2015年の終わりに~ふたつの潮流~求めるこころ


思想の中心に自然(世界)を置いた東洋思想と
人間的な
あまりに人間的な西洋思想。

前者からは
(自己犠牲にも似て)すべてを受容し
ある”価値(総体的概念)”を貫こうとする凛とした姿勢が
後者からは
高みへ向けて邁進する志向性が
みて取れます。

西洋思想のその進化論的意識は
文明を押し上げましたが
一方でその行き過ぎた発展は
自然破壊にも繋がった・・・
(ある時代まではキリスト教がストッパーになっていたよう)
この物質科学主義負の遺産
それは
人間主義に徹する西洋思想の宿命
とも云えるものでありましょう。

自然に重きを置き
すべてを受け入れ
究極的生の肯定感を内在させた
循環的(輪廻転生)とも云える
東洋思想と明らかに
相反するスタンスであります。

ただ、エントロピーの法則にも似て
達観(諦観)を極める東洋思想は
解釈をひとつ誤れば
思わぬ虚無感に捉われ
人間らしく生きるべく
生への躍動感が削がれてもしまう
危うさを感じなくもないのです。

確かなこと
それは
自身の思索の果てにしか
真理は見出せないということ。
まさに、ショウペンハウエルの言う”自身の目で見よ”
であり
ヘッセがシッダ―ルタで描いた
(真理を)求めるこころ
とも重なりゆくものであります。

ですが到底ひとりで辿り着ける場所でもありません。

ゲーテやバルザックが
西洋思想の高みで
必然のように東洋思想と融合し
高潔な世界に到達したプロセスを思い返すに付け
偉人の著作を紐解く意味深さを強く感じるのです・・・。


          *


エストリルのクリスマスローズをご訪問下さったみなさま
今年も1年ありがとうございました。
2016年という新しい年がどうか
みなさまにとられまして
素晴らしい1年となられますように☆









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【 2015/12/31 23:09 】

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生の振り子が往来する両極のひとつへ~寄り添うこころ


フランスの文豪ロマン・ロランは
不条理な社会に立ち向かい
周囲の無理解に負けることなく
真実を貫くために
ヒューマニズムという名の大河を
渡り切った偉人であろうかと。

彼の輝かしい作品群のなかでも
”ジャン・クリストフ”(芸術/父性)と
”魅せられたる魂”(生/母性)は
その前編と後編
とさえ感じさせるほど
この意味で相似性のあるニ編と謂えましょうか。

フランス人のロランが
ドイツ(ベートーヴェンの)精神の飾り気のない力強さを
通奏低音にして描き出した
ジャン・クリストフ。

ですが同時に此処で
フランスの透明な自由さをも認め
互いに補完し合い
全人格的人間像を目指したそれは
今に謂う真なるグローバル精神
その文学的表現の結実ではなかったかと
私は受け止めています。

社会の不正を許さず
不文律に
因習に迎合せず
真理を貫く
それは
想像を絶するような孤独な作業でありましょう。

ですが
志を同じくして
諦めず闘い続ける同志は
世界のどこかに
必ずいるんですよね。
そして
そのような者たちの魂は
必ずや通じ合うのだと。

だから彼らは決して孤独ではない
そんなふうに
ロランが励ましてくれているようにも
聴こえる作品でした。

闘うものたちの日常には
そうやすやすと
幸せは
降り立ってはくれない。

けれど
どんな人生にも
幸福な瞬間はあるんですよね。
それはそのままに世界のリズムの一瞬であり
もし
幸福に安住したいならば
両極を往来する振り子を止めねばならず
そうすることは生の破滅を齎すと・・・

或る最高の一瞬(起立する時間=永遠性)さえあれば
一生(それを支えに)闘い抜いてゆける
といったような
ストイックにも
美しい精神さえ
浮かび上がってもまいります。



















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【 2015/12/30 16:41 】

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あなたへ・・・時間と謂う名の贈り物
DSCN0415.jpg

此処は
青山一丁目
神宮外苑のカフェです。

銀杏並木も
すっかり葉を落とし
淋しげな表情を見せていました。

         *

クリスマスに
あなたが下さった”時間”

