薔薇の名前/ウンベルト・エーコ~ヴィンテージセピア~横浜山手の冬薔薇~ボッカチオ/デカメロン~ソロモン/ホイジンガ/中世の秋~プラトン国家~アレクサンドリアの大図書館~ボルヘス/バベルの図書館

記憶の欠片・・・

ノクターン

月光

しずく・・・

ライラックフレングランス

DSC_0001.jpg

サウダージ

ブルームーン

ノスタルジックロマンス

ラ・カンパネラ

小さな声で囁くだけで
詩的な世界が広がるようなこのWordたち

いずれも薔薇の名前です・・。

雰囲気
ありますね・・・


ファムファタール
セイレーン

そして

ラブレー
モーパッサン
etc....


”薔薇の名前”と謂えば

ヨーロッパの中世に迷い込んだかのような7日間を描き出した
エーコの小説に同名タイトルの作品がありましたっけ・・・。

14世紀の北イタリアのカトリック修道院を舞台にしたこの小説は
ITALYに古くから受け継がれてきた
そう、ボッカチオのデカメロンに象徴されるフレームストーリー仕立てになっていまして・・。
その手法は、
物語の中の物語の主人公の助手で
今は老僧となったアドソの手記(1327年に起きた事件の回想)を
1980年にエーコ本人が
大変に込み入ったプロセスを経て入手したそれ
つまり
書物の中の書物が
メインストーリーとなった構成
即ち”枠物語”になっているんです。

作者のウンベルト・エーコは
かの”フーコーの振り子”のエーコです
地球の自転を証明しようとしたレオン・フーコーがパリのパンテオンで公開実験を行った
あのフーコーの振り子が展示された場所で
クライマックスの時を待つその瞬間
終幕直前のシーンからの導入となる”フーコーの振り子”でしたが
そもそも
彼は謂わずと知れた
コナン・ドイルフリークと申しますか
シャーロキアンと申しますか
ですのでそこから押して知るべし的な作品になってます。

さらに

ーー私は中世を書いたのではなく
    中世に居ながらに書いたのだーー

このエーコ自身の述懐。

迷宮に誘い込まれるような不思議な感覚を呼び熾す
重層的筆致で綴られおり
そのアルス・コンビナトリア
結合術なるそれはもう鮮やかと謂う他形容が見つかりません。

また歴史上の人物を実名で登場させ
ノンフィクションをも意識させるあたりも含め
エーコの誘(いざな)いは巧みです。

ラテン語、ギリシア語、ドイツ語のフレーズが
原語表記のまま散見され
ヨハネ福音書1章1節の
ーIn principio erat verbum.ー

”初めに言葉ありき”に始まり
謎を解く鍵はアリストテレスの”詩学”ときて
ヴィトゲンシュタインの分析哲学思想への飛翔ともとれる
ラテン語詩で結ばれています。

また、
ソロモンの雅歌やホイジンガの”中世の秋”
プラトンの”国家”に
紀元前プトレマイオス朝のファラオによってエジプトアレクサンドリアに建てられた
古代最大にして最高の図書館アレクサンドリアの大図書館
70万巻にも及ぶとされる世界中の文献が集まる知の集積
それは学術の殿堂であり一大学術機関、また
ボルヘスの”バベルの図書館”なんかも彷彿とさせるプロット。

背景は
ローマ教皇と神聖ローマ皇帝とが
覇権争いに明け暮れていた時代ですから
必然、中世神学論争・普遍論争
時に異端審問や修道院の意義や役割から
終末意識に至るまで多くのテーマに切り込んでおり
衒学的と片づけてしまうには惜しいようなウラトラマニアックな作品で
個人的には一時期かなり嵌りました(笑

最終章になって
モーレーのベルナール説教詩からのフレーズを
ラテン語文ままに引用しているのが幾つか見受けられるのですが

なんといっても印象的だったのが
(アドソが筆写室に手稿を残して部屋を去った後の)
ラストセンテンス

ー-stat rosa pristina nomine, nomina nuda tenemus.ーー

言葉と実在の関係を如実に言い当てたこの一節。

解釈は議論の分かれる処ではありますが、

”初めの薔薇はあの時の名の中にのみ在り
此処にあるは唯、虚しき名のみ・・・”

こんなニュアンスになりましょうか

かつての栄華は何処(いずこ)に・・といったような無常感を謳う
ラテン詩は、中世に大変に好まれたテーマでありまして・・

ですのでこの物語でもその辺りは丁寧に掘り下げられており
この”メルクのアドソの手記”は元はラテン語であったものが
フランス語に翻訳されそれを
”私”が手にして懐疑的に受け止めながらもイタリア語で出版した・・
といったような設定になっているんですね。

原題はイタリア語ですが
英訳すると”The Name of the Rose”といった感じで
薔薇にも名前にも定冠詞が付いてます
なので
たぶん
タイトルの”薔薇の名前”は
アドソの初恋の少女
彼女のメタファではないかとも
とれないこともありません・・。

さらに理由はもうひとつ
登場人物で
名前を与えられていないのが
唯一彼女だけなんですね・・・。

このラストの一文を
紐解いてゆくなら
それはそのまま中世普遍論争に陥ってしまいますので(笑
ですので
シンプルに言ってしまえば
ーー実在は何処にーー
といった哲学議論ということになりましょうか。

