差異の受容性を求めて
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高踏派の時代にあって
自己の心情を曝け出すといった意味では
つとめてロマン派的でもあり
卓抜した技法を鑑みれば古典的
そして其の詩論を紐解けば
象徴派の魁とも謂えるボードレール

彼なしに考えられないのは
巷で謂われるポーだけでなく
ヴァレリーも
ランボーも
マラルメもしかりと謂えるでしょう。

彼の詩集”悪の華”
ユーゴーの賞賛が端的に表しているように
それは”戦慄”へのそれであり
尚、
戦慄もまた価値であります。

すべてに共通する問題意識を軸に
自己存在の核心を見詰め
その先に新たな普遍性を与え
高みを目指すそうとする彼の姿勢を
私は美しいと思います。

それからまもなくして
客観美を求めた
ゴーチェの芸術のための芸術理論が生まれ
それを開花させた
サント・ブーヴが
その格調を愛し祝福した詩人リールが登場し
そこから
19世紀後半の
ヴァンビル、プリュドム、マンデスと続き
広くギリシア、ローマ、ルネサンス、東洋への憧憬が
精巧に描出される作品像に至った。

この辺りが顕著ではありますが
文学史のどこを
眺めても
行き当たるのは
ソシュールの指摘
”言語のうちにあるのは差異だけだ”
それを発展させれば
文化とは
そのまま差異の体系と
謂えなくもありません。

であれば
受容性、寛容性抜きには何も始まらない。
ですがそれは批判精神を否定するものでなく
包括するものであります。

結え、人生への効益に寄与し
なにものにも限定されることのない
普遍性抜きに
藝術は無しえないとした
トルストイの芸術論とも矛盾するものではないものでしょう。













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テーマ:芸術・心・癒し - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2015/10/31 00:19 】

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crescentへ愛を込めて Ⅱ
三日月を眺めていると
その翳が
朧げに見えてまいります。

地球照と呼ばれる現象で
その灯りは
太陽の光が(月の16倍の面積を有する)地球に反射して
投げ掛けられた光によるものなんですよね。

光と翳の織り成す絢は美しいもので
俗に謂う オールドムーン
こちら英語では
”the new Moon in the old Moon's arms”
と表記されますが
なんと美しい表現だろうと・・・。

         *

旧い月に抱かれた新しい月・・・
といったところですが
三日月を眺めると
このフレーズが胸から離れないんですね。

三日月(正確には三日月型の月)をこよなく愛するもうひとつのわけは

個人主義という名のもとに
生き辛くなっている世の中で
the new Moon in the old Moon's arms
このフレーズが
今を生きる私たちが
翳となって後のひとを抱き
輝かせたいという
そんな構図に重なるからでしょうか。

愛にもいろいろありますけれど
偏愛だけが愛ではあまりに淋し過ぎます。
(博)愛は、
基本すべてのひとを平等に愛せてこそのものなんですよね。

古代ローマの時代に既に
社会人の教養として生まれた”Humanitas”という
学問があったようですが
これが中世における大学の”教養学科”に落とし込まれて
現代まで脈々と受け継がれてきた概念
その論理体系は複雑でも
根幹は極々シンプル。
あらゆる他者への平等な想い(博愛)が軸に展開されているものです。

さりげない
配慮
暖かみ
思い遣り
気遣い

に努めること
当然と謂えば
当然過ぎるこの
ヒューマニズム的視座を大切にする姿勢だけは
失わずにいたいと思っています。


















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【 2015/10/30 00:37 】

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crescentへ愛を込めて Ⅰ
2015100001.jpg

輝面率と云ってしまえば
文学的表現に欠けるかもしれませんが
この比率こそが、月の満ち欠けとなり
その風情ほど
夜空に抒情性を齎すものがあるのだろうかと思うほど
美しき現象と感じております・・・。

輝面比を”1”とする待ち宵月の華やかさから数えるなら
その翌日には50分ほども躊躇って昇ってくる
十六夜の月が・・。
さらにその後一日ごとに
同時間ずつ遅れて
立待月、居待月、臥待月へと続くこの数日が
まさに”月待ち”な感じで
一晩中月が眺められるので
時間を問わず夜空を見上げるのが楽しみでなりません。
そして
夜更けに漸く姿を見せてくれる更待ちの月、
二十日余月を経てもう弧月なんですよね。
別名、下弦の月。
この頃は、夜でなく朝の月な印象
なので、有明の月なんて呼ばれ方をしています。

