しあわせの隠れ場所~荒野の狼さまに感謝を込めまして・・・
此の度
エストリルのクリスマスローズの過去記事
しあわせの隠れ場所”を切欠に
この映画をご覧戴いたというお便りを頂戴致しまして
それがあまりに素敵で・・・

DSC_0221.jpg

そして同時に彼の投稿された こちらのレビューに学び
胸がいっぱいになりまして・・・。
恥ずかしながら移動中の機内で鑑賞しただけの拙い私の記事とは違って
それは素晴らしいレヴュー☆
なので上記文字上にてリンクしています♪

子供たちへの読み聞かせのシーンも温もりとしてイメージに残ってはいましたが
その絵本のタイトルが”Ferdinand the Bull”であったことも
そのストーリーも知らずにおりましたので
ご紹介頂いたyoutubeにて拝見致しました処
なんと愛らしいお話かと・・・。

すごぉ~く強いのに優しさに溢れた牛のFerdinand(スペイン統一国家創建者と同名ですね^^)くんが
映画の主人公マイケルくんに重なります。

この絵本の最高の結末からも伝わるのですが、

*そのひとの”心の在り方”と”幸せ度”って、表裏一体なんだナ*

って、改めて教えて戴いたようで
例えようのない”しあわせなココロ”を戴きました。

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一昨夜、アメリカはメモリアルデーにお便り下さった
その日の意味深さを想いながら
Charles Ivesの交響詩”Decoration Day”に身を委ねます。
癒しのエッセンスが随所に散りばめられたこちらの作品たちと
この映画への理解を深めて下さった荒野の狼さまに
心からの感謝を込めまして

ありがとうございます・・・。

saki








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【 2013/05/30 08:18 】

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散文詩 Ⅰ~象徴派詩人~パリ~ボードレール/ランボー/マラルメ~ロンドン/ポー~ニーチェ
19世紀のフランス文學界
ボードレールやランボーそしてマラルメ
象徴派の系譜(この動きはその後アイルランドのオスカー・ワイルドや英国のエリオットに・・)
こうした詩人らの
美しき散文詩に触れるにつけ
改めてフランスは感性に優れた国だと感じています。

DSC_0031.jpg

ボードレールを想うとき付き纏うのが
ドイツ、ワイマール時代の Walter Benjaminですが
そのボードレール論が興味深いんです。

キーワードは3つ
”パリ””群聚”そして”パサージュ”

ボードレールが生きたパリは第二帝政期
この期の目覚ましい近代化に係る文献に接するに
パリの労働者階級誕生に伴い
街が大きく変貌してゆく過程が手に取るように伝わってきます。

*ボードレールがこよなく愛したとされる
王政復古期のパリは彼にとって
共同体意識に包まれた温もりの街であったよう・・。
そもそも抒情詩とはその性質上
こうした環境、土壌の中に育まれるものですから*

パリの人口は飛躍的に増えますが
ボードレールにとってのそれは
虚しき発展でしかなかったようです。
社会のなかで人間関係は希薄化し
人々は互いに無関心になってゆく・・・
こうした変化にボードレールは馴染めなかった
彼が大切に築き上げてきた”抒情詩”の世界観とは
相容れないものになってゆくんですね。

一方英国では、エドガー・ポーが
ボードレールにとってのパリと同じ視点で
ロンドンを眺めていたのですが
ただ違っていたのは
ポーのそれは俯瞰でのそれ
あくまで傍観者のスタンスであり
終始冷静であったこと。
ですがボードレールは
旧き良き時代のパリを取り戻そう、意思疎通を諮ろうと
冷たい大都会の非人間的性質の中への融和を試みるのです
ですが彼を待っていたのは絶望の二文字
彼にとって
近代工場の無機的空間の中で繰り返される労働者層の流れ作業は
無意味な行為の反復にしか映りませんでした。
実際、労働者たち自身もそれを
非人間的な行為と感じていた・・
その理由として考えられること
それは彼らの労働には、所謂 
励み、実り、報いといった類の経験によって齎される充実が見い出し得なかったから
ボードレールは此処をもっとも重要視したんですね。
こちらは後にオーラと名付けられるもので
ボードレールは、彼の創作活動のなかで
オーラの回復を目指しました
その源泉を求めて・・・。
ですが
群衆には、彼のその意図さえ汲み取ることが出来なかったのです
それでもボードレールは諦めませんでした。
オーラの欠片を求めて只管、彷徨い続けます
そうです
彼が抒情詩にこだわったその理由
それはこの掛け替えのないオーラを取戻し
永遠なるものにするに
それがもっとも優れた”手立て”であると信じていたから
しかもそれは、極めて芸術的装置でありました・・。
この拘りこそが
ボードレールをして偉大な詩人にせしめたものでありましょう。