論理思考界でのオッカム(主人公のモデル)は
鋭い近代的かつ合理的思考をもって経験的科学的認識論に立つ切れ者として知られ
唯名論の名手とされた人物です。
唯名論とは実在するのは個々のレースであり、
普遍観念(エイドス)は単なる名に過ぎないとした見解なんですね。
一方
このエイドスまでも実在とした概念が実念論でありました。

突き詰めれば、
薔薇の名前(普遍観念)は実在か、単なる名に過ぎないか
といった処に行き着くのですが
実は
実在するのはその薔薇自体としたオッカムに追随していた筈のアドソが
最終章になって或る変化を見せるんです・・・

その理由
それは

アドソが生涯にたったひとつの恋をして
心に
消そうとも消すことのできない大切な何かを宿した

心に残された”名もなき名”の内側に
実在(彼女の魂)を見出すことができた・・・
ということでありましょうか

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rosa pristina(原初の薔薇)だけに実在があるとしていた彼が
nomina nuda(空の名)としか認められなかったその中にも
哀しくも美しい愛の鼓動が息衝いていることに
気付かされた・・・

秘めたる想いの奥深くに
愛するひとの実在を見出したとき
初めて
ひとは
永遠を手にすることができるのかもしれません・・・。





















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テーマ : 哲学/倫理学
ジャンル : 学問・文化・芸術

朝陽のなかのクリススマスローズ~丘の上の小さな休日/横浜

DSC_0441.jpg

横浜は
とても爽やかな朝を迎えています

昨日はレセプションで
お家のことはあまりできなかったので
今日は
お気に入りの音楽を聴きながら
お洗濯にお掃除・・・
朝露に光を集めて
凛とした耀きを贈ってくれる
樹々の真っ直ぐさへ
思い遣りに満ちた花色への水遣り・・
掛け替えのないような
優しい時間たちが
ゆっくりとした
時を刻みます・・・


午後には
美味しいワインと
新鮮な食材を買い込んでの
お料理・・

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幼い頃は
おままごとに命かけてた女の子
でしたから(笑
こんな休日にこそ
いちばんしあわせ感じてます^^
















テーマ : ガーデニング
ジャンル : 趣味・実用

トルストイ~モーパッサン/水の上~セーヌ河~モネ/ルノワール~ノルマンディ

世界で真に美しいものは3つのみ
それは

空間
水・・・。

DSC_0267.jpg

こちら
フランス貴族界に生まれた少女が
思春期を修道院で過ごし
ロマンティックな恋を経て結婚
であったにも関わらず
夢見た結婚生活に翻弄され
哀しみに耐えながら
健気に生き抜く姿を描いた
”女の一生”の主人公ジャンヌの科白ですが・・
たぶん
著者モーパッサンの”水”への眼差しを
そのまま
重ねたものと思われます。

そして
ーOn n'est jamais si malheureux qu'on croit, ni si heureux qu'on avait espéréー
というこの作品結びの言葉。
”世間はひとが考える程良いものでなくまた悪いものでもない”
といったようなニュアンスのこのメッセージに
お気付きの方もいらっしゃるかもしれませんが
こちら実はラ・ロシュフコー”箴言集”にも
全く以て似たような箴言がありまして・・
偉大なるおふたりが
人世を同じように読み解いた・・
或いは
モーパッサンはロシュフーコーに共感して・・
という受け取め方もできるものでしょうか。

先ほどお伝え致しました
モーパッサンが想いを重ねたのではないかとする
その根拠と申しますのが
かつてトルストイが
モーパッサン論のなかで
絶賛していたもうひとつの作品に
彼の初期作メゾン・テリエからの”水の上”
があったのですが・・・

ここには
水辺で生まれ育ったひとたち特有の
心の原風景といいますか
心象風景・・・
そこにたぶん息衝いているであろう
水の情景へのノスタルジー
そうしたなにものかを強く
感じさせる作品なんですね・・・。

実際海辺の街
ノルマンディーで生まれ育ったモーパッサンは
どこまでも海を愛し
”ベラミ”号で大海原を航海してみたり
時に
セーヌに小舟を浮かべ
逞しい手で力強く漕ぎ出でる・・・
或る日は
ワインに酔い
また或る日は
歌い、踊るといった
河辺での遊びを好んだといいます。

モーパッサンが水に戯れたセーヌの岸辺は
かつてのモネやルノワールが
世間の厳しい評価などに惑わされず
ふたりキャンバスを並べ
穏やかなるセーヌの情景を
世に送り出した
あの
拘りの場
でもあったんですよね・・。


この作品でモーパッサンは
ユーゴーが描いた詩"海"を引用しているのですが・・・

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魂の奥深くに沈潜した
原初なる水への郷愁に
捧ぐように紡がれた
嫋やかな言詞の波間に浮かび上がる感性と
その美しきエクリチュールもまた
永遠なるもののひとつでありましょう・・・







