非日常性を泳ぐこと
IMG_3685.jpg

生きる意味の明察
道理を見極めて
事態を正しく認識し
適切に対応してゆくための実践智
或いは処世智と申しましょうか
こちら寧ろ非日常性
(例えば小説を含む学問、藝術の世界観)を知ることで
見えてきたりするもののようです。

よって、
それと日常との往復運動のなかでこそ
学び取ることができる
こうした生きゆく上での知
を大切に考えています。

感情に支配されないために・・・。





































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【 2018/07/02 00:30 】

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ほんとうに大切なものへ
IMG_3665.jpg

無の概念に
優位を与える東洋思想

例えば老子
その純粋(絶対)無という概念。

ここでの有は
あくまで無の自己限定として生じるもので
謂わば
無の有限化
結え、その本質となれば
結局、無に他ならない
といった解釈がひとつあり
西洋哲学に照らすなら
ニヒリズムにも見紛う見方と謂えなくもありません。
けれど
有限世界の虚しさに
気付きを与えることによって得られる
現実世界の価値への懐疑こそが
根源にある無を知らしめ
それが寧ろ
生の価値の回復に向かわせる
そうした思考法に繋げることもできるんですね。

世俗などに捉われない
(社会的に重きを置かれ取り沙汰されるものより
ともすれば見過ごされがちなもの)
目には見えないもののなかの
ほんとうに〝大切なもの〟に思いを致し
現実肯定に転化する
こうした思想性を美しいと思います。






































































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【 2018/06/27 18:11 】

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不条理のなかで
IMG_9822.jpg

人間の理知の有限性
人智の及ばないその一切を
包摂する理法を
私たちはprovidence
〝摂理〟などと呼んでみたりします。

同じような意味合いでありながら
そこに在る受身加減から
ネガティブさをも内包する〝運命〟観
その典型は、あのギリシア悲劇であったでしょうか。

摂理観の方はといえば
主としてキリスト教文化的
そしてストア派の汎神論的ロゴス支配、
或いはヘーゲルの理性狡智説にも垣間見えます。

ですが、
現代(今)を生きる私たちは
摂理信仰にも縋らずして
かといって
敢えて悲観論で運命甘受に流されるでなく
責任はあくまで人間とする凛とした姿勢
可能な限りの
人間的努力を忘れてならないんですよね
その名
哀しき不条理のもとにおいても。


感情と意思は
思考でコントロールできる類のものと信じたいから…
























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【 2018/06/25 00:41 】

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概念枠組のなかの事実を見詰めて


ひとの認識活動とは
瞳に映ったことだけから出発するのではないんですね。

そう、網膜上の知覚だけではなくて
それとの脈絡の狭間に働く記憶(知見)等の機能との
統合作用全体から出発するものなんですね。
そして、ここで得られるそれが
一般に事実と呼ばれています。

ですので、事実とは常に
(上記、統合作用による)解釈を含んでいる
という現実を忘れてはならないんですよね。

そして、事実に絡む
こうした統合作用のひとつの因子として
重要視せねばならないものに
理論があります。よって
私達は、事実群から理論を組み立る
という側面を備えるのですが、
先に記したように
事実に関与する統合作用が人間の機能であり
こちらを前提としている以上は、
統合作用として働くべく予めの知識体系
その概念枠組みが脆弱であれば
事実の認識に齟齬が生じてしまうことに
充分に留意し、必要あらば随時
概念枠組、延いては事実を見詰め直す姿勢が
求められているということなんですね…。















































































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【 2018/05/25 19:20 】

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多角的、多面的、重層的、多元的・・・・観点を想って


”額面0ユーロの紙幣”
その価格は3ユーロ
これが飛ぶように売れているそうです。

0ユーロ紙幣の肖像画は
推して知るべしそのひと
カール・マルクスでありましたけれど。

マルクスの出身地トリーア市観光局が
彼の生誕200年を記念して
企画した”商品”のようです。

彼の資本主義批判はわかります。
搾取、抑圧からの解放。
何より、平等社会実現のために生きたような
マルクスですゆえ。

併し乍らロシア、中国を始めとした
世界中の国々の政治運動に採用されながらのこの状況。

ですが、原初に立ち返るなら
あまりに必然と謂えば必然のことなんですね。

         *

社会科学におけるorganization。

人が集まれば必ずや組織が生まれる
何故なら人間は社会的動物だから
厳密に謂えば、自己の自然本性の完成への努力から
より善く生きるためにポリス的共同体を目指す訳で、
必ずや協働する
coproduction
cooperation
collaboration
partnership
共有された目標達成のために・・・。

