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朝霧のストラスブール~美術館/ユーロトラム/ノートルダム/カテドラル~クレルモンの悲劇/アラゴン
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ーー陽の色に輝くカテドラル
   教えるとは 希望を語ること
    学ぶとは 誠実を胸に刻むことーー

~ストラスブールの詩/ルイ・アラゴン

かつてはゲーテが、モーツァルトが
パストゥールが・・・好んで住んだという
水の都 ストラスブールの運河沿い、早朝のショットです。

フランスはライン川左岸に位置するストラスブールですが
パリへは、西へ約500km、TGV東ヨーロッパ線で2時間20分です。
けれど観光というよりは住むに最適♪
100㌔圏で謂えば
北西にルクセンブルク、その先にベルギーはブリュッセル
ストラスブール駅前から北東のフランクフルト空港へは直通バスあり。
南下して、お気に入りのスイスバーゼル美術館へは至便。
そこから先はイタリアミラノへ続きます。
近郊のエンツハイム市には、ストラスブール国際空港。
東にはシュトゥットガルトですのですぐドイツ、その先はミュンヘン、
ミュンヘンまで行けば、ロマンチック街道の終点フュッセン。
悪名高きバイエルン王ルートヴィヒⅡ世のノイシュバンシュタイン城も・・。
(人生に遊び大切、文化には無駄が大切?)
ヨーロッパの大動脈ライン川沿いにフランス最大の河川港を擁し
フランスの東の玄関口となっていることも含めて
”街道の街”と謂われる所以ですね。

私が初めてストラスブール入りしたのはプラハからのミュンヘン経由でしたが
パスポート提示は列車内
日本では味わえないあの時の感慨深さ懐かしく思い出されます。
当時のトランスファー的トランジットはアムステルダム、
チェコの空港に到着すると、機内にはスメタナのモルダウが流れてましたっけ。
不覚にも涙の想い出があったりもします。

写真の河はライン川の支流、イル川です。
こちらの中洲にある旧市街地が
ストラスブールのグラン・ディルとして
ユネスコの世界文化遺産に登録されているんですね。
このプチフランス地区には
アルザスの可愛らしい伝統建築が立ち並び
自由ヶ丘のような雑貨屋さんやブティック、オープンカフェやレストランが軒を連ねてます。
水路が巡って居る処は少しベネツィアにも似ていますが
Lockが印象的、そのインクラインに雰囲気あります。
そして中心部には
冒頭の詩にも歌われている”陽の色に輝くカテドラル”
こちら天文時計、からくり時計で夙に有名なストラスブールカテドラルですが
私は寧ろこの薔薇色の外壁の美しさと尖塔がひとつしかないアンシンメトリーなノートルダム大聖堂は、パリのノートルダム寺院より好きかもしれません。
パリのノートルダムの素晴らしさは、
あのセーヌの流れの畔、その立ち位置に依るものも大きいようにも思えます。
そしてストラスブールは
”LRT”がすごい!かなって思うんですね。
日本で謂えば、早稲田辺りを走っている市電のようなものですが
その未来都市?的な斬新なデザインもさることながら
こちらもまた未来建築的な欧州議会ビルの存在とも相まって
ユーロトラムなんて呼ばれ方もされてます。
この”トラム”とバス、1枚の切符で1時間以内は乗り継自由です。
フランス国鉄とは相互乗り入れしているし
美術館も随所にあるのでもう遊び捲りでした。
19C初頭のボザール美術館にホーエンローエ美術館、アルザス地方博物館に
極めつけは中世ルネサンス芸術のルーブル・ノートルダム美術館、
近年誕生したトミー・アンゲラー美術館もあります。

また、フランス革命期の将軍の名からとられたというクレベール広場でのランチは開放感たっぷりですし
18世紀に建築された新古典主義様式の建物オーベットは、
現代芸術のシスティーナ礼拝堂なんて呼ばれ親しまれてます。

星付きレストランのあるオランジェリー公園もお勧めです。

ストラスブールのイメージキャラクタはコウノトリとされてはいるものの
少なくとも私は、ここでコウノトリは一度も見かけませんでした。
寧ろスペイン、アンダルシア地方やカスティーリャ ラ・マンチャ地方などをドライブした折には
街道沿い、至る所に彼らの巣があって、凛とした姿勢で子供達を守っていましたっけ・・。

冒頭で触れた詩の一節ですが、
教育の理想形のようにも聴こえるこのフレーズ。
実はこちら
哀しみから生まれたメッセージであり
心の叫びでありました。
第二次大戦中に起きた”クレルモンの悲劇”
その最中に、中仏のオーヴェルニュ地方で生まれた歌で
暴挙の限りを尽くすナチスドイツの蛮行は、ストラスブール大学の教授、学生らまでに及び
血を血で洗う凄惨な覇権争いが背景にあったようです。
ヨーロッパ史の縮図ともされるストラスブールですが
その歴史的変遷は・・
当初の神聖ローマ帝国支配下においては、その名も当然乍ドイツ語読みで、”シュトラースブルク”
その後、仏王ルイ14世の時にフランス王国領域に移り、仏語読みの”ストラスブール”になっのですが
普仏戦争でのプロイセン勝利に伴い、この辺り一帯(アルザス、ロレーヌ地方)はドイツ帝国領に戻るんですね。その後、第一次世界大戦でフランスが勝利すると再びフランスの領土に組み込まれ
さらに第二次世界大戦時の仏独戦後は勝戦国のドイツが自国の領土とした、まさにこの局面が、アラゴンの詩のsituationで在った訳です。
1944年に連合国側が奪還するまで、不毛の覇権争いが繰り返された土地であり
そうした権力者たちの愚かさを目の当たりにしながらも、人間にとって真に大切なものから目を逸らさずに
志だけは高く生き抜いた彼らの執念さえ伝わってくる価値ある詩であろうと思います。

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テーマ:フランス - ジャンル:海外情報

【 2012/09/06 18:56 】

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