それからさらに数日間かけて
輝面比が”零”となる朔月を越えた二日月から
いよいよ”朏”へ。
若月とか織月とか異名の多さでは他を寄せ付けませんが
夕暮れに西の空に顕れるこの三日月
儚げなフォルムにあの輝き
ですがその”命”は僅か2時間余りで
夜の宴の頃には消えてしまう束の間の美であります。
それから5日目には
夜中12時までに還る”シンデレラムーン”
多くの詩歌にも謳われる上弦の月(弓張月)です。
こちら夕方から南の空に見え始めて深夜にはもう沈んでしまう
その後には月の耀きを失った漆黒が残るという
或る種のせつなさを含んだ余韻のヴェールが落とされる。
それが古くから
ひとときも離れたくない愛しいひととの別れにも少し似て(笑
心惹かれる理由(わけ)となっているのかもしれません。

ーー久方の天の川瀬に舟(=上限の月)浮けて 今夜か君が我許来まさむーー




            *


我が家は東南に向けて大きく窓を切ってありますので
待宵月(リビングより)から更待月(寝室より)までは特に
心行くまで月を眺められるんです。
空気が澄むこれからの季節は・・・
夜中に目覚めてはその傾きに溜息ともつかぬ
吐息をもらし
月の美を愛でる日々を心から愛しんでいます・・・。









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【 2015/10/29 00:05 】

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傷付くひとに幸せを・・・価値転換理論~transformation of value
DSC_0057_20151026095555d1e.jpg

選り良く生きるに
理論を先行させることを由とするものでもありませんが
生きていれば容赦なく
種々の問題が降り懸かってきます。
そうした逆境に際し
努めて冷静に問題を解決するに
強ち軽視できないのが
時に理論となってくる現実は確かにあるように思うんですね。

そのひとつに
価値転換理論なるものがありまして。

避けられない障害(不可抗力)は
受容する他手立てはないもので
自身の努力で対応出来得る範囲の事
例えば
そこで受ける精神的ダメージを極力低減させることに
尽力するのは
問題解決能力を高めるに
必要にして最低の条件となって参ります。

謂ってみれば
感情を思考でコントロールすることにより
穏やかに粛々と対処してゆけるための
意図的価値転換であります。

例えばそう
ぶつかった障害から受ける影響を
出来る限り制限するべく
価値範囲の拡大が図れる柔軟性を養う。

失ってしまったものを数えはじめたところから
苦悩が押し寄せる訳で
それは敢えて数えない
数えたら負け的な(笑

今持てる価値に気付けるか(否か)
さらには
努力によって得られるであろう価値への
能動的思考の勝利
と申しますか。

自己肯定感という
個の基盤は
盤石でなければならず
何かを失ったことで
それを揺らがせてはならないということなんですよね。

損なわれたものは
従属的価値に過ぎず
些末なものとし
本質的価値(高い人間性、豊かな精神性)といった
ひとがひととしてあるべき価値から目を逸らさないことが大切なんですね。

副次的な相対価値なんかに惑わされず
時に
唯一無二の絶対的価値への転換が
求められるということなんですよね。

そしてそれは
己に備わっている能力
その持てるものすべてを懸ければ
充分にしっかりと尚存分に
限られた生を全うできるという
最高にして最強の矜持
と言ってもいいのかもしれません。








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【 2015/10/28 00:40 】

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静けさにこそ宿る根源的内省
DSC_0001_201510260955493df.jpg

専門でもない限り
思想史の意味性など
顧みられなくなって久しいようにも思うのですが

人類の生存根拠を突き詰めずにはいられないほどに
現代社会が抱える種々の重篤な問題
それは一面科学的問題のようであって
其処に
大きく影を落としているのは
選れて思想の問題
なんですよね・・・。

100年後でなければ理解はされないとしながらも
ニーチェが鳴らした警鐘
あの根源的内省と
紀元前から東の老子が提唱していた
静けさに宿る精神こそが最期の砦となるという
本来的に求められる私たちの在るべき姿は
なんともぴったりと重なってくるように思うんです・・。





















