サンピエトロのピエタ /最後の審判/ミケランジェロ~最後の晩餐/レオナルド・ダ・ヴィンチ~アテナイの学堂/ラファエロ
過ぎ行く夏の海
その煌きの先に・・・
あの日
バチカンの大聖堂で邂逅した
サンピエトロのピエタを想いました

1499年ミケランジェロの作品ですが
それはもう
この世のものとは思われないほどの
深淵なる美のオーラを纏い
忽ちにしてその静謐さに抱かれたなら
身動きさえできなくなる・・・
どれほどの時間そこに佇んだか知れませんが
私にとってのこのピエタは
そうした彫刻でありました。

DSC_0296.jpg

内包するその哀しみと優しみ
作品に対峙する者に届けられるは
どこまでも寧静なるメッセージ
心捉われない者など存在しないのでは・・
そう思わせるほどに
胸に迫る芸術であります。

人間への
根本理解なくば
それをとりまく世界への広き知その諒解なくば
表現し得ないであろう深潭な世界観
その総てを包括した総合的芸術としか
形容の仕様がない作品
若干24歳のミケランジェロが成し遂げたそれを
天才の一言で片付けてしまえばそれまでなのですが
そこには
メディチ家で施された英才教育が
若さゆえの純粋鋭利な眼差しに裏付けされていたという
稀有な環境も作用していること
否定のしようもありません・・・。

不遇のダ・ヴィンチが
彫刻は空気を描けないとして
空気遠近法を駆使すれば

絵画はその裏側を描けないと応酬した
ミケランジェロ

人類史上不世出と思える天才のこの二人が
よりにもよってルネサンス期の同時代に
同じフィレンツェで活動したということに
今更ながら戦慄を覚えます。

独特の技法からテンペラを選び表現したあの
”最期の晩餐”の圧倒的臨場感も素晴らしければ

彫刻家を自負するミケランジェロ故
より立体的に描くという拘りの
システィーナ礼拝堂祭壇画 
ダンテの神曲地獄編をモチーフにしたという最期の審判
そして天井画
その中心を成す創世記アダムの創造
今にも指先が触れ合わんばかりの心震える瞬間
くうに浮かぶ構図

礼拝堂に流れるは美しきバッハの調べ
美の真髄
此処に極まれりといった感がありました。

そして
やはり教皇の命によって描かれたラファエロのアテナイの学堂
古代ギリシアの哲学者らを描き出したとされるこの作品をして
地を指すアリストテレスに対し
真理は精神性にこそあるとしたプラトンをダ・ヴィンチに
泣く哲学者ヘラクレイトスをミケランジェロに擬え
尚、自らの自画像を付す
まさにルネサンス期の
あの神変とも謂える集結を封じ込めた
奇跡の時が其処にはありました。

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【 2013/08/31 11:19 】

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日本文学の馨る街~鎌倉 Ⅰ~由比ヶ浜/円覚寺/東慶寺~漱石/こころ/初秋の一日/坊ちゃん/彼岸過迄/門
ーー此手紙があなたの手に落ちる頃には、
      私はもう此世には居ないでしょうーー

             ~こころ/夏目漱石

DSC_0257.jpg

先の休日に歩いたこの由比ヶ浜の海岸は
漱石の著した”こころ”の私と先生との出会いの海でありました。

27歳の漱石が
精神の解放を求めて旅立った地
古都 鎌倉は
”初秋の一日”にも
北鎌倉周辺から切通しを抜けて東慶寺、鎌倉駅に至る道程が
描写されています。

なんとも優しいシルエットを描く
円覚寺山門
そのすぐ脇、帰源院には
縁の漱石
その句碑が建てられてもいるんですね。

またこの境内には
”石漱”と刻印された石柱がありまして
こちら漱石が訪れる以前、天保年間のものです故
恐らく漱石というペンネームの由縁となったものではなかろうかと
勝手に推察している私です(笑

