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扉~ジンメル~シラー/カント/ショーペンハウアー/ニーチェ
ーー扉とは
     限られたものと限りないものとが
           境を接する場所ーー

~ゲオルク・ジンメル
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私は
”扉”が好きで・・。

ヨーロッパの田舎町を歩いていると
ふと扉を撮影している自分に気付くことがあります。
扉のフォルムの美しさも然ることながら
扉が持つその可能性が
好きなのかもしれません。

ひとり室内に身を置くと
扉の向こう側には
冒頭の言葉が示す様に
限りのない空間が広がっています。
それは時に
陽の光が燦々と降り注ぐ樹々の木漏れ日あり
また夜空に広がる満点の星・・。
そして
音もなく降り積む雪の銀世界かもしれません。

水平線から届けられるオレンジの光の帯の彼方に潜む
憧れ

愛するひと
未知なる無限の出会いが
私たちを待っています。

ジンメルは
20世紀初頭に活躍したドイツの哲学者で
社会学を確立した思想家でもあります。
彼はまた、次の様にも語っていました。

ーー人は一人では一人になれない
     相手がいるからこそ一人になるのであるーー


(ひとりで生きて行けると思っていたのに
 一人では生きていけないと思えてくる
 恋をした時のあの感覚にも通じるものがあるかもしれません・・)

 扉は真に開かれうるものでもあるが故に、
 それがひと度閉じられると、
 この空間の彼方にあるもの総てに対し
 ”壁”よりもいっそう強い”遮断感”を与えるのです。
   
ーー壁は沈黙しているが、扉は語っているーー

 人間が自分で自分に境界を設定しているという事、
 しかしあくまで、その境界は自身で開け放ち
 その外側に立つことができるという自由を 確保しながら
 これを行っているという事、
 これこそが人間の深層にとって本質的なことなのです

  
ーー橋は分かれた両岸を結んでくれる。
  川の両岸は単に分かれているのではなく
  分離されていると感じるのは私たちに特有のことだーー

~橋と扉/ジンメルコレクション

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こうした認識活動は
ひとがより良く生きるため古代から受け継いできた人生哲学を講義した
フリードリヒ・シュレーゲルや
詩人シラーら19世紀ドイツのロマン主義が
その母体とも謂えるでしょうか。
ジンメルの”生へ深い凝視”は
この時代に盛んに辯論されていた
所謂”生”の哲学といった括りで捉えられていますが
現代では哲学者とされるニーチェ、キルケゴールらのそれが
文学或いは思想的エッセイとしか見做されず
精神史の1ページを刻んだひとつの思潮として
扱われていたことに似ているかもしれません。

論理・歴史・自然、芸術といった
さまざまな角度からのアプローチにより体系的に思唯を積重ねてこそ
”生”という問題を探る鍵が浮き彫りになってくる故のものでしょうか。

19世紀中期までの哲学は
ドイツ観念論やカントが示すような
認識論、実在論として
理性的に理論を展開するものであって
”生”がその構想に組み込まれることはなかったんですよね・・。

主観と客観が統合された絶対的精神(ヘーゲル)
或いは
真、善、美さえも理性に支配されるという考え方に
挑むかのように
人間が本来もっている筈の心の奥深い処の感覚に耳を傾けようとしたのが
ここでいう”生”の哲学です。
”理性”を”生”の上位におく哲学に対して
その”理性”とは、もしかすると
”理性”ですら捉えられない
非合理的な”生”を実現するための”道具”にすぎないのではないかとして
ショーペンハウアーやニーチェらと同様に
それぞれの立場から
”合理的な理性”に対する”非合理な生”の優位性を唱えていました。
ですからこうした非合理主義に対抗すべく
形而上学を批判する論理実証主義が生まれたという経緯もあったものでしょう。
こうして考えてみると
フッサールの現象学もまた、これらの統合への試みとも云えるのかもしれません。

彼らの思想は形式社会学に結実し
現代のフランス哲学や実存主義(哲学)そしてシカゴ学派(社会学)
ポストモダン主義、プラグマティズム的文脈の中に
厳然と息衝いているようにも感じ取れます。

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※ジンメルエッセイ集
 1.生と哲学 2.歴史と文化 3.宗教 4.美と芸術 5.歴史的人物像 6.社会
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テーマ:ことば - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2012/12/23 10:32 】

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