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有島武郎~ダンテの愛/神曲~神奈川近代文学館 終章
終章として
”愛は惜しみなく奪う”とした
有島のダンテ論
紐解いてみました・・・。

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イタリア トスカーナ地方
フィレンツェに生まれ
イタリア文学最高にして最大の詩人とされるダンテ・アリギエーリ

そんなダンテが
たったひとりの女性を
生涯を賭して想い続けた・・・
という文字通り”永遠の愛”

9歳のダンテが街角で
同い年の少女ベアトリーチェを見かけ
”魂を奪われるかのような感動を覚えた”(本人の述懐より)

それから9年
フロレンスはトリニタ橋の袂で
二度目の邂逅・・・。

通り縋りに垣間見たベアトリーチェは
ダンテに淑やかな会釈を返してくれたのですが
程なくして
彼女は余所へ嫁いでしまう。
そしてさらなる悲劇
ダンテの愛するそのひとは若干24歳にして夭折・・・。

文献に依れば
彼女にその募る想いが届くことはなく
それでも
ダンテは彼女を忘れることができず
胸の内に秘めた愛するひとを
”永遠なるもの”とすべく
”神曲”という不滅の芸術作品に
昇華させていったんですね・・
結えこの”神曲”に対峙するならば
深くかつ強き”ダンテの愛”に
惹き込まれる・・・
ということになりましょうか。


此処でトルストイが”ダンテの愛”を語るなら
たぶん
報われることのない愛
想いを伝えることさえ叶わなかった愛にも関わらず
終生変わることなく貫いた
哀しくも美しい
”惜しみなく与える愛”と
見做すものでしょう。

けれど
有島の見解は
全く違うものです。

ーー人間内部の至上命令
愛は自己への獲得である
愛は惜みなく奪ふものだ
ダンテはいかにビヤトリスから奪つたこと
彼は一生の間ビヤトリスを浪費してなほ余る程この愛人から奪つてゐたではないか。
彼の生活は寂しかつた。孤高であつた。
然しながら強く愛したことのない人々の淋しさと比べて見たならばそれは何といふ相違だらう。
ダンテはその愛の獲得の飽満さを自分一人では抱へきれずに、
「新生」として「神曲」として心外に吐き出した。
私達はダンテのこの飽満からの余剰にいかに多くの価値を置くことぞ。
ホイットマンも嘗てその可憐な即興詩の中に
「自分は嘗て愛した。その愛は酬いられなかつた。私の愛は無益に終つたらうか。否。
私はそれによつて詩を生んだ」と歌つてゐる。
愛がいかに奪ふかーー

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こうした差異は何故生まれるものかと
ささやかに思索を巡らすなら
そこで
見出すもののひとつに
方法論がありまして・・・

そう
その”美しき想い”を
どう還元或いは帰結させるかに依っても
それは
変わってくるように思うんですね・・・。


ーー何故に恋愛が屢々芸術の主題となるか
    芸術は愛の可及的純粋な表現である
      そして恋愛は人間の他の行為に勝つて愛のインテンシティフな、
            そして全体的な作用であるからだーー


















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テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2013/05/08 12:21 】

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