美の扉~マレーナ/モニカ・ベルッチ~カバネル/アルベデ
扉006

ニュー・シネマ・パラダイスを手掛けた監督ジュゼッペ・トルナトーレの
2000年公開の映画に”マレーナ”がありましたけれど
モニカ・ベルッチが演じたマレーナ
背景にシチリア戦争を置いた憂いの美貌

それは(私的に)あの名画
ファーブル美術館のアフロディテなる
”カバネルのアルベデ”を彷彿とさせる
女性美に重なります・・・


アルベデ
こちら時期的には印象派台頭と重なる
アカデミー最後の巨匠の手によるもの
ナポレオンのエジプト遠征以来好まれた
オリエンタルな雰囲気漂うAlbayde

彼の”ヴィーナスの誕生”含め
何をもってしてこのような
美の扉をノックさせるのかと
こころ穏やかにはいられなくて・・・。



















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【 2014/08/31 12:38 】

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”エッチングの扉”を開いて・・・
扉 001

自身が経験した扉
瞳を閉じて
そのひとつ
ひとつを
脳裏に描きながら
ひとり、想像を膨らませていました。






*******************************************

アカデミーの2年冬から制作されたという
”扉”をおくって下さったあなたへ

固く
閉ざされた扉
室内の空気は
重たそう
であるが故
扉の存在感が
際立つんですね

ずっしりと・・・
胸に。

そして
それは
最早
扉でありながら
扉ではない
その先に広がっている
世界観を暗示させるpreludeにとって変わる
そんなふうに感じました。

私の拙い
美術鑑賞の時間の流れのなかで
ある作品に対峙した
そのときそこに
掻き立てられる想い
なにものかを予感させる有りよう
それはひとつ
作品に同化するに
重要なファクタではなかったかと
思うんですね

故に
見詰める
見詰め続ける
見詰め続けたい

そんな作品。

引戸というのが
また
いいですね・・・
とても。

そのマチエールは
雄弁で

多くを語りかけてくる

私は
この扉を開けることが
できるのでしょうか・・・。

そして

扉を隔てた
その向こう


夏の強い日差しが照りつける玉蜀黍畑
それとも
遠く水平線まで見渡せる断崖絶壁の丘
或いは
雄大な山々の聳えるカールを覆う雪景色
瞬く星に
三日月の浮かぶ夜空

2つおおくり下さったうちライトな方が
手が届きそう
というか
ますます
扉を開きたい
好奇心に駆られます。

********************************************

あなたのおっしゃるルオー
ミセレーレのそのトーンを想起します

版画なのに
油彩のような質感があって
どこかに救いを見出させる深みが備わっている
どこか似ているように思います。

ルオーと謂えば
ポンピドゥーセンターで観たあの聖顔も
好きでした。
日本にも
白樺美術館、
汐留のミュージアムにも展示されていますよね
夢中で観て回りました
(専門家の方に怒られてしまいそうだけれど)
過酷性を湛えながら
あんなにも瞳が綺麗
それは最先端のアート感覚的
親近感、可愛らしささえ感じてしまう
というのが率直な感想で・・・。

個人的には
彼の初期頃
色彩抑えめの方が
こころに馴染むんですね
同じような理由でユトリロの描く街(も好きですけれど)より
佐伯の描く街に住みたい・・・

そう謂えば
佐伯も扉描いていましたね
そこには”27”の文字
そして
パリのプルミエール27番地には
今もあの扉
あるんですよね・・・。

何れにしても
みんな好き
これ偶然でしょうか
「佐伯祐三病」にケリを付けなきゃいけなかった理由は
私には
想像もつきませんけれど・・。

********************************************

そして” Madeleine ”
タイトルはフランス語のようですが
それでも
”Marie Madeleine”ではない
そんなことを思いながら3つの角度からの
画像を繰り返し拝見させて戴きました。

