小さな躰(からだ)で
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今日も

一生懸命に

生きてるって

そんな感じのキミが

大好き


















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テーマ:サボテン・多肉植物・観葉植物 - ジャンル:趣味・実用

【 2014/07/31 08:50 】

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RE:夏ですね
DSC_0477.jpg

純粋抽象に纏わるメッセージをお贈り下さったあなたへ

そうですね~夏ですね☆
陽の光眩しい季節になりました。


戴いたテーマが深くて・・・
ですが
こうして機会を戴きましたので
ささやかで申し訳ないのですが
少し。

あなたの考察に
ふとフランス美術史の
”Abstraction Chaud”と”Abstraction Froid”を
想起致しました。
抽象絵画の傾向を示すための
便宜的分類に過ぎないものですが
単語そのままに
熱き抽象,冷たき抽象という捉え方・・・

フランス純粋抽象の伝統とされる幾何学的抽象を
冷たい抽象
そして
動的な構図に自由な色彩で描く
所謂、表現抽象的傾向を
熱い抽象と位置付けたものだったと記憶しています。

coolとされたそれは
無機的で
延いては、インダストリアルデザインやOPTICALなものを思わせるような系譜、
hotと形容したそれは
有機的で
私たち人間の感情や精神を内包させた
表現や色彩効果も期待できそうな作品です。
こうしたプロセスに息衝く躍動は
リズムを刻み、時に飛躍があり、時に緊張もありましょう
そしてそれはそのまま作品に落し込まれ
集約され
確かなimageを立ち昇らせる・・・

同じ抽象画というジャンルにあって
対象のエッセンスだけを抽出した半具象(からならば
ある種のリアリティと申しますか
居場所のようなもの
心寄せやすい何かがそこにあるようにも感じる)
一方で、
そうした過程を経ない
コンセプショナル的傾向のもの
例えばコンポジションに優れた作品には
数学的美しさのようなものが備わっている・・
敢えて自然にないフォルム、色彩に
精神性を吹き込む
”構成力”と申しますか
一切の不純物を排除した、その純度の高さに
ダイヤモンド的結晶を見出す
といったようなこともあるのかと・・・
また
具象、半具象に限界を感じるからこそ
言葉に成らない混沌とした感情は
純粋抽象によって
醸し出せるといったケースも
あろうかといった想像は
できるんですね・・・・

そして
どう感じ、どう受け止め、何を想像するか
その自由度を一段と高める”絶対音楽”の表現を借りるなら
純粋抽象は、”絵画の絵画による絵画の為の絵画”的要素を
備えているのかもしれません。

*************************************************

ひとはみな誰も
理性と感性のバランスの上に生きるようなところ
あると思うのですが
より理性に寄るスタンスが
科学的であり
感性に寄るそれが
芸術的・・・

一般的社会通念で謂えば
絵画は文學よりも感性に振れているのかと思うのですが
実際ダリ、キリコ、マグリットらのシュルレアリスムを先導したのは
ブルトンや、後に彼と袂を別ったツァラやアルトーたち
それぞれに”ダダ”から影響を受けた詩人たちだったんですよね。

そして
”ダダ”
ここ、大事ですよね。

あなたのおっしゃる
”意味として読まれることを徹底して拒絶する純粋詩”は
Noncence verseのようなジャンルのことを指していらしゃるものでしょう
文学史で謂う”ナンセンス詩”的な
意味を成さないこと自体に意味を持たせるというか
物語的なものを排除することによってのみ齎される何かを目指す
とにかく
既成概念に縛られない表現を特徴としています。
詩に限らず、現代では多様なジャンルで散見される
このような 文学手法や 、
不協和音の解放といったスタンスの無調音楽
そう、大変に困難を極めるという
調性を機能させない調性破壊の試み
とも通じる処あるようには思うんですね。


科学的発見が
第三者の再現で
初めて科学的価値を持つのは周知のところですが

芸術の領域ならば
独立して成立し得る・・・
筈。

ただ
時代を超えて空間を超えて誰からも
その作品への共感が得られないのは・・・

理に勝ちすぎる?
自身の世界観で完結して
その先の普遍性に届かないもの?