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【 2015/10/27 00:11 】

| 哲学 | トラックバック(0) |
愛しい時間~余韻の海を泳いで
DSC_0304_201510131613391d6.jpg

小説であっても
詩歌であっても
絵画であっても
彫刻であっても
また
音楽であっても

何とも謂えぬ
余韻ある作品というものが
ありまして・・・。

それは時に心象風景のような
イメージの残照であり
時に
懐かしき旋律を呼び覚ます響に変わります。
またある時は
想像(創造)の世界に誘われ
またある時には
作品世界をそのまま共に歩むといったような
錯覚に陥る。
実にさまざまな余韻のヴェール
ですが
共通しているのは
そこには確かに
静的で奥ゆきのある世界観が構築されているということ
そして例外なく
持続性のある美が備わっているということであります・・・。


















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【 2015/10/26 00:02 】

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主人公に寄り添う
DSC_0242_20151013161342d17.jpg

文学作品において
主人公に寄り添わなければ
否、寄り添えなければ
こころ揺さぶられる体験は得られないように思います。

そうした観点で考えるなら
豊かな活動を通じて
想像力や寛容性を磨きつつ
如何に感性に合う作品を見出せるかが
豊かな読書体験を紡ぐ上で
見過ごせない
事情となっているように思います。





































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【 2015/10/25 00:52 】

| 文学~小説/詩/名言 | トラックバック(0) |
混沌からのメッセージ~美という名の牙城へ
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混沌の洞察から
明晰な論理を導き出し
解き明かそうとする哲学者たちに対し

混沌からの直観を
あらゆる言語表現を駆使して
諷喩的メッセージを放つ詩人的立場。
それは美という名のもとに牙城を築き
心の琴線を震わせてくれたあの音楽、絵画、彫刻同様に
理屈抜きに我こころに溶けこんで同化してきたように感じています。

そうした経緯を考えると
精神レイヤーへの浸透度では
両者に
大きな変わりはないのかもしれません。





























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【 2015/10/24 00:09 】

| ヨーロッパ散歩(海外旅行) | トラックバック(0) |
葉隠~言葉にしない想い
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言葉にしないことで
還って気持ちが強く伝わるーー

そうしたことって
確かに
あるのかと・・・。



















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【 2015/10/23 00:05 】

| 文学~小説/詩/名言 | トラックバック(0) |
ひとはなぜ~  Ⅱ 
*あなたに贈る終章です・・・*
DSC_0042_201510211956148ac.jpg

私たちが生きる社会は
環境に適応させながら発展してきたもので
その構造が常に動的であることに異論はないでしょう。

数千年の時を越えて
ひとは、(主に)言語を通じたコミュニケーションによって,
知識、情報、技術を水平に
そして垂直に展開しながら
生を繋いできたんですよね。
そしてこの”繋ぐ”能力こそが
今日の社会を形成し文化を発展せしめてきたわけで
文化の本質は此処にあるように思うんですね。


文化を表現し
その連鎖を約束する単位として
ミーム(仮想的自己複製子)という概念がありますが
こちら学習から行動まで
あらゆる機会に影響を及ぼす要素として定義されているようです。

このミームは、
生存のために目的をもって活動し
その行動に影響を与える諸要素となり
そのプロセス或いは成果を
私たちは文化と呼んでいるものでしょう。

そうした視点で歴史を紐解けば
ミームは模倣に始まり学習を重ねていることがわかりますし
さらには、ミーム自体も淘汰されゆく存在のようで
刻々とその状態を変えながら進化しゆくプロセスも見て取れます。

このような規範形成による文化的進化と
時に誤って引き起こされる負の連鎖
さらには
先に綴った遺伝的進化
それぞれの側面が複合的に絡み合いながら
時代は進んできたわけで
選り良い生に向けた”文化伝達”に
充足度や
負の連鎖を繰り返さないといったような
有意にして不可欠の価値基準を付加した
社会モデルの構築を図ってゆくことは可能であり
それこそが、私たち社会人が本来果たすべき役割の一翼
かとも思うんですね。
そしてそれは
グローバル視点での秩序により近付けるためのもの
でなくてはならず
結え、そのスタンダードは
普くヒューマニスティックにあることが必要にして最低の
条件なんですよね・・・。