彼の鎌倉での滞在日数はそう長くはなかったようですが
それだけに
”坊ちゃん”の同級生との思い出の地として
”彼岸過迄”には材木座が
また”門”の素材から、この”こころ”に至るまで
彼の作家人生を通じて
その翳が見え隠れすることに
改めて
この鎌倉が私たちに手渡す
見えざる心億を想わないではいられません。

往時の漱石が訪ねた円覚寺をはじめ
周辺寺社に纏わる佇まいと
鎌倉のこの海は
あれから120年の歳月が経過しても
やはり鎌倉時代そのままの面影を残す
徹頭徹尾の”古都”でありまして
鎌倉とは品に
寛雅な
悠久の地であります・・・。

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【 2013/08/28 18:36 】

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日本文学の馨る街~横浜 Ⅰ~鴎外/舞姫
雅文も光る鴎外”舞姫”
その舞台となった横浜

DSC_0344.jpg

留学先のドイツで
主人公は哀しみの淵を彷徨い
最期に理性で恋人エリスを切り捨てる
けれど彼女は遥かドイツから彼を追って・・・。

此処横浜港は
エリスが長い船旅の後
見知らぬ異国の地にただ独り降り立った
あの港なんですね・・・。

ゲーテの”ファウスト”その 第一部と関連付けて
論じられることもある鴎外の”舞姫”ですが
特にこうした擬古文スタイルで綴られた
鴎外初期の作品、”舞姫”や
”うたかたの記””文づかひ”からは
独特の情趣が立ち昇っています。

そもそも明治期には
文語体で織成された名文
けして少なくはないのですが
鴎外のそれには格調があって
尚、音楽を聴くが如くの流麗な文章
そんな典雅な世界観を
彷彿とさせてくれるのも
この地、横浜の魅力のひとつかもしれません。

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【 2013/08/25 20:55 】

| 文学~小説/詩/名言 | トラックバック(0) |
アラン/幸福論~恋愛/芸術~アラン/幸福論
音楽
絵画
人間洞察
そして恋も
大切なのは自身の感覚
自分の感性でどう受け止めるかという一点に帰結せられるもの

ここに他者は考慮されない
他者は審判者ではない


DSC_0107_201308221240217d0.jpg

こちらはアランの書から溢れくる姿勢ですが
アランと謂えば”幸福論”
幸福論と謂えば
他にヒルティ、ラッセルときて三大幸福論なんて言われ方もしています
ですが
取り分け彼の幸福論
彼の理論には
批判もなければ
説得もありません
そこには
穏やかにも優しい”諒解”が息衝くのみ・・・
そして
読むものに
精神の自立と自由を
渡してくれる・・
恰もバトンのように。

周囲への気遣いで行き場を失くしそうな
あの頃の私にとりまして
自身を取り戻せた
救いの書物のひとつでありました。

どんな場面であろうと
何処に所属しようと
どんな時であっても
私たちは
心の内だけは勇気を持って自由に
自立的に人生を創り出せるもの・・・
アランは私の耳元にそう囁いているように感じました
そして
そうあること
そうあるように諦めないことを
”幸福”と呼ぶのかと・・・。

木洩れ陽のもとでの
読書は
いつの時も
言葉が光に溶けて
きらきらとココロに散りばめられ
時間の経過とともに
滲透してきます・・・。

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※アランの誕生は、日本で謂えば明治維新
彼の生きたフランスはナポレオン3世に拠る王政の時代です。
同じ年アメリカではリンカーンが暗殺され
プロシア(ドイツ)ではビスマルクが活躍していました
ここまさに現代への胎動期と謂えましょう。

そうしたなかフランスでは
あの革命が良かったのか悪かったのか
王党派、革命派、ボナパリストとそれぞれのスタンスで争う結え
政治体制も激動の時代です。
この間大よそ100年
アランはそんなフランスの試行錯誤期を生き抜いた思想家でした・・・。