何かしらの
真実を備えている芸術には
(先程述べた)imageが立ち上がる
どれだけの鑑賞者がそれを感じとれるか
そうでないかと謂ったようなところもあるのかと・・・。

ですが
純粋抽象にそれが叶うか否か
それはあくまで
表現者と受け手に
通じ合うものがあるかどうかといったような類の・・・

分り易い、誰もが知覚され得るようなものでなく
開かれた者のみ感受できる類のもの
(見えないけどあるものを描く
 あの表現力から思弁的な概念を受け取ると言ったような)
それは
観念論、実在論といった二元論に陥らず
その双方に働きかける運動でありまして

物質から知覚を受ける精神は、そのプラクティスにより豊かな糧を得、
この糧により精神は高められて
さらなる知覚を受け取る。
こうした一連の相互運動により
より深層的感動が意識の中に呼び起こされる
云ってみれば
ベルグソンが提示したimageその原点のようなものであろうかと。

過去、現在、未来を自在に操るアイテムである記憶(知覚と不可分)は、
そのままに豊かなる経験と同義であり
現在の知覚に参画し
より重層的イマージュを魅せてくれる
掛替えのないツールなんですよね

時代を超えて尚
距離を超えて尚
通じ合える精神を持ち合わせた者たちの
言葉には尽くせない
心揺さぶるイマージュ
それぞれに
真実のようなものが包蔵されているといって
良いのかと・・・・。


最後に
あなたが述べられていた
芸術とは、好き好きの問題でも、完成度の問題でもなく
ニヒリスティックな相対主義を脱して如何に真実を掴んでいるかである

といったあなたのくだり・・・

これだけの確信を持たれている
そのことが
羨ましいと思いました
そして
”完成度の問題でなく”
というところ好きです。

凄く
愛されているんですよね
芸術を。

私などには到底
難しくて答えが出せませんが

これだけは
謂えると思うんですね
芸術が科学と本質的に異なるのは
絶対的価値基準がないということ

科学的発見は限られた者にのみ為せることかもしれませんが
そうして得られた科学の成果は、
その分野を学べば
皆が一様に理解できる類のものなんですよね
というか
そうでなければ
科学的真理とは呼べないものかと。

ですがそうはいかないもの
感性の違いが
対象への理解度を別つ
それが芸術が芸術足る所以なのかと思ってみたりもするんですね。
(新規の試みが
 広がりを呼ぶと言う点では共通でしょうか)

解るひとには解る
解らないひとには解らない

ごめんなさい
一見して答えになってませんよね(涙

ですが実際
”それが如何に真実を掴んでいるか”は
解り合える者、(変な表現ですが)解り合えない者で
差異が生まれるのは避けられないのかと・・。
そしてそれは優劣でなく
価値観なんですよね ・・・。


例えば美術なら
パブリック・アートから
インスタレーション
ランドアート・・・
こうしたオフミュージアム的なものまで
あらゆるものを包括できる
枠を定めない
その度量の大きさこそが
artがart足る所以なのかな
なんて思ってみたりもするんですね。

(JAZZでも初めはビバップ
なんですけれど
クール、ハードバップ、モード、
アバンギャルド、フュージョン
かと思えば揺り戻しがあって新古典派
そしてコンテンポラリーみたいな(笑)

音楽や絵画、彫刻から受けとるのは
音やリズム、旋律
フォルムや色彩だけではありませんよね
言葉になら ない何か
感動、情動と謂ったようなもの
説明不可なもの
であればあるほど
感じるものは大きいのかもしれません。
ロマン主義的インスピレーションではありませんが
そもそもが
芸術の概念は抽象なのかと・・・
時に鑑賞者の
観賞力や経験値も影響しましょう
ある人にとっては無価値であっても
ある人にとっては至高の芸術といったことがおこるのが
芸術の面白いところなんだと
私は思うんですね。

究極は美的追求にあるのかもしれませんが
そこに精神の解放
魂の叫び
非日常にいざなう何か
そうした
鑑賞者の心の琴線を響かせる
表現手法の模索が
アートの永遠の課題なのかもしれません。

私が大切に感じているものに
”作家性”があるのですが

芸術という各々固有の文法による表現
そこに寄り添うように
佇むイマージュ

この作家性のファクタ
これこそが
芸術の鍵なのかと
想ってみたりもしています・・・。


P.S.
ゴダールですか・・・。
彼の新作”Goodbye to Language”は、ほんとうに3Dになってましたね。
カンヌでは、審査委員賞受賞されていましたが
パルムドールを取ればベルリン、ベネチアと
3大映画祭最高賞制覇だったんですよね・・・
”ADIEU”の赤い文字が3Dで浮かび上がるあのイントロダクション
タイトルGoodbye to Languagと相俟って監督のメッセージ性は極めて高かったのかと・・・。

ジュリエット・ビノシュの” 嵐ヶ丘”は・・・
語り手がロックウッドでなかったのが残念でした(涙

そして、
ナタリー・ポートマンのファンでいらっしゃるのかと思っていました。
私なんて俳優さんに限らず、作家、画家、彫刻家さんなど
一度魅せられるといつのまにか
辿ってます・・・・
しかも作品年代順に(笑
これも”作家性”のなせる業でしょうか。