贈り物とは
それが内包する”美しさ”も然ることながら

究極的には”時間”を頂戴することなのかと
改めて
教えて戴いたようにも
感じています。

想いの籠った言葉たちがもつチカラ
そして
あなたの大切な時間を
どれだけ費やして下さったことか
そのまごころ
それは
寧ろ
時間が経てば経つほどに
胸に沁みてくる
そうした種類の
優しさでもあるんですね。

手で触れることのできない”贈り物”こそが
こんなにも
心暖めてくれるものなのかと
凛と冷えた空気のなか
静謐な幸福感に包まれます。

PC(スマフォ)という媒体で繋れただけの
不確かなWEB世界
ましてその多くが文字のみで構築される
人間関係でありながら
こうまで
こころ触れ合い
高まる関係性があることの驚きを
隠せないまま

あなたを想っています。

紗希



























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【 2015/12/28 17:29 】

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願いはひとつ
DSC_0073_201512211434385f5.jpg
 
多くのひとは
大変な体の不調(痛み)に
生きる気力を奪われるものかと
想像はできます。

私は弱虫で
偉そうなことは言えません。
だからただ
辛いときこそ笑顔でいたい
それだけをいつも自分に言い聞かせてます。
こうして綴っている今だって
ちょっとつっつかれると
たぶん
涙が零れてしまいそうな(笑
生きて行くのは
本当にしんどいもの
であれば
限られた生を
せめて
“愁(憂)”でなく
“幸”は無理でも
“優”にしたい
それだけです。















【 2015/12/26 09:22 】

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余韻の作家チェーホフ
DSC_0041_201512211434109a5.jpg

今年のクリスマスは
チェーホフ2編を携えて
ベッドに・・・。

ひとつめは
文字を書けない両親が
遠くに嫁いだ娘に贈る手紙をベースにした
書簡文学
”クリスマス週間”

ふたつめは
”名の日の祝い”
こちら、
特別な日に限定される設定なんですけれど
特別なことは何も起こらないお話。

第1章.クリスマスイヴ
第2章.朝
第3章.午餐
第4章 夜
第5章.クリスマスイヴ
といった章立てで
ご覧の通り
イブに始まりイブの夜に終わる
chronologicaな構成になってます。
作中の時間推移は、単なるフレームに過ぎず
継起そのものがプロット展開の原動力になっている
テクニカル加減が好きな作品。

(ドストエフスキーに心折れたあの日
私を救ってくれたのが
チェーホフでした。
たぶん
チェーホフに出逢っていなかったら
私は今も
ドストエフスキーを知らずに生きていたと思います。)

シェイクスピアの英語はとても平易なので
原文で読まれる方も多いのかと存じますが
英語で読むからこそ
愉しめる作品でもあるんですよね
ですが
彼の場合もう
科白がすべて。
それ以上でも以下でもないんですね。

一方
チェーホフは
行間の作家でありました。

とにかく
すべてを謂わない
between the linesのひと。

彼の遊び心と申しますか
謂わずして漂う
あの大いなる(シャープな)サムシング(これが暈けないからまた凄い)に
やられちゃうんです(笑

今も尚
ボディブローのように
効いてくる
チェーホフの余韻は
私の心をとらえて
離してはくれないようです・・・。














































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【 2015/12/25 00:00 】

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メリークリスマス☆愛は胸のなかに
   image.jpg

DSCN0238.jpg

時間の意味性は
長さでなく
高さ(充実)であり

愛は
対象にあるのでなく
内在するもの

いつのときも
胸の中
奥深くにある愛という
このしあわせの泉に
こころからの感謝を込めて

  2010chiristmasrose-ani.gif




































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【 2015/12/24 00:28 】

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英国映画”Fahrenheit 451” (華氏451)~書を愛したトリュフォー~HTTPコー451承認


思想管理のために
時の政府が、
書物を禁じる社会を描いた
トリュフォー監督の英国映画”Fahrenheit 451”
こちら
本が燃え始める温度 華氏451度(≒摂氏233度)が
そのまま映画のタイトルになったもの。

主人公が
文豪ディケンズの描き出した”デイヴィッド・コパフィールド”に接し
小説が放つチカラに目覚めるところや
扱われている
”高慢と偏見/オースティン著”
”君主論/マキャベリ著”
”国家/プラトン著”
さらには
”アンリ・ブリュラールの生涯/スタンダール著”
”ユダヤ人/サルトル著”など
書を愛したトリュフォーでなければ撮れないショット多数であることなど含め
書物への愛溢るる作品になってました。

