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civic education Ⅰ~民主主義の取り扱い説明書
お送り下さったMAILに
civic educationの大切さを説かれていたあなたへ



同感です。
教育は
ほんとうに大切だと思います。

ギリシア語demokrati由来の
”democracy”
日本では何故か
民主主義と訳されています。
ですが、
このデモクラシーは、民主政治の制度そのもを指す言葉であって
云ってみれば、政策の決定方法を説明する概念に過ぎないんですよね
まして
社会構造に影響を及ぼすような何ものかがそこにある訳でもありません
ですのに
イズム(ism)のように訳してしまっていることで
もしかしたら、私たちは、思想或いは何かしらの主義・主張が含まれているといった錯覚を
覚えてしまうようなところがあるのかもしれません。

(複数のismが共存可能な国家統治の体制となるこのデモクラシーは
政治理念を超えての共通の体制であるため
こうした誤解を引き寄せやすいのかとひとり想像してもみるのですが
それでも実際
英国を含めた欧米先進諸国には
日本のようにismの意を持たせている国は見当たらないようです。

確かに
民主主義は、
王侯貴族といった少数派支配で独裁色のある政治制度からの脱却
或いは専制支配(autocracy)への防御としては
必要にして最高の政治装置であろうかと思うんですね。

さらに、
数多の民衆の意見をまとめ政治の方向性を定めるに
Majority ruleは優れたツールでありましょう。
けれど少数派の犠牲の上に成り立つ原理であることに立ち返り
それがベターではあっても、ベストとは限らないという意識が
少し希薄なように感じ取れる現状もあるように思います。

クラシー(cracy)は
そもそも支配体制の意ですから
demo-cracyは
民衆(の多数意志)が政治を決定する ということ
それはそのまま
”民衆による支配体制”という意味合いになるんですよね。

単語の正確な理解を促すことで
あたかも民主主義が万能であるかのような幻想を抱くケースにして
何かしらの抑制になるのでは、なんて儚い期待をしてしまうのは・・・・・
必要にして充分な議論が為されずに
慎重さを欠いた
数の論理で押し切ることで
マジョリティがマイノリティを支配するような図式に陥らせる危うさを
孕んでいるのが民主主義という制度である
との認識が不可欠なものと思われるからなんですね。
まして
多数決によって導かれた結論が、必ずしも正しい訳でなく
そこに
”自分と違う意見を尊重する”という
根源的視点が欠落してしまうと
民主主義であるがゆえの必須概念、”少数派意見の尊重”が崩れます。
また、議会は議論の場でありますゆえ
私たちは、本来の機能を失なわせてはならないんですよね。

と申しますのも
ミルが功利主義に・・・
もっと謂えば
古代ギリシアの時代既にプラトンが国家に記していた
民主主義その負の側面を鑑みるに
選挙をして議会政治を成すことで
民主主義は為されるのでなく
大切なのは、あくまでその先・・・・・
ですゆえ。

民衆の意思は、絶対でありますから
民衆の意思によって成立した政府
その権力に
制限をかけるものは最早、存在しない状況が生まれる
全能の権力が誕生してしまうという
そのことが持つ意味の重さ
その責任は、すべての公民が等しくもつということも
自覚しておかねばならないものでしょう。

また、
民主主義が正常に機能するためには
(受け手のメディアリテラシーも然ることながら)
全公民へ発信する情報の正確性は至要であり
これこそ
民主主義の最大権力がメディアと謂われる由縁なんですね。


普遍的価値は
弛まぬ努力の先の目標と同義にもなりましょう。

こうした意味での
真なるcivic educationこそ
求められているということでしょうか。









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テーマ:教育問題 - ジャンル:政治・経済

【 2014/07/17 17:46 】

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