもの”
と表現した彼の命題
此処実は、 彼が否定していた
形而上学と神学(交換の秘密にある)が知的活動のなかで
無視できないことを
認めなければ成り立たない命題なんですね・・・。














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マルクスへの気紛れ交響的断章 Ⅳ

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マルクスの存在的思想
その営為
それがゆえの労働思想

”労働が社会的宿命”であるという見地
然し乍ら彼の指摘した価値増殖過程
(労働価値説その前提さえ
対象を単純化しすぎており、かなり無理があるようですけれど)
そこにある労働者の責任感情に纏わるあの言質
こちら実は、
マルクスが否定していた意識から
生み出されるものなんですね。

そして
マルクスの論理の綻びは
此処だけにとどまりません。

(私的には、固定的視点での論理展開をはかれば
論理矛盾に陥るのは寧ろ必然と受け止めています。
*対象に何を据えて、何を見出さんとするかで
見えてくる景色は変わりますゆえ*
理解を深めるには、こうしたことも含め
注意深く読み進める必要がある
ということなんですよね…)


























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マルクスへの気紛れ交響的断章 II

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マルクスの労働的現実の直視
ヒエラルキーに喘ぐ者たちへの配慮。

労働が“苦悩としての活動”(交換)になり下がってしまっている実態への
厳しい眼差し。
そして“資本運動が、貧困を生み出してしまう”
その原因として
経済関係は、人間関係であると看做した
その視座、その存在的思想。

(一連のマルクスの“存在思想”
実は、ヘーゲル、法哲学への懐疑にこそ
その端を発している訳ですけれど)
確かに、
人間の社会性は
意思関係だけではないんですね。
(自己意識として人間であるとしたヘーゲルに対し)
意識以前に
人間生存を根源的に掌裡している現実が歴然とある
ことに焦点を当て
人間を本来的自然存在としたところから
マルクスは、反“精神現象学”として立ち上げ
論理展開していったんですね。























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マルクスへの気紛れ交響的断章 Ⅰ~断章取義~マルクスの人間自然存在(存在思想)/ヘーゲルの自己意識

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マルクスの経済学って
ひとことで謂えば既存の経済学批判とも言えましょう。

その理由は、
彼が経済の問題の一切を
生産でも消費でもなく
さりとて
利潤や資本でもなく

”労働”
これを抽象概念でなく
あくまで人間の問題として捉えていたからなんですね。

資本論に掲載された必要以上の文献引用
その論旨が
如実にそれを物語ってもいました。

(かつてのエンゲルスが指摘していたように)
お世辞にも科学的精緻さがあるとは
言えない論理展開ながら
それを押して余りあるとほどの
”労働実態への直視”は、あったようには感じています。

そして
往時ありがちであった
哲学者たちの(フランス構造主義的)解釈では
分かり辛い側面は否めず
(寧ろ、レヴィ=ストロースの交換体系にこそ
その近似値があるといったような事情から )
資本論は、相対的価値体系からの理解の方が
伝わり易いのかもしれません。



*クロード・レヴィ=ストロース
理性から
(彼の繊細にもしなやかな)感性を
切り離すことなく研究を重ねたひと
そんな彼だったからこそ、科学に対し
敢えて人類退歩という逆説的ヴィジョンを突き付けもした

社会に於るあらゆるコミュニケーションに貫かれるは
“規定された交換の束”とし
その交換を支える“到達すべき無意識構造の存在”を想定した論文は
この分野にありがちな比較論とは一線を画し
人類共通の生理能力を基礎にした統一的原理で世界を把握しようとしたもの
こうした
既成概念の深奥の普遍性を見詰め
多様性を理解した上で
あらゆる文明に共通な構造文明の一般理論の確立を
目指したその研究姿勢は、
構造言語学が表面的多様性の先にある
人類言語の普遍的解読法を解明しその普遍性に到達した普遍的方法論そのものとも言え
彼はそれを人類学に置き換え
深層心理と言語学的見地から実証していったんですね。




















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自己実現

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人間とは
かくまで
自分を知りたがる生き物でありましょうか。

そして
その自己言及性こそが
自己実現を呼ぶものであることも否めないんですね。

それは、
自己の客観的思想の実現であり
客観との一致とも謂える訳で・・・

哲学なんて
あくまでその演習にしかすぎないんですよね。














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知による回収

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生きることへの真摯な思考過程
その姿勢事体が
既に知による回収作業であり
体系付けであり
適合性の発見へと繋ぐ
未だ届かぬ真理への道程とも謂えましょう。

大切なのは
プロセスそのものなんでよすね。
























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懐疑とは

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懐疑が
批判にしかなり得ない思想を
私は哀しいと思います。

それはむしろ
自分自身へ向けられるべき
思考態度であろうかと・・・。




















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向こう側〜形而上の



瞳に映る世界だけでは
普遍知は手に入らないという事実は
厳然とあるわけで…。

ならば、私たちが
向こう側からどれほどの
力を受け取っているかを
考えてみる必要がある
ということなんですね。



























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animal symbolicum〜ego-involvement