             *

今私たちができること
それはその礎となる、より豊かな人間関係を
構築してゆこうと努力することがひとつあります。
そのためには先ず
他者を認めなければ始まらないんですよね。
そう
他者を認められなければ
自分が沈んでゆくだけだから。

完璧なひとはたぶんどこにもいないから
良いところを認め尊重し
そうでないところを補い合う
そんな極々ありふれた日常を
愛と呼んで差し支えないのかと。
愛とは
特別なものでなく
日々の情景に溢れている筈
というより
そうであって欲しい。
ただそれだけです。

こころに
優しささえ失わなければ
恐いものなんてないから。

優しさは
ひとを強くする
私はそう信じて疑いません。




















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【 2015/10/22 00:14 】

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ひとはなぜ~  Ⅰ


evolutionary biology
所謂進化生物学の範疇に数えられるという
自然選択や生物進化を遺伝子中心の視点で解明しようと試みられた
英国の動物行動学者リチャード・ドーキンス氏が1976に発表した書
”The Selfish Gene”というひとつの opinion 。
過去記事において少し触れていますが・・・)
この”The Selfish Gene”=利己的遺伝子は
社会通念としてある倫理上の利己主義とは一線を画しており
あくまで”進化的利己主義”のメタファであったんですよね。
即ち、此処では行為者の意図は一切考慮されず
個体が取る行動が齎す結果のみに着目して
分類される概念でありました。

要は、一見利他主義に映る行動であっても
それが実質的に自己の成功率を高めているのであれば、
”姿を変えた利己主義”と捉えるという立場であり
遺伝子選択論者たちは、
選択や淘汰は、個体でなく遺伝子に対して働くもの
という考え方をお持ちのようなんですね。

個人的には
遺伝子中心のこのスタンスは
極シンプルな
個体の行動上の評価としか受け止めていません。

何れにしても
遺伝子抜きに人間行動は語れないのかもしれませんが
それ以上に人間は
社会や文化の影響を受ける社会的動物なんですよね。

人間の利他行為が
社会的評価に直結する現実をも踏まえるなら
それを適応的行動として捉え
社会選択説も併せ考えるに至ります故

この角度からも
ひとはなぜ生きるのか
という
究極的命題のその解
輪郭は見えるような気がするんです。











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【 2015/10/21 00:06 】

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一面の真理からの脱出
DSC_0031_20151013160619344.jpg

知識・情報・技術が重要視される知識基盤社会のなか
異なる文化や文明と共存すべくグローバル化も進み
その価値観の多様化には目を見張るものがあります。

そうした環境下で
私たちは社会的事象を多面的に捉える必要性が
求められているんですね。

一面の真理はときに
一面の背理となる
多くの事象は多面的で
それを論ずるに
様々な角度からの検証は必須でありましょう。
それを飛び越えての安易な断定への問題意識は
欠いてはならないと・・・思うんです。

            *

二転三転ではなく
あくまで
多面的に
どこまでも多面的に・・・。












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【 2015/10/20 00:30 】

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キッチン
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***世界でいちばん好きな場所はキッチン***
そんな意味合いの書き出しで始まる小説が
かつてありましたけれど
とても共感したことを覚えています。

彩りをあれこれ考えながら
新鮮な食材を買い込んで・・・

ていねに洗って
刻んだり
面取りしたり

感謝のなかで
下味を付け
優しく優しく
下ごしらえをしてゆく。

そして
調味料
時にスパイス
時にハーブを織り交ぜながら
焼いたり
コトコト煮込んだり
揚げたりして
お気に入りの器へ・・・。

すっかり芸術家気分で
ワクワクのアレンジ。

お庭のお花を飾って
テーブルセッティングを終えたら

家族や気の合う仲間たちと
宴を愉しむ
文字通りの手創り時間が
ゆったりと流れゆく。

その秘密基地となるキッチン。

だ・か・ら
世界でいちばん好きな場所♪
なんですね・・・。














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【 2015/10/19 00:57 】

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透明な伝達手段~誤読への問題意識
DSCN9617.jpg

