さくらの季節に愛した街~エストリル Ⅴ
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きっとね

私は

あの記憶(とき)に

生かされているんだろうと

思うの・・・


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だから・・

どこへでも飛べる

どんな色にも染まる















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【 2013/03/31 10:20 】

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桜の季節に愛した街~エストリル  Ⅳ
DSC_0045.jpg


決して

カタチにはしない


包み込むような

あなたの優しさ

好きだった


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いつの日も

想いは空に溶け

花色にふれて

揺蕩う・・・



























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【 2013/03/29 18:06 】

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桜の季節に愛した街~エストリル Ⅲ
ずっと

一緒にいられたよね

きっと


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もう少し早く

出会えていたなら・・・



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さくらのはなびらから

あなたのぬくもりが伝わる

いつのときも

空の水色に

あなたの声が聴こえる

謂えなかった言葉の欠片が

今日も

エストリルの風に舞う




























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【 2013/03/27 08:29 】

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桜の季節に愛した街~エストリル Ⅱ
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どんな困難にも

真っ直ぐに向き合う

そんな

強さをくれたのは

あなただった・・・



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一回性に対峙することでしか
生の充足感は得られない
こうした見解、あるようですが
その潔さが
好きです。

心充たされることが
目的になってしまうと
やがて
虚しさが・・

大切なのは
いつの時も
今ここにある想い
この
時の流れのなかに・・。

真理を踏まえ
尚、凛と在る
ストイックな生き方に魅かれます・・・。












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【 2013/03/25 12:55 】

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桜の季節に愛した街~エストリル Ⅰ
DSC_0425.jpg


空のblueを映し出して

透き通る

淡きさくら色に

想いを重ねます



”あの記憶・・・” が

”今” を創るから。



何故か、恋は哀しみを引き寄せますが

その胸の痛みは

勇気あるひとにとっての

積極的機能を

内包しているように

思えてなりません・・・。


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ダンテにゲーテ
ベートーヴェンにショパン
クリムト、ココシュカ・・・












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【 2013/03/23 14:08 】

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さくら・・・あなたへ
季節はめぐり
さくらが辺りを包み込む瞬間(とき)


控え目な花色が

風に揺れて

優しさが香ります


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想いを抱きしめて

しなやかに

たおやかに

空(くう)を舞うさくら


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儚さこそが

美しさの原理であること

教えてくれているのでしょうか・・・
















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【 2013/03/21 17:20 】

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赤レンガパークのSUNRISE
...

夜明け少し前のYokohamaの空は

少し憂いを含んだ藍色で


DSCN2455.jpg


地平線をオレンジに染めながら

また一日が明けてゆきます・・


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どうか
素敵な一日を・・・
続きを読む

テーマ:ある日の風景や景色 - ジャンル:写真

【 2013/03/19 06:51 】

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私的レ・ミゼラブル論Ⅳ~ユーゴー/シェイクスピア/サン・サンサーンス/フォーレ/ランボー/ヴェルレーヌ/萩原朔太郎/ドストエフスキー
ーー良心の被支配者となり
    弱者への奉仕者となれーー

DSC_0118.jpg

言葉の背後にある
弱き者を慮るユーゴーの精神性が
痛いほどに伝わってくるこのメッセージ。

フランス近代史を紐解いて明らかなように
この時代は教育不毛の時代でありました。

フランス社会の教育改革の方向性は
神の摂理に基づく教育であり
ユーゴーが理想とする”教育の自由”
即ち宗教と教育の分離とは程遠いものでした。
フランス公教育の現場でこれが叶ったのは
1880年代初頭の頃ですから
その時からさらに50年程待たねばならなかったんですね
そしてユゴーは自身の”教育の自由”提案書の実現を
見届けるようにしてこの世を去っています。

ユゴーの”文明論”は、
フランス植民地主義に通じる
との批判もなされているようですが
これは当たらないと思うんですね。
文明社会が陥りがちな排他的閉鎖性と闘い続け
貧しき者たちへの慈しみに満ちた彼の普遍的、愛の精神をみれば
それはもう自明のことですから・・・