映画となれば
ない筈のないタイトルバックやクレジットが一切なく
そこは、延々と朗読されるのみ。

文字を禁止する世界を描くという作品コンセプトに照らした
あの異空間が
なんとも印象的な作品でもありました。

        *

ここで
この”Fahrenheit 451”を取り上げたのは
他でもなく
新しいHTTPコード”451”承認の報に接したからであります。

この”451”は、
検閲によるウェブサイト閲覧禁止を示す
ステータスコードを示すもので
検閲されていることを警告するエラーコードとも
謂えましょう。

そもそも
インターネットでは、
100~500番台までのステータスコードが採用されてきたようで
従来のコード表示では
技術的理由(サーバーダウン)でアクセスできないのか
法的な理由(政府介入)でアクセスできないのか
判別ができなかったんですね。
そこでIESG(Internet Engineering Steering Group)なる
インターネット技術標準化組織がこの明確な提示を承認したもののようです。

(欧州でも
インターネットは検閲対象となっていて
海賊版コンテンツにリンクするウェブサイトへのアクセスを禁止するよう
インターネットサービスプロバイダに強制執行してきました。
また中国の”万里のファイアウォール”に象徴される閲覧制限初め
ロシア、韓国などのウェブの厳しい規制は知られたところです。)

ですので
従来の様に
403ステータスコードが表示されても
それがなぜ「Forbidden」(閲覧禁止)なのか区別が付かない
という状況は、とりあえずなくなることに。

ウェブ世界で、目に見えて広がりゆく規制を憂い
上記 ”華氏451が扱った問題”
少なくとも”理不尽な検閲”が起きないようにと
そんな祈りを込めて
このステータスコード”451”を採用したのなら
粋ですね。

       *

今後は、
検閲を好む政府が
その行為を隠すために451使用禁止を打ち出す可能性も
なくはありませんが
それは極めて困難なようですので
意図的に情報公開を阻止され
正確な情報を得られないでいる共産圏で、
何らかのステップアップに
繋がりゆくことになるのでしょうか・・・。















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【 2015/12/23 00:17 】

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ないものだけがある場所
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カタチのないものだけがある処
存在しないものだけがある処
確かめられないものだけがある処

そうした処にだけ
ほんとうのものがあることを
知っている

そんなあなたが
大好きです・・・。
























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【 2015/12/22 00:09 】

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音楽って凄い☆Ⅰ
DSCN0342.jpg

もう頑張れないと
諦めかけた時
そっと背中を
押してくれた
あの楽曲

為す術なく
挫折の淵に立たされた時
勇気づけてくれたのは
あのナンバー

哀しみに沈み
ひとり部屋に蹲っていた時
包み込むように
こころに寄り添ってくれたあの曲

音楽は
力を失って動けない時でも

あるがまま
なすがままに
あっても

向こうから
私のなかに入ってきてくれる

心構えも
気遣いも
理屈もいらない

能動的思考なくとも
なぜか
同期し
同化され
精神の海に凪がくる

またあるときは
心を揺り動かし
気付きを
快をもたらす  

またあるときは
精神を揺さぶり
躍動を
元気をくれる
それが
私とっての音楽

私は
そんな音楽の
大きな大きな翼に
抱かれながら
これからも
時を重ねてゆくのだろう。


        *


気兼ねなく甘えられるところが
特に好きです(笑

















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【 2015/12/21 00:03 】

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ダ・ヴィンチの普遍性/モナ・リザ


先の記事で
ダ・ヴィンチの言葉
”すべての遠景は青に近づく”
に触れ
あらゆる相対的差別を認めないという
美しき視座をご教示戴いたところですが

確かにダ・ヴィンチはそういうスタンスの
哲学的偉人であったかとも思うんです。

と申しますのは
あの名画”モナ・リザ”からも
彼の強い意志が
読み取れるからであります。

謎の微笑みと称されてもいるように

憂いを含んでいるのか
安らぎなのか
或いは達観なのか

優美にあり
高貴にあり

夢見るひと
愁のひと
待つひと
・・・・・・・
あらゆる者の胸に在る想いを
混在させたか如くの
あの微笑。

ダ・ヴィンチが目指したものは
表現の高み
いずれの時代からも距離を置き
どんな思想にも流されない
普遍性ではなかったかと思うんですね。

表顕のチカラ
その礎を提示した彼
ダ・ヴィンチの偉大さは
そうしたところにもあるのかと思っています。













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【 2015/12/20 07:28 】

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Tokyo International Airport~バッハ&ベートーヴェン~旧約/新約