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ーーボードレールの詩は第二帝政の空のもとの
             大気なき星座であるーー
                    ~ニーチェ






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【 2013/05/27 08:02 】

| 文学~小説/詩/名言 | トラックバック(0) |
詩的散文 Ⅶ
20世紀以降の文学理論としては
散文、或いは詩ですとかに捉われないといった視点に少しずつシフトし始め
定義しようという試み自体がナンセンスと申しますか
ー詩は意味してはならない存在するのだー的な
詩の伝統的形式と構造を拒絶した
詩論が展開されて行きました。

DSC_0308.jpg


もうお気づきの方も多いかと存じますが
詩の定義、他の文学カテゴリとの差別化を図る論争って
詩の形式の役割を巡る議論と
表裏一体なんですよね

詩の構造の衰退への反動
形式主義的動きもありましたが
やはり
散文詩と詩的散文を区別することそのものを
疑問視するといったような
流れになっています。

幾多の古典に接するに付け
古い形式と構造の再生が美しくもあり
また
新しい形式構造と統合の開拓により
詩語や、韻律によらない手段での
確立されたリズムやトーンを引き出す
こちらもまた美しといった感があります。

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個人的には詩人の創造的活動その自由性を願い
作品の受け手、鑑賞者の解釈学を想うに
ゲーテの言葉
”精神の目をもって見るもの”が
胸から離れません・・・。





















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【 2013/05/26 09:05 】

| 文学~小説/詩/名言 | トラックバック(0) |
詩的散文 Ⅵ~ギリシア三大悲劇~宮廷詩人~シェイクスピア/ラシーヌ/モリエール/ダンテ/ゲーテ~ユーゴー
韻律論、メーター(確立されたパターン)、イントネーションと考え進むに
詰まる所、詩とは文法構成、音声構成、概念的心底が互いに反響し合う
修辞構造(rhetorical structure)的パラレリズムであり
これらはメーターによる韻脚、ライン、フレーズ、センテンスといったより大きな括りに従い
イントネーションに相俟ったリズムを創り出すのですが
それはそれは緻密に計算し紡ぎ出された
美の極み 
そのひとつであろうかと・・・。

DSC_0050.jpg

代表的韻文劇と云えば、ギリシア悲劇(三大悲劇詩人)
そしてシェイクスピア、ラシーヌに引き継がれ
モリエールからダンテの”神曲”やゲーテ”ファウスト”となって花開きますが
西洋の抒情詩(叙情詩)が、歌うものという含意があるリラを
語源としていることからも伝わるように
実際の抒情詩は、やはり音読を前提としていたものでした。

日本の和歌は文字通り”歌”でありそのまま
その多くが抒情詩(もしくは風景のみを詠う叙景詩)であったのですが
古くから
抒情詩の主題は”愛”と相場は決まっていて
(叙事詩や劇詩の如くstoryを語るのでなく)
所謂宮廷恋愛詩人らがそうして謳いついできたように
戦争、自然、郷愁、喪失などもテーマとされてきました。
そうしたなかで最もポピュラーだったのが
英国風ソネット或いはシェイクスピア風14行詩とも呼ばれる
定型詩でした。
(他にイタリア風ソネット、スペンサー風ソネットがあり)
ペトラルカやミルトン、ワーズワースら偉大なソネット作家らの
優れた作品が数多く残されています。