テーマ : 海のある風景
ジャンル : 写真

アンナ・カレーニナ/トルストイ~モーパッサン論/女の一生~ボヴァリー夫人/フロベール~レアリスム

Guardian Unlimited 誌上に見た
現代英米作家による
世界の小説BEST10投票結果、そこで
栄えある第1位を獲得していたのが
文豪レフ・トルストイの
”アンナ・カレーニナ”でした。

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文学界にあってはトーマス・マンの賛辞に”総てにおいて非の打ち処なし”
ドストエフスキーのそれは”芸術的完璧”
その理由としては
”アンナ・カレーニナ”は、あらゆる問題が正確に記されており
それが読み手に完全な満足を与えるのだ”とした
チェーホフの分析が適っているものでしょうか。
また”近代小説の教科書”と見做した志賀直哉を初めとして
この小説、紛れもなく近現代文学が目指す至高作品としてのひとつの顕れ
といった処でありましょう。

こちらは
19世紀ロシア貴族社会での恋愛(不倫)を縦糸に
結婚観、家族観だけでなく
政治・経済・戦争・革命・宗教・哲学から農業に至るまでの
多岐にわたる分野を横糸に織成されたものであり
この書物の扉には聖書からのフレーズ

ーー復讐は我にまかせよ、我は仇を返さんーー

その意図
主体の捉え方によって様々にも受け取れる
メッセージが
与えられています。

知性と気品と優雅さを兼ね備え
尚、美しく聡明なアンナは
完璧な女性・・・
な筈でした。

モーパッサン論のなかで
アンナと同じ貴族階級の女性を描いた"女の一生"に於いて
不実な相手に翻弄されながら
結婚生活を只管耐え抜く真摯なヒロインをして
ここの処をも
絶賛していたのは
他の誰でもなく
アンナ・カレーニナをこの世に送り出した
トルストイ
彼自身だったんですね

であるなら・・・

文学的美観に徹して譲らないトルストイにこそ
耐え抜くアンナを描いて欲しかった・・・
なんて
今更乍、叶わぬ夢ですが
それが私の胸に燻って(笑
消えることがないんです・・・。

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※基本のモチーフに
写実主義的手法
引いてはその結末ゆえ
”アンナ・カレーニナ”とくれば
想起されるのですがフロベールの”ボヴァリー夫人”

ですが
こうまで異なってくるのは
モーパッサンしかりで
所謂”トルストイ主義”以前に
ロシア文学なるものと
フランス文学なるそれとの
根源的差異と言って良いのかもしれません

ゆえに
そのタイトル通り
ボヴァリー夫人は徹頭徹尾”夫人”であり続け
一方アンナは
最初から最後まで”アンナ”であり
アンナとして人生に終止符を打ったんですね・・。

テーマ : 写真
ジャンル : 学問・文化・芸術

J.J.ルソー/告白/社会契約論/エミール~アウグスティヌス/パスカル~デカルト/トルストイ/カント~スタンダール~三島由夫/島崎藤村/太宰治

1765年晩秋
セピアの木立に包まれるビエーヌ湖に浮かぶ
サン・ピエール島で
J.J.ルソーが最後に見出した光
それは
”ファル・ニエンテ”
されど
尊き”ファル・ニエンテ”

”大いなる無為”でありました。

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フランスの精神的指導者とされ乍
誤解と誹謗そして彼の不器用さも助長し
社会から追放され
絶望の淵に立たされたルソー
行き場を失った人間の彷徨
それは己が人生への旅
永き魂の散策となります。

残されたる道が
自己探求の他になかったというルソーの”総括”
彼の生涯
終わりの始まりでもありました・・。

傷痍のアイデンティティー
その癒しの場はそのまま
閉ざされた自己の内部空間(監房)
ですが
そこには
縦横無尽に飛翔する言詞が・・
そして
人間の真実が浮かび上がります。

とりまく空間そのもの(宇宙)を監房 とし
それを超越するのは
人間の理知であるとしたパスカルの世界観とは
一見して対照的なようですが
私はここに類洞を覚えます。
神の栄光を湛えたアウグスティヌス”告白”との
根本的差異とともに・・・。

スタンダールの代表作”赤と黒”での
主人公ジュリアン・ソレルの青年時代の愛読書は
こうしたルソーの”告白”でした・・

17才でナポレオンのイタリア遠征に
後にロシア遠征にも従軍したという特異な経験を持つスタンダールが
ナポレオン失脚後に王政復古を果たしたブルボン朝時代の
フランス社会の実相を描いた”赤と黒”
この作品は
ルソーの自伝とも謂える”告白(懺悔録)”をモチーフに
構成されていました。
(同じくスタンダールがイタリアを舞台にした”パルムの僧院”は
学生時代私のバイブルでもあった書物なんです^^)

栄光を手にしたかに見えたルソーは後に
ルター、デカルトと共に
ヨーロッパの病める魂とも揶揄され
謂れなき評価が付き纏います。

そんな彼の絶筆となった
”Les confessions”(告白)

近代社会思想のパイオニアであり
フランス革命の父ともされるルソー晩年のこの書が
告白文学最高峰と見做されるその所以とは・・。

例えば若き藤村が、英語訳の”告白”に邂逅しなければ
”社会の軛から逃れ生を見つめること”を
そこから学ばなければ
あれほどの作品
”破戒””新生”は日本文学史上には
誕生していなかったかもしれません・・。