今日触れたベルグソンは
学生時代
あの癖になる独特の文体に嵌って
1年近くベルクソンの深海泳いでました
海上に浮かび上がった日には友人とワインで乾杯したっけ

今朝ほど戴いた、
創作のリクエストですが
"創ることに快感が伴う"ために
シェイクスピアの作品タイトルではありませんが
As You Like It☆
ということで
どこまでも・・・
応援しています。

saki






















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【 2014/07/30 09:25 】

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白い桔梗を贈って下さったあなたへ
DSC_0392.jpg

ーーあの詩に
       よくあて嵌まっているーー


あんな詩のような
美しい想い出があるって
素晴らしいですね☆

そして
白い桔梗
あるんですね・・・

綺麗です
とても

この桔梗も然ることながら
記憶のなかの方もどんなにか
素敵なひと
でいらしたんでしょうね

だから
作品に
こんなにも
”優しさ”が溢れて・・・

気品があって繊細
そして
儚げで
淋しそう
なのに
控え目な華やかさが・・・

見詰めれば
見詰めるほどに
こころ震える


一瞬の永遠・・見つけました


ありがとうござます

大切に
しますね・・・。

saki















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【 2014/07/29 12:55 】

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ミュシャ/自然/スラブ叙事詩~ゲーテ/ファウスト~スメタナ/モルダウ~ステンドグラス/リトグラフ/装飾パネル
Mucha La nature 001

ミュシャのブロンズ
” La nature”を前にすると
ふと脳裏を過るのは
ゲーテが残した言葉

”永遠にして女性的なるもの”

文学史上最高峰とされる”ファウスト”の
終章を飾る祈りにも似たメッセージ

自然をこよなく愛し
終生変わらず女性を愛でたミュシャのそれと
重なり合う想いがあるようにも感じ取れます。

そして
”美しいひとの訪れ”を意とする
ネフェルティティの胸像も彷彿とさせる
凛とした佇まい・・・。

アムステルダムから空路でのチェコ入り
空港着陸後機内に流れるモルダウは
幾度聴いても胸に堪えます。

スメタナ、ドヴォルザーク、ヤナーチェクの国
カフカの
そして、小説の冒頭から”ニーチェの永劫回帰は,他の哲学者を混迷させた”と記した
あのクンデラの国。

フッサールやココシュカもチェコ出身なんですね・・・。

このラ・ナチュールの作者ミュシャも
フランスはパリで
華やかな成功をおさめながら
その愛国心からか
故国に戻っています。

中央駅から真っ直ぐに市街地を抜けて
聖人たちの待つカレル橋を渡る
そして
小高い丘の上のプラハ城
聖ヴィタ大聖堂の
ミュシャのステンドグラスは
通常のそれと違って
硝子に直にペイントされたもの
第一印象は 色彩の勝利
美しいフォルムを
鮮やかな各色が包みあげるような作品でした。

ミュシャは
アメリカで
初めて
スメタナの”モルダウ”を聴いたんですよね
たぶん
自国で聴くそれよりずっと
彼の心に響いたんだろうと思うんです
”我が祖国”

侵略に次ぐ侵略の時代
小国であったが故に
消えゆくチェコの伝統を守るがための
愛国心

そして
苦難の歴史を超え
民族の統一を願い手掛けた大作
スラブ叙事詩を生む
原動力となって行ったんですね。

平和を願い
只管反戦の意を込めて
その深き想いを
絵画に閉じ込める

ジスモンダに代表される
花と女性だけを描いたリトグラフからなる
華やかな装飾パネルより先に
もしこちらで名を馳せていたなら
彼の評価も
また少し違っていたものになっていたかもしれません・・・。

此の街の随処に残された
ミュシャが生きた軌跡
ネオ・バロック風のスメタナホールの
内部はアールヌーボー様式で埋め尽くされ
ステンドグラスの光溢れる音楽堂でのコンサートなんてもう
美の極みかなって・・・。

フランス、ストラスブールに向かうため
後にした夕映えの街
プラハ中央駅を抜ける列車からは
豊かな水を湛えるモルダウ河が描く緩やかな曲線と
丘の上に聳える大聖堂
斜光線に映し出される百塔の美しき都
それがミュシャの生きた街
だったんですね・・・。
















