セザンヌとゾラを想って
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少年時代から深い絆で結ばれてきたという
偉大なるゾラとセザンヌ
彼らが、ゾラの”或る小説”の発表と前後して絶縁したかのような伝記が
覆されるに足る重要な書簡がパリで発見された
そんなニュースが
セザンヌ協会ホームページのプレスリリースにUPされたのは
2014年夏
つい先頃のことでした・・・。

それにしても
ポスト印象派
近代絵画の父として知られるセザンヌと
フランス文壇のみならず
世界の文豪ゾラが
同時期に同じ中学校に在籍していた
(後の天文学者のバイユと3人はウェルギリウスや
ユーゴー、ミュッセらの作品を通じて心かよわせ合った親友だったとか)
というそのことに改めて感慨をもつ記事でありました。

ゾラが
セマフォール・ド・マルセイユという名の
マルセイユ地方の新聞に
匿名で投稿した
(往時巷では理解が得られていなかった)セザンヌ作品への
賞賛記事
彼が美術批評家としての側面を併せもったのは
セザンヌの存在があったからに他ならず
セザンヌの才能を信じた(かった)から
それ以上でも以下でもないと
個人的には思っているんですけれどね(笑

ゴーギャンのセザンヌ評ではありませんが
そもそも
万人に認められる作家って
存在するんでしょうか

セザンヌがエコール・デ・ボザール(よりによってですが)を
断念しなければならなかったことを思うと
美術学校の試験でさえ時代の価値観に合わなければ
可能性を見出して貰えないという
哀しい現実もみえてまいりますが
ルーヴルでは
ベラスケスやカラヴァッジオに
傾倒したというセザンヌ。

七月王政の時代に生まれ
第二共和制
第二帝政
普仏戦争
(マルクスによる)パリ・コミューン
第三共和政
といった変遷を辿ったフランスと共に生き
そこで移ろう美術潮流のなかで
ひたすら自分自身を信じ描き続けた彼は
やはり”光”を追い求めたんですよね
それも
南フランスの
プロヴァンスの・・・。

最後の100フラン紙幣に
彼の肖像が描かれたそのことは
国民的画家という
ステータスを得た象徴でもありますが
手元にある
このセザンヌ紙幣の裏面には
(いかにも無造作に転がっているかのように見える果物が配されており)
セザンヌが拘り抜いた静物画
その有り様が
なんとも愛しくてなりません。












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【 2014/10/31 20:51 】

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暮らしに舞い降りる耀き Ⅱ~ゲーテ色彩論/絵画論/画家論~シラーへ
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先のゲーテの色彩論に纏わる記述が
素晴らしき表現者への(私のささやかな)応援メッセージの側面を備えていることを
解かって下さったこころ優しきあなたへ

彼は美術評論画家論を書いていたものかという
ご質問ですが・・・

そうなんです。
あんなにも美を追求した人物ですゆえ
絵画論に、建築論、画家論も・・・。
そもそもあの”色彩論”とて
その基本法則を担っている”色彩環”の構想は
彼の絵画論から導き出されたものだったんですね。

ゲーテは絵画を
というより絵画を為す”画家”を
注視し続けた節がありまして・・・

キーワードは”普遍性”
そもそもこちら
人間精神が運ぶものなんですよね。
その原点に立ち返るなら

シラーが
単なる合理的経験論に陥ると懸念し
カントの純粋理性批判のカテゴリに従うよう助言した
ゲーテの”純粋現象”
そこでも
”普遍性”との融合は
理論の整合性から齎されるものでなく
あくまで
対話的実践作業によって可能となるとし
そのことは、画家の制作過程に酷似してはいないか
と、そういった観点からの見解があったこと

要は、自然界には色彩の全体性を顕す普遍的具現など存在しないのだから
画家的資質を備えた者が其処を存分に生かしながら
多くの経験を経た習熟から熟達へ向かう
その精神性のなかで、調和の理念は感得されるのだ
といったような論を啓く
そのくらいに
絵画を愛したひとだったと
(個人的)理解をしております。

私が母から贈られた最初のゲーテ作品は
”若きヴェルテルの悩み”で
そこでの
バトゥからウッド
ド・ピールからヴィンケルマンに至る
多くの知識が披露されたといった科白は
ゲーテの絵画への思いの深さが伝わってくるフレーズでありました。