羽田に到着して
ipodから聴こえてきたのはフーガ。


*個人的に
何よりピアノ曲が好き
ということと
弾き手を、この上もなく幸せにしてくれるという
素朴な実感からの感想であることを
予めお伝えした上で*


欧州では
バッハの平均律クラヴィーア曲集をして旧約に
ベートーヴェンのピアノソナタをして新約に
擬えたりもしますが

確かに
包括性と申しますか
あの収斂され行くような
深い深い感覚は
他で得られたことがないのです。

バッハ
そして
ベートーヴェン
彼らの
鍵盤楽器がもつ魅力の惹き出し方は
それはもう
音楽の論理的思考の極み
当に神掛かり的で

現代の誰かがこの部分で超えるのは
最早
到底
不可能なようにしか思えないのです・・・。










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【 2015/12/19 00:25 】

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内なる世界へ


どんな
問題が
軋轢が
起きようと

負けません
なぜなら
いつのときも
耳を澄ませば
自らの内なる世界では
静寂の鐘が鳴っているから

それはどこまでも
穏やかに
暖かく
安寧なる場所・・・。

    *

そんなときは
ひとり
ハンドルを握って
カーステレオから流れる音の世界に
身を任せる。

Galleryは
こころの原風景・・・。
























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【 2015/12/18 00:15 】

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クリスマス、そして・・・
冬の都心
綺麗です☆

私の住む横浜の街も

海辺
並木道
カフェ
フローリスト
いずれも
クリスマス一色です^^

そして
我が家
今年はこんな感じで(笑

DSC_0080_2015121610485315a.jpg

ただ・・・。

地上が明るすぎて
夜空を見上げても
星は殆ど見えません。

冬は1年中で
最も星空が美しい季節な筈。
ですのに
オリオン座の三ツ星さえ
・・・・・(涙

星が夜空に描き出す
大自然のイルミネーションほど
ロマンティックなものはないのでは
なんて感じたりもする私です結え
少し淋しくもあります。

      *

科学が如何に進歩しても
それでも
忘れてならない
大切なものを想います。


質量保存の法則ではありませんが
得るものがあれば
失うものがあること
それに思いを致す必要はあると思うんですね。

”利便性”と引き換えに
私たち含め未来の子供たちが負わざるを得なくなったのは
想像を絶するような原発事故被害環境であります。
(日々拡散される放射性物質(ときに廃棄物)を無害化する技術を、人類は持っていません)

交通事故による痛ましい現実もあります。

ひとつの事象は
同時に
別の事象を否定するということ。
当然ながら
何かを得るということは
他の大切な何かを失う可能性があるという現実から
眼を背けて生きることは許されないと思っています。

要は
その事象をどう解釈するか
ということであり
此処は
科学とは別次元のお話で
看過できない
大変に重要な問題になってまいります。

少なくとも
科学技術の進歩で
不幸を克服できるとは限らない。
こちら
取りも直さず
ギリシア時代に生きる人々の幸福感と
現在に生きる人々の幸福感を比べる
無意味さにも似ています。

ー瞳には映らないものー

”ほんとうにたいせつなものは、目には見えないんだよ”
というあの童話
”星の王子さま”は
ここ(目先の利便性に流されやすいところ)でも
活躍できそうです。

       *

Christianでなくとも
思い思いの贈り物に
手料理、手創りケーキなど
ひとりひとりの
想いを大切に
心暖まる日になれば
それは
素敵なことなのかと思っています。