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【 2014/07/24 08:47 】

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絵画を愛するあなたへ
DSC_0270.jpg

いつも素敵なBLOG
ありがとうございます。


一般論としての・・・
ーひとは絵を本能としていて
無意識の中での自己表現として描き始めることが自然で
そして
成長するに従い
絵を描くことによる自己表現の仕方を忘れてしまう
さらにそれは
潜在意識の中でのブレインロックが邪魔しているせいではないかー

という視点

ブレインブロックと
似たような現象
プラシーボやノーシーボ効果をも想起致しますに
私にも理解できるようなところがありまして・・・

お恥ずかしい話ですが
母が、幼い私に(3歳頃から)絵画教室(とピアノレッスン)に
通わせてくれておりまして
小さな作品展に入選したときの写真が
アルバムの片隅を幾つか飾っていたこと
ふと想い出させて戴きました。

芸術科目で書道を選択してからは
すっかり遠ざかっていた自ら創作するという美術の世界
この頃、御茶ノ水のLEMON(画材屋さん)で暫し時を過ごすようになったのも
いつのときも暖かな眼差しで
丁寧に対象を見詰め
せつせつと記していらっしゃる多くのメッセージからの影響もあろうかと
感じているのです・・・。


絵画を愛するあなたが丹精込めて手掛けられた大切な作品のご紹介に
なお優しく教え導いて下さる日々の記事へ
感謝の気持ちをいっぱいに込めて・・・

心から
ありがとうございます。


















テーマ:art・芸術・美術 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2014/07/23 18:19 】

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世界でたったひとつの芸術作品~生存の美学/フーコー~ギリシア/ローマ哲学
DSC_0222.jpg

フーコーの云う
生存の美学


彼は或る時から
古代ギリシア、ローマの哲学と
対話を始めました

そうした日々のなかで
彼が見詰めたもの・・・




後期のフーコー
自分の人生を
”世界でたったひとつの芸術作品にする”
そうした生き方


実存主義的現象学が支配する思想原野から哲学を始めたフーコーでしたが
そもそも実存なる概念は
解放の論理に基いているようなところがあって
時に主体的に生きることへのサポートにも
なるものなんですよね

ひとは自ら人間になるとしたヤスパースに
どこかしら通じるところのある
フーコーの”生存の美学”は
ヘーゲル的弁証法が基盤になっていますが
決して歴史フレーム内の運動ではありません。

彼の目指した解放はそのまま
自身を受け入れることであり
”自分”らしくあろうとする意志でもありました。

芸術は決して”芸術家たち”の特権でなく
日々の暮らし
その思考や行為の中心にあるからこそ
耀くような処
あるのかなって・・・。



科学的な知の領域と
感性のバランスを丁寧に保ちながら
”生”を自ら創造してゆく生き方
美しいと想います・・・。












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【 2014/07/21 14:46 】

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ウィトゲンシュタインさま


資本主義のブルジョア的文明観に厭き厭きしていた
西欧の知識人たちがこぞって革命後のロシアに
淡い希望を求めて訪問していたころ・・・

穏健派の社会主義者であったラッセルが
”ロシア社会主義論”に著した見解が象徴していたが如く
自由のないロシアと彼らの最終目標に
プラトンの理想主義的国家像を重ね合わせ
同じ不可能性を感じ取ってしまう
そして不幸にもそれは
的中していたということになるんですよね。

往時そのひとりであられたあなたは
初めから
他の知識人たちとは一線を画し
そのイズムでなく
”トルストイ”
彼のあのストイックな文脈に
惹かれて
大学教授の職を自ら辞し
敢えて農場での労働を選んだ・・・。

ウィーン生まれのあなたの
その当家がHigh culture的環境
ハイネにメンデルスゾーン、ワルター
マーラーやブラームスにカザルス
(延いてはラヴェルやリヒャルト・シュトラウス、プロコフィエフらがあなたのお兄様のために
作曲してもいらっしゃいました。)
さらにはロダン、クリムトまで
恰も20世紀芸術の縮図のような仲間たちの社交場に
そして
哲学者であられるのに
簡潔にして明瞭、実に端的に結論だけを記述するタイプのあなたは
同系のハイデガーとは少し趣を異にしてらして
その文体のさわやかさに魅了されてもいました。

少しも倫理を語らないのに
誰より倫理観を感じさせるところから
あなたがあのとき
ただ純粋にタゴールの詩に共感してらしたのだということが
痛いほどに伝わってきて参りました。

あなたを終生敬愛して止まなかったケインズは
そんなあなたの深層にも思いを寄せていたのかもしれませんね

ブラームスをこよなく愛し
唯一ショーペンハウエルを入り口に
英国ケンブリッジ大学の哲学教授に席を置きながら
頑なにドイツ語で執筆し続けたあなた
ウィーン学団からも信頼を寄せられる
論理立証主義的な側面も併せ持つ