ゲーテの生きた世紀は

ーーut pictura poesisーー

なんて叫ばれるほど
絵画が
偉大なる芸術とされていた時代なんですね。

そうなんです
詩さえも
絵画的であれとされた時代。
これって凄いことですよね。
こうした背景のもとに
著されたこの色彩論は
教示編
論争編
歴史編の
三部構成であり
その最終章には
ゲーテの告白が付されていました。
そこにはもう
ニュートンスペクトルならず
ゲーテスペクトルとも呼びたくもなるような
科学理論的な言語対立があって
色彩論というよりは
色彩学的探求が試みられていたんです。

その切っ掛けは
ゲーテのある”気付き”だったよう。

時熱性を帯びた美的体験の文章化に当り
そのために駆使しなければならない構成や技法
ですが
自らが学びを重ねてきたなかには
それが存在しなかったというような挫折?があり
そこで、ゲーテは
造形芸術に
その法則や規則性を
求めようとした様子が見て取れます。
拠って
感性的な認識
美的真の手掛かりを得る方法論として
絵画を採ったんですね。

その創案
その構成
そのフォルム

ゲーテの絵画論は
(古典的彫刻作品の素描、否、画家なればこその彫刻制作云々~)
平面上の線描(素描)
立体的彫塑性(明暗を示唆)
そして色彩へと展開されて行きました。

けれど
その試みの前に立ち塞がったのが
”色彩の壁”だったんですね。

技巧的なそれはあっても
原則を見出すには至らなかったもので
科学に対抗すべく
藝術的認識を絵画に求めながら
色彩に於いてはやはり
非科学的継承性しか見出せずして
此処から
先の”色彩論”に還っていったという訳なんですね。

ただ、
模写を推奨したそのあとに
藝術の本来の目的に照らすなら
最高の目標は
自然の模倣であるといった方向へ導く
ですが
自然の真と芸術の真は別物であり
芸術家は自然物のようにみえるがごとく
努めることは許されないと説きます
ところが是
作品と自然との原理的峻別を意味するものでなく
完全な芸術作品を以て人間精神の作品と位置付け
その意味では、自然と一体化するものであると帰結するんです。

ゲーテのこの認識は
その造形法則と形成原理において
自然と芸術の共通項を見出していたことを
如実に示すものだと私は受け止めています。

そんなゲーテの作品観と
それを享受せんがために
藝術と共に暮らし
自己形成を図ろうとした
ゲーテの芸術観そのものが私は好きなんですね。

メングスの五段階のうち
制作に着手する以前の精神的段階
構想(創案、構成二段階)での絵画主題の選択を
単なる原初的萌芽とせず
ここに実践を担うべく本質を見
精神そのものの役割を果たす段階
と見做した、18世紀中葉の彼の絵画論に
古くて新しい美しさを感じてしまうんです・・・。












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【 2014/10/29 19:16 】

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朝のテラス~CD1枚分の早起き
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横浜の秋も
深まって
それでも
凛と冷えた朝の空気は
まだまだ
朝陽が和らげてくれる
そんな
さわやかさを残してくれているのがこの季節

出勤前のひとときを
優しい時間に演出するための
CD1枚分の早起きには
こころに共振するぬくもりと
色彩の耀きが寄り添ってくれる

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こんな私にできるのは
ささやかな朝食に

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とっておきの珈琲
今日もがんばる
あなたへ
小さな小さな私からの
贈りもの

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眩しい萌黄と
可憐な花々が見送る
清涼な風に乗せて

どうか
素敵な一日を・・・

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【 2014/10/27 07:03 】

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暮らしに舞い降りる耀き Ⅰ~ゲーテ/色彩論~ウィトゲンシュタイン/色彩の論理学/現象学~ニュートン/スペクトル分析
ーー色彩は光の行為であり, 受苦であるーー



ゲーテが語る色彩からは
”光”の息吹
”自然の声”が
聴こえてくるよう・・・。

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色彩は(単なる主観でも単なる客観でもなく)
人間感覚と自然光との共同作業によって
生成されると考え
客観的自然探求だけでは本質には近付けないとする
ピュアな自然観を綴ったゲーテの色彩論。