大切なのは
何より
こころの豊さ


いつのときも
”想い”
なのかと・・・。


































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【 2015/12/16 12:45 】

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選択するということ
DSCN0317.jpg

かつて
ボーヴォワールが
ドストエフスキーの人間の責任論をして
拒絶も選択であり
沈黙もメッセージであり
感受力もまた意志と説明したあのフレーズ

ですが
そのベースは
美学
なんですよね
各人固有の。

ひとは誰も
美に従って
美しく生きようとするのだと。

ときにそれは
愛であり
ときに正義であり
ときに

そのものであります。














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【 2015/12/13 00:09 】

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朝いちばんのお客様


寒い時の雀らしい
ふっくらしたシルエットに

健気に朝食を啄む
可愛らしい
しぐさが堪りません。












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【 2015/12/12 00:00 】

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旧くて新しい問題を考える Ⅳ
DSCN0352.jpg

プラトンも今尚、ヘーゲルに匹敵する業績を残した人物であり
彼のそれは、人間価値の哲学とも謂えるものです。
ですが現代においては、全うに理解されておらず
枝葉末節ばかりが議論の対象になってしまう惨状もあります。
だからこそ私たちは再検証する必要がある、というのが
思想史を通過してきた者、共通の認識になっております。

また近代哲学(思想)は
(差異をもった)人間同志が、互いに対等な存在として
共存共栄してゆくために
社会システムや現実条件を、根源的に探求し策定しながら
ヨーロッパ型近代社会の理論的基礎を作ってきたもので
その視座を欠いては、意義性を見出すことさえできません。

(現代思想に、そうした”盤石な原理”を見出せないということに
誰しもが気付き初めてもいるんですね)

まして、世界的(発展途上国に於いて)には
近代原理でさえ未だ浸透していないという現実があることも
私たちは忘れてはならないんですよね。

無論、先進国も(自由の解放の次に来た)新しい問題があります。
経済的生活水準の豊さだけで
ひとは生の充実を得ることができません。
(自殺者数の推移をみても胸が痛みます)
ですので
掛け替えのない生をしっかり肯定できるような
社会システムの構築が可能か
といったような問題になって参ります。
この点に於いて、現代の哲学は
近代社会、現代社会の批判のみに終始されており
新しい社会と人間のあり方の原理的構築ができずにいます。
結果、私たちは今、根源的思考方法といった観点から
立て直してゆく必要に迫られているんですね。
近代哲学は、こうした部分で、
誰しもが納得できるような根本原理を創出しておりますので
今のような危機迫る時代にこそ有益であり
(ひとつの時代しか生きられない私たちが陥りがちな視野狭窄を回避すべく)
まさに智慧の宝庫とされる所以でもあるんですね。




















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【 2015/12/11 00:53 】

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旧くて新しい問題を考える Ⅲ
< href="http://saki2000.blog.fc2.com/img/DSCN0267.jpg/" target="_blank">

例えば、ドイツ観念論。
このあたりは翻訳というより寧ろ
語法そのものが確かに解り辛いんですね。
(個人的にも、素直な記述が好きで^^
後のフッサール-現象学-もその影響を色濃く受けていて
あのような言い回しでなければ、もう少し評価されていたのかとも感じてます。)
なかでもスピノザ、フィヒテ、シェリングあたり典型的ですが
カントやヘーゲルは、啓かに違います。
というのは、彼らは時代に左右されるような
話法を遣っていません。
社会(人間)が抱える深刻な問題について
しかるべき人間が考えたときに
誰もが是と答えるような論理展開をしているんですね。
だから凄い。
社会が、絶えず変化してきた様相を踏まえ
常に別種の問題が発生してくるという前提に始まり
時代に合わせてフレキシブルに対応する
その柔軟的思考性を養うことをひとつの課題として
その仕方(普遍的姿勢)を示唆する
というのが彼らのやり方でありました。


         *


古代ギリシアしかり
ヨーロッパの近代しかり
往時、宗教的世界像が有効性を失い
それに代わる新しい世界理解を万人が求めていたその時に
彼ら(の哲学)が果たした役割を見るにつけ
哲学の要義は
それぞれの時代に直面する問題に対し
”原理的強さ”
を以て応えられるか
といったところにあるのかと思い知らされもします。

そしてその原理性は必ず後の時代に
深い影響を与える。
此処なんですね
見過ごしてならないのは。

ゆえ歴史は期間限定で振り返ることでは
あまり意味がありません。

時間軸を見据えた学びの認識をもたなければ
その必要性さえ
見えて来ないということなのかもしれません。























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【 2015/12/10 00:24 】

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旧くて新しい問題 Ⅱ


晦渋と悪評高い(哲学)解説書
例をあげれば枚挙に暇ないほどですが
原著の方が余程解り易いというケースも
決して少なくありません(涙

数千年の哲学の歴史を振り返ると
なかでも大きな成果を齎したのは
古代ギリシアと近代ヨーロッパであります。
東洋の哲学的思考も同様の
意義深さを保ちながら
それが自由闊達に発展すべく条件が
整っていなかったために
広く深く滲透されずに来てしまったんですよね。