イタリアはフィレンツェで邂逅した
ドナテッロの”Maria Maddalena”
あれはもう感動と謂うより衝撃に近かった

彼の印象があなたの制作の背景にあったんですね・・・

痛々しげな情調でありながら
精神性の高さが支配する造形美
だからこそ
胸が苦しくなるほどの
存在感を放つものでしょうか。

********************************************

彫刻KASHIWAGIもまた
そのタイトル含め興味が尽きません

ー柏木に葉守の神はまさずとも人ならすべき宿の梢かー

その一途さは解らなくもないんです
けれど私的には
寧ろ彼に辛く扱われた
落葉の宮と
セミⅡの素描タイトル
”空蝉”の凛とした生き方に
通じるものを見出してみたり


はい・・”八日目の蝉”の
あの別れのせつなさ
遣るせなさを
拭うように
小豆島に行きたくて・・
あの地を踏むことを試みましたが
フェリーの時間がなかなか合わず断念したまま
いつか訪れてみたい
そう思っています。

木槿・・・
純白も綺麗ですけれど
あなたの描くHibiscus syriacus
爽やかさのなかに熱いこころを秘めているようで
愛しくなりました。

機会があればルオーを模写されたという
その作品もUPして下さると
嬉しいです。

saki












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【 2014/08/30 00:01 】

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大切なもの
DSC_0211.jpg

最後の
最期まで
優しさだけ

ただ
それだけ
絶やさずにいれば・・・

きっと

どんな困難も
哀しみも

乗り越えられる

そんな気が
するんですね・・・。



優しさは
そのまま
強さになるのかも
しれません・・・。
































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【 2014/08/28 12:47 】

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待宵草のあなたへ~スノ-ドロップ~宵待草/月見草
DSC_0038_20140810120356795.jpg

この日に記した
”陽の光が教えてくれたこと”
その返歌のように
英詩”待宵草”を創作下さったというあなたからのMAILに接し

あぁ
あの 待宵草だ・・・
咄嗟にそう感じました
夕暮れに花開き
朝陽が射すと
慎ましく身を隠すように
その命を終える花

夜空の
果てしのないような静寂に
寄り添うしなやかな光
その月光をただ眺める
待宵草の刻(とき)

それだけ、
ただ
それだけの
時間

なのに
誰より
”月の美”を知るのが待宵草
なんですよね

通り名の月見草は
そうした
儚い”生”への慈しみをも含めて
名付けられたものでしょうか。

夢二が愛し
”宵待草”に恋のやるせなさを重ね
太宰が、
晶子が
こころに架けた花。

英名はsnowdrop
冬枯れの庭に控えめな華やぎを導くので
その花言葉は
なぐさめ、
まさかの友、
希望・・・。

英国詩にも登場するは
可憐な佇まい

”2月の美しい乙女”
”聖母の小さな蝋燭”
”キャンドルマスの鐘”

キャンドルマスとは、聖燭節
祭壇に捧げられるスノードロップ

歴史は古く
エデンの園を追われ
哀しみにくれるイヴを慮った天使が
その翼で
見渡す限りの雪原に弧を描く
すると
真っ白な雪の下の冷え切った大地から
イヴを勇気付けるように咲き始めたという
伝説の 雪の華

そんな
スノードロップ
そう
私たちの宵待草を胸に置きながら
拝読させて戴きました。



あるがまま
なすがままの
小さな呟きの先で
ひとつの想いになって流れてゆく
それを
あなたは見つめ丁寧に読み取って
あのように深い英詩にして贈って下さったそのことに
こころからの
感謝の気持ちを込めて・・・

ほんとうに
ありがとう
ございます。

saki






























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【 2014/08/26 20:45 】

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遠い記憶~美は世界を救うもの・・・シラーからドストエフスキーへ
DSC_0001_201408190659303cd.jpg

昨夜綴ったバッハの無伴奏ソナタに纏わる
ドストエフスキーからのアフォリズム
ー美は世界を救う(Красота спасёт мир )ーに
皆さまから相継いでご質問のmailを頂戴致しましたので
此処に少し補足させて下さいね。