また
”告白”のルソーの孤独を想うと
三島由紀夫の”仮面の告白”の導入が想起されてくるんですね

”風景”は孤独のなかにあって初めて
内面的状態と緊密に結ばれ浮かび上がる
という論理です。

眼前の他者には至って無関心となり
”inner man”(内的人間) と成り得た上で
哀しくも美しい風景が見出される状況・・・

”風景”とは時に
精神的に社会の外に或る人間こそが
最も強く深く感じ取るものである・・・
といった捉え方なんですね。

”告白”が誕生した往時
こうまで美しき自然描写が他にあったものでしょうか
ルソーが自然美を見出したその理由
この辺りは
私自身、心が震えるほど共感した処でありまして・・・

デカルトが
自己の発見には
同時に”非自己としての風景”の発見があるとし
これは
内なる自己の確立に他者の排除が伴う以上
それは他者性を欠いた孤独なものでしかありえないとした
そのことにも通じる何ものかはあるでしょう。



自由に生まれた人は、その後社会の枷につながれるーー

ルソーはこの”枷”を解き放つために”社会契約論”を著したんですよね
そうして
鎖につながれ行く前の
自由な状態にある幼い魂をして
彼らを教育することにより
鎖を解き放とうとしたルソーの試みが
教育論”エミール”でした

ひとが社会に飼い慣らされないために
枷を掛ける当時の教育を
徹底して批判し続けたルソー。
知識を詰め込むのでなく
さりとて無知でなく
能動的に幅広い知を得て
そこから真理を見抜くチカラを培おうとする教育。

現代においては教育論の古典であり
ルイ15世代の当時にあっては
革命的思想であった訳です。

時代背景を鑑みるに
フランスを中心にした絶対王政を支える概念”君主主権”全盛の時代です
そうした社会観の内側から
政治の決定権は人民に在るとし
”国民主権”を打ち立てたルソーの先見性こそが
フランス啓蒙思想となり
現代の民主主義(普通選挙制)の母体となった
そしてそんな彼の思想を支えた根本理念は
”時代の価値観からの解放”でありました。

個人の価値観を尊重しようとする近代的自叙伝は
ルネッサンス期に一部(チェルリーニ自伝)見られますが
こうまで個の全存在を提示しながら
背後に社会的意義を際立たせた作品(ルソー自身も記しているように)はなかったように思います。
これこそが権力のアウトサイダーたるルソーの魅力であり
革命的思想の源ともなったパワーのルーツであったものでしょう。

ルソー12歳でカントが生まれ、
15でニュートン他界
ヒューム、ディドロとはほぼ同期で
告白を手掛け始め時を同じくして
ナポレオンが、ベートーヴェンが
シャトーブリアンが生まれている
また
アメリカは独立宣言の最中にあり
ルソーの死後、”告白”の最終章が出版されたのは
フランス革命の真只中でありました。

そしてカントもヘルダーリンも
帝政ロシアの作家トルストイさえも
ルソーの存在なくば語りえないのかと・・。


ーー最後の審判のラッパはいつでも鳴るがいい。
わたしはこの書物を手にして最高の審判者の前に出て行こう
  これがわたしのしたこと、
     わたしの考えたこと、
        わたしのありのままの姿ですーー

そして続けます。

永遠の存在よ・・・



ここで
ルソーは自身の生を
”悲しい結実”と記しています。
その理由は
”わたしが生まれたために母は死んだ”から・・

”こうしてわたしの誕生はわたしの不幸の最初のものとなった”

そしてルソーは
ご両親の馴れ初めをこう書き残しているんですね。

”真の共感、心の一致・・・
ふたりとも持って生まれて優しく感性豊かで
通じ合える心の持ち主と巡り合えるその日が
必ずや来ると信じひたすら待っていた。
というより寧ろ
この出逢いの方こそがふたりを待っていた。
いかなる障害があっても
もうふたりは永遠に愛しあうしか道はなかった。
そして天はふたりの誓いを全うさせた”

J.J.ルソーは
個人的には
感性と倫理のひとであります。
そしてそれが
卓抜していたが結えに
この告白録はそのままに懺悔録となり
此処でのテクスト
選び取るランゲージに
抑制が効かなかったようにも思えてならないんですね。

反骨のアウトサイダー
では言葉が重複していますが
それでも敢えて
私にとってのルソーは
そんなイメージなんです・・

失意のうちに世を去り
世界の片隅・・
ポプラの島にひっそりと埋葬されたルソーでありましたが
その後、社会から正当な評価を受け
遺骨はパリ、パンテオンに移され
ヴォルテールと共に眠っています。
ロベスピエールが凄惨な処刑を受けたその後のことでした。

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そして
レマン湖の畔
ルソー島の深い樹々のもとに
静かに立つルソーの銅像は
今日も
夕陽に映え
耀いていることでしょう・・・。

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テーマ : 哲学/倫理学
ジャンル : 学問・文化・芸術