19世紀初頭
ゲーテが著したこの書物には
色彩が
光と翳その相互作用によって
齎されるものといった
極めてロマン主義的な見解が
示されています。

こちら実は、
今日私たちが知る
ニュートンのスペクトル分析に反するもの
ですが
その後シェリングや
ヘーゲルまでもが
それを支持した理由とは・・・。



この原理の是非は
物理・化学的には明白。
ですが
”生理的色彩”というカテゴリ
もっと云えば
心理的色彩学といったような視点から眺むるなら
ゲーテの色彩論は
”色彩の科学”を必ずしも
裏切るものでもないように思うんですね。

ニュートンにとってのそれは
まさに理念化された色彩現象であり
屈折率を伴う
数量化された光線であります。
一方ゲーテはといえば
私たちを取り巻く
ありとあらゆる対象のなかに溢れ反射するそれを
色彩知覚で構造化した
光の”質”への言及(美しき詩)でありました。

そう
”光線に色彩なし”とし
主観を排した科学的立場を貫く
ニュートンのテーゼ
そして
自然のなかで私たちが受け止めるのは
不可分としか感じ得ない
光と色彩の関係性で
そこに重きを於き
自然の総体から光を捉えたゲーテの立場。

波長で説明するニュートンの精緻性に対し
陰影としての色彩を強調する
(経験主義の礎アリストテレスからの自然学的)ゲーテの色彩環を
非科学的の一言で片付けることをしなかったのが
中期のウィトゲンシュタイン
”色彩の論理学”でした。

彼は、上記に象徴される
”ゲーテ命題”をして
色彩現象が本質的に内包するその関係性と捉え
後の論理実証主義者にとってのバイブル的書物”論理哲学論考”による
(ここ、物理的事物を感覚与件からの論理的構成物であると定義していた
論理実証論の変遷もよく伝わってもまいります)
”外的関係”ならぬ”内的関係”に準拠してくるという考察を加えた訳です。

個々の命題は独立するものでなく
相互に連関し論理的体系を築くことによってのみ
意味性が生じてくるという
論理的原子論(要素命題の論理的結合によって,複合命題が成立する)
ー彼の立場とは異なりますが、人間の認識と思考作用の構造を考究する現象学
(世界を知覚現象の束として説明する)ー
といった哲学上の方法論を
物理学の理論構築のひとつの語法として扱うようなこのスタンスは
敢えて言葉にすれば、観念論的
そして独我論、実在論、自然科学の掲げる法則とは
対極、次元の異なった解析方法ではあったのですが・・・。

後期になってウィトゲンシュタインは
そのスタンスを変えてはゆきましたがそれでも
ゲーテが唱えた”色彩の論理”を科学的誤りと切り捨てることをしません
生活空間の中で知覚者が受け止める色彩に潜むある課題
それが科学的論拠だけですんなり理解できるほど
単一的なものではないと考えたからなんですね。
”色彩の多次元性を明らかにすること”
そのものの重要性を鑑みるウィトゲンシュタインの眼差しの柔らかさに
惹かれてしまうのですが(笑

ゲーテが色彩を外的物理的現象と捉えず
あのように人間の内的現象であるとしたことは取りも直さず、
分析的数式でなく、私たち人間が色彩を見る能力
所謂”洞察の閃光”から知識を獲得してゆこうとする
人間の能力そのものを信じるということであり
科学的解決に終結させ
そこで思考停止に陥らない姿勢
と申しますか
極めて人間的に過ぎるその精神性が
科学至上主義的現代に生きる私の感性に響くんですね・・・。

ゲーテの時代背景を鑑みるに
啓蒙思想が支配的であったあの”教条”への反動があり
科学におけるロマン主義的思考への運動
その只中
この潮流はやがて
英国、ドイツから興隆した
厳密な過程を用いた実証主義へと移って行くのですが
その狭間に生きた
ロマン主義的科学は
人間と自然
その一体化の追求であり
調和の理想であったようにも受け止めています。
それを一絡げに・・・西ヨーロッパ限定の一時代のムーブメント
過ぎ去りしものとして忘れ去ってしまって良いものかどうか・・・。

(還元主義でなく)
広い意味での科学研究を隆盛させてきた
冷徹で精緻なアプローチ
そこには
演繹的な推論を通じた理性的思考段階があり
同時に
自然哲学の数学化への強調もありました。
ですが
自然との共存には及ばず
時に自然を支配しようとさえするかのような試みには胸が痛みます。

社会の中で各々が担うべき責務を考え
制御出来る筈のない自然を
あくまでそれを尊重すべく姿勢を
貫き続けなければならないのは明白で
それ失くば科学は道を誤るとした
ゲーテらの慎重にも透徹した見識は
ここにきて大きく意味を擡げてくるようにも感じるんです。