よって、何らかの手段で統制され
複数の人々のコミュニケーションによって
構成されるシステムが生まれるんですよね。

そうなれば如何なる組織においても
必然、権力が・・・。

是、最早、自然の摂理なんですよね。

自己の成功率を他者よりも高める傾向
セルフィッシュ・ジーン・セオリーが
無視できない現況のなか
その枠組みが如何なる枠組みであろうと
そう、資本主義社会の資本家たち
空想的社会主義社会の独裁者たち
唯物論的弁証法で歴史の発展を説明できるとした
科学的社会主義社会のプロレタリアートたち
その根底に潜む共通項に思いを致すならば

かの理論の深層
係る心的防衛機制に
惑わされない努力も求められるようです。

















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【 2018/05/08 12:03 】

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美とは
IMG_1881_20180423150243511.jpg

美とは
感覚的なもののようあって
実は、概念的色彩が濃いんですね。

何故ならそれは、
文化的、歴史的
時に宗教的、政治的に
生まれ来るものだから・・・。


そもそもこの歴史って
時系列に出来事を並べるだけでは
学び得ない
そうした類のものなんですよね。
事実を丁寧になぞって
その背景含め対象をしっかり理解した上で
体系化されたものでなければ
歴史の体を成していません結え。




※上記は、
西洋美術の歴史をみると至極分かり易いかと存じますが
文化が異なれば文字はもちろん
共通言語のような地図も読めないという
そのことにも近しいかもしれません。










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【 2018/05/03 06:02 】

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概念の妥当する限界
IMG_1884.jpg

プロレタリア文学
もっと言えばマルクス主義文学は
構造的には政策論に過ぎて
プロレタリアのための藝術とは形容し難い。

そして
プラトンの共和国が失わせたもの
それはマルクスの資本論にも見出せないのだ。

確かに
マルクスが言うように
意識とは
意識された存在であり
一方で、観念学もまた
存在に係っていることに
違いはないであろう故
詰まる所、理論でなく現実なのだ、
ただし、表象の現実でなく
奥行きのある現実だ。

19世紀文学の最大のテーマは
時代の音調に重きを置いた
ギリシア、ルネサンス期までにはない
自意識だったけれど

人間理解への根本理解の形式は

細胞から意識を導く唯物論とも
精神から存在を導く観念論とも
割り切れるものではなく

かと云って
認識論に実在論を導入した
マルクスの唯物史観
こちらも
理論が貫く実践とも謂えなければ
実践が貫く理論とも謂い切れないのだ。

観念論の崩壊
現代を支配するという商品
しかし哀しいかな
マルクス主義という名の”観念論”自体が
商品と化している在り様に気付かなければ
真実からは遠のくばかりだ。

































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【 2018/04/25 19:58 】

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寛容と本質と


哲学への厳しい批判。

確かに過去には…
そして
未来にも恐らく
瑕疵なき哲学書は
存在しえないことでしょう。

だからこそ
人類の文化を持続的に発展せしめる原理を
如何に見出すかが
自ずとみえてくるのかもしれません。


































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【 2018/04/11 18:40 】

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学びの前に


ギリシャで生まれ
近代のヨーロッパで発展した類の
哲学に纏わる書を
私達は、哲学書と呼んでいまして
俗に言うインド哲学や中国哲学は
あくまでその思想を類比的に語ったものであって
厳密な意味の哲学書ではないんですよね。

哲学として認知された哲学書って
本来
普遍的な人類の立場にあらねばならないはずのもの

ですが
こうした
地域的色彩が濃いという実態があるということ

この認識なしに
哲学書を読み漁れば
必ずや読み誤る
そうしたものであることを忘れては
ならないんですね。

DSC_0010_2018040608505544b.jpg

想起せるは、
絶対矛盾の自己同一
そんな西田哲学であります。























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【 2018/04/09 00:02 】

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労働疎外より人間疎外
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よりよく生きるに必ずや
(フォイエルバッハではありませんが)
思惟(理性)、意思、感情(愛)それぞれのチカラは
必要でありましょう。