私的文学論Ⅲ~矛盾の法則~ヘルマン・ヘッセ~車輪の下/春の嵐/デミアン~トーマス・マン/魔の山~ゲーテ/ヴィルヘルム・マイスターの修行時代~エッシェンバッハ~ヘルダーリン~ノヴァリース/青い花~ビーダーマイヤー

海を見に行きました
本も持たず
ただ
ひたすら
太平洋を眺めていました。

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早春と呼ぶには春まだ浅い2月の朝陽は
限りなく穏かで
優しくて・・・

波間から
溢れくる豊饒な揺らめき
その美しさに
小さなときめきさえ覚え
たゆとう光と影の舞踏に酔わされます

危うく引き込まれそうになるのを
避けるように
鳶色のソファー奥深くに
身を委ねます
注意深く・・・

ゆっくりと
確かな傾きを見せる
暖かさに満ちた光の帯が
果てしのないような空を
オレンジに染めてゆきます

ともすれば見過ごしてしまいそうな
大切な想いと
深い洞察を湛える夕陽の煌めき

午後の柔らかな放射は
迷いに蹲る私をも
静かに包み込んでくれました・・・。



儚さと永遠性を交錯させる海のなかに
矛盾の普遍性を思います。

私たちは
矛盾の軛から逃れることはできない

何事も思う通りになんてゆく筈もなく・・・


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あらゆるものの発展過程に
そのプロセスの総てに
矛盾の運動は存在するということ。
そしてまた
矛盾は相互に依存し
抗衡します。
ですがこの相克こそ
対象を成熟させてゆくものに他ならないんですよね。


思考の領域でもそれは同じで
私たちは
自己を解決してゆく過程で
矛盾が避け得ないものであると思い知らされます。
そして
時に不条理となって
私たちの前に立ちはだかります。
然しながら
社会を構成する
私たち各々が持ち合わせている処の概念
その差異とは
客観的矛盾の投影とも看做される訳で
この客観的矛盾が、
主観的な思索に投影され
概念に矛盾運動を呼び起こし思想の発展を促す
言い方を変えれば
矛盾を解決せんとする思想的相剋なくば
人がひと足る意味の停止にも繋がりかねないとも言えそうです。

こうした矛盾の原点に
時代の価値観にさえ立ち向かい
真摯に向き合った作家のひとり
ヘルマン・ヘッセ。

先日の記事で彼が
”自分自身へ至る”道を模索し続けた書として
”デミアン”をご紹介させて戴きました。
ですがこちらは
ヘッセの孤独で深淵な精神世界が克明に描かれており
無作為にこの一冊を手にして
作者の意図をすんなり飲み込むには
確かに難解な類の書であったように思います。

今日は主に
この書を読まれた方に向けて
ささやかな考察を綴らせて戴きます。


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テーマ : 哲学/倫理学
ジャンル : 学問・文化・芸術

私的文学論Ⅱ~翻訳文学~ノーベル文学賞/ハイゼ/星を覗く人~川端康成/サイデンステッカー~ダムロッシュ~村上春樹


ーー君は僕のものでないにしても
       僕はやっぱり君のものだーー

100816.jpg

夜は時々良い分別を教えてくれるからね
星のことに通じると
地上のこともそれだけよくわかる・・
~星を覗くひと/ハイゼ

ドイツ初のノーベル賞受賞作家パウル・ハイゼ
ベルリンに生まれ
19世紀ドイツにおいてシラー文学賞をも授与された文豪ですが
彼もまた世間の毀誉褒貶に翻弄されたひとりでありました・・。

こちらは、このブログを通じて贈られたたくさんの
素敵なメッセージのなかで
ご紹介戴けた作品です・・。
このWEB世界で,
この小説の存在を教えてくれた
彼に巡り逢わなければ
この作品を知ることもなかったかと思うと
感謝の気持ちでいっぱいです。
そして
眠れない夜に
読ませて戴きましたので
ここにご報告致します・・。


冒頭の科白が
深く
暖かく
優しく
柔らかな時間と重なり
胸に溶けて・・・
そして
涙に変りました・・。


説明は
不要かと思われます。



**************************************



翻訳文学の大切さを
改めて感じさせてくれたそんな作品でもありました・・・。

原作者の意図さえ取り違えられているような
拙訳が散見される翻訳文学にあって
蓋し名訳・・・。

海外文学は
原書で読まない限り
翻訳に頼るしか手立てがありません。
いえ、仮に
ドイツ語、フランス語、ロシア語
その総てに精通していたとして
それでも
言葉の還元だけでは、追いつかないものがあまりに多くて・・
それは
その国の精神風土であり
政治風土・・・時に
文芸に音楽、美術・・・風習や風潮、さらに社会構造、宗教に及ぶまでありとあらゆる
人間生活の表現への了解がなくてはなりません・・
そうしたもの総てを包括して
初めてほんものの翻訳が成立するんですよね・・・。
ですから
海外文学に接する以上
翻訳文学はその通過儀礼的ジャンルと謂えるのかもしれません。
そしてさらに
そこには
原作者が選び取ったテクストへの
徒ならぬ想いがあり
また翻訳者のフィルター(感性・技量)抜きにも語れません。
こうした大変に複雑な要素を孕む
翻訳文学を対象にした
比較文学、比較文化論という視点から
その陥穽への考究がいかに為されようとも
村上春樹氏が謂われる通り
ーー翻訳はあくまで近似値ーー
でありそれ以上には、なりえないんですよね・・。
(彼はそれを意識し(すぎ)ているからこそ
例によって英語の直訳のような文体なのかナ
なんて思ってみたりもしています)
で、ノーベル文学賞にからむ文学は
洩れなく翻訳文学といって過言ではないようです。
というのも
英語、スウェーデン語に翻訳されていないものは
その選考対象にすらならないのですから。