その後、散文と詩のクロスオーバー的ジャンルとしての散文詩、
そして似たようなジャンルで”エッセイの詩的なもの”
となって今日まで受け継がれて来たんですね。

文學は明かに美術や音楽とは異なりますが
詩、或いはナンセンス文学の範疇にあるものは
例えば”楽典を学ばずとも感性で受け取れる音楽”
といったような観点から、それらに大変に近しいと言える作品群で
要は明確な意味性なしに成立し
同時に芸術性(メタファや言葉へのこだわり)が高まるものです。

そうしたなか、散文と呼ばれる類で
詩的な印象を与える作品がユーゴーのそれ
そう、まさに詩的散文と謂うカテゴリに
入ってこようかと思われます。

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そういう意味でも
私にとっての憧れの作品でありまして

個人的には
”論理的で在りながら尚、美しい”
ここに最大の魅力を感じています・・・。











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【 2013/05/24 08:18 】

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日本古来からの美意識 Ⅱ~日本文化の淵源/孔孟の国中国
DSC_0120_20130514182437.jpg

日本文化の淵源
仏教に儒教そして水墨画(山水画)、陶磁器に茶道
干支、端午の節句にお米・お箸から囲碁に至るまでの諸々の日本文化
そのルーツは
古代文明発祥の地であり孔孟の国 中国。
日本は歎称にも似た思いから
悉く影響を受けてきたという経緯があります
一衣帯水、同文同種とも近しい見方があるように
同じ漢字を頂いた民族でありまた
歴史的にも地政学的にも深い所縁があるようです。

そうした時間の大海原のなかから
日本人は日本人のための日本人らしい
固有の文化を築き上げてきたんですよね

同じ大乗仏教系でありながら
中国の装飾的重厚美の寺院建築とは趣を異にした
日本独自,風韻の木造建築には
空間(無)そのものに美を見出す慎みの美学
洗練された優美さに静寂が息衝いています。
こちら建築美学の問題だけでなく
国民性と申しますか
その価値観や行動様式の違いも
大きく影響しているものとも思われるんですね・・。
本来的に
実利主義的傾向の強い中国文化と
精神性を重んじる日本文化との差異もあろうかと。

確かに日本は思想表現のツールとして
漢字を取り入れました。
ですがそれは
大和言葉(漢語と外来語を除いた日本語の固有語)という
揺るがぬ基礎の上に構築されたものであって
日本語の上書きではないんですね。

ーーこのごろ明暮れ御覧ずる長恨歌の御絵
亭子院のかゝせ給て、伊勢、貫之に詠ませたまへる
大和言の葉をも唐土の歌をも
たゞその筋をぞ枕言にせさせ給ふーー
~源氏物語”桐壺”

西洋の文化の取り込みも巧みな日本
ドイツ、フランス、英国など各国の言葉を
ローマ字やカタカナ(カタカナにした時点で良くも悪くも日本独自の言語にとって代わるこの凄さ^^)で
さらりと受け止め同化する
明治期よりのこのフレッキシブルな技術(欧米人泣かせ?)をして
日本語を疎かにしているとのお叱りの向きもあるようですが
一方で日本語による思想や感情の表現が
遙かに豊かになってきていることもまた事実でありましょう・・・。

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美しい日本語が
静謐なる伝統的精神が
愛しくて堪りません・・・。











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【 2013/05/22 17:26 】

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詩的散文 Ⅴ~ネガティブ・ケイパビリティ理論/キーツ/ロマン主義~ゲラッセンハイト概念/ハイデガー
古代の思索家たちは既に詩を定義していましたが
後の美学者たちはそこから叙事詩・抒情詩・劇詩をして3大ジャンルとしたんですね。
ですので彼らの出発点はと謂えばたぶん(いつの時も)アリストテレス
かの”詩学”となる訳でして・・。