なぜならば
人間性を形成し
存在の本質となるものだからーー

フォイエルバッハのヘーゲル(人間疎外)批判は
ヘーゲルの精神哲学
その観念論と呼ばれる枠が
歴史的社会的にも遥かなる豊饒さを
備えていることが
理解できていなかった的外れなものでありましたけれど…。

一方で
資本主義社会下の人間疎外。

商品・貨幣・資本など
生産手段の私有化による労働の疎外は
その一部に過ぎないんですよね。

視野を広げれば
社会的構造の矛盾
もっと言えば
社会制度・組織、権力・科学技術などの物象化しかり
イデオロギーetc.抽象性のあるものしかり
数多の状況、現象
そう、人間自体が社会的関係性のなかで生み出したものたちが
人間を支配する構図になっていることに
思いを致さねば何も見えてはこない現実がひとつあります。

労働の疎外を
遥かに凌ぐ大規模な人間疎外
それは、近代の個人主義
そして美しき人道主義
その調和の思想を以てしても
手に負えないほどに肥大化し
尚、矛盾を際立たせています。

併し乍ら
人間の思考とは(そうした問題対応に際して)
其処を拡張してあまりある
豊な資源とは言えませんでしょうか。

あらゆるものの物象化の時代
人間の個々の価値意識こそに
その解決の糸口が
潜んでいるものありましょうし

人生とは
自己意識の発展プロセスそのもの
ここに尽きるように感じています。




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【 2018/03/28 08:49 】

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距離の確保~論理に呑まれないために~映画白バラの祈り ゾフィー・ショル、最後の日々
DSC_0046.jpg


ミュンヘン大学構内その片隅に置かれた銘板に
記された文字列
"Geschwister-Scholl-Platz"
("Professor-Huber-Platz")

他にも
Geschwister-Scholl -学校
Geschwister-Scholl -研究所
Geschwister-Scholl -賞
など”Geschwister-Scholl”を冠する名は
ドイツを歩けば随所で出会えます。

この”Geschwister-Scholl”とは
第二次世界大戦下、ミュンヘン大学在学中であった
ハンス・ショルと
その妹ゾフィー・ショルのことであり
此処には、彼らが命を賭して挑んだ(非暴力主義)反ナチス抵抗運動を
賞賛する意味で命名されたという経緯があります。

Die Weiße Rose
グループ名は
”ヴァイセ・ローゼ”
白薔薇。

参加していたのは
フランス侵攻東部戦線に従軍した
ドイツ陸軍の帰還兵であり
ポーランドのユダヤ人居住地区や東部戦線の惨状を
目のあたりにした
ミュンヘン大学学生
(そして後に処刑されたHuber教授ら)

ゲーテにシラー、ノヴァーリス
延いてはアリストテレスから老子に至るまでの
引用も含まれる抵抗ビラの文面。
(市民に広く行き渡るよう平易な言葉使いも印象的)
ナチスの歪んだ話法を見抜き
悪を暴こうとする彼らの心の叫びが
今日、読み返しても痛いほどに伝わって参りますが
こちら
連合国がドイツに降伏を呼びかける際にも
使われたと聞いています。

公開された尋問記録…
ビラ撒きの現行犯で逮捕されたショル兄妹が
仲間を庇い続け
あくまで2人だけで責任をとろうとした決意が
その供述内容に
ありありと残されています。

人間愛溢れる彼らの
真実を見極める透徹した眼差しがあったからこそ
生まれた勇気、その活動に対し

(人民法廷で)反逆罪として裁き
死刑判決を出したのは
ドイツの法律家
ローラント・フライスラー。

罪状は

ーー国民のための国家社会主義的生活の打倒
敗北主義の喧伝
国家の敵に利する行い
我国の防衛力を弱めんとしわが民族に対する裏切りーー

(三権が分立してこその
裁判であって
中立でないそれなど何の意味もないということ)

祖国、民族愛を楯にした
視野狭窄極まる判決理由。

著しい論理の歪みが見てとれ
その上で尚
ドイツ国民を熱狂させた
あの”話法”の恐ろしさをも改めて思います。

そもそも
こうした類のヒトラーの一連の論述に
真実を見失い、妄信した民衆たちの支持を得て
誕生したのがヒトラー政権だったんですよね。

ドイツ国民を
”火を見るよりも明らかな”狂気
に駆り立てたものは何だったのか。

時の社会問題、様々に下地はあったことでしょう。

しかし現代でも尚
論理に嵌り込んだ
たったひとつの僻見の書(或いは論)に
やみくもに影響を受け
狭い知見から盲従的理解に終始している様子を見かけることは
けして少なくないんですね。

