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ティファニーで朝食を~Moon Riverからゴルトベルクを想起されたあなたへ
ヘップバーンの”ティファニーで朝食を”
そのプレリュードは
OLDファンには伝説的とも云えるものでしょうか。

舞台はニューヨークのティファニー本店前
イエローキャブのタクシーから
大きなサングラスに
タイトな躰を
ジバンシーのリトルブラックドレスで包んだ
ヘップバーン扮する
ホリー・ゴライトリーが降り立つあのシーン。

ストリートで
ティファニーのショーウィンドウを眺めながらの朝食
メニューはテイクアウトの珈琲に角クロワッサン
そこにインストゥルメンタルで
ヘンリー・マンシーニの”ムーン・リバー”が被っているのですが・・・。

彼女が見詰める先
硝子越しのジュエリーに
実は(個人的には)
少しの価値もありそうには
見えないこの不思議・・・。

朝陽でほんのり臙脂に染まる
都会のビル群が象る地平線を背景に
オープニングクレジットがロールしてゆく・・・。
      *
      *
      *
私のなかでも
映画音楽”Moon River”が
独り歩きをしていました。

と申しますのは
1マイルよりも広い河
月の光が流れる夜空
そんな断片的フレーズからの先入観と
無機的で硬質
人気のない早朝のニューヨーク5番街
ましてジュエリーとの
イメージが掛離れていて
そのギャップに完敗な状態でした(笑

手元にあります
原作となったカポーティの”Breakfast at Tiffany's”
その冒頭には
”軽やかにも涼しげ
BLACKドレスに同色サンダル
シックな印象の華奢な首筋には
真珠のネックレス
少女ではなくも
成熟ともゆかない横顔・・・”
と(かなり意訳もありますが)
こんなニュアンスで記されております結え
ビジュアル的にはとても近しいですよね。

けれど
”慣れることは、死ぬこと”で
”どこまでも自然体でいたい”
という名前を持たない彼女の
奔放さの度合いと
その
結末はまったく違うんですね。
(よって土砂降りのなかで
胸に猫を抱きしめるその意味合いも大きく変わってくる・・)

それでも
美は正義なり
と確信できるほどの
オードーリーの演技とその振舞は
原作にない美しさを纏っていて
これはもう、例によって
映画と原作は”別もの”
として、しっかりとその素晴らしさ
享受させて戴きました。

映画では
彼女がヴェランダで弾き語ったMoon River
その”向こう岸”に辿り着くこと
できたんですよね。

夢を見ながら暮らしてきたこの街が
どんなふうに変ったとしても
ふたりは
たぶん
もう
どこへも行かない。
それは
あの虹の先を
終の棲家と決めたからなんですよね。

この度、あなたから戴いた
この”ムーン・リバー”が
ヴェランダでなく室内で
尚、”ゴルトベルク変奏曲”だったら・・・
というメッセージ

なんとも興味深いご提案に
かなり
心くすぐられました^^

と申しますのも
ゴルトベルク変奏曲には
人間が本質的に抱える
言葉にはならない繊細な感情
その比喩としての旋律
愛、寂寥、哀愁、郷愁・・・
こうしたものが交錯する
せつなくて複雑な想いが
閉じ込められているように感じますゆえ。

映画には
やはり”Moon River”
かもしれませんが、
その多感な季節でのイノセンスに関わる危機と
原作の結末
そうしたことを想い浮かべながら
ゴルトベルク変奏曲を聴いていますと
それだけでもう胸がいっぱいに・・・
それほどに
シンクロしてゆく何ものかががあるんですね・・。

その手に触れられるものは
哀しいかな
永遠ではないんですよね。
ですが
その手を離した瞬間から
掛け替えのない
何かが心に芽生える・・・。

それに気付けるひと
そうはならないひと

今を生きる
私たちにもそのまま通じる
形容し難い
この心の綾を
何百年も前にバッハは
音楽で
表現してくれていたんですね。

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テーマ:伝えたいこと - ジャンル:日記

【 2015/02/20 17:31 】

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