DSC_0179.jpg

こちらルネサンス期のヨーロッパは勿論
イスラム黄金時代の中東全域にも影響してると言われています。

彼らの定義は厳しいです
まず以て
散文は、詩と対極にあるものだ・・と。
朔太郎の拘りとも対極にあります(笑

散文は論理的説明や
時系列(物語)構造を持たせる作品
として理解されてきました
一方で
詩の目的は、論理に寄らず、物語に寄らず
自由な思考過程で”崇高”を表現する
といった見解なんですね。

そこで想起されるのが
英国ロマン主義の詩人キーツの
”ネガティブ・ケイパビリティ”理論です。
こちら的確な訳語がないようにも思うのですが
謂ってみれば
”混沌性受容力”
といった処でありましょうか。

テクストは必ずしも総てがクリアに理解できるものでなく
其処に或る、不確かさ、不可解さに
戯れることができるひとにのみ受け入れられる
という意味性としての
”ネガティブ・ケイパビリティ”
真なるものは、イマジネーションの世界観でしか見出せない
というキーツの見解でありまして。
こちら如何にもロマン主義者らしいアプローチと云えましょう。
(この観点に照らせば絵画や音楽だけでなく根源的には文学自体もどこかしらに
内包されている・・と云えなくもありません)

”真正性”とは他の如何なる手段によっても解明されるものでなく
それを以て”不確かさ”としているんですね。
そしてこの不確かさは
存在とその完全な理解への可能性の
狭間に在るというという考え方であり
これは極めて現実的実態に則したconceptであろうかとも思うのです。
(キーツが謳った”Mansion of Many Apartments”というメタファー
そのルーツでもあるわけで・・。)

こうして意識的に
自身を自在な思考状態に持って行くこと
それは、文学のみならず
哲学的スタンスにおいてさえも有用な概念のようです。

現に19世紀前半に
米国の哲学者デューイは
このネガティブ・ケイパビリティに係る論文に関して
”生産的な思考を導く心理学説が他の数多くの論文よりも多く採用されている”
と記していたほどですから
哲学的プラグマティズムにも
有益であったことは明らかと謂えるものでしょう。

こちらと同系列の考え方に
不確かさや不可解さを受容することにより
”その事象を在るがままの状態において置くことを可能にする精神の自由さ”
が内在するとした”ゲラッセンハイト概念”があります。
ヘルダーリンやトラークルの詩の研究でも知られる哲学者ハイデッガーの主張です。

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20世紀まではこうして
論理性とは別物であること自体が
”詩の要素”と見做されていた時代でありました
が、それはさておき
ナンセンス文学や詩の世界観に限らず
対象が必ずしもクリアに理解できる性質のものではないとして
時に”知識理論の拒絶”を受け入れること
それは生きてゆく上にも
必要な能力と謂えるのかもしれません。
もっと言えば
解決できない事象を敢えて受容する能力をもつ者こそ
真正に近付く
といったようなニュアンスも含まれているように感じています。
















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【 2013/05/20 09:55 】

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詩的散文 Ⅳ~叙事詩~グレゴリオ聖歌~エレジー
現存する最古の詩は
紀元前3000年
メソポタミアのシュメール文明
ギルガメシュの詩と謂われていますが
こちら
史実が謳われた所謂、叙事詩で
ここでいう”記録”とは楔形文字
これはもう
文字より先に詩在りきといったところで・・・

DSC_0107.jpg

そのルーツ
古代叙事詩となれば
ギリシアの”イーリアス””オデュッセイア”想起されますが
古代社会、中国の儒教で
五経の1つに”詩経”なんていうのもありました。
こちらはもうひとつの要素
”儀式的役割”を審美的に果たしていたという優れもの
であれば
典礼のために認められた詩篇
有名なグレゴリオ聖歌なども全く以てこの範疇であり
この芸術性たるや
本当に凄いナって改めて
思ってみたりもする訳です。
そして
深い情動性が沈潜しているエレジーなども
こちらの流れを汲んだものかと思われるんですね。