ノーベル賞の必須条件は第一に
”優れたスウェーデン語に翻訳されていること”
なんて
実しやかに囁かれるのも強ち外れてはいないんですよね。

文学と翻訳の関係では
川端康成氏が
訳者のサイデンステッカー氏へ向けたメッセージ
”私が戴いたノーベル賞の賞金の半分はあなたが受け取るべきです”
は、象徴的なエピソードだと感じています。

日本では、明治維新
学術文書に始まった翻訳文学ですが
往時の国家事業とも謂えるこの明治期の翻訳をして
それが現代の日本語を創ったと謂われるのも解らなくはないんですね。
漱石、鴎外を初めとして文豪とされる多くの優れた日本の文学者たちは
西洋文明をも広く学び見識を高めました。
外国文学の翻訳は近代日本文学の形成に
測り知れない影響を齎し
日本の近代文学は西欧文学をモデルにして初めて
独自の文学世界を構築できたとも謂えるものでしょう・・。

かのダムロッシュは
世界文学とは、そのまま翻訳文学である
とまで言い切っています。

”良い翻訳で豊かになるものこそ世界文学”だと。
彼曰く
”翻訳して通じなくなるものは、国民文学、地域文学でしかない”
ということらしいんですね。
確かに多くの文学が
翻訳ゆえ
後世に残ったこともまた事実でありましょう。

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訳されて尚豊かである書
それが
世界文学の世界文学足る所以かもしれません・・。










テーマ : 語学の勉強
ジャンル : 学問・文化・芸術

私的文学論Ⅰ~ヘッセ/車輪の下/デミアン~ゲーテ/ファウスト~ユーゴー/レ・ミゼラブル/’93~デュマ/モンテ・クリスト伯~ドストエフスキー/カラマーゾフの兄弟/罪と罰~トルストイ/復活

130114-2.jpg


思想文化学科での最初の講義時に贈られた
恩師からのメッセージ

文学で
時代を反映していないものはありません
ですから
作品の社会的背景を視野に入れて対峙するように
それを疎かにすると
作者の意図を読み誤りますーー

そんな教えのもとに
私の読書の季節は巡ってゆきました
そして感じたこと
それは
偉大とされる文学には必ず
社会に対する深い洞察が含まれているということ。

社会とは・・
文化、文明とは・・
国家とは・・・
その先に在る真理を求めて
先人達が実相を掬いとって記したテクスト
それは、私達が模索する対象への示唆に富んだ
豊かな学びの宝庫であります。

ゲッティンゲンで文学研究を望んだゲーテに対し
出世を諭す父の意向に従い
ライプツィヒ大学の法学部に進むことを余儀なくされたゲーテ
(ライプニッツやメビウスらが教鞭をとったという歴史あるこの大学は
ニーチェにワーグナー、シューマン、日本からはノーベル物理学賞受賞者朝永振一郎氏も学んだという舎です)
専門が法となったゲーテは裁判にも関わり
そこで彼は
法制度を懐疑的に見るようになります。
そしてその死刑制度への忿懣こそが
ゲーテをして
”ファウスト”執筆の原動力の一翼を担わせたと謂っても過言ではないでしょう
そして
この書物は
ヨーロッパで最初に“死刑”問題に切り込んだそれでもありました。

良く知られる
ユーゴーの”レ・ミゼラブル”や
晩年の集大成ともいえる”九十三年”
この’93はフランス革命の真直中。
バルザックが”恐怖時代の一挿話”に著し
アナトール・フランスが”神々は渇く”に描き出した
あの1793年でありますが
軍事裁判の問題提起で小説は締括られています。

またデュマの”モンテ・クリスト伯”さらには
トルストイの”復活”なんかも司法裁判からの導入ですね。

ドストエフスキーに至っては
”罪と罰”の主人公ラスコーリニコフが受ける法の裁き、また
”カラマーゾフの兄弟”でのクライマックスは裁判の議事録のようでもありまして。
(こちらテーマは神ですが・・)

このように文豪たちは
時に作品の基底に法を置いてきました
それは
社会が本来在るべき姿に適っているかどうか
法の在り方を透徹に分析することによって
社会のひずみが浮き彫りになる
そんな側面がひとつあることを早くから感じ取っていたからかもしれません。
そして
法の名のものとに
人が人を裁くこと
人が人の命を握ることへの
根源的な問題を改めて考究する姿勢も見て取れます。

ルソーの懺悔録ではありませんが
碩学の文学者たちは
人文主義的文脈にあって
(自身の内面を掘り下げそれが私小説的である中にも)
弛まず冷徹な視線で
社会の不条理を
国家的矛盾を抉り出し
それを読み手の私たちに
問題提起し啓蒙せんとする
それなくして文学は文学足り得ないと・・・。