書に親しめば
つい作者の意図を察しようと試みて読み進めるのが
読書の愉しみのひとつのようにも思われるのですが

”文章”を自律的な存在
テクストとして捉え
多様な読み方を許す
そういった思想
所謂、”テクスト論”なるものがあります。

例えばそれが書籍であれば
出版(公開)され
ひとたび、作者の手を離れたなら
著者との関係性は遮断される。

フランスの文学者ロラン・バルトの謂う
”作者の死”であります。

ポジティブに捉えれば
”作者の意図”に支配されない
書き手の立場に影響されない
読み方。
”透明な伝達手段”として
担保されましょう。

芸術的範疇に数えられるそれならば
もちろんアリです。
ですが、そうでない類のものに対し
”解釈の相違”を軽んじて良いのかと謂えば
誤読による歴史的悲劇をみれば明らかです。
そうした類のテクストを読み解くには
やはり
一定の情報、知識、読解力は無視できないものもあり
作者の純粋なる意図が汲めているのかといった
真摯にして謙虚な姿勢を欠いてしまえば
曲解という壁にぶつかり
延いては、二次的問題を呼び寄せてしまうんですね。

意図は純粋に意図のみで存在できる筈もなく
言語との不可分性を抜きに語れませんゆえ
テクストが孕む本来的脅威に背を向けて良いものかどうか
立ち止まって考えてみる必要はありそうです。

もっと言えば
テクスト論なるものは
文章から作者の意図を汲もうとする
極めて人間らしい姿勢への拒絶であり
そのまま
”形而上学批判”につながってゆきます。












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【 2015/10/18 00:10 】

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美しき志向性~ひとがひとであるために
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ブレンターノの論を待つまでもなく
精神とは本来的に志向性を備えたものでありましょう。

もっと謂えば
認識のプロセスそのものも
志向性に導かれているんですよね。

そして
その志向性こそ
瞳には映らないほんとうの価値を
裏打ちするものとなりましょう。























テーマ:芸術・心・癒し - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2015/10/17 00:45 】

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論理的思考と謂う名の誤謬~諸刃の剣


論理的思考なる表現を見かけますが
この言葉自体に
違和感を覚えてしまうんです。
思考に規則性を求めれば
その神髄は失われてしまうでしょうから。

思考は文字通り
めぐらすものであり
論理からは解放されねばならない
そうした類のものであろうかと。

何ものにも縛られず
自在に思考すればこそみえてくる
本質があり
また
閃きがあり
予期せぬ発見があり
独創性をも呼び寄せ
豊かな実りを齎す。

云ってみれば
論理は思考に対し寧ろ
後ろ向きに関与してくる存在のようで・・。

但し
その思考をアウトプット(第三者に伝えようと)する際には
これを整理し、論理的に説明する必要は
あるんですね。

          *

日常遣っている論理的(筋道が通っている)という語句には
肯定感が内包されているようですし
非論理的(論理の文脈によっては感情的)となれば
ネガティブなイメージが付き纏います。

しかし乍、当の論理自体
人類の普遍感情の集積抜きに語れないものも多くあることは
否めないようにも思うんですね。

結え、輪郭が曖昧なものを
思い込みで語ってしまうとどうしても歪がでてくる訳で。

また、哲学で云う処の
”論理の領域に属する”といった場合の”論理的”に対しては
論理的でないことをして
”経験的”ですとか”実証的”
或いは、”事実的””直観的”とも表現します。
また、文脈によっては”物理的”
時に”数学的”さえその対義語として
用いられることもあるほど
ファジーな言葉で
それを論じるには一定の注意が求められる・・。

さらには
論理的真理があるならば
当然、事実的真理もある訳で
それでは
数学的真理はまた別枠かといったような議論も出てきます。

*例えば対象を主に演繹モデルの構築におきますと*

明確な論理学
形式論理学で云えば
理論上は常に正しいハズ
ですが
特定の論理体系に適用させ
そこに具体的に言葉を落とし込んでゆくと
現実との間に乖離が生じてくる・・・
こうしたことをも踏まえるなら
緻密な法則と申しますか
推理の方法や論証の繋がりを如何にクリアに構築しても
必ずしも正当とは言い切れないケースも少なくありません。
そうした実態に思いが至らないまま
”論理的思考”をあたかも伝家の宝刀のように盲信してしまう姿勢には痛々しさを超えて
無自覚な印象さえ拭えないんです。

安易にこの言葉に縋ることから生じる様々な問題
論証、論拠不十分に振りかざすそれは
時に言葉の暴力にもなりかねない状況にも陥っているようで
看過できないものがあります。