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【 2013/08/22 15:01 】

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葉山の夏~秋霜烈日~検察官記章~父へ
葉山
燃ゆる海

夕暮れを前に
真夏の耀きを放つ太陽が
水平線の向こうから
私のもとに運んでくれる
琥珀の揺らめき

DSC_0083.jpg

それは
sundressの裾を
気持ち持ち上げて
海水に沈めたつま先にまで
微かな温もりとして伝わってきます。

白い花にレースをあしらった麦わら帽子の下で
夏の強い陽射を眺めていると
脳裏を翳めるのは
父のスーツに付けられた記章・・・

”秋霜烈日”

夏の激しい日差しと秋の凍てつく霜
こうした季節の厳しさに
法の厳峻さと厳かさを投影させたとも謂われる
検察官記章
結え、”秋霜烈日”と呼ばれているんですね。

こちら20世紀半ばの
真夏に制定されたとのことですが
秋霜烈日章なんて言い方もされてきたようです

それが検事の職務と
その在るべき姿
刑罰の峻峭が端的に示されているということなのか
それとも
厳格さばかりでなく
陽光のような暖かさも必要
という戒めを含むものなのか・・・

ですが
本当の処は
平等と公平の正義を追求する
検察官に相応しい
均衡と調和”をイメージしたということらしく
あくまで
抽象的なデザインのようです。

背面には
所属検察庁を示す番号も
刻まれていましたっけ

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この夏は
愛する父を
胸いっぱいの想いを込めて
迎え
そして送る
そんな季節でもありました・・・。









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【 2013/08/19 17:52 】

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グランプラスⅢ~ブリュッセル/EU/NATO~芸術の丘/マグリット/ベルギー王立美術館/モネ劇場
耀く朝陽の差し込むグランプラス
いにしえの時ユーゴーが
この場所で切望した
United States of Europe構想

そのブリュッセルは今確かに
欧州連合の首都ブリュッセルとなって
脈々と生き続けている
そう
ブリュッセルが
ヨーロッパを統括するEUや
NATOの本拠地とされているその理由が
垣間見えてもきます。

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聖ゴーリックが6世紀にこの国を流れる美しきゼンヌ川中州に
小さな教会を建てたことに起源をもつブリュッセルは
ブルージュ、ゲント、ケルンを結ぶ交易路の中継地として
重要な役割を担ってきたんですね
ブラバント公国、ブルゴーニュ公国、神聖ローマ帝国
そしてスペイン、フランス、オランダ
錚々たる支配国が行ってきた
ブリュッセルへの都遷は歴史の必然に思えます。

フランス文化とオランダ文化の分水嶺的存在が故
仏語、蘭語の2ヶ国語が公式言語に制定され
公文書の総てのサインが2ヶ国語表記というのは
その象徴その極みであります。
ですが実際に街中で耳を澄ますならば
そこから聴こえ来る多くの言葉はやはりフランス語
さらに風景も雰囲気もフランス文化の名残が
大方を占めているように感じています。

太陽の傾きとともに違った表情を浮かべる
このグランプラスに纏わる偉大なる芸術家のひとりに
あのルネ・マグリットもいます。

ブリュッセルに住み
作品のほとんどをこの街で制作したという
マグリット
その足跡を辿れば
彼が展覧会を開いた画廊や
行きつけのカフェまで
当然の事乍、ゆかりの場所は随処にありまして。

グラン・プラスから王宮へと続く”芸術の丘”には
マグリット美術館が
そして
ベルギーで最大規模を誇る王立美術館が・・・
こちらには
ブリューゲル、ルーベンスといった
フランドル絵画から
デルボーやアンソールに至るベルギー近代的美術まで
酔いそうなほどに
幅広い美術品が展示されています。

またブリュッセルの街を逍遥するなら
中世から現代に至る各時代様々な様式の建築物が見て取れ
なかでも建築家オルタらによる
アールヌーボ様式の建築物はひときわ目を惹きます。