その後
寂寥的断崖の続くアイルランドの海岸で
自然を愛でながらのあなたの研究
哲学の実践を言語ゲームと捉え
古典的言語学からも
所謂前期とされるご自身からも
距離を置いたメタ哲学
達観にも似た精神のtherapistを目指されたんですね。

ーー永遠なる時の中で
世界を直観することは
境界ある世界を
全体として直観することなのだ
ーー

一読して
訳のわからないような(スミマセン)
抽象的表現にも拘らず
そこを通過したら最後
時に忘れられない不思議な磁力を放つ
あなたの言葉たちは

今日も私の体内で
静かな時を刻んでいます・・。












テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2014/07/19 10:09 】

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civic education Ⅰ~民主主義の取り扱い説明書
お送り下さったMAILに
civic educationの大切さを説かれていたあなたへ



同感です。
教育は
ほんとうに大切だと思います。

ギリシア語demokrati由来の
”democracy”
日本では何故か
民主主義と訳されています。
ですが、
このデモクラシーは、民主政治の制度そのもを指す言葉であって
云ってみれば、政策の決定方法を説明する概念に過ぎないんですよね
まして
社会構造に影響を及ぼすような何ものかがそこにある訳でもありません
ですのに
イズム(ism)のように訳してしまっていることで
もしかしたら、私たちは、思想或いは何かしらの主義・主張が含まれているといった錯覚を
覚えてしまうようなところがあるのかもしれません。

(複数のismが共存可能な国家統治の体制となるこのデモクラシーは
政治理念を超えての共通の体制であるため
こうした誤解を引き寄せやすいのかとひとり想像してもみるのですが
それでも実際
英国を含めた欧米先進諸国には
日本のようにismの意を持たせている国は見当たらないようです。

確かに
民主主義は、
王侯貴族といった少数派支配で独裁色のある政治制度からの脱却
或いは専制支配(autocracy)への防御としては
必要にして最高の政治装置であろうかと思うんですね。

さらに、
数多の民衆の意見をまとめ政治の方向性を定めるに
Majority ruleは優れたツールでありましょう。
けれど少数派の犠牲の上に成り立つ原理であることに立ち返り
それがベターではあっても、ベストとは限らないという意識が
少し希薄なように感じ取れる現状もあるように思います。

クラシー(cracy)は
そもそも支配体制の意ですから
demo-cracyは
民衆(の多数意志)が政治を決定する ということ
それはそのまま
”民衆による支配体制”という意味合いになるんですよね。

単語の正確な理解を促すことで
あたかも民主主義が万能であるかのような幻想を抱くケースにして
何かしらの抑制になるのでは、なんて儚い期待をしてしまうのは・・・・・
必要にして充分な議論が為されずに
慎重さを欠いた
数の論理で押し切ることで
マジョリティがマイノリティを支配するような図式に陥らせる危うさを
孕んでいるのが民主主義という制度である
との認識が不可欠なものと思われるからなんですね。
まして
多数決によって導かれた結論が、必ずしも正しい訳でなく
そこに
”自分と違う意見を尊重する”という
根源的視点が欠落してしまうと
民主主義であるがゆえの必須概念、”少数派意見の尊重”が崩れます。
また、議会は議論の場でありますゆえ
私たちは、本来の機能を失なわせてはならないんですよね。

と申しますのも
ミルが功利主義に・・・
もっと謂えば
古代ギリシアの時代既にプラトンが国家に記していた
民主主義その負の側面を鑑みるに
選挙をして議会政治を成すことで
民主主義は為されるのでなく
大切なのは、あくまでその先・・・・・
ですゆえ。

民衆の意思は、絶対でありますから
民衆の意思によって成立した政府
その権力に
制限をかけるものは最早、存在しない状況が生まれる
全能の権力が誕生してしまうという
そのことが持つ意味の重さ
その責任は、すべての公民が等しくもつということも
自覚しておかねばならないものでしょう。

また、
民主主義が正常に機能するためには
(受け手のメディアリテラシーも然ることながら)
全公民へ発信する情報の正確性は至要であり
これこそ
民主主義の最大権力がメディアと謂われる由縁なんですね。


