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ひとはなぜ~  Ⅱ 
*あなたに贈る終章です・・・*
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私たちが生きる社会は
環境に適応させながら発展してきたもので
その構造が常に動的であることに異論はないでしょう。

数千年の時を越えて
ひとは、(主に)言語を通じたコミュニケーションによって,
知識、情報、技術を水平に
そして垂直に展開しながら
生を繋いできたんですよね。
そしてこの”繋ぐ”能力こそが
今日の社会を形成し文化を発展せしめてきたわけで
文化の本質は此処にあるように思うんですね。


文化を表現し
その連鎖を約束する単位として
ミーム(仮想的自己複製子)という概念がありますが
こちら学習から行動まで
あらゆる機会に影響を及ぼす要素として定義されているようです。

このミームは、
生存のために目的をもって活動し
その行動に影響を与える諸要素となり
そのプロセス或いは成果を
私たちは文化と呼んでいるものでしょう。

そうした視点で歴史を紐解けば
ミームは模倣に始まり学習を重ねていることがわかりますし
さらには、ミーム自体も淘汰されゆく存在のようで
刻々とその状態を変えながら進化しゆくプロセスも見て取れます。

このような規範形成による文化的進化と
時に誤って引き起こされる負の連鎖
さらには
先に綴った遺伝的進化
それぞれの側面が複合的に絡み合いながら
時代は進んできたわけで
選り良い生に向けた”文化伝達”に
充足度や
負の連鎖を繰り返さないといったような
有意にして不可欠の価値基準を付加した
社会モデルの構築を図ってゆくことは可能であり
それこそが、私たち社会人が本来果たすべき役割の一翼
かとも思うんですね。
そしてそれは
グローバル視点での秩序により近付けるためのもの
でなくてはならず
結え、そのスタンダードは
普くヒューマニスティックにあることが必要にして最低の
条件なんですよね・・・。

             *

今私たちができること
それはその礎となる、より豊かな人間関係を
構築してゆこうと努力することがひとつあります。
そのためには先ず
他者を認めなければ始まらないんですよね。
そう
他者を認められなければ
自分が沈んでゆくだけだから。

完璧なひとはたぶんどこにもいないから
良いところを認め尊重し
そうでないところを補い合う
そんな極々ありふれた日常を
愛と呼んで差し支えないのかと。
愛とは
特別なものでなく
日々の情景に溢れている筈
というより
そうであって欲しい。
ただそれだけです。

こころに
優しささえ失わなければ
恐いものなんてないから。

優しさは
ひとを強くする
私はそう信じて疑いません。




















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テーマ:伝えたいこと - ジャンル:日記

【 2015/10/22 00:14 】

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