日本では”哀歌”ですとか,万葉集の”挽歌”
そして後に紀貫之に”哀傷歌”として引き継がれていった類のものと重なります。

ー憂愁を帯びたラメントー

哀悼の詩がその典型でありましょう。
此処でいつも感じること
それは哀悼詩の普遍性
2000年前の哲学者らの核心部分が
現代にそのまま通じるのと
同じ理由で・・・。

このelegy(英語)
仏語なら elegie
語源はギリシア語のエレイゲア(elegeia)のよう
メーターの一種
抒情詩に違いありません。

哀悼から哲学的論考に至り
人生の意味を見出す
そして最終的に死生観を吐露する詩・・・。

古代小アジアで詠まれた哀悼歌様式が
ギリシアに伝わったものらしく
ローマ詩人らに継承され
そこからなんですね
ドイツ詩や英国詩、フランス詩となって
あのように美しく受け継がれて行きましたのは・・。
その一例をあげるなら
ミルトンが友人エドワード・キングを哀悼した”リシダス”
或いは
ゲーテの”ローマ哀歌に”シラーの”逍遙”
ラ・マルチーヌの”湖”など。
またトマス・グレーの”哀歌や”
友人であった詩人キーツの死を悼んだシェリーの”アドネイス”や
テニソンの”イン・メモリアム”もありました。
個人的には
儚き存在である人間を
その弱さゆえに肯定したリルケ
博愛主義的精神に根差した
深い人間愛を思わせる”ドゥイノ悲歌”に心打たれました。
他にもイエーツやホイットマン、ロルカ
そしてヴァージニア・ウルフら多くの詩人が
優れたエレジーを残してくれています。

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ーー胸の内に波打つ崇高で純粋な憧れを
    自由にそして感謝を込めて
      名もなき者に贈る
         我々はこれを献身と呼ぶーー




















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【 2013/05/18 08:05 】

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日本古来からの美意識 Ⅰ~滅びの美学/平家物語~金閣寺/三島由紀夫
日本人が古くから大切に育んできた
伝統的美意識
それは
須らく精神に宿っている
と申しますか
精神そのもの
と言っても良いのではないでしょうか。

DSC_0151.jpg

日本古来より受け継がれてきたものに
優美さを基調とした静寂な情調があり
平家物語に象徴される滅びの美学もありました。
さらに
詫・寂に見出す静謐な美意識や
風姿花伝、葉隠に貫かれたる凛とした美への
崇敬があります。
また
これらは
物質的なものに価値を見出すことの虚しさを知るひと
共通の理念とも云えるものでしょう。

こちら
世間的名声や経済的価値など
功利、有用性を以て物事を捉える
帰結主義(実利主義)的思想や
快楽主義(その自然主義的誤謬そのパラドクス)に
相反するものであり
勝敗や利害を超越した
澄明で清冽な精神の在り処かとも思うんですね・・。


ひとは、愛する人を失ったとき
自身の心の手に負えなさを知ります。
その耐え難い悲しみの向こう側
終わりのないような悩乱の先で・・・

限りある肉体は滅びても
目には見えないほんとうに大切なものが
己の胸のうちに揺るがぬ存在として
厳然と在り続けることを知る・・・

精神的永遠性の獲得
とも謂えるものでしょう。

こちら
カタチある物は必ず滅びる
に逆説的ではありますが
滅びることによって永遠性を帯びる
という(日本古来よりの)精神性の高い美学であり
これを芸術に昇華させ
その作品の通奏低音として在らしめたうちの
ひとりに三島由紀夫がいました。
三島哲学にも重なる
あの世界観を確立させた文学
それが小説”金閣寺”でした・・・。

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此処での金閣寺炎上は
三島にとって
限りある物質からの解放であり
美しきものの永遠性
その確立でもあったものでしょう・・・。



















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【 2013/05/16 09:50 】

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詩的散文 Ⅲ~詩学/アリストテレス
DSC_0471.jpg