何れに致しましても
ヨーロッパの
所謂”進歩主義史観”にフォーカスすれば
理性による思考の進歩、発展の後に
究極の完成形となる社会があるかと謂えば
否であります。
そして、それはそのまま
学問的知の限界を示してもいるんですね。

論理学に論理の限界が示されている以上
そこでは
相対的な評価しか与えられないのは
至極当然のことでもあります。

レヴィ・ストロースではありませんが
原始的社会が文明社会に比べて
発展していない状態なのかといえば
これもまた疑問符が付きます。
ここは、単に現代とは異なる思考方法によって
成立していた社会だという
あのスタンスを論破するのは容易ではありません。

フーコー風に謂えば
”時代のエピステーメー(枠組)が変わっただけ”
といったところでしょうか。




























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【 2015/12/09 00:21 】

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旧くて新しい問題を考える Ⅰ
DSC_0001_20151207105947f3b.jpg

哲学のなかでも取分け、形而上学的問題は
遠くギリシアの時代から数千年の時を超えて
殆ど進歩がないんですよね。

ですので今日に於いても
それがそのまま
主要な課題になっています。

科学が如何に目覚ましい進歩、発展を遂げようと
哲学では古代ギリシアの時代に問題提起されたそれが
現代を以てしても未だ未解明であり
よって私たちは
プラトン、アリストテレスといった時代からの
古典的著作を読む羽目に陥っている訳です(笑

ー100年に一人、1000年に一人といった逸材が
確かに存在するということも含めてー

こちら、原理的に
進歩ですとか、新旧といった視点では捉えられない問題でありまして
(例えばヘンデルと新垣隆、シェイクスピアと村上春樹、
ダ・ヴィンチとラッセンを比べて進歩を語ろうとする無意味さと少し似ているかもしれません)
そこに足を取られて
本質が見えなくなってしまうことも
ままあるよう(涙

端的に謂えば
”人類の普遍テーマ”であり
(思考停止に陥らないためにも)
indicating needleという視点に於いて
選ばれし古典は今尚意味を持つ
ということになりましょう。

確かに
人類の忘却フィルターを通過するというのは
ある意味、真理への”洗礼”とも謂え
真摯に紐解くならば、必ずや気付かされる
底知れない深さがございます。

また誠実な研究者ほど
古典的理解や方法論に立ち返るという傾向も見受けられます。
それは、
社会が変わっても
人間の本質がそう大きく変わるものではないため
人間の根源的部分に於いては
何故そうなるか
別のアプローチの仕方はありうるか
といったところで
過去の研究実績に立ち返る必要が
多分に出てくるということを意味しています。

まして
ヘーゲル、デカルトがあのように常時
論文的であったのに対し
ニーチェやハイデガーらは
物語のような文学的アプローチに終始しており
そうした手法に接することで
例えようもなく豊かな学習の機会を得られるのです。

ひとりの人間の思索、着眼点など
数多あるその可能性の中のほんの
一遍の欠片でしかありません。
ですので
独り善がりに陥らないためにも
過去の古典的な業績と自分の思索を対比させながら
方向性を見極めてゆくという作業が
どうしても必要になってくるということなんですね。












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【 2015/12/08 00:01 】

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言葉は想いを越えられない~Ⅱ
DSCN0240.jpg

近代社会の消費重視傾向
大量生産を支えるのは(哀しいかな)
”消費”そのものであることは否めず
そうした合理的経済サイクルの輪のなかでは
古いものを大切にするという価値観は
置き去りにされてしまいがちです。

社会に於ける活動は
等価交換に始まりましたので
(社会通念上、恵与には洩れなく代償が付いてくる)
当然、同等性誇示へと誘われ
そのまま対等な地位が構築されるはず。
広くは
互酬性規範の発現にも貢献したシステムであります。