そして
ブリュッセルで音楽を語るならまずはこちら
モネ劇場
ヨーロッパ屈指のオペ ラ劇場ですね
オーケストラよりオペラが好まれるっていう処もまた
フランス文化からの影響が伺われますよね^^

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モネ劇場と謂えば
ここで上演されたオペラ、オーベルの”ポルティチの唖娘”に心酔した観衆が引き起こした暴動が
1830年のベルギー独立革命のきっかけを作った場
想いは尽きません・・・。













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【 2013/08/16 11:01 】

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ハーグ(海牙)/国会議事堂~ホフフェイファの池~マウリッツハイス美術館/フェルメール/レンブラント/ルーベンス
オランダ第三の都市ハーグ(海牙)
かつて伯爵宮殿であったという
重厚で中世儘としたこの建物は
オランダ国会議事堂 
リッデルザール騎士の館



国会議事堂や総理府、外務省など政府諸官庁
女王の宮殿などが立ち並ぶ
政治の中心地ビネンホフの一角です。

国連からも独立するという国際刑事裁判所
他重要な国際機関も複数置かれるハーグですが
ハーグと謂えば
ハーグ条約(Hague Convention)が想起され
なんと歴史的重みある、価値ある都市であろうかと
私はそれだけで胸がいっぱになってすっかり閏るしてしまうんです
想いは大岡昇平の”ながい旅”まで駆け巡りますので・・。
此処はもう”平和と司法の街”と呼ばれる所以ですね。

同時に王室宮殿、中央官庁、各国大使館など
首都機能の殆ど総てを有する街
ですので
一般に首都とされているアムステルダムは
あくまで憲法上のそれであって
首都機能は須らく此処ハーグが担ってきたんですね。

ホフフェイファの池に面するこの一帯には
オランダ絵画、その珠玉の名品を収蔵することで知られる
マウリッツハイス美術館があるのですが
残念ながら2014年までの拡張工事中で;

現在、その有名コレクションの一部はデン・ハーグ市立美術館へ
とのことで・・・
念願のフェルメール”デルフトの眺望”には邂逅☆
ですが
”真珠の耳飾りの少女”は国外貸出し中とか。
海外での美術館訪問時にありがちなこの無念
この美しき作品は、来日の際に鑑賞させて戴いているのですが
やはり代々オランダ総督の家系マウリッツ家の居城として
17世紀半ばオランダ古典様式建築の代表とされる
この由緒ある構内で再会する夢、
レンブラントやルーベンスら念願の数点も・・涙をのみました。

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こちらがその国際司法裁判所
崩れ行く橋から着想を得てカーネギー鉄鋼会社を立ち上げたという
スコットランド系アメリカ人カーネギー寄贈の建築物ですが
”平和宮”と呼ばれ親しまれているようです。

冬に訪れた時には
早朝で美術館開館前
このホフフェイファの池は一面氷で覆われており
冷たい指先をコートのポケットに包ませたまま
凍てつく散歩道を通り抜けたこと
懐かしく想い出されました・・。



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【 2013/08/12 11:40 】

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永遠なるもの・・・ブルージュの薔薇に宿る朝露の煌めき~恋するバッハ&ブラームスの世界観~芸術の普遍性
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先達ての記事
ブリュッセル郊外~偉人が迎える転換期~レンブラント/バッハ/ゲーテ/ベートーヴェン/ブラームス
偉大なる芸術家のlifeworkにおいて
世界が求めるものと
偉人の内から湧き上がる真理とが
遊離し始めたなら
彼らは自らの信ずる処に基づき自由に
人間的普遍性の表現に向かうべく
転換期を迎える・・・

こうした主旨で綴ったくだりに於きまして
脳裏を過った人物の一人に
ブラームスを挙げてみたのですが
其処にご質問を頂戴致しましたので
少し補足して記させて戴きます。