こちら
ドストエフスキーの”白痴”Ⅲ章
主人公のムイシュキン公爵に
語らせた科白だったかと記憶しています。



ー公爵、あなたは、世界を救うものは”美”と
おっしゃったと言うのは、本当ですかー



個人的には
一連のドストエフスキー作品が
読み手の精神に齎すメッセージ性は
小説家というよりは
思想家的な印象が濃く
このマキシムは
ドストエフスキーという大河の
その源流となる
概念ではなかったかと
そんなふうに感じてしまうほど
私にとって
彼を読み解くに
大切なフレーズなんです・・・。

思想的には
ドイツ的と申しますか
シラーの書に通奏低音のように流れている立場であります。
しかし
ドストエフスキーのそれは
少し違っていて・・・
と申しますのは
その真髄が痛いほどに
胸に刺さって
強く刺さりすぎて参りました。

学生時代の
まだまだ純粋無垢だった私を
甚く困惑させたあの冬の日

けれど
今はなんだか
とても愛おしい
貴重な記憶・・・
糧ともなっているように思う
いえ
思いたいのかもしれません(笑

















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【 2014/08/25 21:14 】

| 文学~小説/詩/名言 | トラックバック(0) |
バッハの音楽性~無伴奏ソナタ~ドストエフスキーへ
DSC_0186_20140818094547da7.jpg

夕暮れの渚で
バッハを聴いていました

今日のバッハに
カミュやサルトルの謂うような
倫理的美学的次元ではない
それ

そう
ドストエフスキーが作中人物に語らせた
”美は世界を救う“
というあのフレーズが

胸のなかで
交錯して
リフレインしていました・・・・。


そして

私は
歩みを
進めます

今日から
明日へと。
































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【 2014/08/24 22:10 】

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音楽の世紀~12平均律/12音技法~クロマティック・スケールそして古典調律
DSC_0134_20140818092756ac1.jpg

20世紀の音楽
保守的な音楽世界に訪れた
12平均律の調べ
この新しき語法を
調性崩壊と捉えるか
音組織の先鋭化と受け止めるか

いずれにしても
セリーによる12音技法と調性崩壊は同義であります。
あるとすればメジャー、マイナー

パイオニアのひとりは、マーラーを信奉したと謂うシェーンベルク
そしてそのマーラーは近代対位法音楽の祖であった
そこでのラディカルな和声を考えると
シェーンベルクの復調への道程
僅かながら垣間見えても参ります。

バロックからの音楽史
その枠組みの中で
古典調律に身を委ね
情調を受容することで酔わされる
私のような者ににとって
体系から踏み出した
クロマティック・スケールへのアプローチに
抵抗がなかったかと言えば少し違うかもしれません。

以前、友人たちとピアノのアンサンブルを試みた時に
その調律の違いに違和感を覚えたんです
モダンピアノを含めた電子楽器では
メーカーによって
その結果が微妙に異なるという現実に接し
音程を規律できないものを
音律と呼んでいいのかと・・・
そんな戸惑いを感じたこともありました。

私の拙いピアノレッスンの記憶の中で
バルトークのミクロコスモスを課題に与えられた
そのこと
また、調的に複数の旋律が現れるフーガの調べなど
複調感覚を養うような経験抜きに
多調とあの不協和音を
音の揺らぎ、音の彩度への貢献というように
ポジティブに捉えるのは
個人的には難しかったのかと思ってみたりもするんですね

それでも 私的にはまだまだ追いつかなくて・・・
機械的に調整された音律システムの
純正音程はオクターブのみ
後は、均斉的音空間が広がるだけなんですね
音程バリエーションへの喪失感・・・。

音楽史を見渡せば
ロマン派以降の
音楽の多様性を顕著にしてきたのは
オペラ
それらのもつ性質こそが
そこに大きく寄与してきたという事情は
理解できるようなところがありまして・・・
オペラは、ひとつ文藝作品であり
そのストーリー性により
登場人物の心理を音で描写する必要に迫られ
そこで伝統的な機能和声法から離れる他
手立てがなく
その流れとも無縁ではないようには思うんですね。

ただ
こころのままに謂えば
感性に基いて
音に固有の機能を与えられた音律システム
(時にミーントーン調律もありです)
それは美しき大自然に抱かれたときのあの
いいようのない安らぎを齎してくれる