相反するもの含め
客観視を妨げない距離を保ち
全体を見渡さなければ
そのバイアスは拭えないという現実に
どれだけのひとが
気付けているものでしょうか。



※2005年制作の映画に
“白バラの祈り ゾフィー・ショル、最後の日々”
がありましたけれど

(こちら90年代に明るみに出た
Geheime Staatspolizei調書を基に
制作されたもの)

ゲシュタポとゾフィー・ショルの緊迫したやり取りで
そのナチス”話法”に強い息苦しさを覚えるほどの
見事な再現シーンが展開されており
鑑賞者を引き込んで離さない構成になっていました。















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【 2018/03/09 12:51 】

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覚悟
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哀しいまでに
意味を探し求める人間
恰もそれが本能であるかの如くな
人間存在の様式。
そしてその過剰な意味付け故
齎される苦悩
閉塞感
よって意味付けへの拒否の物語が始まる

例えば、日本で20世紀後半に
かのシェイクスピア”マクベス”を
或いはマルクス”資本論”を
引き合いに論理展開された
文芸評論以前に
かつての仏蘭西実存主義に始っていた
過剰な意味付けへの懐疑に
終わりはないようです。

”マクベス”冒頭の魔女の呟き
ーー綺麗は汚い、汚いは綺麗ーー

そうして
いかにもシェイクスピアが
固有のリアリティを示したかのような
評価の先で
論理の自律的法則が認められ
世の指導者たちの(知的)不誠実性が
今日に至るまでに
どれほどの悲劇を呼び寄せてきたことか。

一方で
マルクスが云う処の資本制生産様式
等価交換?
果たして
等価などあり得るのか
等価と見え
実は?

労働の同質性を抽出したマルクスの論理操作
その同質性措定を眺るなら
当に、貨幣経済の拡大のなかにこそ
顕れるものでありましょうし。

        *

思い返せば
サルトルが、あの時既に
ロカンタンに語らせたていた

ーー現象は存在に先立つーー

ヴィトゲンシュタイン的ではありますが
言葉を使う以上は
意味付けの呪縛から完全に逃れ出ることなんて
できないんですよね。

だからこそ

意味付けという過剰に過ぎる要請に対しては

“投企する存在”としての人間
その覚悟こそが求められるのではないかと。

自由の意味
とはそうしたものでは
ありませんでしょうか。

さらには
現実を真摯に引き受ける潔さと

主体性を超越した
”意味”を見詰め
言語に語られた意味、
その回復プロセスのなかにこそ
人間らしさが息衝いているようにも感じています。















【 2018/02/27 17:39 】

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Virtual Reality /Augmented Reality /Mixed Reality ~現実/宗教/神話の世界観を想って


最近、VR、AR、MRなる言葉を耳にしますが
それぞれVirtual Reality 、Augmented Reality 、Mixed Reality
の略語のよう。
この違いにふと
現実と宗教と神話の世界観を
重ねてしてしまいました。

神話と謂えば、幻想あり夢想ありの空想のお話
ではありますが、
基本は、此処でいうAugmented Reality 、Mixed Reality にも似て
現実空間を拡張させてみたり
現実と仮想の空間を融合させたり
と言ったような世界観なんですね。

一方で所謂”宗教”となれば
一般には、創り話と切って捨てられるものではなく
”現実に根差している”といったような思惑は
付いて回っているようで
Virtual Realityな世界観と
ある意味では、リンクしなくもないのかななんて
そんなことを思ってみたりもした訳です笑。

前述のような”神話”と”宗教”ではありますが
その成り立ちからみると実態は
寧ろ逆転しているんです。

と申しますのは
宗教の神々
そのルーツは
”神話という虚構に満ち満ちた世界観”の中に
在ったものが少なくないようなんですね。

要は仮想世界が先にあって
現実が後追いしてゆく
或いは、
現実を変えてゆくといったような…。

分かり易い例としては
古代インドの悪鬼神の類が
仏法に帰依して護法善神になる
といったようなパターンで

あくまでも創作物語が先なんですね。

一方で、神話となりますと意外や
”現実”が先にあるんですね。
例えば、
耐え難い、愛する者との永訣
その救済として
空想物語を繰り広げるといったようなケース
現実ありきからの
創作という流れが多く見受けられる
そんな在り様を見つめ直したものでした。