ブラームス最初の交響曲をして
指揮者ビューローに”ベートーヴェンの10番”
と言わしめたことからも判るように
この時期既にブラームスの名声は確立していました
しかし乍、或る期を境に
ー敢えて具体的に申し上げるならー交響曲4番あたりから
彼は内なる情熱に突き動かされるように作曲していったように見受けられます
時期を同じくしてその作品は外界(聴衆)の求むるそれとは少しずつ
乖離し・・・その作品の評価は賛否両論のものとなっていった
そして結果的にこの”4番”は
ブラームス最後のシンフォニーとなります。
(古典の中にあのようにロマン性を織り込んだ4番交響曲
バッハに恋する(笑)私と致しましては
バッハのカンタータ150番を想わせる、この交響曲の終楽章は堪りません
またあのクララ・シューマンへのスタンスに大変に共感していたりもしまして
感情移入せずにはいられません^^)
ブラームス、実は次作に当たる5番、6番の構想も練っていたようなのですが
そのひとつは
それから2年後に発表される作品
ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲に改編され
交響曲として日の目を見ることはありませんでした。
さらに云えば、この二重奏曲がブラームス最後の管弦楽曲となっているんですね。
その誘因と申しますかエレメントなるものはいろいろありましょう
けれど現実に
この頃からブラームスは専ら室内楽曲
ピアノ曲、歌曲へとシフトし
清浄で、慎み深い世界観を構築してゆく
一方で
(本能的に民族音楽に心揺さぶられるような処のある私にしてみますなら)
民族的主題を映し創めた頃からの彼の語法
その作品群には
それまでにはない雰囲気
深いインテンシヴ性を湛えているように感ぜられるのです。

その変貌は
かのベートーヴェンが
年を重ねるごとに
総括的になっていったのとはあまりに対照的で。

当時の彼の道程がgalleryの求めるそれと隔絶しゆくとき
(人間は会的動物結え)声価突破、世界超克的ともいえる
外界との精神的対立と申しますか
時代との戦いに迫られる
こうした意味でブラームスは
大変に苦悩した芸術家
そのひとりであったようにも想うんです

天才藝術家の内に湧き上がるその高き創造性
それは
内部に留まる筈もなく溢れ来る
自己を一歩も譲らず己が信ずるものに
突き進み自己実現をみるその世界観にこそ
永遠なるものが宿ると私は信じて疑いません。
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物質的に豊かに成りすぎて
大切なものが音を立てて失われゆく現代にこそ
こうした真なる芸術が求められているものとも
感じています・・・。











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【 2013/08/09 16:21 】

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フランドル絵画とその精神性 Ⅱ~プロテスタント内発的動機~バロック絵画/ルネサンス
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優秀な人材として大きなファクターとなる内発的動機を
兼ね備えたプロテスタントの多くは、こうして
こちらのネーデルランドへ移り住むことになったんですね。

そして毛織物業発展の立役者となってゆく・・
そもそもネーデルランドは
中世、ハンザ貿易、欧州南北貿易など様々な観点に鑑みても
大変有利なポジションに在りましたし・・・

此処で着眼すべきは
カトリックからの迫害を期に
フランドル地方から追われた移民(プロテスタント系)を
ネーデルランドの人々は暖かく迎え入れたこと
それは時の社会通念に照らしても
その受容性、素晴らしいと思うんですね
権威に寄らない本質を見抜く眼差し
それは此処にもしっかりと生きていて
フランスのユグノーしかり
ドイツのプロテスタント受け入れしかりで
アウトサイダーへの扱い
この寛容性こそ繁栄の礎となった
そう思われてなりません・・。