詩を巡る議論と謂えば
それはもう
アリストテレスの時代から展開されて参りましたけれど
彼の著作”詩学”には
見事なまでの美学的研究
その成果が残されています。

文体的要素を
テクニカルに駆使したそれによって
齎されるこの種の感動は
文学と謂うよりは寧ろ
音楽のそれに近いようにも感じています。

其処にはまずもって
多義性があり
象徴性があります。
そして
隠喩があり
直喩があり
換喩がある

さらにイメージの同調があり
感応があり
共鳴がある

よって此処に共振するエコーは
幾重にも重層化され
また
韻律や脚韻のパターンはリズムとなって
行間から”その想い”が溢れてくる・・・

韻を踏んだワードの世界観に
規則的な韻律と音調の原則による伴奏。

さらに
こうした技術性をも裕に超える
その感動の源泉となるもの
精緻繊細なまでに
選びとったWORDでありWORDINGあってのもの・・・。

それが受け手の
概念、想像、追想、判断、推察の作用により
抽象的、感覚的、創造的、合理的に全体を把握し
心を揺り動かすものでありましょう。
そしてこの多角的多面的相乗効果により
それは、言葉自体の意味の総和よりも
遥かに大きなを風道を放つようになるんですね・・。

こうした相互作用による多元的とも謂える煌めきは
他の何某かの芸術にも共通の理論と云えるのかもしれません・・

対峙する者の心のありよう
その心の襞に
柔らかなる採光の乱反射的要素も纏わるような
深みのある作品
それこそが
受け手に忘れざる感銘を
時に勇気を
カタルシスを与える・・・
もっと言えば
”トランス”的感覚にも重なるが如くの
魂を震揺さぶる世界観というものが
そこには
確かに存在しているように感じています・・・。


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ーー哲学は思考の顕微鏡となり
      感性は研ぎ澄まされるーー



















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【 2013/05/14 08:01 】

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詩的散文 Ⅱ~哲学と詩
DSC_0264.jpg


西洋でいうエッセイは
日本のそれとは少し違っていて
そこには
”詩的散文”といったニュアンスが内包されているが結え
確固たる文壇的地位を確立しています
そう・・日本で謂えば
かつての枕草子や方丈記、
奥の細道などの第一級の随筆群が
それに呼応するものであり
それらをして、典型的詩的散文と見做し
権威ある文学形式の一角を為してきた
ということであろうかと思うんですね

その後明治以降になってから文壇には
美文調の作家も多く登場しましたが
自然主義の台頭、その潮流に呑まれてしまった
というような処が見受けられるのです。

ですから、
エッセイは散文精神でなく
詩的精神によってのみ書かれるべきだ
といったようなことを執拗に訴えていた
朔太郎のあのメッセージ
その彼の憂いは
まだ学生だった頃の私のココロにも
鮮烈に響いたものでした。

ーー哲学は、概念であり、思想であり、形である
       詩は、光であり、リズムであり、感傷であり、生命そのものであるーー



そして今も
そんな朔太郎の強き思いが
胸から消え去ることはなく
いつしか
詩を
そして哲学をも
それぞれ大切にしたいと切に
考えるようになっていました。
日々、こうした視点で
書物に触れゆくなかで
見出したるもの・・・
それは幅広い知の上に
理性と感性をバランスよく
育まれている方に備わる
ある特別な”美の佇まい”でありました。
(もちろん何れかによっても美しいものです)
バランスは寛容とも親和性が高いようで
えもいわれぬ暖かさや優しさを齎すんですね・・。

こちら
その作品に対峙するなら
時間を於かずともすぐにそれと察せられる類の
啓かなものであって
そうした素晴らしき出逢いがあったなら
心は捉われ
容易に立ち去ることは叶いません・・。
 
あのエストリルでの巡り逢いのように
対象がこの世から消えてしまっても・・・

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ーー医学的に我々は色や音を認識するために異なる感覚器官を用いる
    同様に、芸術の基質や哲学の基質を全く同じ眼差しでみることはない
     何故なら、一方は感性的傾向で、他方は理性的傾向でみるのだからーー
