バーチャルリアリティという技術に
拡張現実や複合現実が付加されるという昨今の開発に
巨額の資金調達が充てられているという報道に接し
私の思考も飛躍してしまったようです涙


※文中、
古代インドの神を引き合いに出してしまいましたが
研究論文頼りの門外漢です。済みません。
その上で、
ヒンドゥー教徒は、あらゆる出来事が
全てヴィシュヌに結びつくと信じているようで
ヴィシュヌ崇拝とアヴァターラ(ラーマやクリシュナが如くのヴィシュヌの化身)の信仰に
さした違いはないようです。

インドの思想、哲学、宗教の礎とも謂われる
古代インド文献
取り分けインド文化の根幹を為し
インドアーリア人編纂と然る
(その1/4がインドラへの讃歌という)”リグ・ヴェーダ”全10巻、
また(二大叙事詩)
“マハーバーラタ”全18巻約10万詩節
上記いずれも日本語完訳は見出せないほどですし
“ラーマーヤナ”も全7巻約2万4千詩節という膨大さで
真摯に向き合う仕事の片手間で読破できるような容量ではないようです涙


















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【 2018/02/22 17:19 】

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認識スタイル
IMG_0035.jpg

数学者でもあったデカルトに代表される
欧米傾向的とも謂えるアナリスティックな思考法と
老子の”タオ”に顕著に著わされる
東洋傾向的ホリスティックな思考法。

双方の優位性を思いながら
対象に応じて
自在に使い分ける
その意味を思います。























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【 2018/02/19 17:53 】

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部外なるものその危うさ
DSCN3051.jpg

一定の情報のみ
確かな知見に裏打ちされない
野性的理解の横行

目先の言葉に左右され
時にそれを覆うべく
意図的にかけられるバイアス
その偽善

私たちは
いつの時代も
さまざまな予断と偏見に
脅かされ続けてきたんですよね・・・。











































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【 2018/02/16 08:43 】

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寒さに耐えるクリスマスローズのように


自己肯定感というのは
或る程度自由に生きるためには
大切な要素・・・
(これが低いと
承認欲求が高まりますから。
他者の評価を気にしすぎてしまうと
必然生き辛くなってきますからね涙)

そのためには
確かな自己アイデンティティが
求められるんですよね。

実際、その人のアイデンティティを語る上で
”職業”が重要なファクタとなっているが如く
自己アイデンティティは、どうやら仕事と不可分の関係にはあるようです。

かつてのマルクスの研究論文にみるように
労働が義務であった時代に比すれば
今や最早それは手段などでなく
自発的に為され
如何にも”自己目的”的になって来てはいるようです。

こうなりますと
労働は糧である以前に
それ事体がライフワークとなって
自らの価値観や思想を具現化せしめる
自己実現とも呼べるもの、
当に、自己アイデンティティの源泉足り得ましょう。

その一方で
仕事は、仕事と割り切り(或いは切り捨て)
プライベートの時間の遣い方こそ
自らのアイデンティテとしてもってゆくというようなケース。

こうした状況は、趣味こそが
自己アイデンティティの中核をなしてくるものでしょうか。

多くの人生が
いつの日か仕事から解き放たれる時を迎える環境下にあることを踏まえるなら
そんな日のためにこそ
実益だけでなく趣味
もっと言えば生きることそのものに
いい意味で拘り
アイデンティティのウエイトのシフトを心掛けることで
自身の価値観を体現した実生活が送れるようにも感じています。

もちろん、自律的労働は、理想ですけれど
時間のなかに充実感を見出す
所謂、日常に内在する実存的価値の位置付け

そのために
あらゆる手段を
目的化できるような生き方
これはひとつの”強さ”だと思っています。

































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【 2018/02/01 17:39 】

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マルクスへの気紛れ交響的断章 終章~ヘーゲルVermittlung
DSC_0006_20170612094317d03.jpg

ヘーゲルにとっての哲学は哲学史全体でした結え
(ヘーゲル弁証法とは、自己意識の中の運動ですから 全体が見えなければならない
部分だけ見て分かったような感覚に陥るのはある意味 楽で羨ましいのですが)
全体を見渡すという観点にのみ成立しうる理論であり
時代は移り変わりますから、ヘーゲル美学もまた推して知るべしな面は否めません。