多角的考察を加えますと
脈々と続いてきた国民性
そして
この地域にフランドルの血脈が流れくる
その原点も見えてくるんですね・・。

さらには
バロックという括り
こちら対抗宗教改革(反宗教改革)的
カトリック改革とは深い関連性があるとされている処であり
一体化したものとも見なされてもきました
ですが
合理的で抑制されたルネサンス芸術にはない魅力
あの豊かさ
あの親しみやすさ
あの躍動感
時に情熱的に
時に力強く・・・
このネーデルランドでは宗教とは切り離された独特のそれが発展しており
その美術市場躍進の諸力は
こんな処にもあったものでしょう。

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ブラームスの芸術的転換期のご質問の件
記述の相関性を鑑みて
また次回に改めますね^^










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【 2013/08/06 09:24 】

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フランドル絵画とその精神性 Ⅰ~プロテスタント/近代資本主義/内発的活動~デューラー/ファン・アイク
”最初に購入された画集がデューラーで
   2冊目に購入された画集がファン・アイク”という藝術家のあなたへ

当blogフランドル絵画の記事に纏わり
素敵なMAILを戴きまして
その大切な想い出に接し
胸の奥深くに眠っていた
デューラーの”ネーデルラント紀行”に記されたフレーズ
”あまりに素晴らしい・・・”に始まるあの一節が
甦って参りました
それは聖バーフ大聖堂に収められている
ファン・エイク兄弟の手による”神秘の子羊”へ向けられた賞賛の言葉でございまして
ここに想いを致しますと
そのお気持ちが伝わってくるようで・・・

DSC_0400_20130802124930ff9.jpg

ーーあ・・・因みにブリュッセル郊外の随想で
ブラームスを列挙したのは他でもなく
"藝術的スタンスの転換期"という共通項で
括ったまでのことでございましたーー



ここにお贈り戴きました
フランドル地方の画家たちに纏わるメッセージとは
かの地での”活発な商業活動”
そして”優秀な商人を育むような精神活動”
さらに”プロテスタンティズム”
ここに通底する何ものかがありはしないか・・

そしてそこで育まれた精神に裏打ちされた画家たちの
現実肯定的な力強さ・・・
といったような
奥ゆきのある考察が記されたものでした。

こちらのMAILに
甚く共感致しましたのは
私自身が素晴らしき藝術作品に邂逅したとき
その偉大さの前に
言葉もなく立ち竦んでしまい
時が止まったかのようにただただ魅入る時間
自身の中のあらゆる感覚、経験が呼び覚まされ交錯し
想いは止め処もなく溢れてくる・・・
自在な思考を巡らす儘に身を任せるあの至福の時間は
藝術鑑賞歓びの極みであろうかと
強く感じているところからなんです。

彼は
ルーベンスにもフェルメールにもレンブラントにも
ゴッホにもマグリットにも
そして
今回私がクレラー・ミュラー国立美術館、ハーグ市立美術館で初めて対面した
コンポジションの画家モンドリアンや
さらには
アントワープ王立美術館でまみえた
カーニバルの仮面が印象的なJames Ensorにも触れてらして
この辺りはどうであろうかと・・・。

そしてそんな彼らを
ロシア革命時に亡命し
ブリュッセルで美術を学んだニコラ・ド・スタールや
自身だけの作品展示室ロスコルームを強く望んでいた
マーク・ロスコらに比して
そのメンタル面を対比してらしたもので
それはあまりにカオス的と申しますか
美術史以外の観点
歴史的思想文化的検証を綿密に重ねても
確定的な結論はたぶん出せない・・

とにかく大変に重層的で多元的で
輻輳していて・・・

けれど
私も何かしらの傾向はあると
思われてなりませんでした。

まして専門家(芸術家)の方のお感じになる
直観ですとか
その思考プロセスですとかは
私にとって学びであり
本当に興味深くて
大切にしたいと思っています・・。


歴史を鑑みるに
ネーデルランド毛織物の興隆期は
実はプロテスタントが興る中世
宗教改革以前からではあるようなのですが・・・

それは
ネーデルランドというよりは寧ろ
フランス北部、ベルギー西部、オランダ南西部にあたる
所謂フランドル地方が興りなんですね
そして
程なくして始まった宗教改革に対し
このエリアではカトリックによる
カルヴァン派(プロテスタント系です)の迫害が始まるのですが
このカルヴァン派
その多くは
確かに
海運、貿易を担っていたその道のエキスパートでありました。
そうなんです
プロテスタントでありまして