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【 2013/05/12 00:07 】

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詩的散文 Ⅰ~ユーゴー/レ・ミゼラブル~ポエトリーリーディング
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ユーゴーの長編小説”レ・ミゼラブル”をして
詩的散文とみるメッセージをお寄せ戴き
大変に共感致しましたので
テクストに纏めてみようと思っています。

ポエトリーリーディングという
カテゴリに象徴されるように
テクストを優しく語りかけるように読み進むならば
それはそれは心地よく
胸に響いてくる作品がありまして・・。

日本語も美しい言語と感じていますが
フランス語のそれもまた
雰囲気ある綺麗な言語で・・・
その素晴らしさは相乗作用となって
心に沁みて参ります・・・。

そう在る理由はと云えば
まずもって
彼のコンテクストに
概してシンメトリー性があるということ。

これ、あくまで傾向的・・ではありますけれど
例えばスタイル
韻文に留まらず
散文としてさえそれぞれのセンテンスは
シンメトリーになっており
これは
構文上もそうであり
尚、文節数、音節数が同じ
さらに
リズム単元のシンメトリーまでもそこに重なってきているんですね。
また、ユーゴーの語彙の選び方
ここでも
彼の相当な拘りを感じずにはいられませんし
メタファも散見されます・・・。

ですので
文学理論から申し上げても
”詩的印象を受ける”というのは
至極自然な感覚であろうかといことを
まずもってここにお伝えして
書き進めて行きたいと思っています・・・。

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ーー思惟は理性の礎であり 
       想いはその歓びであるーー




























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【 2013/05/10 08:30 】

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有島武郎~ダンテの愛/神曲~神奈川近代文学館 終章
終章として
”愛は惜しみなく奪う”とした
有島のダンテ論
紐解いてみました・・・。

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イタリア トスカーナ地方
フィレンツェに生まれ
イタリア文学最高にして最大の詩人とされるダンテ・アリギエーリ

そんなダンテが
たったひとりの女性を
生涯を賭して想い続けた・・・
という文字通り”永遠の愛”

9歳のダンテが街角で
同い年の少女ベアトリーチェを見かけ
”魂を奪われるかのような感動を覚えた”(本人の述懐より)

それから9年
フロレンスはトリニタ橋の袂で
二度目の邂逅・・・。

通り縋りに垣間見たベアトリーチェは
ダンテに淑やかな会釈を返してくれたのですが
程なくして
彼女は余所へ嫁いでしまう。
そしてさらなる悲劇
ダンテの愛するそのひとは若干24歳にして夭折・・・。

文献に依れば
彼女にその募る想いが届くことはなく
それでも
ダンテは彼女を忘れることができず
胸の内に秘めた愛するひとを
”永遠なるもの”とすべく
”神曲”という不滅の芸術作品に
昇華させていったんですね・・
結えこの”神曲”に対峙するならば
深くかつ強き”ダンテの愛”に
惹き込まれる・・・
ということになりましょうか。


此処でトルストイが”ダンテの愛”を語るなら
たぶん
報われることのない愛
想いを伝えることさえ叶わなかった愛にも関わらず
終生変わることなく貫いた
哀しくも美しい
”惜しみなく与える愛”と
見做すものでしょう。

けれど
有島の見解は
全く違うものです。

ーー人間内部の至上命令
愛は自己への獲得である
愛は惜みなく奪ふものだ
ダンテはいかにビヤトリスから奪つたこと
彼は一生の間ビヤトリスを浪費してなほ余る程この愛人から奪つてゐたではないか。
彼の生活は寂しかつた。孤高であつた。
然しながら強く愛したことのない人々の淋しさと比べて見たならばそれは何といふ相違だらう。
ダンテはその愛の獲得の飽満さを自分一人では抱へきれずに、
「新生」として「神曲」として心外に吐き出した。
私達はダンテのこの飽満からの余剰にいかに多くの価値を置くことぞ。
ホイットマンも嘗てその可憐な即興詩の中に
「自分は嘗て愛した。その愛は酬いられなかつた。私の愛は無益に終つたらうか。否。
私はそれによつて詩を生んだ」と歌つてゐる。
愛がいかに奪ふかーー

