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プラトン哲学~ガリレオ~オイリー~e/ネイピア数(自然対数の底 ) ~フィボナッチ数~mathematical beauty~
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ピサのレオナルドことレオナルド・フィボナッチ
イタリアの数学者ですが、彼の著書に記されていた”フィボナッチナンバー”
こちら
実は、古代のインド数学の文献に於いて、
このフィボナッチ係数と見做される記述が既にあったようです。
自然界の其処に潜んでいるフィボナッチ数
例えば、花びらの枚数であったり、葉の付き方であったり樹の枝数であったり・・
また、ひまわりの種や松ぼっくり、そして蜜蜂の家系、
さらにはピラミッドの中にもこの係数は住んでると言います。
それは
自然界で、人の目に映らない、潜在的なルール
その”可視化”と言っても良いのかと・・・。

フィボナッチ数列をもとに
貝殻から銀河系に至るまで関係していると謂われるネイピア数の近似分数を求めていく方法がある?といわれているなど
”数学は、神が世界を設計するために用いた言語である”
と述懐したガリレオ・ガリレイの主張も頷けます。

無神論者の数学者たちも含めて
”神は極めて高度な数学に基づいて天地を創造した”と謂わしめる程に
私たちが暮らす”物理的世界”と数学という”概念世界”には密接な関係があると。
考えてみれば、
これって既にあのプラトン哲学そのものなんですよね。

この辺りが
数学という学問が、発明ではなく、寧ろ発見であると謂われる所以でもあり
数学の最終結論には、常に普遍性が付き纏っているということにもなるのでしょうか。
もっと謂えば
自然の摂理に近づくことは、そのまま真理の発見であり
数学者の最上位は、”自然”?
そう考えると自然とはほんとうに神秘的なものだと思います。

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mathematical beautyという言葉があります。
数学に対して美学的(審美的)見地から取り組む概念をいいますが
これは、beauty in mathematicsとする数学自体の審美性をも包括して扱われているようです。

このマセマティカル・ビューティに対峙する彼らは数学を美として記述してゆきます。
対象に美学的喜びを見出したその先に
やはり、数学的美は真理なりといった類の信念を見出しているようにも感じます。

ラッセル風に謂えば
絵画や彫刻、文学、音楽に纏わる美は、華やかな感性的美しさを纏っているけれど
数学のそれは、純粋無垢そして崇高
完成された至高の美、芸術の頂点である・・・
みたいな勢い??

以前手にした”e”の不思議を語った本に
”ベートーベンの第九の美しさの説明を付けられないが如く
数学の美しさも言葉にはできない。
もし数学が美しくないと云うならば、他に美しいものなど存在しない”
といったような意味合いの記述がありまして
一度読んだら忘れることのできないメッセージとなって胸に残ってます。

数学を愛する方たちは
概してその証明方法に拘りを持たれているようで
如何に簡潔であるかだとか、その解法が一般化できるかだとか。
或いは誰もが知っているような定理から意外な結論を導き出す演繹的な証明ですとか
とにかく美しく!置いておきたい、所謂、解法美と謂われるあれですね。

無関係そうに見える
自然対数の底(e)と虚数単位 i, 円周率 π を関連付けたオイラーの等式が象徴するような
導き出されたその”結論の美しさ”はもう
mathematical beautyの極みだと思うんですね。

そしてデジタルアートの発展さえもそれと無関係ではなさそうです。

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美術ならばミロのヴィーナスで云われる処の安定性を示す黄金比、
ダ・ビンチで有名な対称性の研究、ルネサンス期の射影幾何学
音楽で云えば、シォパードトーンと呼ばれる無限音階
バッハの対位法、春の祭典に見るストラヴィンスキーのポリリズム的構造、シェーンベルクの十二音技法等々・・
文学ならば韻を踏ます詩など皆、数学がツールとされているように受け取れます。
こうした芸術をそれぞれ
数の持つ潜在的美しさを五感で感じさせるそれに変換した表現方法と見るか
美しいものを追求していったら自ずと数学、さらには普遍性、真理に行きついたものなのか・・。
いずれにしても美の追求に終わりはなさそうです・・。

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テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2012/09/05 22:35 】

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