普遍的価値は
弛まぬ努力の先の目標と同義にもなりましょう。

こうした意味での
真なるcivic educationこそ
求められているということでしょうか。









テーマ:教育問題 - ジャンル:政治・経済

【 2014/07/17 17:46 】

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セレンディピティ


週末
街で見つけた
テディベア

優しげで
ふわふわ
愛くるしい笑顔に
シエナ色の帽子がよく似合う。

思い掛けない出会いに
小さく
”serendipity”って呟いていました。

来月第ニ子誕生予定の同僚への
贈りものに・・・決定









※セレンディピティの由来は
”セレンディップ三人の王子さま(The Three Princes of Serendip)”
というスリランカ童話にあるんですね。
こちら
王子様がそれぞれに
森の中でさまざまな出会いに
いろいろな発見をするのですが
その背景には
”洞察”的準備があった
というお話
ですので
セレンディピティには
”見えない努力”も隠されているようなんです。
それがたぶん
この言葉をして
”偶察力”だとか”徴候的知”なんて呼ばれ方もする所以でしょうか。
科学的発見や
時にノーベル賞の受賞コメントまでにも登場する
ポジティブにも寛裕さを含んだ
素敵な言葉なんですね



















テーマ:ヨーロッパ - ジャンル:海外情報

【 2014/07/13 21:11 】

| ヨーロッパ散歩(海外旅行) | トラックバック(0) |
イェイツ/アングロ・アイリッシュ~シェイクスピア~芥川~タゴール/GITANJALI
先に記した
イェイツ詩集からの”upstannding”に纏わるメッセージをお贈り下さったあなたへ

DSCN3531.jpg

僅かに綴ったあのWORD
胸のずっと奥で感じる大切な願いに寄り添って尚
”遺言”という重要ワードを
差し込んでお便り下さったこと

そして
ダンテやイェイツのような愛の在り方
それは、見方を変えれば
ー芸術が愛の可及的純粋な表現であるー
の具現化とも謂えるもの
こうしたスタンスは
”過去は上手に忘れ、より哀しまず、苦しまず
日々が平穏であることのみとを是とする”人生観とは
どこまで行っても平行線
決して相容れないものでありましょう。

ですが
どんな哀しみであっても
たったひとつの愛しか選びとれない
私のような不器用な人間にとってみれば
彼らの生き方に
痛いほどの真摯さ誠実さを覚え
そうであるが故に齎される深い精神性
その奥行きに惹かれて止まない魅力を感じるのです。

*****************************************************

イェイツは典型的な”Anglo‐Irish”でらして
このアングロ・アイリッシュは18世紀
名誉革命期あたりから市民権を得た言葉のようで
もともとはアイルランド生まれの英国人を意としていたもの
それから
ゲール語でなく英語で書かれたアイルランド作品が
Anglo‐Irish文學なんて呼び方もされるようになり
優秀な思想家も多く輩出される豊かな文壇なんですね。
そもそも
ケルト研究は、当のアイルランドよりも
英国で深められたという経緯がありまして

下記はケルト作品集からの私訳ですが

ーー深い森に暮らす
碧い息という意の”デオン”の名を持つ精なる女
華奢な躰に
月の光のような輝きを放つ瞳を湛え
柔らかなものごしで
可憐に咲く白い花の露を
来訪者の掌にそっと贈る・・・ーー

こうした
自然美を愛で
そこにあわれを見出す感性溢るるお話が多いんですね。

最期のロマン派詩人と称されるイェイツ作品には
こうしたケルトの神話
或いは諸伝説の類が多数引用されています
ですので
一見fantasy的傾向を感じさせる一面もあるにはあるのですが
寧ろ
苦悩、葛藤と闘い
それを乗り越えるといったような
云ってみれば、限界への挑戦ともいえる世界観を構築した
詩人ではなかったかと感じています
そして
その善き理解者のひとり
それが我らが芥川だったということになりましょうか。

産業の発展に伴い
イェイツが憂いた精神的脆弱性
それを補ってあまりあるような
あのケルト文化は
合理主義の対極の価値観を有し
(アイルランドといえば、ケルト音楽でも名高き故)
生粋の芸術気質の文化といったイメージも持っています。

イェイツの碑文は
最期の詩集
”バルベン山麓にて”からのフレーズ

ーCast a cold Eye
      On Life,on Death
          ・・・・・・・・・・ー
(詩文にはこれを墓碑銘とはせず、石灰石に刻むことを想定した説明まで為されています)

物質文明への憂慮も然ることながら
彼の生きた時代背景を鑑みるに
多数の犠牲者を出した
アイルランド独立戦争があり
かの大戦後の寂寥感に包まれてもいた
そしてなお
ヒトラー率いるドイツは、アイルランドに侵攻している最中でした。
そうした極限状況に照らせば
作中の”What matter”のリフレイン
そして
冷厳なる眼差しを生と死に投げてなど
如何に重い言葉であろうことか・・・
そして直、立ち上がろうとする彼の強い意志も伝わってまいります。