象徴の背後に
固有の意味を読み取る
ひとの持つ比類なき能力
animal symbolicum

象徴を操るまでは
人類の偉大に違いないだろう。

しかし
時に、経済支配
或いは、政治支配等々に絡み
象徴に操られる哀しき人々

そんな外的メカニズムに振り回されないために
できること
それは、
自我包絡の在り方に関わる根源的な処
個々の内的思考過程の確立のようだ。
是なくば
animal symbolicumは、人間の愚かさの表現に
成り下がってしまいかねないのだ。


















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豊かなる理性へ

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理性に
情感は不可欠なんですね。

それがない理性ほど
虚しいものはないように思えます。



































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論理空間

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考え得る限りの
論理的可能性
その論理空間に遊ぶということ












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客観性の要請

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社会に生きる私たちに
終始求められるのは
客観性であります。

幸せとは
(胸の内で感じるものではありますが)
他者に降り注げる限りの想い(広い意味での愛)に
そのまま反映されゆくものでありましょうから
(一見逆説的にはなりますが)
主観でなく客観性がもたらすもの
そうした見方もできましょう。

是は、哲学が
普遍性、客観性を要請しているそのことと
ニアリーコールの観点であります。

















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ショーペンハウアーが齎したもの



(ヘーゲルがドイツ思想界の頂点にいたあの当時
プラトンやカントに影響を受け
同時期に生きるショーペンハウアーの世界観は
時代には、受け入れられなかった。
そしてその真髄が理解されたのは
そのずっとあと
19世紀も中半以降になってからだったんですよね)

厭世的イメージが付き纏う
ショーペンハウアー。
ですが
ニーチェ、ウィトゲンシュタインは況や
ベルクソン、フーコー
アインシュタインに
フロイトにユング
ワーグナーから
トルストイ、マン、ハーディ、
プルースト、ヘッセ、ジッド、ベケット
国内では、鴎外、朔太郎、堀辰雄に至るまで
彼の思想性が、多方面の作品群に色濃く映し出されてきた
その理由(わけ)は、

彼が、東洋哲学を深く理解し得た
西洋哲学者であったこと
さらにはその著作内で、
後の実存主義の先駆的世界観を構築されていたこととも
無縁ではないでしょう。

ショーペンハウアーが
往時のヘーゲルより一歩先んじていたと評するのは
早計かもしれませんが
時代の並びでみるならやはり
その通りなんですよね・・・。











テーマ : つぶやき
ジャンル : 日記

価値の在り処



あらゆる知識も
理論も
概念も
まして思想体系さえ
(学びの歓びはあっても)
それ自体には、価値などないものでしょう。

併し乍ら
現実に活用され
尚、その結果に有用性が認められたときに
初めて
意味を為してくるものなんですね。



































テーマ : 写真日記
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思考の道具



哲学なんて
本当に大切なものを見出す
思考の道具に過ぎない

例えば西洋哲学ならば、無知の自覚
精神性その大切さを知らしめたソクラテスから
アナムネーシスの意味を教えてくれたプラトン
中庸の大切さを説くアリストテレス
懐疑的立場から真理へ近づいたデカルト
文明社会に流されず、原点回帰を目指したルソー
人間の理性に信頼を置き、その意思(正しさ)を追い求めたカント
理性=現実から発展を信じたヘーゲル
歴史に学ぶひとマルクス
強く生きる必要性を説くニーチェ
先駆的決意の哲学者ハイデガー
選択と行動・・・実存主義的サルトル
知.・・もっと謂えば権力の意味を焙り出したフーコー
そして
常識を覆したデリダまで

私たちの
曖昧なる言語で繋がれた社会生活のなかでは
他者との本来的感覚の共有は、どうにも難しくて

最も頼れる自分自身だって
ともすれば意識と無意識のズレによる
苦悩に苛まれたりもする。

穏やかに穣かな時間を重ねるべく
生存の問題と実存の問題を混同しないように
思考をコントロールする余裕だけは失わずにありたい

そんなことを

打ち合わせの合い間に
少し色付き始めた美しい銀杏並木の下で
ぼんやり考えていました。




























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思想の通覧



現代的問題は
現代的なようで
実は、
そうでもないんですね

何故ならタレスの頃から
人間の本質はそう大きく変わってはいないから。



西洋思想、東洋思想
その全体を通覧することで
漸く対処し得る問題は
意外に少なくないんですね。



























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一面性の克服から愉しみへ

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世に知られる名立たる思想家の
そのあらゆる学説に
含まれている学び。

