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美の源泉、幸の原理
湖に映る雲

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ビジネスシーンであれ
プライベートであれ
さまざまに展開される
交流のなかで

また
MAIL(文書)の交換
或いは
書に親しむなら

そこに零れる
”知る(学ぶ)”歓び。

此処、
もしかしたら
いちばん幸せ感じるところなのかな
なんて最近思い始めてます。

思想史に鏤められる思索のKaleidoscopeを眺めつつ
精神の河を渡るときのあの知的興奮
萌えます(笑

そして
思想の近似性を感じたり
強く共鳴し合えたとき等も
似たような快感が得られます。

その国その国に根差す
精神風土的差異や
空気の密度の違いに
思想源流の在り処を思い知らされることなど含め
(プラトンではありませんが)
その歓びは、”私たちが叡智的存在と乖離している”
がゆえの愉しみでもあるということなんですよね。

”ひとの幸福は、叡智的存在の観照にある”
というあれです。

社会的動物である以上私たちは
生きる環境に内在する因習、軋轢、時に欺罔など
避けては通れないものを抱えています。

純粋なる理論だけは、一切の柵に囚われることがない
当に自由なんですね。

知らないからこそ
知ることが愉しいという二律背反
これは・・・
すべてを知り尽くすことなど到底、不可能ですが
仮定として、そうなれば
それほどつまらないこともない
というそんなアンチノミーを
物語っているんですよね。

となれば
愛をめぐるambivalentが厭でも想起されてまいります。
深層においては誰もが持ち合わせているとも謂われる
或る”相反した感情”
ー満たされない念望を持ち続けたいー
これはそのまま
所望のエネルギーを可能な限り保ちたい
(=そのために拒絶されたい)という
自明の心理状態がそこには介在してくる
ということなんですね。

思索における躓きは
知の宝庫であり
それがゆえ
洞察へ向かい
その洞察そのものがまた愉しいという
歓びの輪が幾重にも重なって広がる。

美しいものが美しいのでなく
美しく(創出)するものこそが
美の原理であるなら
幸せの源泉も
それを自ら創り出すことのなかにあるのではないかと
そんなことを
思ってみたりもする訳です。

























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テーマ:暮らしを楽しむ♪♪ - ジャンル:日記

【 2015/12/02 18:13 】

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