ただ
現実にはそう巧くはゆきませんし
況して確固たる自己なくば
周囲に振り回され
ときに軋轢(プライドは傷付き)も生じ
ひとつ間違えばサンクションにもさらされるといったように
センシティブに生きざるを得ない情況に陥りがちなのも
周知の事実であります。

The Selfish Geneに照らしても
避けては通れない問題でありながら
その鬩ぎ合いを俯瞰で眺めてしまうと
虚しささえ覚え、非合理性時代を
愛しむような感覚にも陥ります。

そして
愛は精神の運動(知りたい欲求)に他なりませんが
その発露は、提供にあるようで
そこに付き纏う先程の社会通念上の対価からくる負担を
相手に強いらせないように試みるという
愛するがゆえの(優しさを含んだ)愛を定義しようとすると
持たざるものを贈る
という
あのフレーズに回収されましょうか。

もっと謂えば
瞳に映るもので、愛は表現できない
ということにもなるのでしょうけれど
ぞれは所詮
言葉遊びの世界観

やはり私たちは
それでも
表現したい

何がどうであっても
論理的理解をしていたとしても
ひとは多く立ち止まることが出来ないんですね。

だからこそ素敵。
人間らしいのかとも思うんです^^

よって
愛は美しき懊悩、憂悶となり
哀しみとは極めて親和性が高いと云えましょう。

ここでもやはり
届かない世界
愛の不可能性に行き着きます・・。





























テーマ:芸術・心・癒し - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2015/12/07 00:35 】

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色のない12月~寂寥の国に住むあなたへ


今日の作品
色のない12月
に魅せられました。

基本的に言葉をもたない美術という芸術領域
いえ、言葉を持たないからこそ
多様で
強いメッセージを放つのかもしれません。

鮮やかにも調和のとれた色彩は
精神に躍動を齎しますが
色彩のない世界観は
内省を呼び覚ますよう

     * 

掛け替えのない
時間を下さったあなたに
心からの
感謝を込めて・・・。

















テーマ:伝えたいこと - ジャンル:日記

【 2015/12/06 10:01 】

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美の源泉、幸の原理
湖に映る雲

DSCN9964.jpg

ビジネスシーンであれ
プライベートであれ
さまざまに展開される
交流のなかで

また
MAIL(文書)の交換
或いは
書に親しむなら

そこに零れる
”知る(学ぶ)”歓び。

此処、
もしかしたら
いちばん幸せ感じるところなのかな
なんて最近思い始めてます。

思想史に鏤められる思索のKaleidoscopeを眺めつつ
精神の河を渡るときのあの知的興奮
萌えます(笑

そして
思想の近似性を感じたり
強く共鳴し合えたとき等も
似たような快感が得られます。

その国その国に根差す
精神風土的差異や
空気の密度の違いに
思想源流の在り処を思い知らされることなど含め
(プラトンではありませんが)
その歓びは、”私たちが叡智的存在と乖離している”
がゆえの愉しみでもあるということなんですよね。

”ひとの幸福は、叡智的存在の観照にある”
というあれです。

社会的動物である以上私たちは
生きる環境に内在する因習、軋轢、時に欺罔など
避けては通れないものを抱えています。

純粋なる理論だけは、一切の柵に囚われることがない
当に自由なんですね。

知らないからこそ
知ることが愉しいという二律背反
これは・・・
すべてを知り尽くすことなど到底、不可能ですが
仮定として、そうなれば
それほどつまらないこともない
というそんなアンチノミーを
物語っているんですよね。

となれば
愛をめぐるambivalentが厭でも想起されてまいります。
深層においては誰もが持ち合わせているとも謂われる
或る”相反した感情”
ー満たされない念望を持ち続けたいー
これはそのまま
所望のエネルギーを可能な限り保ちたい
(=そのために拒絶されたい)という
自明の心理状態がそこには介在してくる
ということなんですね。

思索における躓きは
知の宝庫であり
それがゆえ
洞察へ向かい
その洞察そのものがまた愉しいという
歓びの輪が幾重にも重なって広がる。

美しいものが美しいのでなく
美しく(創出)するものこそが
美の原理であるなら
幸せの源泉も
それを自ら創り出すことのなかにあるのではないかと
そんなことを
思ってみたりもする訳です。

























テーマ:暮らしを楽しむ♪♪ - ジャンル:日記

【 2015/12/02 18:13 】

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