ダンテやミケランジェロのような人々にとっての老いとは
成長すること・・・
ユーゴーが語る言葉は
いつのときも深間ですね。
学びに終わりあらば、後は老いるだけ。
それはあまりに淋しいですよね
けれど日々努力のひとで在るなら
必ずやひとつ高みに近付けるものでしょう。

シェイクスピアを敬愛し
サン・サーンスやフォーレの歌曲にもなった
自然で優しげな抒情的作品を多数生み出したユーゴーがいる一方
社会の矛盾から目を逸らさず
深淵な思想性を投影し重厚な世界観を描き出したユーゴーがいた

パリの憂鬱で知られる孤独の詩人ボードレールが
亡命中の彼に献呈した詩片を
”戦慄の創造”として絶賛したユーゴー
そしてボードレールは
ユゴー論の中で詩人ユーゴーをして
”問題を提起し、共に哀しむ,
真実を見抜き、そこから明日への希望を見出す一連の集合的魂”
と評しています。
こちら真に正鵠を射た評でありましょう。

同時代に生きた詩人に
ランボー、ヴェルレーヌらがおり
ユゴーなくば”月に吠える”はなかったと述懐した
萩原朔太郎の言葉の重みを感じます。

また現実の司法制度に懐疑的であり続け
尚も眼光炯々としたユーゴーの
政治的・社会的思想は
同時代に生き死刑囚の立場に立たされた経緯あるドストエフスキーに
多大な影響を与えたと言います
当時にしてシビリアンコントロールや
テロの本質にまで言及した社会への警鐘とその誘因要素・・
卓抜した先見性です。
さらに
人間の絶対的尊厳と無限の可能性を信じ
ひとが本来持ち合わせている愛を基盤に
社会的弱者に救いの手を差し伸べる思い遣りの心の育成
真の人間教育を目指したユーゴー

そうしたスピリチュアリティ(人間性)に魅せられ彼の美しき著作に傾倒していった
学生時代のあの夏の日
来る日も来る日も大学の図書館で彼の篇に明け暮れ
そして翌年の冬旅立った先が
ユーゴーの生きたパリの街でありました・・。

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この作品主人公ジャン・ヴァルジャンは1769年生まれ
ナポレオンとは同い年です。
さらに
彼の運命を決定づける出来事をユーゴーは
悉くナポレオンそのひとにとっての
何らかの節目の年にぶつけているんですよね・・・。

改めて
ペンは強いものだと感じています
遙かなるものそれはペンなり
永遠なるものそれはペンなり
といった処でしょうか。






















テーマ:写真 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2013/03/16 13:39 】

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カント~コペルニクス的転回(パラダイム転換)啓蒙主義/ヒューム~ルソー~オランプ・ド・グージュ /フランス革命~サマセットモーム~
ーー天空に広がる星空と、人間の内なる道徳法則
      私はこの2つに畏敬の念を抱いてやみませんーー

20080102.jpg

こちら
18世紀からのメッセージ
イマヌエル・カント”実践理性批判”結びのフレーズです。

彼は哲学するため自身で語った
コペルニクス的転回により
人間のもつ純粋理性、実践理性、判断力・・・その性質と限界を考察し
ひとは何を知り、何をなし、何を望むか
といった人間学としての根本的疑問を
彼ゆえの慧眼によって
各々”純粋理性批判””実践理性批判””判断力批判”
に総括し世に送り出したんですね。

個人的にカント哲学は
根源的発想を踏まえても
キリスト教の”弁証論”として
始まったように思っています
理性でなく道徳性の中にそれを見出すといった
その考え方・・・
逆に謂えばキリスト教は
それほどまでに哲学的であったと謂えなくもありません。

自然哲学に始まったカント
次なる啓蒙主義ではその脆弱性を見抜き
理性の有限性を主張しました。
尚、ヒュームの経験主義をして
道徳性は必然、実践的理性のうちに普遍的に前提されると説き
彼を超えてゆきます
そして同時にカントは
”知性の拠り所が感性である”ことに至っていなかったプラトンをも
その意味で超えたんですよね・・・