たぶん私は
人工美が苦手な
救いようのない
自然児なのかもしれません・・・。















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【 2014/08/23 13:01 】

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無記/仏教哲学~ウィトゲンシュタイン~語り得ぬものⅡ


優れた芸術もまた
例外なく
言葉にならないemotionを湛えているように思います。

どんなWORDも当て嵌まらない
テクニカルタームも
為す術がない

そして
其処から受ける情動は
言葉にした瞬間に
何故か別物に変ってしまうんですね




それは
分っているんです
であるにも
関わらず
感動を
受け取るだけでは終われない
なんとか
その作品が放つ
見えないけれど確かな
美しき波動
その本体に近づきたい
正体を掴みたい
友と分ち合いたい
そうした抑えがたい衝動に襲われる

それによって得られた何か
正解など存在しないもの
けれど
解が定まらないから
だからいい

互いに
語り得ないことを踏まえた上で・・・

その上で
今まで言葉にできなかった世界が
言説化されると
物凄い共感が生まれるんですね
明らかな共通項を見出したときの
あの歓び

いえ、もし仮にその多くが
言葉遊びに終わっても
トートロジーであっても
それでいいという
そうした者同士の関わり
それ自体が絆を深めてゆく・・・

こうした
言葉のコミュニケーションって
思い掛けない鐶を生んだりもするんですよね

そして
より深く心寄せることで
またより強く感じられるようになる不思議

考察を進め奥深くに沈潜させてゆく
感性を研ぎ澄ませながら生きるということは
最終的に
人間の本質に殉ずる生になろうかとも思うのです

ささやかだけれど
繊細なこころの機微
精神の融合を願う友人たちとは
どこまで語っても
話は尽きないんです
厭きるということがないから

語り尽くせないからこそ
尽きない魅力がある・・・
そこから紡ぎ出される人間の関係性は
ひとを結び付ける
この先
ずっと
途切れることなく
続いてゆく
密接な関係構築の根幹部分になるのではないか
なんて
そんなことを思ってみたりもしています・・・。





















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【 2014/08/21 12:54 】

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**** de scanのあなたへ


MAIL
朝陽のなかで拝見しました。

あなたの作品に
私は
こころの原風景が精神に齎す
あのやすらぎにも似た
優しさを感じるんです。

エッチングの”扉”見付かったんですね
良かった・・・
”扉”から言いようのないgravityを受ける私です結え
あなたの”扉”のUP

朝陽のなかのハーブたちとともに
待っています・・・。

DSC_0034_20140819065932915_20140819071118d2b.jpg


















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【 2014/08/19 07:37 】

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葉月を想う
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霧に翳む湖
静寂に揺蕩うこころ
冷んやりとした風は
優しく頬を撫で
空を舞い
樹々のあいだを抜けて
高原を渡ってゆく




葉月は(陰暦の)八月
新暦では九月上旬から十月上旬くらい
季節で言えば秋なんですね

葉の落ちる月
葉落ち月から葉月



日本語の美しさを想います・・・。















※八月の異名は他にも
穂張り月、(雁が初めて来る)初来月、南風月、月見月、秋風月、雁来月
観月、竹春、壮月、仲秋、燕去月、紅染月などなど
種々あるようですが
何れも
自然を愛でる精神に溢れた呼称ばかりですね
日本人の美意識は
こんなところからもよく伝わってきます。

因みに英名Augustは
ローマ皇帝Augustus由来なんですよね。
彼は7月(July)の命名由来となっているジュリアス・シーザーの
(戸籍上は)子で正式名はオクタヴィアヌス
アウグストゥスは、 元老院から与えられた称号だったんですね。
Augustus、その意 は”尊厳者”
その名の通りローマ帝国初代皇帝であったわけですが
確かに
august は、”威厳ある”といった形容詞でつかわれてますものね・・・。
