そしてまたマルクスの如く
作品が作者を創る側面も確かにございましょう。

けれどマルクスのこの一連の主張を認めてしまえば
(歴史の背後に息衝く精神もまた想像物に過ぎなくなるハズであり)
彼が強く主張していた類的本質としての人間存在の実現など
あり得ないということになってまいります。
こうした論理矛盾の数々
なんとも人間味溢れる経哲草稿であります。

しかし、マルクスに限らず瑕疵のない思想はありません。
さらには、時代(背景)が変われば書々は必ずや
読み換え、本質を抽出する必要に迫られます。ですが
そんな必要にして最低限の配慮も出来ないままに
断片的に読み誤ったマルクスの思想基盤から
人間の本質に背いた理想主義的目標が設定されてしまい
さらには、その目的のためには手段を択ばない姿勢
ともすれば、革命という名の暴力的側面を備えてしまうことは
既に歴史が証明しています。
(ロシア、中国、カンボジア、エチオピア、北朝鮮各国で
何を引き起こしてきたかを抜きにマルクスは語れません)

確かにヘーゲルはマテリアルを軽視しました。
そしてそこに異を唱えたマルクス
ですが
マルクスの一連の論理矛盾を読み解くなら
彼がmaterialistなのは
そもそもが唯物論者だからではないようなんですね。
ただ、イデアを退けマテリアルに付こうと試みたから
こうしたマルクス主義は、寧ろidealismのようでもあり
一連のイデオローグは
”意味という病 ”という印象が拭えないのです。

マルクス的唯物論もヘーゲル的観念論も
観点が異なることを鑑みるなら
実は、両者さほど相反する概念でもないんですね。
(二元論で語れるようなレベルの対象ではありませんし)

アリストテレスやヘーゲルを否定した
マルクス(ニーチェしかり、キルケゴールしかり)をさえ
既にヘーゲルが含んでいたこという現実も
それを知らしめてくれているようです。


*革命と一口に謂っても…。

歴史を見渡しても
所謂、ブルジョワ革命(日本では、西欧にはない“市民革命”を訳語に当てたりもしているようですが)
と呼べるのは、アメリカ独立革命くらいでしょうか。
(イギリス革命もフランス革命もその意味では不完全でした由)
こちらの革命は、封建社会或いは絶対王政に対して
市民(ブルジョワジー)が蜂起し、市民の自由・平等、政治的権利などを
獲得するタイプの変革を指しています。
結果、ブルジョワ(産業資本家層)が政治的権力を握ってしまう革命であり
例えば、フランスの二月革命に見られるように
革命自体が
市民内部の資本家層と労働者層といった新たな対立軸の萌芽を含んでいます。
ですから、マルクスが示唆した革命
プロレタリア独裁は
“ブルジョワ(“資本の支配”をその客観的な目標としている)革命”
にのまれ不可避的に圧砕される宿命を抱えてしまう。
そしてこれが
人間という生き物の在り様を端的に示しているということに
私たちは、思いを致し
その融和をこそ目指さねばならないんですよね。)






























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【 2018/01/12 20:05 】

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マルクスへの気紛れ交響的断章 Ⅵ
DSC_0077_201309021604591a3.jpg

交換原理に照らせば
作品と商品はよく似ているんですね。

マルクスは、商品とはマテリアルなもの
交換して始めて生じる価値
交換価値と看做しました。
(故、資本制生産は不透明性を持っていると。
マルクスの立場は、ヴァレリーの指摘にも似て
書き手(売り手)、読み手(買い手)を同時に見ることはできないとするもの。
意図や観念は存在せず、
作品が作者を作る ・読み手が作者を想定し
作者の思想が実在するのでなく、作品しか存在せず
作者の実在さえもマルクスは、
想像的主体に過ぎないと断じたわけです。
しかし、彼の論理に倣うなら例えばギリシア悲劇をどう捉えればという話になってしまう訳で
此処 、書き手も読み手もいらない、作品とは精神
といったようなヘーゲル美学的見解ならば、実に分かり易いんですね。
実際、あのフォイエルバッハのヘーゲル批判も
その精神哲学を感性の立場から批判した処までは
わからなくもありませんが
実は、ヘーゲル哲学は
観念論特有の制限性があるにせよ
フォイエルバッハらが捉えきれていなかった
人間の豊かなる社会的、歴史的関係性をも包括した
極めて客観的概念でありましたゆえ。)