人間への肯定感が弱かったカントの理念ですが
ルソーの”美と崇高の感情に関する観察への覚書”に触れ
彼の追求姿勢は人間への崇敬に裏打ちされるようになり
その後の道徳哲学、人間論は大きく変わって行くこととなります。
ここにルソーの偉大さをも改めて思います・・。

こちら実は
先日来のレ・ミゼラブル論関連のフランス革命に纏わる処にて
お寄せ戴いたMAILのご返信として綴ったものです。

カントの革命観は、革命権を認めていませんでした。
彼の国家理論としては、法の秩序を脅かす暴力は
非倫理的なものとして排除されていたということなんですね。
また、その一方で法を定める者のあらゆる暴力をも批判しています。
さらに、このフランス革命に限定して云えば、
カールフォアレンダーの記にも在りますことを
(詳しくは章を改めねばなりませんが)端的に表すなら
総論(共和主義国家樹立及び周辺国家への影響)賛成、各論(方法論)反対
とでも申しましょうか。
当にユーゴーのそれとして当ブログに展開して参りました彼の論に大変に近しい
という印象を
個人的にはもっています。
これは偶然ということでなく
それらが如何に合理性正当性を有した良識ある見解であったかの
裏付けになろうかとも思うんですね。

そしてこの時代となれば*****さまのおっしゃるグージュ
想起されますよね
解かります・・。

フェミニズム運動の先駆者
フランス革命時の”見事なまでの女性の権利不在”を糾弾した女性。

このオランプ・ド・グージュ
共和主義にありながらもルイ16世の処刑に反対し
反革命の容疑で処刑(革命派の行動が生硬であったことは既出の通り)されているのですが
刑罰原理に限定して謂えばグーシュは
ユーゴーに依った概念であったかもしれません。
一方カントのそれをみるなら
実は彼
一貫して”talio”(同害報復)主義者であったんですね・・

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200年以上も前の何某かを
現在の私たちの価値観で測るのは当らないでしょう・・。
そして
カントが往時ヨーロッパのあの時代背景にあって
最高叡智を有するひとりであったことに違いありません。
学生時代、
サマセット・モームが
彼の純粋理性批判を”抒情的”と受け止め
解放感さえ覚えたと記しているのを目にしたとき
”開放感”というのは理解できたとしても
この書物をどうしたら抒情的と評せるのかと
訝しく感じた記憶があります
しかもその人がカントとは対極にあるような
平明筆致の作家モームであったから尚更でした。
そもそも私はこの”三批判書”に
教授(教師陣)特有の執拗さ(いい意味で)を感じていましたので・・。
同じ事象を説明するのに
多角的に幾度も切り込んできますし
さらに同一対象を示すのに
敢えて言葉を替えて表現しているんですね。
ですからそれと察しが付けばすんなりと意味は取れますが
そうでなくば混乱してしまうといったような
読み辛い側面を抱えている書であったろうかとは感じていました。
確かに同じ単語を繰り返さないというのは
美文の基本ではあるのですが
哲学・思想系の論文でこれをやられると
かなり参ります(笑

改めて鑑みるに
それがパラダイム転換的であればあるほど
否が応でも情熱的に受け止めてしまうでしょうし
しかもやはりカントは美文派
かも・・なんてポジティブに思い直してみたりもしています^^
結えあのモームの印象は鋭かった
ということでしょうか

そして冒頭の言葉
”人間の内なる道徳法則”はそのまま
ルソーに置換できるものである
と私は思っています。














テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2013/03/14 08:54 】

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私的レ・ミゼラブル論Ⅲ~ユーゴー~ヴォルテール/ルソー
ーー最後,唯一の苦難とは
      愛する者を失うことーー

DSC_20130307.jpg

ユーゴーの大作レ・ミゼラブル
作品の背景は
ナポレオン帝政の終わりの始まりから
王政復古期を経た後・・辺りまで。
最中の革命とは
労働者の怒りがピークに達した6月革命
労働者層の闘争のことですか
(実際作品に描かれた場面は1832年のもの)
ユーゴーの意図
その真意が端的に表れていたのが
この革命シーンであったかと
思うんですね・・