そもそも
意義ある論証には洩れなく飛躍が付いてきます。
なぜなら一切の飛躍なき論証に
生産性はありませんから。
だからこそ、その裏付けとなる論拠は
再現性のあるものが望ましいんですね。
時に実験であり、観察であり、調査である
これ即ち経験的事実に他なりませんが
此処なんですね、これが不確かであれば
一見論理に優れたようであっても
その脆弱性が浮き彫りになってしまうという悲惨な結末に・・・。
真理値ギャップ理論等含め
論理の正当性を語るに
謹んで謙虚になって余りあると思わずにはいられません。

         *

そもそも
論理とは”言葉同志の意味上の関係性”を指すとされており
そこには必ず心理が作用してくるんですよね。
論理的であろうとすれば
必然、その関係性に
内なるすべてを集中させねばなりません。
ですので当然ながら知識・理論だけで完結できるものでなく
豊かな感性(柔軟性)や経験も
真に整理された理論構築には大切なfactorになるものでしょう。

※因みに弁証法は
論理には違いありませんが
私的にはTheory(理論)の範疇で考えてゆきたいと思っています。

以下余談ですが
本日綴った考察の先で起きた
最悪のケース。

         *

原発で生成されてしまう放射性物質を
無毒化する術(すべ)がない
そう
基幹産業として原子力発電を行う技術レベルに達していないなかで
見切り発車した原発事業。
まして、ブラックアウト(全電源喪失)したら
手の施しようがなくなるという
致命的欠陥を抱えた史上最悪の発電方法。
さらには日本は
人口密度も高く(津波被害含め)地震国でもあり
如何にも原発事業不適格な環境下にあり
そこに、あってはならない筈の原子力発電を
推進してきたのが政府高官でありそのバックについた
所謂、識者(学者)の方々であった訳です。

賢明な人間であれば
誰しもが懐疑的にならざるを得ないこの政策が
なぜこうまで罷り通ってきたのか
その敗因として
原発推進派に共通の
東大話法アリ
といった見解が出されて久しいのですが

賛否あるなか
この東大話法が
議論論破のための技法になっており
不誠実な論理から成る
欺瞞的言語体系の中枢に散見されるものであることだけは
否定することはできません。

         * 

後世の人間の立場になって考えることのできる想像力
そのままに
思い遣りさえ失わないでいたなら
こんなことは起こり得ない
極々シンプルなお話なはずなのですが
シンプルなことがシンプルにこなされないのが実社会なんですね。

         *

他者の痛みに心寄せることのできない人間だけが
”ある否定(非難)”に相当するのだと・・・・。












































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【 2015/10/16 23:34 】

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夏芙蓉を探して・・・


夏の終わりにこの場所で読み耽った
或る芥川賞作家の小説。

愁情の海を泳いだその先の
一輪の花

嫋やかな香りに魅せられて
金色の鳥が集うという
幻の花
その名も夏ふよう。

秋の季語とされながら
夏を彩る美しき白い花

見知らぬ路地をあてどなく歩きながら
いつのまにか
夏ふようを探してしまうことが
小さな小さな癖になってしまっていた
この夏の細やかな想い出・・・。


















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【 2015/10/15 00:10 】

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富士山/初冠雪~一夜の・・・ Ⅱ 思考の柔軟性を求めて
DSC_0049_20151005094031fbc.jpg

こちら
一昨日の初雪の前週末
富士の裾野に広がる
秋桜花に抱かれた時の一枚です。
そして・・・

DSC_0111_20151013161343bcd.jpg

雪を受けて
山中湖から浮かび上がるこの美しさは
何者をも包み込むような鷹揚さが
齎しているようにも思えます。

       *

視野の広さ
裾野の広大さは
そのままに
器の大きさであり
それこそ
何よりの糧になりましょう。

現実はと謂えば
議論に満ち満ちていますけれど。
実際にこれ
何かに付け欠かせないものではあります。
話し合わなければ
解り合えません結え。

然しながら
議論の目的がどうも論破になってしまっている状況に遭遇すると
虚しさを覚えます。

本来、議論の目的は
普遍性の高い有意な成果を導き出すことにある筈で
相手を理解しようとする
このいちばん大切なことが
置き去りにされてはならないんですよね。

定義が曖昧で議論が成り立たないという
ありがちな基本的問題も忘れてはなりませんが
ただ
当の”定義”そのものが
古代ギリシア哲学の時代から
2000年の歳月を超えて尚
その輪郭は曖昧なまま
なんですね。