そしてマルクスは、それまでの論理展開に反し
自身で、交換以前に価値=労働時間を設定し
結果、それを実体的なものと認めざるを得ない
論理矛盾に陥ってゆく。

さらには
等価性に根拠なしとしたアリステレスへの批判として述べた
価値=労働の結晶
所謂、価値形態論
(こちらアダム・スミス以来の、価値=労働時間説でなく
哲学に置換したらヘーゲルになるような思考法への
批判でありましたけれど)
を提唱する一方で
価値は、偶然、必要の問題とも記述しており

此処で、自身の絶対的剰余価値との矛盾を起こし
相対的剰余価値を肯定する
アリストテレス回帰をみせてもいました。

最早、Vermittlung(媒介)的現象構造の解明が
通奏低音のように
資本論を貫いている様相は否めないんですね・・・。

※Vermittlung: ヘーゲル用語
有限なものは単独では存在せず,他の有限なものとの関係性において成立しうるとする概念。
また,個々のものを、関係性において把握すること。










































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【 2018/01/11 19:53 】

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マルクスへの気紛れ交響的断章 Ⅴ
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マルクスに代表される概念
対象化、類的本質 、疎外
この疎外に致しましても
原義は、交換と謂えましょう。

罪と罰 しかり
(かのヴァレリーとも一致をみる)作者と読者しかり 。

先に記したように資本論の読み方って
構造主義的であるよりレヴィ=ストロースの親族構造の交換体系
から入る方が理解が及びやすいんですね。
そう、”資本論の相対的価値形態”的な価値論であります。

マルクス主義は
謂わばひとつの人間主義化とも謂えます
いかにも自明の理に映る商品
こちらをして、
”形而上的繊細さと 神学的意地悪さに満ちた奇怪なもの”
と表現した彼の命題
此処実は、 彼が否定していた
形而上学と神学(交換の秘密にある)が知的活動のなかで
無視できないことを
認めなければ成り立たない命題なんですね・・・。














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【 2018/01/10 16:33 】

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マルクスへの気紛れ交響的断章 Ⅳ
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マルクスの存在的思想
その営為
それがゆえの労働思想

”労働が社会的宿命”であるという見地
然し乍ら彼の指摘した価値増殖過程
(労働価値説その前提さえ
対象を単純化しすぎており、かなり無理があるようですけれど)
そこにある労働者の責任感情に纏わるあの言質
こちら実は、
マルクスが否定していた意識から
生み出されるものなんですね。

そして
マルクスの論理の綻びは
此処だけにとどまりません。

(私的には、固定的視点での論理展開をはかれば
論理矛盾に陥るのは寧ろ必然と受け止めています。
*対象に何を据えて、何を見出さんとするかで
見えてくる景色は変わりますゆえ*
理解を深めるには、こうしたことも含め
注意深く読み進める必要がある
ということなんですよね…)


























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【 2018/01/09 18:03 】

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マルクスへの気紛れ交響的断章 II
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マルクスの労働的現実の直視
ヒエラルキーに喘ぐ者たちへの配慮。

労働が“苦悩としての活動”(交換)になり下がってしまっている実態への
厳しい眼差し。
そして“資本運動が、貧困を生み出してしまう”
その原因として
経済関係は、人間関係であると看做した
その視座、その存在的思想。

(一連のマルクスの“存在思想”
実は、ヘーゲル、法哲学への懐疑にこそ
その端を発している訳ですけれど)
確かに、
人間の社会性は
意思関係だけではないんですね。
(自己意識として人間であるとしたヘーゲルに対し)
意識以前に
人間生存を根源的に掌裡している現実が歴然とある
ことに焦点を当て
人間を本来的自然存在としたところから
マルクスは、反“精神現象学”として立ち上げ
論理展開していったんですね。























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【 2018/01/07 08:00 】

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マルクスへの気紛れ交響的断章 Ⅰ~断章取義~マルクスの人間自然存在(存在思想)/ヘーゲルの自己意識
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マルクスの経済学って
ひとことで謂えば既存の経済学批判とも言えましょう。