対象が依拠する処の根本法則があり原理が在る
そんな普遍的価値を内包する偉大な文学
それは
社会の本質を見極める能力を養うに
有効な手段のひとつには違いないものでしょう。

例えばヘッセ
彼の著作に”車輪の下”があります。
中学校の国語の教科書にも採択されている
名作中の名作です。
そしてこの書は単なる
機械暗記による知識重視傾向的教育への批判の書
ではないんですよね・・
(単純に是を否定しまえば必要最低限の”成熟度”に届かない
 という”ゆとり教育”の弊害と繋がりかねません・・)

大人たちの硬直的思考に
抗うべき知恵も力も持たない少年が
誤った方向性に導く教育制度に
押しつぶされる悲劇
その背景にあるもの
ヘッセが真に憂慮し危惧したのは
ドイツ国家のナショナリズムであり
ミリタリズムであったことでしょう。

教育本来の目的
多様な価値観を認め
こどもたちひとりひとりがそれぞれに
個性豊かな幸せを掴み取る道筋を付ける教育でなく
国家の役に立つ為の人間教育への批判であり
さらに言えば
国家暴力への批判であったものでしょう。

これはヘッセの生きた時代
その背景を鑑みるに明かなことなんですね。
まさに帝国主義全盛の時代であり
ドイツが世界一の軍事国家になるためにこそ
教育に心血を注いでいた時代なんですね。
その国家主義的教育傾向を
痛烈に批判したのがこの小説
”車輪の下”で在った訳です・・。

その後の
ナチズムに代表される常軌を逸したヒトラーの演説に
あのように結集したドイツ国民の異常なまでの熱狂を知った時
学びの途にあった私も率直な驚きを持ちましたが
時代の教育の在り方に思いを致せば
起こるべくして起こったとも謂えるのかもしれません。

時に時代の価値観は恐ろしい刃となる
そして教育はこんなにも重く
尊いものであると
それに早くから警鐘を鳴らし続けたそのひとりが
ヘッセでありました。

(あの時代に在って
国民の多くがヘッセの真意に思いが至っていれば・・・
もしかしたらその方向性も違ったものになっていた可能性を否定できない以上
読書力や読解力は必要不可欠の能力と言えなくもありません)

ですからこの書は
優れた人間性を求めるに
優れた教育なくば
それは為し得ないことを礎に
世界の精神的融和を目指す
超一流の思想書でもあるんですよね・・。

教育が変われば
社会は変って行くものでしょう。

また(ターシャにも通ずる自然を愛する)ヘッセと云えば
その心の深淵を精緻なまでに描きだした
”デミアン エーミール・シンクレール少年時代の物語”
所謂”デミアン”が想起されます

ー総ての人間の生活は、自己自身への道であるー

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どんな人も完全に彼自身ではなかったと・・。
結え、
銘々が、それぞれに皆
自分自身になろうと努めている
とするヘッセの思考ロジックに習い
今日も自分を探し求めます・・・
自身はどうなのか
どう在るべきか
どう在らねばならないか
どう在ろうとしているのか
そしてそれは
また日々の活動(学び)とともに
ひとときとして同じ場に留まってはいないんですね
であれば
ここに終わりなど見いだせる筈もなく・・

ーー自分自身を知ること
    追い求めることそのものが人生であるーー

とするヘッセの理念
胸に沁みます・・・。









テーマ : 哲学/倫理学
ジャンル : 学問・文化・芸術

ターシャ・テューダー/スローライフ~バーナードショー~ソロー/アメリカン・ネイチャーライティング

ーーすべての不幸は幸福への踏み石ーー

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1800年代
開拓時代の農村の生活に学び
アメリカはバーモント州の小さな田舎町マールボロで
季節の花々を育て
スローライフな生活を送った
ターシャ・テューダー
一人暮らしの米国の作家でありガーデナー
彼女のライフ・スタイルは
限りなくフロンティア的でありました・・。

お庭で育てた果実でジャムを作り
薪オーブンでお菓子を焼く
薫り高いストロベリー&ルバーブのパイに
甘酸っぱいラズベリーパイ
採れたての林檎からのアップルサイダーを貯蔵して
日課は山羊の乳搾り。
手作りのキャンドルを灯し創作活動をする・・・
お料理やティータイムのための
タイム、セージ、ローズマリー、バジルに
ミントにカモミールそしてレモンバームなど
ハーブ摘みにも大忙しです。
そんな彼女のお料理の秘訣は
”近道を探さないこと”

相棒は仲良しのコーギー
そしてチャボのチカホミニーは目覚まし時計係です!
オウムにカナリア、フィンチにインコ、ムクドリ、ハチドリ、ハトに
カラスも懐いて共に暮らしたといいます。

暖炉の辺には年輪の刻まれたロッキングチェア
窓際の古びた机には
花や豆のツルを挿した硝子の器
周囲には野原から取ってきたばかりの草花や木の実が佇みます。
手入れの行き届いた質素な室内に
暖かな陽差しがそっと差し込み
古い道具を大切につかう優しさに満々ています。