まさに
ドイツの社会学者マックス・ヴェーバーの
プロテスタンティズム倫理と資本主義精神に合通じるところなんですね
研究者の間では
プロ倫とも呼ばれるこの概念
その展開を一言で謂うなら
ーー往時、カルヴィニズムの影響が色濃く出ていた国(英米もそうですが)は
”非合理的合理主義”で埋め尽くされていた
そして、このイズムが近代資本主義を発展させたーー
こういった理論です。
(”非合理的合理主義”言葉が相反しているようですがここがポイントなんですね)

少しだけ説明させて戴くなら
上記”非合理的合理主義”の非合理性を内包しない
通常の合理主義ー実践的合理性を図ったのが
イタリア、スペインに代表されるカトリックの国々でして
こちらは顕著に、資本主義に遅れを取りました。
そして
これを単なる偶然ではないと考えたのが
ヴェーバー、そのひとだったんですね
ここで彼が着目したのは
カルヴァン主義の”予定説”
こちら
”善き人間は救われる”とした因果論の完全否定
であり
人間は、お布施や献金などで救われる類のものではないとし
神の意思は人間には不可知であり
もっと言えば
”神の絶対性の堅持”を主張したものでした。
さらには
これキリスト教ですから、仏教のような
輪廻転生の望みが在るでなく
もうこうなれば
人々は救いを求むるべく手立てが何一つなくなってくる訳なんですね
よって
この予定説は
人々に極度の不安と緊張を強いることになったのですが

それに立ち向かうべく
彼らがとったスタンス
これが凄くて・・

”救いが何処にもないのなら
只管、ストイックに生き
持てるエネルギーの総てを
信仰と労働に捧げ社会に貢献する”

というものだったんですね。
こちら
逃げ場を失くした彼らが決して諦めずに
コペルニクス的転回で切り抜けるという
生命力の強さを如実に顕したもの・・

と申しますのは
最終的に救われる人間とは
理想的人間に違いないであろうと
彼らは確信した
であるなら
理想的人間に到達しようと

そうなれば必ずや救われるに違いない
こうした逆転的とも謂える三段論法は
如何にもポジティブで
なんとしても生き抜くという逞しさに満ち満ちています。

それまでカトリック(ヘーゲルの”美学講義”にはカトリシズム
なんていう言葉もありましたけれど^^)と同様に
利潤追求を否定してきたプロテスタンティズムでしたが
利潤を得ることの否定
それは取りも直さず
資本主義と相容れないものになってしまう
ですが、彼らはそこに陥らなかった

目的はあくまで勤労奉仕
そしてその結果としての利潤
そして
得た利潤は
禁欲的概念のもとに浪費せず
大切に蓄積しさらなる資本として
新たな市場に再投資する
というこの姿勢は
利潤追求を否定し続けた南欧のカトリック圏で顕著に見られる
穏やかな労働とは
対極に在る労働意欲でありまして
科学的合理性に基づいた生産力の高いシステム導入を図るものであり
バイタリティ溢れる現実肯定的労働と謂えるものではないでしょうか・・。

労働の動機が外圧的なものでなく
内的なそれ
自発的であるという
此処、ここの意識が
生きる原理ともなってきたのではないかと
私は思うんですね。

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ささやかな個人的考察を加えさせて戴きましたが
その後の彼らの発展的成功を鑑みるに
もう一つの偉大なる精神性を
想わないではいられないんです

それを・・・
次回
触れてみたいと思っています。














テーマ:ヨーロッパ - ジャンル:海外情報

【 2013/08/03 10:04 】

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