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【 2014/08/17 09:22 】

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陽の光が教えてくれたこと


瞳を閉じて
耳を澄ます

あなたの声が聴こえる
あなたを想う





あらゆる局面で
深度をもった
相互理解を目指すこと
それに勝る
問題解決への道はないのかと
そんなことを思っています。




















【 2014/08/16 08:20 】

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プラトンの願い~想いを込めて言葉を紡ぐ
プラトンは書き言葉より
話し言葉の方が上位にあると考えていました。



言語は人間らしさを構成する重要な要素ですが
それは独立して存在し得るものではなくて・・
環境から始まり
あらゆる対象への認識に
其処から受ける印象、質感
そのいずれに感銘を受けどう選択するか
何をもって是とし
何を見詰め、何を愛してゆくか・・・
五感を通して認知する能力
その総合的発露が言語なんですね。
そしてそれによって
私たちは、生を繋いでいるようなところ
あるのかもしれません。

例えばビジネスの場面での
意志疎通、情報交換、意見交換に
MAILというツールは添付ファイルの送信も含め
大変に利用価値が高く、必要にして不可欠なツール
でありながら
書き言葉の弊害
所謂、誤解を拡大させやすい負の側面を併せ持つ
諸刃の剣でもあるようです。

話し言葉であれば
その抑揚
まして対面していれば尚、その表情、身振りなどから
意図するものがよりストレートに伝わリ易い
ですが
MAILはそうはいかない。

例によって
テクノロジーの脆弱性?
ひとに優しいのはアナログ・・・的議論に
集約されてもゆきそうなのですが
実は
便せんに認めたお手紙も
書き言葉には違いないんですよね。

私は結構、カタチから入るタイプで(笑
便せんにも
ペンにも相当なこだわり
持ってます。
(それは、お料理の器しかり、アイロンかけのアイロン台しかり)
ですが、どんなに心を尽くしてみても
書き言葉という視点に於いて言えば、MAILと変わりない・・・。

WEBで繋がる掛け替えのないお仲間との触れあいで
いつのときもふと不安が胸を過るのが
こんなようなところ
自分の不用意な一言で
誰かを
大切な人の心を傷つけはしないかと。

努めて配慮しているつもりですが
立場や価値観の違いも含め
万全はありえない

けれど
それを恐れていては
他者とのコミュニケーションは
成立しません。

できることはひとつ
いつの時も
想いを込めて
言葉を紡ぐ

ただ
それだけです・・・。


















テーマ:ひとりごと - ジャンル:日記

【 2014/08/15 09:37 】

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樹の下で
DSC_0099_20140810120352f58.jpg

大きな樹が湛える
包容力って
凄いなって
思います。

あるがまま
なすがまま
すべてを受け止めて

こころを抱きしめてくれる

堪りません
ずっと此処に
佇んでいたい・・・。










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【 2014/08/13 20:39 】

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無記/仏教哲学~ウィトゲンシュタイン~語り得ぬもの Ⅰ
仏教哲学にある
ー無記ー
という姿勢

DSC_0077_20140808110846590.jpg

西洋で謂えばウィトゲンシュタインの
ーWhereof we cannot speak, thereof we must be silent.ー
を思わせる思想です。

語りえぬものについては、沈黙しなければならない

一見すると
”解釈の拒絶”と混同されやすい概念ですゆえ
従来の形而上学的哲学探求から
ウィーン学派の論理実証主義の系譜へと
流れを変える切っ掛けとなったMAXIMでありました。

”知識”を考えた時に
不可逆的に生じてくるのが
何をもって知とするか
その基準がどこにあるかといった疑問であり
ウィトゲンシュタインは先ず
それを問題にしたんですね

私たちは”語り得るもの”
即ち”言語”化されることでしか
知ることができません。
(そして語り得ないことは感じるだけ・・・)
よって私たちの知的理解の総ては
言葉に収斂されてゆく・・・
所謂”言説化”と謂われるもの