そして
この戦いの中で浮彫にされるのが
教育も施されず
手探りで生きてゆく他手立てのなかった若い命が
革命の露と消えてく姿・・・

政府側に回った国民衛兵隊の銃弾が飛び交うもと
そのバリケードの中に在って
少年ガヴロッシュに謳わせた
心の叫びとは。


On est laid a Nanterre,
C’est la faute a Voltaire
Et bete a Palaiseau
C’est la faute a Rousseau

Je ne suis pas notaire,
C’est la faute a Voltaire,
Je suis petit oiseau,
C’est la faute a Rousseau.



歌中のNanterre、Palaiseauは
往時パリ郊外のスラムの名
そして
ここに暮らす自分たちを自虐的に
laid、bete・・etc.であると語らせています。
こちら
無徳であり無識であることのメタファなんですね

成熟した市民の暮らす街ほど暴動は起こり難いものです
それは
その戦いが粛々としていればしているほど
正当性が認められ易いと知っているから。
けれどパリ・コミューンの構成員たちは
そうした初歩的判断力さえ
持ち合わせていなかった。

そして
フランス革命の原動力となった
ヴォルテール(反キリスト教的自由主義)や
ルソー(自然主義)の思想にこそ
民衆の無徳、無識の原因があると謳わせている・・。

ヴォルテールやルソーらのそれは
ひとつ読み誤れば
民衆の心のベクトルが
あらぬ方向に向かってしまう類の繊細な書物であります。

著者の意図を正確に受け取れず
誤った解釈がひとり歩きすることが
如何に危険であるか
そしてそれは無用の衝突さえ誘発してしまうという
一知半解の恐ろしさを描出しているんですね。



ジャヴェル警視をあのような悲劇的結末に導いたのもまた彼であり
古くから偉大な作家、思想家たちが訴え続けてきた
法制度への懐疑、或いは死刑制度への忿懣も
私たちに投げかけています。
また、規律無き自由、教育環境の不備、不定住性(スラム貧民層)
そうした悲惨が文明の対極にある忌むべき現実である
と断罪したのが
この作品”レ・ミゼラブル”であったんですね。

そして彼は非文明的彼等が
如何に”共和政”を声高に叫ぼうと
理念なき革命運動は
文明化社会への単なる暴挙(テロ)にしか成り得ないと諭し
留めとしてガヴロッシュを
エポニーヌを痛ましくも銃弾に倒します。
(最後,唯一の苦難とは愛する者を失うこと・・)
それは
智慧無き暴動は犠牲を拡大させるのみという
強い抗議の顕れといえましょう。

集団心理の恐ろしさ
和の原理の盲点が
どれほどの哀しみを招くかという暗示です。

パリがコミューンであることは認めても
パリ・コミューンは認めないその理由は
ここにあったんですね

正しい教育こそが
真の共和政を拓く道であると
ユーゴーは考えていた・・・
ですからジャン・バルジャンに
コゼットを苦境から救い出させ
幸せに生きるチカラを施させた
このプロセスにこそ
ユーゴーが推奨する社会の役割、私たちの在るべき姿の
プロトタイプがあると受け止めてよいかと思うんですね。

ユーゴーがパリを視察し
貧困に喘ぐ人々に手を指しのべ
やがて財団組織にし
引いてはヨーロッパ全土に慈善事業を拡大していくという
彼の一貫した社会福祉活動の軌跡に
ユーゴーの人間性
その愛の鼓動が聴こえてくるようです。

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絶対正義など在り得ない
であるならば
私たちひとりひとりが
法律や常識に縛られずに
対象の本質を見極める能力を培い
育てて行かなければならないと
ユーゴーは教えてくれていたんですね・・。











テーマ:ドイツ生活 - ジャンル:海外情報

【 2013/03/11 18:24 】

| 文学~小説/詩/名言 | トラックバック(0) |
私的レ・ミゼラブル論Ⅱ~ユーゴー/ブラームスの子守唄
パリ7区シャン・ド・マルス公園に聳えるエッフェル塔
ユーゴーの死後間もなく着工されたこの塔は
パリのプリュメ通り
マレ地区ヴォージュ広場
リュクサンブール公園
セーヌ河オルセー美術館界隈パリ地下道などなど
”レ・ミゼラブル”の舞台を
あの日から静かに見守ってきたんですね・・・

