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春の嵐/ヘッセ Ⅱ~私見ゲルトルートパート~”芸術と生活”に纏わる哀しい運命の悪戯
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ヘッセ”愛の嵐”
この物語は、主人公が其の後
終生愛することになる
永遠なる女性(ゲルトルート)への
失恋の物語のように受け取れもします。
ですが主人公(=ヘッセ自身)目線でなく
同じ女性として
ゲルトルートが選択した生と
その哀しみに
寄り添ってみますと・・・。

         *

彼女は、その後結婚することとなった声楽家を
当初、敬遠していたんですね。
その理由は
(端的に謂えばトーマス・マンの謂う芸術家と人間の対立から来る)
芸術家が本来的に持ち合わせている
自身の藝術観(藝術的傾向)を究めんとし
省察の深みに嵌ることから生まれる
人間的苦悩の良くない(ときに不誠実な)面が
その人となりに
顕れていたせいかともとれるのですが・・・。

それを云うなら
主人公も芸術家(作曲家)である訳で
同様の、いえ、それ以上の逆境に耐えながら
ときに恋の魅力をも失わせるかにも映るほどの情熱で 
作曲に取り組みながら
人間的成熟を遂げゆく彼に
ゲルトルートは
誰へ向けるより深い尊敬と信頼を寄せ
言葉にならないやすらぎを
そのなかに見出してもいた筈なんですね。

ですが
一方で周囲への甘えを含む未熟さを抱えた
声楽家をいつしか
放っておくことができなくなってしまう
情の深い女性が陥り易い
母性に始まる(同情的)愛でありましょうか。

ゲルトルートがほんとうに
生涯を共にしたかった
愛すべきひととは・・・・・・。



そう考えますと
時系列の出来事は同じでも
また別種の物語も生まれてきそうな作品であります。

深層を焙り出すような
リアリティ溢れる描写が時折挿入され
それは静かな森にふいに響き亘る
野鳥の鳴き声のように
其処に身をおく者のこころに
小さな波紋を投げかけます。
それが想像力を掻き立て
読み手に忘れられない余韻を残す
美しき多重性を内包せし作品とも謂えましょう。

         *

その在り様は恋の数だけあったとしても
後悔のない愛など
あるのでしょうか・・・。

さらには
互いに想い合いながらも
擦れ違ってゆく関係性もあって

その後ふたりの
交流が途絶えたとしても
共有した時間
共有した想いは
誰にも消すことができないんですよね。

どこまでいっても
ふたりの時間は
記憶の中で
輝き続ける・・・。

それは
瞳に映らない
そうした種のものにこそ
真実があることを
知るひとだけが得られる
救いと呼んでも良いものでしょうか。





























             











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テーマ:伝えたいこと - ジャンル:日記

【 2016/02/06 10:42 】

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