優れた先人たちが
何千年という歳月のなか積み上げてきた叡智
そしてその先を目指す形而上学
けれどそれは時に究極のtautologyにもなりかねません

大切なのは
語り得ることと
語り得ないことを見極めるチカラなんですよね。


ですのでそのプロセスこそが
哲学の本来の役割としたのが
ウィトゲンシュタインだった・・・

”無記”しかり

何れも
言説化を全て否定するものではありませんのに
誤った解釈から言語批判に
知の限界を声高に叫ぶ者たちは
(ポパーの言葉を借りれば)
”客観的知識の存在意義”の否定となり
そのための内省的思索の否定となり
そのまま反証可能性をも否定することになるという
近視眼的生き方に陥ってゆく・・・。

言葉にならない
だからといって
言葉を閉ざす思考停止が引き起こす弊害

ですので
解らないことを前提とした上で
それでも
思索を重ねることの意味性を
見極める能力が求められるんですね

洞察の前に限界を決めることなく
沈黙の先を見詰め
耳を澄ませる
すると時に
確かに聴こえくるものがある

言葉にならない
瞳に映らないからこそ大切なものたち
魂が震えるほどの感動に
身を委ね
ただ、受け身で居られるほど単純なものではありません
その感動を遍く体内に行き渡らせると同時に
得も言われぬ情動の本体にアプローチしたくなる
そう
能動的に動きたい欲求が呼び覚まされるものなんですね
そして
それに突き動かされる。
私たちは想いをめぐらし
洞察を深める
しかし
目的はそこで得られる結果でなく
プロセスなんです
この主体的活動が齎す歓び
その過程にこそ
人がひと足る本質が潜んでいる・・・
それが
ひとりの人間が限界まで物事を突き詰められるその背景に
精神世界の豊かさが必要だと謂われる由縁かもしれません。











































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【 2014/08/12 19:46 】

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作家たちの道~記憶の意味
DSC_0121.jpg

記憶の多様性と豊かさとは
そのまま経験の豊饒であり
生の密度を高めます
それは
感情の無限定性と響き合いながら
日々の活動に
さらなる彩りを添える

感動にこころ震わせるそれを
美しき記憶と呼ぶなら
その総体が齎す
精神のチカラを
私は信じてやみません・・・。







※今週末は箱根で過ごしました・・・。

万葉の時代から文学にゆかりの深い地であり
また
ポーラ美術館、彫刻の森美術館、ラリック美術館・・・・
などなど自然美を背景にした種々のミュージアムをも擁する
愛すべきエリアです。



































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【 2014/08/10 19:52 】

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愛と哀しみ~シューベルト~ゲーテ


ー愛を詩おうとすると哀しみになり
哀しみを詩おうとすると
それは愛になったー


シューベルトは散文でも
生を表現しました
心ある美しい文章です。

そして
ゲーテの詩による歌曲”旅人の夜の詩”も
”魔王”も
その舞台となったのは樹々たちの森

そこは
彼らにとって
癒しと再生の源であり
また
果てしのないような美を育む場
でもあったんですよね。

樹々のなかから
生まれくるそれは
深度を増すようにも感じるのです。

私にとっては
”冬の旅”から始まった
シューベルトの世界観

包み込むような優しさを備えた
珠玉の作品たち

哀しみは歓びよりも
ひとを育てるのかもしれない

学生時代の私にそうしたことを
教えてくれたのは
”表現者”としてのシューベルト

そんな彼に抱かれながら
私は今、森を
見詰めています。
























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【 2014/08/06 12:09 】

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真夏の若葉
DSC_0100_20140802201755853.jpg

夏なのに
新緑の艶やかさ

高原の夏
って
そうなんですね

落葉樹は
格別
綺麗・・・

木漏れ陽が
恥ずかしそうに
私の足元まで
舞い降りて
小さな翳と戯れています































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【 2014/08/05 09:35 】

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朝陽のなかで~豊穣への普請~バッハ/ミケランジェロ/ココシュカ・・・・そしてあなた
DSC_0013_20140802201736f8d.jpg

朝陽は
豊穣への普請

そして
音楽も
絵画も
彫刻も・・・

たった一度の邂逅で
ひとの心を揺り動かし
抱擁し
捉えて離さない
その豊穣性・・・。

















テーマ:art・芸術・美術 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2014/08/03 09:24 】

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