現代に生きる私たちが
科学に殉ずることで
ともすれば失いがちな
かけがえのない”自然観”を
私たちはしっかりと受け継いで行きたいと・・

そんなことを想った
”光の午後”でありました。

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【 2014/10/25 19:39 】

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南南西から・・・環世界の移動~”どうにもならないこと”



第二次世界大戦前夜
ドイツの生物学者ユクスキュルが
ベルリンで出版した書にある”Umwelt”は
感覚機能によって
環境は各々異なって捉えられる(=種固有の知覚世界)とした
動物学的環(境)世界を指すものでありました。

こちら、環境が生物へもたらす意味性を鑑みれば
それぞれの個体を中心に意味を与えていったものこそが実環境であり
そこには意味を為すものしか存在しえない
客観的環境に順応しながら生きざるを得ない動物は
自身が作り上げた主観的環世界の中でのみ生きている
としたところ
このあたりが主題の古典的名著であります。

物理学が導くような一意的世界観でなく
独自なるその構成により
動物は異なった全く別の環世界に浸って生きている
そう、何を以てその構成要素とするかにより
世界は全く別の様相を帯びてくるといった視座を備えたこの概念は
広義には哲学の範疇かと思うんですね。
ヒトもその生育環境から始まり
成長してゆく過程で体得した
知験等によって
世界の見え方、感じ方が大きく変わってくることは
哀しいほどに顕かです結え。

**********************************************

環境という言葉のもつ客観的イメージを
一掃するようなこの理論は、
人間が対象を認識することで
初めてそれが実在となると考えた
カントの認識論に通じる概念であり
”個”のもつ認識方法でしか
対象は認識できないということを示唆するもの・・・。

知識・経験よって構築されるのが”人間の環世界”であるならば
このような視座なしに
他者への真の理解が及ぶとはやはり思えないんですね。
だからといって不可能が可能になるという様な
夢のようなお話ではなく
(現実は時に残酷で)
如何にしても通じ合えないという
閉塞的結末を迎えるにしても
その前に執るべき指針
一定の方向性、選択肢というものは、見えてはまいります。

一方で
知識経験依存の環世界であればこそ
学びによって
他者の環世界へ移動可能なパラメータ
その自由度をも持ち合わせていると
換言できるものでもありましょう・・・。

**********************************************

※学びの本質に根差すもの
ここは私たちの努力の範囲内と信じたいところ
ですが最早其処には立ち返れない
といったような差異
(もしかしたらこれがいちばん厄介で・・)
或いは
他者を思い遣る心その根源的部分での
温度差が埋められなければ
静かに見守る他手立てがないような関係性を認めること
それをして
不可能性を受け入れる能力と呼んでも良いのかと
思えてもしまう
今日この頃です・・。

































テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2014/10/22 17:51 】

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木陰のベンチ~椅子の美学
ミントグリーンのベンチ
その色合い
そしてこの
優しさを含んだ佇まい
なんだか
しあわせを運んでくるようで・・・。



私は
たぶん
木陰のベンチ
いえ、椅子の存在そのものが好きなんですね
きっと。

拘りのフォルム
拘りの素材
拘りの色彩

なぜ
こんなにも心惹かれるんだろう
と思うくらいに。

頑張りすぎたひとの
疲れた躰を
そして
こころをも
暖かく支えてくれるような
そんな存在だから
でしょうか・・・。


だとしたら
憂いの友に
ただ
静かに
椅子のように
そっと
寄り添える
そんなひとに
私もなりたい・・・。



















テーマ: - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2014/10/17 18:36 】

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彩のとき


雲を縁取る水色に臙脂の屋根
萌黄色の扉に落ち葉のリース
古びたテーブルにお庭の採れたてハーブティ
軽やかな指先に鍵盤のモノトーン
純白のリネンに手創りテディベア




















テーマ:暮らしを楽しむ♪♪ - ジャンル:日記

【 2014/10/14 19:54 】

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読書の秋へ~トルストイ/チェーホフ/シェイクスピア
手元の文庫本から視線を移せば
この空色

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その書の奥行きは
こうして見上げる
樹々の色付きと光る雲が教えてくれる