時に
それぞれの一面性を
克服しながら
近付いてゆく真理

そう
例えば、

不和を感じると
デカルトを詠みたくなる

といったような
そんな
穏やかにも安らぎの得られる
読書を愉しんでいます。


























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愛すべき旅人たちへ



2000年前の壁画
”花を摘むフローラ”
今をして
あの色合い
あのフォルム
あの美しさはなんだろう。

観る者の心に訴える絵画に
どれほどの理論が求められるものだろう。

        *

私たちは果てしなく
認識を繰り返す。
けれど
やはり
どこまでも行っても
それは、未知なのだ。

そうして
現象を見詰めながら
永遠を感受する。

そうした意味では
考える人々は恐らく
無限の旅人なのだろう。





















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トートロジーへ

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不可視
その投影への挑戦者

そんな印象を与える芸術家
Marcel Duchamp

20世紀に活躍したフランスの芸術家だ。

彼の作品に接すると
日常に違和感を覚えた時に救いの見出せる哲学者
ヴィトゲンシュタインを想起する

なぜなら、ヴィトゲンシュタインの
言語による命題
その構造の問題の考察

その実践者こそ
Duchampではなかったかと
思えてならないから・・・。














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ヘーゲル哲学の再評価

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ヘーゲル哲学を
一言で語ってみるなら

高い視点、広い視野から
すべてを見通した哲学

ただし、著した時点において。

結え、
そのヘーゲル哲学は、
今や
哲学史の一角に過ぎない

そのことの意味とは・・・








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・・・のための

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耳に心地よい言葉
真理。

けれどそれは
時に

信じるチカラ
信念
と同義であろうかと。

懐疑的厭世的観念を
なんとか覆い尽くそうとしたトルストイ作品群を
眺むればそれは痛いほど伝わってくる。

作中、丁寧な日々の営み
そのなかの善きこと、慈愛を
最上位に置いていた彼結え。

一方で
その深淵から目を逸らすことなく
対峙することをライフワークとしたのが
ドストエフスキーのような作家たちだ。

併し乍ら
いずれのベクトルも
より良く生を全うするための
(それはもう)哲学に他ならないのだ。
























































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歩み

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イデオロギー、思想
そうしたものと
直感的でスピリチュアルなもの
サブカル的なそれとは
時に近似性をもつのかもしれない。

けれど
顕に似て非なる
まったく非なるもの
なんですよね・・・。

無批判なその展開が
弱って思考停止に陥った
ひとの心に忍び込んで
判断力を蝕んでゆく
或る、社会的現象に
胸が痛みます。

         *

人生は
そんなに都合良くは
正解(救済)なんて転がっていないから

だからこそ
探し続ける訳で

寧ろ大切なのは
その過程
乗り越え行く過程なんですよね・・。

































テーマ : つぶやき
ジャンル : 日記

理解を助けるもの



哲学の論理に
一貫した思考の系統
筋道が要求されるが如く
思想の一部を切り取ることでは
見えてこないものがあまりに多くて。

けれど
順次、思想史的に紐解いてゆくなら
思考過程の展開や
発展過程まで取り込むことが叶い
その理解は、驚くほど容易で
確かなものになってゆくんですね・・・。

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テーマ : 哲学/倫理学
ジャンル : 学問・文化・芸術

時間*fragmentation 終章

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”順序の実在性”
こちら、身体としての自我が
出来事のただ中に在ることを強調した
表現と云えましょう。

言葉の意味内実として
境界づける視点としての今が
刻々その位置を変える
縦の志向性が
横の思考関連を獲得することで
出来事は初めて
時間の中の出来事になり得るというこの辺りは、
まさに
心理主義と論理主義のせめぎあいであります。

流れるのは時間ではない
それを語る私たちだけ

ただものだけが
現前から不在(過去)となってゆき
不在(未来)から現前と推移する・・・

私たちは
それを意味付与的に働く志向性を介して

意味として所有するだけ

という理解。

そんな現象学的時間論には
時間を生き生きとした姿で見詰め続ける
真摯な姿勢が備わっているようです。

時間の構成を問うことの本当の意味は、
こうした姿勢にこそ息衝いているようであり
学びに値する書(理論)に潜む”意味(充実)”が
垣間見える思いがしています。


         *


ビーリの指摘を待つまでもなく
時間的生成の一方向性
また、その不可逆性
それと同様に
その都度の現在の時点もまた
説明が拒まれている

何故なら
すべては、内部の事だから。

ーー私なしには
    何ものも
      時間とて存在しないーー















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プロフィール

saki

Author:saki
sakiと申します。
ご訪問ありがとうございます。
横浜の小高い丘の上で
no music(baroque)no lifeな暮らしをしています。
よろしくお願い致します。

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街に棲む彫刻たち Ⅲ~長くつをはいた猫~お出掛け/苺の丘へ Feb 20, 2018
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街に棲む彫刻たち Ⅱ〜海を見詰めて Feb 18, 2018
五輪No side*Full time Feb 17, 2018
部外なるものその危うさ Feb 16, 2018
美しい織物のように Feb 15, 2018
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寒さに耐えるクリスマスローズのように Feb 01, 2018
待ち侘びて〜スーパー・ブルー・ブラッドムーン Jan 31, 2018
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芥川の眼差し Jan 27, 2018
残り2分… Jan 26, 2018
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