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エセー/モンテーニュ~モラリスト/人文学者/懐疑主義者~パスカル/ロシュフーコー/ブリュイエール/プラトン/アリストテレス/プルタルコス/セネカ/ショーペンハウアー
ーー美しい精神とは、
     多様性柔軟性をもった精神であるーー

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パリでモンテーニュと謂えば8区のモンテーニュ通り☆
シャネルやヴィトン、ディオール等のブランドショップや
高級メゾンが立ち並ぶその先に
ヌーヴォー建築のシャンゼリゼ劇場があるのですが・・。
この辺りのカフェを舞台に
妖精のような主人公(ギャルソン)の視点で
華やかなパリのアート(音楽、演劇、絵画)を織り成す人間模様を描いた
”モンテーニュ通りのカフェ”(現代:オーケストラ・シート)なんていう
映画もありましたっけ^^


冒頭の言葉は
フランスのルネサンス期を代表する哲学者
モンテーニュの”Essais”(試み)からの引用です。

モンテーニュが生きたルネサンス期には
人間の本質をギリシアやローマの古典文学に学ぼうとした
所謂ユマニストと呼ばれる人文学者たちが各国で活躍しています。
イタリアではフレンツェの詩人ボッカチオ、君主論のマキャベリ
そしてロレンツォ。イギリスならトーマス・モア
フランスはモンテーニュの他ロワール河畔で生まれた
貴族出身のラブレーなんかもこの範疇かと。

また、ピュロン主義のラテン語訳によりデカルト、ヒューム、カントなどに展開され
形成された認識論を中心とする懐疑論その礎となったのもこのモンテーニュでした。

さらにこの時代のフランス語圏と謂えばモラリスト・・・
パスカルやロシュフーコー、ブリュイエールらの名が知られていますが
現実の人間を洞察しその生き方において思索を重ね
そうした探究理論を断章形式に綴った思想家を指します。
モンテーニュのその在り方は17世紀のモラリスト文学の枠を超えてフランス文学全般に
その系譜は見られるようです。


人文主義者であり懐疑主義者でもあったモンテーニュ
ですがモラリストでもあった訳です。
彼のこの”試み”は
その思想の断片集というカタチで紡がれています
ですのでタイトルも”エセー”
現代で言う処のエッセイです
ゆえ哲学書に不可欠であろうかと思われる
論理的な組織付がなされておりません。
系統的でなく体系的でなく
時に矛盾も観取されます。
けれどひとつひとつのテクスト
想念、存慮、思弁、思惟そして考察・・・
その先にあるものが
凄いんです。

まず
近世の哲学にして聖書の影がありません。
あっても原典程度です。
引用はプラトン、アリストテレス、プルタルコス、セネカ周辺
古代の文献がメインです。

同時代の
パスカルの死後編纂されたという”パンセ”にさえ
その影響が見て取れるように
アウエルバッハではありませんが世界初の
人間の生へのHow to本かと^^

ギリシアやローマの古典、
自由な世界観から思索を広げたモンテーニュ
時代の哲学者にありがちな
宗教哲学、論理学の罠には陥っていません。
寧ろ東洋の老荘哲学にも近しい概念が
全編通して通奏低音のように流れています。
ですから
ニーチェも憧れたというモンテーニュの自由精神は
社会の軛から私たちを解き放ってくれる
メッセージ集といっても過言ではないように思います。

ストアの叡智あり、神なき人間観あり
そして元より因習、弊習、旧態依然とした遺風による精神的桎梏に
厳然と立ち向かう姿勢・・
旧弊的な観念に縛られない相対主義があります。
さらに自然への信頼があり
死の受容があります・・。
そうした思想が
核心を突く的確な表現で記されているんですね・・
結え
清新な勇気がもらえるんです。
現在の自分の想いに重なるフレーズも
散見されます。

他者へは朗らかさを
自身へは智慧を・・
ではありませんが
モンテーニュの人間性も感じさせる
この随想録

そして彼のその考え方が
主観と客観の何れによるかという
二元論に出発した近世の哲学そのものに懐疑を投げかけ
両者を包括した理論の必要性に基づくものであること。
そもそもそうした概念さえなかったギリシア哲学を鑑みますと
古典回帰といえばそうなのですが。
ただ、対象を原理的にみようとする精神の動きに圧倒されます。
瑕疵のない体系的論理性構築を目指す哲学者たちの中に在って

人間ならば誰しも備えている負の特質
それは野心であり
羨望であり時に嫉妬もあるでしょう
さらに迷いがあり、懊悩があり、絶望があります
ですがこうしたマイナスの感情の萌芽でさえ
排除されようものなら
われわれ人間の性状は根本的に破壊されるとした
徹底的な人間への寛容な眼差しのもと
自在な思索を紡ぎ出すモンテーニュの手法は
高邁精緻な哲学理論の追求に相応しい思考状態であったようにも感じてなりません。

人間が人間であるゆえの弱さ
理性では解決できない
自身の心の手に負えなさに対しての考察では、
同じ懐疑主義的立場を取る
パスカルは良く言えば達観、半ば諦めにも近い思考性が
また
ロシュフーコーは極めてシニカルによっています。
”出口なし”のサルトルではありませんが
他者に囲まれた対他存在としての人間存在をして
地獄とは他者のことだとまで言わしめた彼とは
根本的にその世界観が違います。

テクストとは不思議なもので
その行間からは
書き手の人間性が垣間見えてもくるんですよね。
深い誠実性を漂わせているという点では
ショーペンハウアーに近しいものを感じています。

そんな
モンテーニュの生きた16世紀フランスは
ヨーロッパの人口の2/3に及ぶかという程の夥しい死者を出した
ペストも流行していました。
さらには
宗教戦争真っ只中という激動の時代背景です。
モンテーニュは穏健派として
カトリック、プロテスタント両派の融和に努めたといいます。
このような過酷な時代にあっても彼は
終始冷静な眼差しで真実を見据え
形式論で正義を突き通すものには懐疑の目を向けていたんですね。

こうして彼は”エセー”を刊行しますが
それを他者に慫慂する様子はありません
哲学者に在りがちな権威主義的傾向も見受けられません
そこには
柔軟で包容力のある恩師のような教えが息衝いています。

ーー人生は美しい
    朗らかに嫋やかにあるもの
      生きるに値するものですーー

フランスはランス、ルーアン出身の小説家フロベールも言っていました。
”これは生きるために読む書”だと・・。

ーあなたを救えるものは、あなた自身であるー
モンテーニュのこの箴言から私は
自律の精神を学びました・・・。

そして
”この世で一番大切なことは、自分に帰ることを学ぶことである”は所謂名作と呼ばれる
多くの文学の原点であろうかとも思うんですね
そしてあのPamukの小説の世界観にもそれは顕われていました。

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※トゥールーズで法学を学びフランス法官であった彼は
故郷の田舎町モンテーニュ城に戻り随想録の執筆を始めます
16世紀にボルドー、パリ、ルーアンで刊行改版を重ねますが
その後も死の間際まで加筆を続け
以後彼のライフワークとなった書です。
キリスト教に寄らない哲学書ゆえ
17世紀後半には
”無神論の書”とされ禁書となった時代もあったといいます。
当に象徴的な出来事です・・。

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テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2013/01/23 23:16 】

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