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ヘレン・ケラー~ダライ・ラマ~サン=テグジュペリ/星の王子さま~大切なものは目に見えない・・
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ーー哲学は優しさから造られている
         優しさこそが哲学であるーー

ダライ・ラマの言葉です。

また
ヘレン・ケラーは私たちにこう記してくれています。
ーー幸せとは、視野の広い深遠な知識を持つことです。
     なぜなら真実と欺瞞、高尚なものと低俗なものを
         見分ける力が養われるからですーー

真実と欺瞞、高尚なものと低俗なもの
見えすぎても時に哀しみを引き寄せるようにも思えてしまうのですが
物事の本質が見えてこなければ
あるべき行動すら方向性を誤ります。

一見して別の側面を謳ったような
東西のこのふたつのメッセージの背後に
大切な理念が潜んでいるように感じてなりません。

ヘレン・ケラーの謂う処の”視野の広い深遠な知識”
これはそのまま叡智の翻訳であります。
哲学には必要にして不可欠な概念です。
そして
その哲学は優しさから造られている・・
そう致しますと
優しい心をもつひとは
幸せであるというまた別の側面も垣間見え来ます^^

で、あればその優しさとは・・
多くの場合真の優しさは
優しさだけでは優しさ足り得ません。
優しさだけで到達できない高みがあるからです。
人生、優しさという翼だけでは飛翔できないんですよね
時に厳しさ(負の体験)なくば得られないものが
あるからなんですね・・
ですから優しさという言葉には必然
均衡という概念が含まれているようにも思うんです。
そして哲学もまた均衡(或いは調和と謂って良いかも知れません)
を内包していなければならないかと・・・。

言葉の定義がいずれも曖昧ですから
論理的な説明は不可能で・・・
あとは
心で感じる他に手立てがない
という現実も見えて参ります。


   ”Le plus important est invisible ”
ーーほんとうに大切なものは、目に見えないんだよーー

サン=テグジュペリの”星の王子さま”の作中で
きつねが教えてくれた秘密の言葉。

(敢えて言葉での説明は好ましくないかとも思われるのですが)
例えば”大切なひとの存在”もそのひとつかと。
それは取りも直さず
その対象の存在が
精神的存在であって
物理的存在ではない
ということになるのかもしれません。

理由は簡単です。

不確実性を生きることを余儀なくされている私たちの人生は
あらゆる意味で自分の願うようには生きられないことも多く在ります。
そうしたなかで何かの事情で大切なひとと二度と会えなくなったとしても
その対象が心の中から消えることはないからです。
(逆に無関心な他人と機上で席を同じくしても何の意味も持ちません。)

それは
たったひとつの特別なもの
絆・・・
執着とも換言できるものでしょう
ですが執着の負の側面を極限まで削ぎ落とした
バランスのとれた強き心の在り方かとも思うんです。
愛がひとを強くすると云う真意も
このあたりに論拠を置くのかもしれません。

美しきひとの心には
対象に愛を感じることそのものに
快さを覚えるという感性が備わっています。
ですから
想っても想っても尽きない想いが胸の奥深くに生まれた時
それはあたかも幸せの泉を心に備えているようにも
私は感じるんですね・・・。

もちろん物理的に愛する人と共に在ることは喜ばしいことに違いありません。
けれど
その歓びの本質がどこにあるか
自身の心の深淵を覗くと
共に在る歓び・・愛しさのその先に在るもの
悲しみをも含む愛・・そこにあるその輝きこそ
大切な
目にみえないものであると・・・。

そして同じような理由で
ほんとうに美しいものは
やはり
目に映る類のものではないと
私は思っています・・。

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真の優しさが
その時には判らず
ずっと
後になってから
それと気付かされることと
少し
似ているかもしれません・・。



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テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2013/01/26 12:04 】

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