冬は朝いちばんに
薪ストーブに火を熾す
糸を紡ぎ布を織り編み物をする
手作りの小花模様の仕事着で
季節には夕暮れまでの大半を草花の手入れに費やしたというターシャ。
束の間の休息は
鄙びる樹々に包まれるこの古民家の庭先
その小さなポーチでティータイム
心充たされるほんもののスローライフが
そこには在りました・・。

こうしたターシャの暮らしの場は
コーギー・コテージと呼ばれ
野の花々の咲き乱れる草原が
そのまま自然の玄関です

三十年前の樹々
ーー外は雪、寒くて静か・・・
家の中は暖かくクリスマスの喜びでいっぱい。
これほど充ち足りた気持ちになれることが、他にあるかしらーー
静けさとしての冬を愛し
雪のコテージガーデンの下には春の楽しみ
眠る草花の息吹
カノコソウ、シャクヤク
曾おばあちゃまからもらったというタチオイ アイリス バイオレットグラス
秘密の花園には、桜草、羊歯、ツル薔薇、勿忘草
輝きの季節 june
新緑のパステルグリーンに花が舞う
薔薇の花が終わっても青々とした葉を存分に楽しむというターシャ
枯れ草や、木の下に散らばったどんぐり
落ち葉の下の種を探す小鳥のさえずりを愛し
朝陽の眼差し
風にゆれる小枝が彼女の心を充たします。

それぞれの季節に
それぞれの美しさと
やるべき仕事がある・・・

人生をバケーションのように過ごしたターシャは
毎日のひとときひとときを心行くまで堪能します

夏の午後なら
戸外に折りたたみ椅子を出して
冬の夜なら、暖炉のそばで・・・

思うとおりに歩めばいいのよ
楽しみは創り出すものよ

生きていることを楽しまなくちゃ

光溢れる自然を存分に感受するターシャ
そんな彼女の美しい精神を通過して
溢れ来る輝きのメッセージ

世の中にある良いこと、
楽しいことことをつかむ努力をしてほしいわ
何もしなければ、何も生まれないって

価値のある良いことは
時間も手間もかかること

辛抱することこそ
大きな夢をつかむこと

今この時を
精一杯生きること

どんな瞬間にも、生きていることの喜びを感じとること

夢を 実現するには忍耐が必要よ

天は自ら助くる者を助く
と言います
努力とやる気があれば、
奇跡も起こせると信じます
人生でいちばん大切なことは
これ
心の充足です

美しいものに包まれる幸せ
自然と調和する歓び
そしてその歓びは
創り出すものというターシャ
樹々を愛し花を愛で動物を慈しむ
そんなターシャの人生のパートナーは
最期のときまで自然でありました・・・。

バーナード・ショーの言葉
ーーこの世で成功するのは、
    ひとり立ち上がって自分の望む状況を探しに行くひと
       見つからなかったら自身で創り出す人であるーー
を座右の銘に生きた彼女は
思想家ソローにも傾倒します。

効率一辺倒、物質主義を危惧し
原初的スタンスで質素さに美を見出す
恰も日本の詫び寂びに通じる美しい概念がここには息衝いています。
ロマン主義のお隣に位置するネイチャーライティング
ですが
自然に対する科学的分析或いは理論的観察と謂う点でそれとは
似て非なるものがあります。
アメリカン・ネイチャーライティングの祖とされ
マサチューセッツ州の
コンコード郊外ウォールデン湖のほとりで
自給自足の暮らしを実践したソロー
その著作に
”ウォールデン 森の生活”がありました

私たちに創造することの素晴らしさを教えてくれる
ターシャがソローから学んだことそれは

ーー夢に向かって勇気と自信を持って邁進し
    思い描いた人生を実現しようと努力するなら
          思わぬ成功を手にするだろうーー


”挑戦を怖れるということほど怖れるべきものはない”
とするソローからの
学び・・・



ーー人は死の間際になってはじめて
        本気で生きてこなかったことに気付くーー

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※ーこころは一人ひとり違います。
その意味では、人はいつも”ひとり”なのよー
凛として心強く生きたひと、ターシャ・テューダーは
若き頃から華やかな社交界より農場を好んだといいます。
彼女の暮らしたバーモンド
フランス語で”緑の山”
世界中のガーデナーが憧れるという
地上の楽園ナチュラルガーデンに生き
そして
手を伸ばせば届くテーブルに絵の具や絵筆を置き
窓辺に画板を載せて描き続けた彼女の軌跡・・。

余談になりますが
『マザー・グース』でコールデコット賞次点
『1 is One』でコールデコット・オナー賞
『コーギービル』シリーズにオルコット著『若草物語』の挿絵
そしてその児童文学に対する貢献に対しリジャイナ・メダル賞
バーモント大学からは名誉博士号を贈られていました。

その名”ターシャ”は読書家のお父様が
戦争と平和のナターシャを気に入って
付けた愛称だったとか・・・














テーマ : 家庭菜園
ジャンル : 趣味・実用

プロフィール

saki

Author:saki
sakiと申します。
ご訪問ありがとうございます。
横浜の小高い丘の上で
no music(baroque)no lifeな暮らしをしています。
よろしくお願い致します。

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