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J.J.ルソー/告白/社会契約論/エミール~アウグスティヌス/パスカル~デカルト/トルストイ/カント~スタンダール~三島由夫/島崎藤村/太宰治
1765年晩秋
セピアの木立に包まれるビエーヌ湖に浮かぶ
サン・ピエール島で
J.J.ルソーが最後に見出した光
それは
”ファル・ニエンテ”
されど
尊き”ファル・ニエンテ”

”大いなる無為”でありました。

DSC_0753.jpg

フランスの精神的指導者とされ乍
誤解と誹謗そして彼の不器用さも助長し
社会から追放され
絶望の淵に立たされたルソー
行き場を失った人間の彷徨
それは己が人生への旅
永き魂の散策となります。

残されたる道が
自己探求の他になかったというルソーの”総括”
彼の生涯
終わりの始まりでもありました・・。

傷痍のアイデンティティー
その癒しの場はそのまま
閉ざされた自己の内部空間(監房)
ですが
そこには
縦横無尽に飛翔する言詞が・・
そして
人間の真実が浮かび上がります。

とりまく空間そのもの(宇宙)を監房 とし
それを超越するのは
人間の理知であるとしたパスカルの世界観とは
一見して対照的なようですが
私はここに類洞を覚えます。
神の栄光を湛えたアウグスティヌス”告白”との
根本的差異とともに・・・。

スタンダールの代表作”赤と黒”での
主人公ジュリアン・ソレルの青年時代の愛読書は
こうしたルソーの”告白”でした・・

17才でナポレオンのイタリア遠征に
後にロシア遠征にも従軍したという特異な経験を持つスタンダールが
ナポレオン失脚後に王政復古を果たしたブルボン朝時代の
フランス社会の実相を描いた”赤と黒”
この作品は
ルソーの自伝とも謂える”告白(懺悔録)”をモチーフに
構成されていました。
(同じくスタンダールがイタリアを舞台にした”パルムの僧院”は
学生時代私のバイブルでもあった書物なんです^^)

栄光を手にしたかに見えたルソーは後に
ルター、デカルトと共に
ヨーロッパの病める魂とも揶揄され
謂れなき評価が付き纏います。

そんな彼の絶筆となった
”Les confessions”(告白)

近代社会思想のパイオニアであり
フランス革命の父ともされるルソー晩年のこの書が
告白文学最高峰と見做されるその所以とは・・。

例えば若き藤村が、英語訳の”告白”に邂逅しなければ
”社会の軛から逃れ生を見つめること”を
そこから学ばなければ
あれほどの作品
”破戒””新生”は日本文学史上には
誕生していなかったかもしれません・・。

また
”告白”のルソーの孤独を想うと
三島由紀夫の”仮面の告白”の導入が想起されてくるんですね

”風景”は孤独のなかにあって初めて
内面的状態と緊密に結ばれ浮かび上がる
という論理です。

眼前の他者には至って無関心となり
”inner man”(内的人間) と成り得た上で
哀しくも美しい風景が見出される状況・・・

”風景”とは時に
精神的に社会の外に或る人間こそが
最も強く深く感じ取るものである・・・
といった捉え方なんですね。

”告白”が誕生した往時
こうまで美しき自然描写が他にあったものでしょうか
ルソーが自然美を見出したその理由
この辺りは
私自身、心が震えるほど共感した処でありまして・・・

デカルトが
自己の発見には
同時に”非自己としての風景”の発見があるとし
これは
内なる自己の確立に他者の排除が伴う以上
それは他者性を欠いた孤独なものでしかありえないとした
そのことにも通じる何ものかはあるでしょう。



自由に生まれた人は、その後社会の枷につながれるーー

ルソーはこの”枷”を解き放つために”社会契約論”を著したんですよね
そうして
鎖につながれ行く前の
自由な状態にある幼い魂をして
彼らを教育することにより
鎖を解き放とうとしたルソーの試みが
教育論”エミール”でした

ひとが社会に飼い慣らされないために
枷を掛ける当時の教育を
徹底して批判し続けたルソー。
知識を詰め込むのでなく
さりとて無知でなく
能動的に幅広い知を得て
そこから真理を見抜くチカラを培おうとする教育。

現代においては教育論の古典であり
ルイ15世代の当時にあっては
革命的思想であった訳です。

時代背景を鑑みるに
フランスを中心にした絶対王政を支える概念”君主主権”全盛の時代です
そうした社会観の内側から
政治の決定権は人民に在るとし
”国民主権”を打ち立てたルソーの先見性こそが
フランス啓蒙思想となり
現代の民主主義(普通選挙制)の母体となった
そしてそんな彼の思想を支えた根本理念は
”時代の価値観からの解放”でありました。

個人の価値観を尊重しようとする近代的自叙伝は
ルネッサンス期に一部(チェルリーニ自伝)見られますが
こうまで個の全存在を提示しながら
背後に社会的意義を際立たせた作品(ルソー自身も記しているように)はなかったように思います。
これこそが権力のアウトサイダーたるルソーの魅力であり
革命的思想の源ともなったパワーのルーツであったものでしょう。

ルソー12歳でカントが生まれ、
15でニュートン他界
ヒューム、ディドロとはほぼ同期で
告白を手掛け始め時を同じくして
ナポレオンが、ベートーヴェンが
シャトーブリアンが生まれている
また
アメリカは独立宣言の最中にあり
ルソーの死後、”告白”の最終章が出版されたのは
フランス革命の真只中でありました。

そしてカントもヘルダーリンも
帝政ロシアの作家トルストイさえも
ルソーの存在なくば語りえないのかと・・。


ーー最後の審判のラッパはいつでも鳴るがいい。
わたしはこの書物を手にして最高の審判者の前に出て行こう
  これがわたしのしたこと、
     わたしの考えたこと、
        わたしのありのままの姿ですーー

そして続けます。

永遠の存在よ・・・



ここで
ルソーは自身の生を
”悲しい結実”と記しています。
その理由は
”わたしが生まれたために母は死んだ”から・・

”こうしてわたしの誕生はわたしの不幸の最初のものとなった”

そしてルソーは
ご両親の馴れ初めをこう書き残しているんですね。

”真の共感、心の一致・・・
ふたりとも持って生まれて優しく感性豊かで
通じ合える心の持ち主と巡り合えるその日が
必ずや来ると信じひたすら待っていた。
というより寧ろ
この出逢いの方こそがふたりを待っていた。
いかなる障害があっても
もうふたりは永遠に愛しあうしか道はなかった。
そして天はふたりの誓いを全うさせた”

J.J.ルソーは
個人的には
感性と倫理のひとであります。
そしてそれが
卓抜していたが結えに
この告白録はそのままに懺悔録となり
此処でのテクスト
選び取るランゲージに
抑制が効かなかったようにも思えてならないんですね。

反骨のアウトサイダー
では言葉が重複していますが
それでも敢えて
私にとってのルソーは
そんなイメージなんです・・

失意のうちに世を去り
世界の片隅・・
ポプラの島にひっそりと埋葬されたルソーでありましたが
その後、社会から正当な評価を受け
遺骨はパリ、パンテオンに移され
ヴォルテールと共に眠っています。
ロベスピエールが凄惨な処刑を受けたその後のことでした。

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そして
レマン湖の畔
ルソー島の深い樹々のもとに
静かに立つルソーの銅像は
今日も
夕陽に映え
耀いていることでしょう・・・。

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テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2013/02/16 22:09 】

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