20010913.jpg

そしてこのパリの街が
セーヌ河畔の美しきノートルダム寺院を初めとして
PARIS歴史地区のアパルトマンや
郊外のビエーヴル市の記念館まで含めて
ユーゴーのペンによる
精神の煌めきが今なお鏤められた街
であることに違いありません

原題”Les Misérables”そのままに
此処には
飢えた幼い子等を看過できず
一片のパンを盗んだジャン・バルジャン苦悩の行路が在り
ファンティーヌの悲劇がありました
心ないテナルディエ夫妻宅で健気にふるまうコゼットの惨めな境遇があり
マブーフ蔵書の切り売りに象徴される貧しさが在った・・・
劣悪な環境下で生き抜かねばならない
少年たちがいて
パリ市民からは忘れ去られた”ナポレオンの象”が
こうした子らを雨風から守る“神の家”になるというメタファと
法の正義のみに捉われ
思唯(本質を見抜くこと)を放棄して生きてきたジャヴェル警視の結末、
さらに
国内の不満を逸らすそのために
アルゼリー(アルジェリア)侵略を始めた国王シャール(シャルル)10世の
治世もあったんですよね。

この物語
主人公は謂わば”天使性をもつ死刑囚”
ジャン・バルジャン
そして
不条理に翻弄される人々であり
貧困・・・
また教育の不足による
総ての”レ・ミゼラブル”
さらに
その”哀しみそのもの”も
そうであったのかもしれません・・。

レ・ミゼラブル
大人から受け取れるべく愛情から見放された子供たち
その環境を誘因とする悲劇
他者の痛みに想いが及ばない浅慮さ、このこと自体も
謂わば人にとって悲惨の一形態でありましょう。

けれど”レ・ミゼラブル”に満ち
社会の片隅に追いやられた人々を描きながらも
全く救いのない物語では
ないんですね・・・。
暗い夜空に
ひとつ、ふたつと
輝きを放つ星が浮かぶように
愛を湛えた深い想いは
読み手の心を照らします。

ミリエル司教の理念に・・。
傷者マリユスを背負って地下道を黙々と進むジャン・バルジャン
最後の最期に解放された彼の魂に・・。
精神的愛に徹したマリユスの愛のカタチに。
また
身を呈して愛する人を守ったエポニーヌの切ない恋
負担になることを厭い
想いも告げず旅立とうとする真実の愛に。
貧しさと心細さのなかにあって
弱きものへのいたわりの心を失わなかったガヴローシュ、
細やかな家庭の温もりさえ知らぬまま
革命に命を落とした彼の想いの耀きに・・・。

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今日を生きる
幼きガヴローシュへ


昨日あなたの噂をききました
冷たい路地裏に蹲り
肩を震わせ淋しさをこらえていたと・・
ガヴローシュ
どうか
私のもとに帰ってきて

可愛い弟たちやお姉さんと
一緒に暮らしましょう

朝は
暖かなスープの香りで目覚めるの
食卓はいつも和やか
だって
笑顔は
いちばんの御馳走だから

晴れた日には
お弁当と
焼きたてのクッキーを携えて
陽の光降り下りる
緑の草原に出掛けましょう
みなのカップにお茶を注ぐのはあなたの役目

雨の日には暖炉の傍らで
絵本を読みましょう
ごめんなさい
私の声は少し小さめだから
できるだけ近くによって
よーく聴いていてね

クリスマスには
手作りのカードを交換しましょう
私は
兄弟お揃いの萌黄色のセーターを編むわ
胸元には雪色の毛糸であなたの名を入れて・・・
そのロゴが
毎年
少しずつ大きくなるのが
掛け替えのない楽しみ・・