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こうした差異は何故生まれるものかと
ささやかに思索を巡らすなら
そこで
見出すもののひとつに
方法論がありまして・・・

そう
その”美しき想い”を
どう還元或いは帰結させるかに依っても
それは
変わってくるように思うんですね・・・。


ーー何故に恋愛が屢々芸術の主題となるか
    芸術は愛の可及的純粋な表現である
      そして恋愛は人間の他の行為に勝つて愛のインテンシティフな、
            そして全体的な作用であるからだーー


















テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2013/05/08 12:21 】

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都忘れの咲く季節~承久の乱/順徳天皇
木蔭に粛と在り乍
朝陽にまで
愛されているかのような
麗らかさを備える薄紫

幽邃が支配する
都忘れの世界観に
揺蕩う時・・・



DSC_0058.jpg


花言葉は
”束の間の休息”
そして
”別れ”

和名由来は
承久の乱にまで
遡り・・

流刑地での順徳天皇
その絶ち難い都への哀惜
埋めようのない憂戚
それを慰めてくれたのが
このうすむらさきの佇まいだったんですね・・・。

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夕暮れに聴こえるこの花は
私の居場所を教えてくれる


それは
あなたの胸の中
そこにしかないと・・・。
















テーマ:季節の花たち - ジャンル:写真

【 2013/05/06 11:23 】

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真理の棲家~神奈川近代文学館 Ⅵ
時代の遙か向こう側で
彼らが歩みきた道
その途上に在りて
深濠なる想いが共有できたとき
陶酔にも近い
特別な感覚に包まれる・・・

DSC_0081.jpg

そのセンシビリティが堪らなくて
遠いあの日から
読書に嵌っていったのですが・・



有島は続けます
ーーニーチェが
”私は自分が主張を固執するために処刑される場合があつたら、
それを避けよう。主張の固執は私の生命に値ひするほど重大なものではない。
然し主張を変じたが故に処刑されねばならぬといふのなら、
私は甘んじて受けよう。それは死に値ひする”
といふ意味のことをいつたさうだ。
この逆説は正しいと私は思ふ。
生命の向上は思想の変化を結果する。
思想の変化は主張の変化を予想する。
生きんとするものは、既成の主張を以て自己を縛ってはなるまいーー

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一見するとパラドックス
ですが
実はこちらも
そうではなさそう
無矛盾性というか
疑似パラドックス的なそれ。

大切なことは
その先に真理を見出せるか否か
弛まず先人の叡智に学びながらも
あらゆる体験に重ね
尽きることのない柔軟な思考性で
生の深淵を真っ直ぐに見詰め続ける・・

その美しき棲家はいずこに
ということでありましょうか。























テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2013/05/04 09:03 】

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雨だれ~遅咲きのチューリップ~天使の涙と均衡
丘の上
パステルグリーンに
包まれた庭の片隅に
漸く咲いた
遅咲きのチューッリップ
その可憐な花びらに蹲る
雨だれ・・・

冷んやりとした雨に洗われて
咲き立ての
つややかさを放つ花色に
羽を休める
透き通ったしずくとの
出遭い・・・

DSC_0003.jpg

穢れなき煌めきに
まんまるの愛らしさ

あなたは
どこから来たの・・・
天使の涙?
それとも
天空からのメッセージ?

自然の贈りものは
いつのときも突然で
そして
優しくて・・・

ふんわり柔らかに
ひっそり息衝く
いたわりの滴・・・

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少しの揺らめきで
零れ落ちてしまう
危うい均衡

先のことなんて
誰にも分からない

そんな
不確かささえ
愛しく思えるようになったのは
そんなに
遠い日のことではないのだけれど

だからこそ
エストリルのクリスマスローズでは
小さな”均衡”
大切にしてゆきたい・・・































テーマ:花・植物 - ジャンル:写真

【 2013/05/02 06:04 】

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