その理由は、
彼が経済の問題の一切を
生産でも消費でもなく
さりとて
利潤や資本でもなく

”労働”
これを抽象概念でなく
あくまで人間の問題として捉えていたからなんですね。

資本論に掲載された必要以上の文献引用
その論旨が
如実にそれを物語ってもいました。

(かつてのエンゲルスが指摘していたように)
お世辞にも科学的精緻さがあるとは
言えない論理展開ながら
それを押して余りあるとほどの
”労働実態への直視”は、あったようには感じています。

そして
往時ありがちであった
哲学者たちの(フランス構造主義的)解釈では
分かり辛い側面は否めず
(寧ろ、レヴィ=ストロースの交換体系にこそ
その近似値があるといったような事情から )
資本論は、相対的価値体系からの理解の方が
伝わり易いのかもしれません。



*クロード・レヴィ=ストロース
理性から
(彼の繊細にもしなやかな)感性を
切り離すことなく研究を重ねたひと
そんな彼だったからこそ、科学に対し
敢えて人類退歩という逆説的ヴィジョンを突き付けもした

社会に於るあらゆるコミュニケーションに貫かれるは
“規定された交換の束”とし
その交換を支える“到達すべき無意識構造の存在”を想定した論文は
この分野にありがちな比較論とは一線を画し
人類共通の生理能力を基礎にした統一的原理で世界を把握しようとしたもの
こうした
既成概念の深奥の普遍性を見詰め
多様性を理解した上で
あらゆる文明に共通な構造文明の一般理論の確立を
目指したその研究姿勢は、
構造言語学が表面的多様性の先にある
人類言語の普遍的解読法を解明しその普遍性に到達した普遍的方法論そのものとも言え
彼はそれを人類学に置き換え
深層心理と言語学的見地から実証していったんですね。




















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【 2018/01/06 13:57 】

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自己実現
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人間とは
かくまで
自分を知りたがる生き物でありましょうか。

そして
その自己言及性こそが
自己実現を呼ぶものであることも否めないんですね。

それは、
自己の客観的思想の実現であり
客観との一致とも謂える訳で・・・

哲学なんて
あくまでその演習にしかすぎないんですよね。














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【 2017/12/18 11:36 】

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知による回収
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生きることへの真摯な思考過程
その姿勢事体が
既に知による回収作業であり
体系付けであり
適合性の発見へと繋ぐ
未だ届かぬ真理への道程とも謂えましょう。

大切なのは
プロセスそのものなんでよすね。
























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【 2017/12/17 11:11 】

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懐疑とは
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懐疑が
批判にしかなり得ない思想を
私は哀しいと思います。

それはむしろ
自分自身へ向けられるべき
思考態度であろうかと・・・。




















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【 2017/12/16 09:41 】

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向こう側〜形而上の


瞳に映る世界だけでは
普遍知は手に入らないという事実は
厳然とあるわけで…。

ならば、私たちが
向こう側からどれほどの
力を受け取っているかを
考えてみる必要がある
ということなんですね。



























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【 2017/12/11 18:44 】

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animal symbolicum〜ego-involvement


象徴の背後に
固有の意味を読み取る
ひとの持つ比類なき能力
animal symbolicum

象徴を操るまでは
人類の偉大に違いないだろう。

しかし
時に、経済支配
或いは、政治支配等々に絡み
象徴に操られる哀しき人々

そんな外的メカニズムに振り回されないために
できること
それは、
自我包絡の在り方に関わる根源的な処
個々の内的思考過程の確立のようだ。
是なくば
animal symbolicumは、人間の愚かさの表現に
成り下がってしまいかねないのだ。


















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【 2017/12/09 18:24 】

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豊かなる理性へ
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理性に
情感は不可欠なんですね。

それがない理性ほど
虚しいものはないように思えます。



































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【 2017/11/20 00:31 】

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論理空間
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考え得る限りの
論理的可能性
その論理空間に遊ぶということ












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【 2017/11/15 09:24 】

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客観性の要請
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社会に生きる私たちに
終始求められるのは
客観性であります。

幸せとは
(胸の内で感じるものではありますが)
他者に降り注げる限りの想い(広い意味での愛)に
そのまま反映されゆくものでありましょうから
(一見逆説的にはなりますが)
主観でなく客観性がもたらすもの
そうした見方もできましょう。

是は、哲学が
普遍性、客観性を要請しているそのことと
ニアリーコールの観点であります。

















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【 2017/11/13 00:58 】

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