また、価値観の違いのように
乗り越え難い壁も立ちはだかってきます。
情報量の違いも理解に及ぶための障害になりますね。

時に傷付けあってもしまう
不毛な議論を避けるため
先ずは、認め合い、譲り合う姿勢
思考の柔軟性だけは
失わずにいたいナ
なんて改めて思っています。






















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【 2015/10/14 00:00 】

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富士山/初冠雪~一夜の・・・ Ⅰ
DSCN9703.jpg

初冠雪した
今日の富士山

          *

因みに先週末はこんな感じで・・・



一夜にして・・・
という感じなんですよね
魅惑の変貌です☆

いつ眺めても
その美しさで圧倒しかけてくるこのフォルム。

独立峰ならではの立ち位置で
姿形の美を
一層際立たせるこの山が
堪らなく好きです。

横浜からは
高速で一時間余りで
此の景観に辿りつけますので
お気に入りのドライブコースのひとつにしてます
特にこの季節、
紅葉と雪
的な♪♪♪






















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【 2015/10/13 00:41 】

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トルストイの歴史観


ロシア文学が所謂、西欧の文学と趣が異なるその理由(わけ)は
その歴史観にもひとつのファクタがあるように思います。

例えば、トルストイ”戦争と平和”には
欧米の個人主義、英雄史観とはベクトルを異にする
ロシア的な極めてロシア的理念が見事に結実していたからです・・・。















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【 2015/10/12 00:21 】

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仕事の在り方
DSC_0136_20151005095034029.jpg

意義ある仕事とは
実は、与えられた労働の範疇のその先にあると謂われています。

次なる仕事に繋げる
他者に善い効果を齎す
といったような
昨日とは違った明日を生み出す
その中にこそ
仕事のいちばんの意味が
存在しているものなんですね。

そして
一言で謂ってしまえば是
”創造性”でありましょう。

現実を切り開いて行く
時に打ち破るべく
強いチカラを発揮するに
論理的思考だけでは
到底叶わない分野があるんですね。

必要に迫られたときに心の底から湧きあがる思い
現実に根差した感情こそが原動力となる。

行き場のない状況で
発揮させられる
直観力
判断力
決断力。

忘れてならないのは
そうした処ではありませんでしょうか。









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【 2015/10/11 00:35 】

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ゲーテに学ぶ論理を封印するチカラ
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古代芸術を学び尽くす一方で
自ら脚本も書き下し演出をも熟す
さらには劇場の設計まで手掛け
同時に、最先端の科学技術の研究に勤しみ
政治家としても活躍したという
文豪ゲーテ。

論理力に長けた
論理のひとでありながら
同時に
それを封印することを知るひとであったという
そのことが偉大なるゲーテの原点ではなかったかとも思うんですね。

自己研鑚を重ね頂点を目指す
人間精神の極みと謂っても過言ではないゲーテとの対話
エッカーマンが記したというあの記録は
そのまま上達論と云えるものでありました。

知は人間を豊かにするものであります。
そうではない知は、
本質的に知と呼んではいけないと私は信じます
後は、
豊かさを齎す知に到達するための
技法ということになってまいりましょうか。

論理性を身に着けた人間が陥りやすい
”論理に縛られる”ことを由としなかったのが
ゲーテがゲーテたる由縁であり
意図的に思考の飛躍を図ることができる
状況に合せ適切な思考を引き出すといったように
ゲーテは、両者を使い分けることができる達人だった訳です。

如何に緻密な論理的思考ができても
それ自体に行く手を阻まれるケースを目の当たりにするにつけ
ほんとうに哀しい気持ちになります。

理論で割り切れない事象の方が
現実には寧ろ多かったり
”ドストエフスキーなひと”また愛し
といった
寛容性、受容性が磨かれていなければ
真実はいつまでたっても見えてこないのかもしれません。










