窓辺のお花たちへの水やり
それは楽しい時間よ
そして
春になったら洋梨の種を植えましょう

夜は
寒くないように
一枚多めに・・
洗いたてのリネンの香りのなかに
眠りましょう
そうね
今夜は
ブラームスの子守唄を口ずさむわ

ねえ
ガヴローシュ
お願い
どうか
どうか私のもとに帰ってきて

あなたの小さな掌から
溢れるようなその想いが
こぼれを落ちてしまう前に

私たちは
いつもあなたを待っています・・・



名もなき母より













テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2013/03/08 19:20 】

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私的レ・ミゼラブル論Ⅰ~ユーゴー
ーー海よりも高遠なるものそれは空
     空より高遠なるもの
       それはひとの精神の深遠さであるーー

DSC_0688.jpg

ヴィクトル・ユーゴーの小説
”レ・ミゼラブル”からの言葉です。


こちらの作品
私たち社会人が
最も気を配らなければならないこと
それが
慈愛、慈恵、恩沢、篤志といった
博愛精神に基づく無償の行為であると
再認識させてくれる
”至高芸術”のひとつかと・・・。



極めて人道主義的であり乍
フランスの歴史を愛し
伝統を重んじる愛国主義者でもあったユーゴー
そんな彼の壮大な構想に
往時のフランス社会実相への鋭い洞察を加え
尚”心ある人間であればこそ陥りがちな”贖罪意識
それが全編に渡ってバロック音楽のBasso Continuo
そう通奏低音のように流れている作品
”レ・ミゼラブル”

独自の概念、文明的共和主義社会確立のために
生涯を賭し
フランスでは史上最大の
詩人のひとりとして
愛されたユーゴーの最期はパリ・・
国葬が営まれますが
本人の遺志により
貧困層用の質素な霊柩車で
凱旋門から埋葬先のパンテオンに送られたといいます。

”ヴァンドーム広場のコロヌに捧げるode”
ユーゴーの愛国心がよく伝わってくる
このオード
しかしここに謳われたモニュメントは
la Commune de Paris
パリ自治市議会の決議によって
倒壊させられてしまいます。

パリ・コミューンでバイブル的存在となったのは
他でもない自身の著作”レ・ミゼラブル”
でありながら
彼らのその破壊行動を
蛮行と断罪し
そこに欠けたるものが知性であり徳性であることを
誰より憂いていた人間
そのひとこそユーゴー本人であったという皮肉・・・

ーーフランスは精神でパリは教養である
   しかしフランス国民議会は精神を持たず
     パリコミューン議会は教養を持たないーー


結え、ユーゴーは
パリ・コミューンの哀しき革命をして
両者に非があると結論付けています。

無識は過ちを引き寄せるという
この作品の原意を汲むには
パリコミューン
(これもまた彼のよみ通り)貧しき構成員たちの
劣悪な住環境下では
理解に及ぶための教育を受けることは叶わなかったということなんですね

これ以上
哀しみの歴史を繰り返さないためにこそ
ユーゴーは万感の思いを込めて
冒頭の言葉を残したものであったにも関わらず・・・

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総ての子供たちに等しく
全うな教育を施すこと
それこそが
偉大なる思想家であり政治家でもあった
ユーゴー最後の願いでありました・・・





テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2013/03/06 12:58 】

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ドイツ/フュッセン~ヴィース教会/草原~ノイシュバンシュタイン城/ドイツロマンティック街道
見渡す限りの草原に
早朝の贈りもの

陽の光は
柔らかな囁きにも似て
澄みきったforget me not blueから
舞い降り
遙かなる丘を渡ってくる風波に
萌黄色の牧草が
揺れて香ります・・。

20100918-101.jpg

此処は
ドイツシュタインガーテン
大草原の真ん中に
ぽつんと佇む可愛らしい教会
ヴィースの巡礼教会です。

アルプスも
もう
すぐそこまで来ています。

ドイツロマンティック街道のフィナーレ
フュッセンからほど近い場所に或るこの”ヴィース教会”