歴史とは
綺麗ごとだけで刻まれ行くものでなく
文明が高まり
洗練されゆくプロセスもまたしかりでありましょう
そこでのイェイツ作品に
創造的エネルギーを如何に発揮しようとも
負の体験は否応なく降り懸かってくるものであり
常に対峙させられる破滅的なそれとの鬩ぎ合い
その相互作用(例えば知愚の対立)こそが
精神の豊穣性を育みゆくといったような
主知的スタンスでの目線に落し込んでゆく詩文も散見されます。

現実を冷徹に見詰めていたイェイツですが
メタファに過ぎる処は(そこがまた彼の魅力なのですが)
難解(誤解釈を生みやすい)とされる由縁なのかもしれません。

政変に呼応するように紡がれた彼の作品群は
時に激しく
(シェイクスピアの如く)時に”tragic gaiety”に導かれた演劇論となるのも
無理からぬことでしたでしょう。

タゴールのGITANJALIの紹介文を切っ掛けに
イェイツ詩集を紐解かれたという経緯に接し
なにを於いても
タゴール本人が優れた英訳を成し遂げたという現実のなか
イェイツの激賞が
彼を伝統ある英国詩壇に押し上げたこと
非ヨーロッパ人初の(しかも原書はベンガル語です)
ノーベル賞受賞ですが
当時から世界の融合と調和を願った彼が
受けるべくして受けたものと
そのようなことを改めて考えさせられました。

タゴールのギタンジャリ
珠玉の名品とはまさにこのことで
小さな詩集でありながら
行間から毀れるヒューマニズムの輝きは
さながら詩歌の真珠のようであり
一瞬の永遠を求め続けた彼は
こうして後世の誰もに愛される
永遠なる逸品を残し意図せず
その夢を実現させてしまったんですよね。

かの
シュヴァイツァーが
タゴールを”インドのゲーテ”とまで称えてらしたのも
頷けます。

彼らの先にある
ギリシア語myein由来の”mysticism”
宇宙の究極的根拠に
絶対的存在といったような
所謂最高実在の自己内体験を目指すようなイズム
歴史的にはピタゴラス教団あたりから
その後の新プラトン主義など
アジアでは、道教、密教などがその範疇とされているようですが
そこには古代ギリシアそしてヨーロッパの哲学
さらには仏教中枢概念の萌芽さえ内包しているよう
これらを踏まえ
時に純理哲学的に
時に抒情的に謳うイェイツはケルト文学に信頼をおき
情調を備えたタゴールの
真実への深い理解は東洋思想に裏打ちされたものであった
そしてその共通項には
日本古来の美意識とも重なる
人がひととして備えておかねばならない
大切なこころがこめられているように
感じています・・・。









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【 2014/07/12 17:07 】

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さり気なさの美学


さり気なさが好きです。

DSC_0279_20140610164715b02.jpg

さり気ないおもてなし
さり気ない気配り
さり気ないプレゼント
さり気ないおしゃれ
さり気ない優しさ

この辺りに漂う”こころ”に
滅法弱いです(笑

なので
さり気ない日常の
なんでもないような出来事が
しあわせの源泉だったりするのかもしれません。

ビジネスや教育の現場に於いても
時に
さり気なく示すこと
或いは
さり気なくアシストする
そんなことの大切さを想っています・・・。


























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【 2014/07/09 17:58 】

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知らない街~絶ゆまぬ努力から果てしのないような自由へ
”現在”とは、
成熟していない状態にあるものであり
必ずといって良いほど
進化へのプロセスのなかにあるもの
なんですよね・・・。

P1100811.jpg

不確実性に揺蕩う生のなかでは
私たちの思い通りになることのほうが
圧倒的に少ない・・。

理不尽で
不条理な社会的側面は
現実と表裏一体

思考で感情をコントロールしなければ
忽ち不安に襲われ苦悩し
幸福の必須アイテムである
穏やかささえ失いかねません・・・。

哀しみや困難に向き合うことを非とするのでなく
自身にとって
価値を認めたものたちへこそ
許せる限りの時間を費やす

また
”努力の及ばない”領域へのそれは
思考から
意図的に排除する・・・。

精神はポジティブな意味で
我儘でいいのかナって
思うんですね

ここでのそれは
賢明とも同義になるのかと・・・。

たったそれだけのことで
多くの
無為な時間から
解放されもします

精神の自由は
どんな場所
どんな状況においても
奪われることは
ないんですよね・・・。






























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【 2014/07/07 17:47 】

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知音を想って・・・



遠くアメリカはルイジアナの地
生命医療科学の分野で
難病に苦しむ患者さんのために
日夜、研究を進められるあなたが
范曾の詩を引用されているのに接し
綴らせて戴きます。

