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愛しの”Foly” ~狭間の美学 Ⅲ 
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遥かなる栄華
そして
確かにここにあるその証(残骸)
想像にあまりある盛者必衰の理
消えゆく現(うつつ)
無常の実感
心を揺さぶるのは
時に
このコントラスト
であり
硲であります

摂理の具象と化す廃墟に
硲の美学が寂寥的に投げかける
縹渺たる光

哀しみに
劇しさに
捉え難さに
支えられる美の棲家。

生と死の不可分性
抗いようのないその狭間を
あるがまま
認めざるを得ない場所
それはどんなカタチであれ
圧倒的な存在感で
私たちの前に立ちはだかります。

一瞬たりとも留まることをしない
不可抗力なる時の流れ
到達不可能
決して届かない地点
それでも弛まず続ける精神の無限運動
そして齎される生の証

消えゆくものが最後に放つ光ほど
鬼気迫る美が他にありましょうか

儚さには
希少性に近しい
本質的歎美性が備わっており
私たちはその背後に
美を見出すんですね。

郷愁、懐古、追憶といった
nostalgia
喪失のテンプテーションとも
同調するものであります

絶対不動性が薄まれば
薄まるほどに・・・。


例えるなら

川端の
三島の
ラシーヌの
ボードレールの
ソルジェニーツィンの
彼らの作品群も
これらがファクタとなって築き上げられた
厳かなる牙城といって差し支えないのかと。

悠久の洗礼を受けた人為の果て
無との狭間
移ろいそのものが
目的と化す状態
それは
朝と夜の硲に
夢と現実の硲に
真実と虚構の硲にも横たわっているもの

移ろいに
属性なく
在るのは
混沌
不確実性の先の
掴み取れなさこそが
勾引する何ものか

そして
この硲は
真理を映し出す秘められたvalleyかとも思われるんですね

そう謂えば
かのバルテュスが
最期の瞬間まで求め続けた
少女から大人になる
あの僅かな隙間に
垂直に立ち昇る美
にも同種のそれがみてとれるように感じます。

もっと言えば
感情の形而的昇華をはかる耽美性というようなもの

タルコフスキーの
テオ・アンゲロプロスの
さらには
ヴィスコンティらの
美的範疇とも
重なりあう何か

彼らが切り取る映像美に聴こゆ
深き精神性が鳴らす静寂の鐘
静けさに佇み
耳を澄まさねば聴こえないほどに
小さく響く美しくも哀愁を帯びた鐘の音(ね)
そんな時の余韻のなかで
この章を終えることにします。































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テーマ:芸術・心・癒し - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2014/05/25 09:57 】

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