*******************************************


トルストイのシェイクスピア論は
興味深いと申しますか
そのアンチぶりに
イェイツやバーナード・ショー
コリン・ウィルソンらの言葉がセットになって
浮かび上がってくるんです。

まさかの
シェイクスピア(”賢者の石”の如く)フランシス・ベーコン説(笑
も、彼の謎に包まれたひととなりが影響しているようですけれど。

そもそも
戯曲はあくまで戯曲であって
読物ではないといった
突っ込みをいれたくもなるのですが(涙

その双方を手掛けた
チェーホフはどんなふうにみていたのかな
なんて彼の世界観に想いをめぐらすのも愉しいひととき

ロシアの知人に言わせれば、国内では
以外にもトルストイはあまり読まれていないのだとか
1にチェーホフ2にドストエフスキー
それに、プーシキン、ゴーリキー、ゴーゴリあたりが続くよう。

あくまで感覚的なお話ですが
語学的にトルストイは
日本語と相性が良いように思いますし
シェイクスピアは、ロシア語には似合わないような??
そして
シェイクスピアファンには怒られるかもしれませんが
個人的にそのジャンルはグリム童話からマザーグースをさらに遡っていった系譜
即ち童話(ファンタジー)系かと
受け止めていますゆえ
私的にはオールOK
全くもってno problemであります。





























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【 2014/10/12 11:48 】

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ブラームス/交響曲1番~アルプス~クララ・シューマン~ベートーヴェン第10交響曲
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今朝は、ブラームスの交響曲1番で目覚めました。
テラスの花々への水遣りの頃に4楽章が流れてきましたが
爽やかにもファーティリティな旋律が
清澄な空気を胸に運び込みます。
こちら
大自然への憧憬であり
そしてそのまま
ブラームスから
クララ・シューマンへの想い
その発露でもあったようです。
と申しますのは
クララに宛てたバースデーカードに
ブラームスが認めた詞
ーHoch auf'm Berg, tief im Tal, grüß ich dich viel tausendmalー
が、残されていたから。

届かない愛を、芸術に昇華させるというそのことは
なんとvaluableな
なんと美しい作業でありましょう

結果、その結晶としてこの世界に生み出された作品は
文学であれ絵画であれ彫刻であれ音楽であれ
時代を下った後世の人々が
対峙した時に
遙かなる時空を超えて齎される何ものかが在る
そんなふうに
信じられる瞬間
この感覚が私は
堪らなく愛おしいんです。

あの
奥ゆき
あの
エモーション

生涯報われることがなくても
直向きに誰かを想うこころ
精神のこの豊穣性

真の美しさは
瞳に映らないものにこそ宿る
そのことを
思い知らされるのは
こうした想い
無償の愛
誰かを思い遣るこころ
そんな
ひとのこころの美しさと
ぴったりと重なってくるようにも感じています。














※此処に綴った交響曲はハ短調
ベートーヴェンのシンフォニー5番と同じなんですよね
こちらのブラームス1番の4楽章、その第1主題は
ベートーヴェン第9の4楽章にそこはかとなく似ているんですよね。
往時、著作権(著者の死後50年)とかあったらどうだったんだろうというくらいに(笑

ロマン派全盛下でのこのブラームス作品
その構成力からも、”ベートーヴェン第10交響曲”なんて呼ばれ方をして久しいのですが
オーケストラや和声、曲構成を鑑みれば
個人的には
巷で謂われるような(古典回帰を試みた)新古典主義的と謂うよりは
ベートヴェンの後期こそが
既にロマン派的であったように受け止めているんです。




















































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【 2014/10/09 08:17 】

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ロイスダールの空に・・・
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ロイスダールの風景画に
月が浮かぶなら
それは
きっと
冷たい月・・・


いかにもオランダらしい
高い空に
それをカンヴァスにして
描き出される雲
その隙間から零れ落ち
広がる光は地上を照らす
この国独特の揺らめきの耀

フェルメールの
美しき絵画”デルフトの眺望”
あの空もまさに
ダッチライトだ

記憶のなかの空は
想いを乗せて
今をゆっくりと流れてゆく。




※20世紀末に結成された
オランダのロイスダール四重奏団
彼らの奏でる弦楽四重奏曲の哀愁の調
オランダ絵画史上
最高の風景画家と称えられる
ヤーコプ・ファン・ロイスダール
その名が由来となっているその感性に
寄り添いたいと思います。











テーマ:絵画 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2014/10/06 19:35 】

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