知音のいない遠隔地は淋しいもので
私の心に寄り添ってくれるのは
夜空に浮かぶあの月だけ・・・
といったような情景を描いた
感慨深い作品をご紹介下さっていたものです。

”知音”の文字は
いつ目にしても
心揺さぶられてなりません・・・。

と申しますのはこちら
”伯牙絶弦”という成語
時に
”伯牙琴を破る”だとか
”琴の緒を絶つ”といった
使い方もされるものですが
あの呂氏春秋よりの伝え

琴の天才的奏者 伯牙が
心通じ合える友 鍾子期の死によって齎された 永訣の時

伯牙は自身の琴の音色を、ほんとうに理解してくれる者は
もうこの世にはいなくなったと
悲嘆に暮れ・・
遂には
愛用していた琴の絃を
自ら断ち切ってしまう

そしてその後
終生 彼は、琴を弾くことはなかったという
胸締め付けられる故事を想起させる2文字です故。


音楽に限らず
文學でも美術でも
おおよそ芸術の領域においては
基準となる”解”と謂うものはありませんゆえ
自身の作品に寄り添い
その真意を汲み取り確信を与えてくれる友の存在は
何ものにも変え難い
心の支えになってゆくものでありましょう

そして
このお話には続きがあるんです

そう
”賢者もまた然・・・     ”





広く人生に於いて、私たちが目前の仕事に立ち向かうに
それはいつのときも
想いを込め
自身の信じる道を熟しゆくしか手立てはないもの

ですがそこには必ずや
幾多の困難が待ち受けている

そうしたなかで
深い理解をしめしてくれるひとが
より善く生きるに
如何に大切な存在となることでしょうか。

こうした故事から
真なる理解者を
”知音”
と呼んでいるんですよね

それはときに
友であり
恋人であるものでしょう。

”知音”
静寂の中に微かに
けれど確かに聴こゆ美しき鈴の音色のような
そんな文字の佇まいも相俟って
心の琴線に訴えかけてくる
それは
深く、重い
言葉なんですね・・・。


***********************************************

英詩人イェーツの
”塔”という詩にめぐりあったあの日から
忘れられないwordがあります
それは
”upstanding”

ご存じのように、しっかりと据えられた、だとか
高潔なといった意味合いをも含む形容詞です。

イェーツが真に信頼を寄せる者とは
”時流に流されず
凛として高潔に生きるひと”
といった
そんなニュアンスを含んだ
なんとも美的なwordなのですが
こうしてBLOGを通じてこそ
upstndingな印象を感じさせて下さる方に
巡り合える歓びを
日々実感しているところでございます。





MAILのP.S.
先生
私は彼が描いた
嵐が丘の挿絵
あのデフォルメのなかに
ヒースクリフの
張り裂けそうな胸の痛みを感じたんです。

冷たい風吹き抜ける荒野に
ひっそりと
けれど凛と咲き誇る
一輪の冬薔薇の如く愛を・・・。
saki

























テーマ:芸術・心・癒し - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2014/07/05 10:14 】

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語り合う文化の重要性を説かれるあなたへ


先に綴った”愛すべきカフェ文化~語り合う歓びへ”を
ご紹介下さったあなたの記事に接し
ふと、20世紀末に米国(Juanita Brown /David Isaacs 両氏による)で提唱された
”world cafe”の概念に思いを致しました。

芸術、文化に限らず
あなたのおっしゃるような政治
そして企業などの組織のなかにこそ
relaxation溢るる空間と自由な議論の場が
求められてしかるべきなのかと
改めて感じています。

厄介な組織のフレームや
上下関係に縛られた状況下で
個々の主体性や創造性を存分に引き出すことは
それはもう不可能に近いのかもしれません。

問題意識、或いは問題解決に向けた意思決定へのプロセスにおいて
ああした開放感のある
カフェコミュニケーション的スタイルこそ
洞察力を深め
尚、様々に各々の
思想的、科学的、政治的、哲学的バックグラウンドを最大限に生かし
縦横無尽に意見交換のできる
多様で充実したダイアログが叶うものでしょう

こうして鑑みるに
カフェ文化のコンセプトは
いかにも
組織力を高め
集合知の源泉になってゆきそうだと
強く感じます。

日々
より良い街創りのため
真っ直ぐに市政に向き合い
改革に情熱を傾けられるあなたを
私は心から応援しています。








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【 2014/07/02 17:55 】

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