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【 2015/10/10 00:34 】

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サルトルの世界観を見詰めて


ニーチェやハイデガーの一歩先を歩んだ
サルトルの実存主義
人間の主体性を肯定し
ひとの持つチカラに大いなる信頼を寄せた彼の理念

フーコーの構造主義的スタンスと見紛うばかりの
今日の silent majorityを支配するあの哀しき消極性に
命を吹き込んではくれませんでしょうか。


















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【 2015/10/09 00:36 】

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愛こそが生命~トルストイ
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ドストエフスキーが精神の深淵を描き出したというなら
トルストイは”深淵なる自然”のひとと云えるのかもしれません。

トルストイは語りました。
人間の中には何があって
何が与えられていないか
そう
人間は何によって生きるかという
問いでありますが

その著作の中心には
常にこの問いかけが渦巻いていたように思います。

そして彼が見出した答え
それが
”ひとは愛で生きる”
だったんですよね。

こちら
愛を与える(愛している)こと自体を
幸せと呼んで差し支えないものかと。

愛は愛であって
それ以上でも以下でもない
人間の本質がここに集約されるということでありましょうか。

















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【 2015/10/08 00:07 】

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ノーベル医学生理学賞に・・・


ノーベル医学生理学賞が授与されることになったという報を受けまして
微生物が作る有用な化合物をライフワークとして
探究されてらしたという大村教授の研究を一瞬ですが垣間見せて戴きました。
先生が1979年に発見されたというエバーメクチンは
熱帯域に暮らされる10億人もの人々を救う特効薬の礎となったそうで
真なる偉業と申しますか偉勲、偉烈なるものは
涙を誘うほどの感動を呼び起こすものなのかと
感慨を新たにしています・・・。









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【 2015/10/07 00:58 】

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透明な情感


透明な情感といった
明確に言葉で表現し得ない
けれど
豊かさに充ち満ちた感覚
そのような
読後感を与える書
というものが
確かに存在するんですね・・・。

その時の歓びが
忘れられず
今日もまた私は書を手に取ります。


















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【 2015/10/06 00:01 】

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精神の不可逆性


統計力学、熱力学上の不可逆性問題
逆行可能論、再帰性パラドックスといった議論は知られたところかもしれませんが
哲学的観点では
親鸞の著した書にその片鱗が顕れておりました。

個人的に
精神の不可逆性は
超越し得るものと考えております。

エントロピー増大に抵抗できるもの
それは
ひとの理性であろうかと・・・。


















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【 2015/10/05 00:24 】

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bird's eye view~ヴェネツィア鳥瞰図/ダ・ヴィンチ


鳥瞰図
所謂 パノラマ図、俯瞰図であり
上空から斜に
地上を見下ろした光景を描いたもの
なんですけれど
その眼差しに魅せられます。

美術館でなく
画集であっても
ひとたび出合うと
時間の許す限り見詰めちゃう
そうした傾向持ち合せています^^

古くは、1500年 ダ・ヴィンチの手による
”ヴェネツィア鳥瞰図”など印象に残っていますが
そもそも鳥瞰図なるもののあの立体感が
妙な臨場感を呼び起こすと申しますか
透視図法によった三次元的描画と
時にデフォルメされた表現が情感を刺激し
リアルに胸に響いてくるその不思議感覚が
好きみたいです(笑





















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【 2015/10/04 00:03 】

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海上での空の果たす役割~ポール・フォール


フランス詩人ポール・フォールの詩作品には
河から海へ出た船が
空にかかるあの天の川のように
その軌跡を海上に描きながら
真っ直ぐに進みゆく様が見事に表現されていましたが

海の上での指標
それは
いつの時も
見上げる空の美しさ
ここに尽きるようです。









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【 2015/10/03 00:46 】

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レニエ~月の詩(うた)


アンリ・ド・レニエの作品に
ポプラの葉陰に昇りゆく
月の光に照らされ
一日を見送る情景をうたった
そんな詩がありましたけれど・・

希のない哀しみに焦がされた
激しい恋の焔
その燃え滓 冷えた灰
けれどそれが
傷付いた心を
優しく親しみ深く包み込んで
しとやかに癒してゆく

と謂ったような
寂寥の中に
穏やかさを含んだ空間が広がっていまして

ポプラを見るたび
胸にこだまします。

なんとも透明な世界観が
そこにはありました・・・。























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【 2015/10/02 00:36 】

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