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私的文学論Ⅰ~ヘッセ/車輪の下/デミアン~ゲーテ/ファウスト~ユーゴー/レ・ミゼラブル/’93~デュマ/モンテ・クリスト伯~ドストエフスキー/カラマーゾフの兄弟/罪と罰~トルストイ/復活
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思想文化学科での最初の講義時に贈られた
恩師からのメッセージ

文学で
時代を反映していないものはありません
ですから
作品の社会的背景を視野に入れて対峙するように
それを疎かにすると
作者の意図を読み誤りますーー

そんな教えのもとに
私の読書の季節は巡ってゆきました
そして感じたこと
それは
偉大とされる文学には必ず
社会に対する深い洞察が含まれているということ。

社会とは・・
文化、文明とは・・
国家とは・・・
その先に在る真理を求めて
先人達が実相を掬いとって記したテクスト
それは、私達が模索する対象への示唆に富んだ
豊かな学びの宝庫であります。

ゲッティンゲンで文学研究を望んだゲーテに対し
出世を諭す父の意向に従い
ライプツィヒ大学の法学部に進むことを余儀なくされたゲーテ
(ライプニッツやメビウスらが教鞭をとったという歴史あるこの大学は
ニーチェにワーグナー、シューマン、日本からはノーベル物理学賞受賞者朝永振一郎氏も学んだという舎です)
専門が法となったゲーテは裁判にも関わり
そこで彼は
法制度を懐疑的に見るようになります。
そしてその死刑制度への忿懣こそが
ゲーテをして
”ファウスト”執筆の原動力の一翼を担わせたと謂っても過言ではないでしょう
そして
この書物は
ヨーロッパで最初に“死刑”問題に切り込んだそれでもありました。

良く知られる
ユーゴーの”レ・ミゼラブル”や
晩年の集大成ともいえる”九十三年”
この’93はフランス革命の真直中。
バルザックが”恐怖時代の一挿話”に著し
アナトール・フランスが”神々は渇く”に描き出した
あの1793年でありますが
軍事裁判の問題提起で小説は締括られています。

またデュマの”モンテ・クリスト伯”さらには
トルストイの”復活”なんかも司法裁判からの導入ですね。

ドストエフスキーに至っては
”罪と罰”の主人公ラスコーリニコフが受ける法の裁き、また
”カラマーゾフの兄弟”でのクライマックスは裁判の議事録のようでもありまして。
(こちらテーマは神ですが・・)

このように文豪たちは
時に作品の基底に法を置いてきました
それは
社会が本来在るべき姿に適っているかどうか
法の在り方を透徹に分析することによって
社会のひずみが浮き彫りになる
そんな側面がひとつあることを早くから感じ取っていたからかもしれません。
そして
法の名のものとに
人が人を裁くこと
人が人の命を握ることへの
根源的な問題を改めて考究する姿勢も見て取れます。

ルソーの懺悔録ではありませんが
碩学の文学者たちは
人文主義的文脈にあって
(自身の内面を掘り下げそれが私小説的である中にも)
弛まず冷徹な視線で
社会の不条理を
国家的矛盾を抉り出し
それを読み手の私たちに
問題提起し啓蒙せんとする
それなくして文学は文学足り得ないと・・・。

対象が依拠する処の根本法則があり原理が在る
そんな普遍的価値を内包する偉大な文学
それは
社会の本質を見極める能力を養うに
有効な手段のひとつには違いないものでしょう。

例えばヘッセ
彼の著作に”車輪の下”があります。
中学校の国語の教科書にも採択されている
名作中の名作です。
そしてこの書は単なる
機械暗記による知識重視傾向的教育への批判の書
ではないんですよね・・
(単純に是を否定しまえば必要最低限の”成熟度”に届かない
 という”ゆとり教育”の弊害と繋がりかねません・・)

大人たちの硬直的思考に
抗うべき知恵も力も持たない少年が
誤った方向性に導く教育制度に
押しつぶされる悲劇
その背景にあるもの
ヘッセが真に憂慮し危惧したのは
ドイツ国家のナショナリズムであり
ミリタリズムであったことでしょう。

教育本来の目的
多様な価値観を認め
こどもたちひとりひとりがそれぞれに
個性豊かな幸せを掴み取る道筋を付ける教育でなく
国家の役に立つ為の人間教育への批判であり
さらに言えば
国家暴力への批判であったものでしょう。

これはヘッセの生きた時代
その背景を鑑みるに明かなことなんですね。
まさに帝国主義全盛の時代であり
ドイツが世界一の軍事国家になるためにこそ
教育に心血を注いでいた時代なんですね。
その国家主義的教育傾向を
痛烈に批判したのがこの小説
”車輪の下”で在った訳です・・。

その後の
ナチズムに代表される常軌を逸したヒトラーの演説に
あのように結集したドイツ国民の異常なまでの熱狂を知った時
学びの途にあった私も率直な驚きを持ちましたが
時代の教育の在り方に思いを致せば
起こるべくして起こったとも謂えるのかもしれません。

時に時代の価値観は恐ろしい刃となる
そして教育はこんなにも重く
尊いものであると
それに早くから警鐘を鳴らし続けたそのひとりが
ヘッセでありました。

(あの時代に在って
国民の多くがヘッセの真意に思いが至っていれば・・・
もしかしたらその方向性も違ったものになっていた可能性を否定できない以上
読書力や読解力は必要不可欠の能力と言えなくもありません)

ですからこの書は
優れた人間性を求めるに
優れた教育なくば
それは為し得ないことを礎に
世界の精神的融和を目指す
超一流の思想書でもあるんですよね・・。

教育が変われば
社会は変って行くものでしょう。

また(ターシャにも通ずる自然を愛する)ヘッセと云えば
その心の深淵を精緻なまでに描きだした
”デミアン エーミール・シンクレール少年時代の物語”
所謂”デミアン”が想起されます

ー総ての人間の生活は、自己自身への道であるー

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どんな人も完全に彼自身ではなかったと・・。
結え、
銘々が、それぞれに皆
自分自身になろうと努めている
とするヘッセの思考ロジックに習い
今日も自分を探し求めます・・・
自身はどうなのか
どう在るべきか
どう在らねばならないか
どう在ろうとしているのか
そしてそれは
また日々の活動(学び)とともに
ひとときとして同じ場に留まってはいないんですね
であれば
ここに終わりなど見いだせる筈もなく・・

ーー自分自身を知ること
    追い求めることそのものが人生であるーー

とするヘッセの理念
胸に沁みます・・・。









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テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2013/02/03 16:28 】

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