ドイツ語でヴィースは”草原”を意味します
ですので文字通り”草原の教会”です。

鶯色のなだらかな丘陵が続くさき
子牛や鶏がゆったり
お散歩している牧草地を
優しく見守るように建てられたこの教会は
18世紀半ば
バイエルン州に伝わる
キリスト像が涙を流したという伝説
”ヴィース涙の奇跡”により
ヨーロッパ中から巡礼者が訪れることとなり
この草原に小さな礼拝堂を建てたのが
始まりとされています。

けれど・・・

この素朴な外観と
扉を開いた向こう側
そのギャップが凄いんです(笑

内部は優麗なロココに包みこまれる祈りの場
rocaille
バロック庭園のグロッタに端を発したロカイユ装飾ですが
その天井に描かれた
最後の晩餐をモチーフとしたフレスコ画
こちらヨーロッパの宝石
と謳われるほど・・・。

繊細優美にして深淵な世界観へと
私たちを誘います。

精緻な神学主題によって構成されているという
この教会内部
フランスに始まり18世紀ルイ14世治世の後からフランス革命前夜までを彩り
ホワイト&ゴールドが印象的なロココ装飾
(新古典主義時代には、伝統的石造りのバロック建築さえ装飾的に過ぎるとされ
ロココに至っては官能的、退廃的とも揶揄されたこの様式)
ですがこちら(実は宗教建築にも多用された)ドイツロココ
後期バロック的壮麗観もいい感じに漂っていまして・・・
バロックの威圧感なく、さりとてロココの華美に寄り過ぎもせず
個人的にはその美しきバランス感覚に酔わされたという
ここの処が核心なのですが・・・。

ヴィース教会
この時は
ミュンヘンから鉄道でフェッセン駅に入ったのですが
実はこのフュッセン
ドイツでいちばん標高の高い街なんですね
ワーグナーフリークのルードヴィッヒⅡ世が
贅を尽くして築城した
ノイシュヴァンシュタイン城(至近にリンダーホーフ城)が
あまりに有名なこの町(現在、お城の最上階はちょっとお洒落めなカフェに・・・)
確かにマリエン橋からの眺め
レヒ川の流れる美しき平原の先・・麗しのアルプスを擁した
この古城のシルエット
それは息を飲むような美しさ
でありまして・・・

ゲーテを生んだフランクフルトetcにも強く魅せられましたが
それでも此処フュッセンは
私はドイツではいちばん好きな街なんです
田舎の町並み
その長閑さ
遠い寂寥の空
真白に頂く勇壮な山々
絶え間なく移りゆく水河の清らかさ
水鳥たちを暖かく見送る雲も
人影なく静まり返った湖
その静寂(しじま)まで・・・・

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文中の”forget me not blue ”
ここで”forget-me-not”は勿忘草の英名
結えこの花色は”forget-me-not blue”と呼ばれ
JIS規格にもちゃーんとある
それは綺麗な青色です^^

こちら直訳すれば
”私を忘れないで”になりますが
日常英語の否定文なら”don’t forget me”
故、語順に違和感を覚える方も多いかと。
実はこの名の語源は中世のロマンティック伝説にありまして
語順も中世英語のまま伝えられてきたものなんですね

ドイツの蒼き大河に降り立った恋人たち
愛する彼女に花を捧げようと
勇敢な騎士が岸辺に近付いたところ
急な増水で激流にのまれてします
彼は全力で岸を目指しますが
水の流れは烈しく思うようにかないません
すると騎士は残されたチカラで
彼女にその花を投げ
”僕を忘れないで!”と叫びました
その後彼は力尽き
やがて
渦の中に飲み込まれていったといいます・・。

目前で愛する人を失った彼女は
哀しみの淵に沈み
日々彼の墓前にこの花を届けます
そして
最期に聴いた彼の言葉を
花の名として与えた
ということらしいんですね。


ですので
ヨーロッパ中世では
愛するひとにこの花を贈ると
”自分を決して忘れない”と言い伝えられてきたのです。
そして
贈られた女性は、
恋人への愛の証として
”forget-me-not”を
しっかりと
身に付け離さなかったといいます・・・。















テーマ:ドイツ生活 - ジャンル:海外情報

【 2013/03/02 17:45 】

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