さくら~美しい季節に・・・Best wishes☆

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I’m so happy for you.




























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テーマ:伝えたいこと - ジャンル:日記

【 2016/03/30 09:57 】

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窓辺にて
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想いだけ抱きしめて・・・。




































テーマ:伝えたいこと - ジャンル:日記

【 2016/03/29 07:27 】

| 私的恋愛論 | トラックバック(0) |
ホッパーそして佐伯、ユトリロ、ブラマンク・・・ゴッホへ
KIMG1311 (2)

写真では切り取れない
見慣れた情景を
支配する
寂寥 
憂戚
愁傷
そうした瞳に映らない
孤独を
描くひと
ホッパー。

ゴッホとは異なる
世界観にありながら
通底する脈動

ユトリロしかり
ブラマンクしかり
佐伯しかり

祈りにも似て
探し求め
それでも
辿り着けない場所

対峙するひとの
こころを捉えて離さないのは
想いが重なるから

それは時に信じること同義で
どんな哀しみの淵にあっても
希求する限り
永遠性を湛える
だからこそ
惹き付けられるものでしょうか。




















































































テーマ:絵画 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2016/03/27 21:19 】

| 絵画/彫刻 | トラックバック(0) |
ブルゴーニュ Ⅱ~アルフォンス・ド・ラマルチーヌ
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もうひとつ
ブルゴーニュと謂えば
想起されるのが
アルフォンス・ド・ラマルチーヌ。

ユゴー、ヴィニー(詩人哲学者)、ミュッセと並び
ロマン派4大詩人と称される人物であります。

ブルゴーニュワインで有名なボーヌの町
その南に位置する都市リヨン。
そしてリヨンの北側にマコンという田舎町があるのですが
そこが彼の出身地なんですね。
訪れたなら
町はラマルチーヌ一色という感もあるほど。

と申しますのも
フランス革命後の19世紀
赤い旗だけが並ぶパリ市庁舎ドームで
それを血の旗と排し
フランス革命で使われて以来顧みられなかった
かの三色旗の意義深さを唱え
フランス国旗に制定した論客でもありましたので
その功績を誇ってのことでもありましょうか。

19世紀初頭、フランス文壇の主潮はロマン主義でありました。
彼が若手ロマン派詩人として活躍した仏蘭西
時代は復古王政期にあった訳で
ラマルチーヌは、外交官としてイタリア各都市(フィレンツェ/ナポリ)に赴任後
その手腕をかわれ
七月王政期にブルジョワ共和派から政界へ入ります。
詩人ですゆえ語彙も表現力も豊かで
”黄金のハープ”と呼ばれるが如くに弁舌さわやかであったことからの勝利
妙に説得力もあります。
(概して最低限先ず演説の上手な人が
市井選挙に強い傾向は、時代を経てもそうは、変わらないのかもしれません)
こうして政治家でもあった詩人ラマルチーヌは
”ジロンド党史”を書いた代表的著者でもあり
そんな彼
如何にもラマルチーヌらしい作品が・・・。




































テーマ:知的快楽主義 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2016/03/26 08:08 】

| 文学~小説/詩/名言 | トラックバック(0) |
菜花畑~ブルゴーニュ Ⅰ/ロマネ・コンティの記憶
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小さなしあわせ

そんな素敵な花言葉をもつ菜の花
優しい光を含んだ
綺麗な黄色が春告げ花に
相応しい存在感を放っています。


          *


フランス東部
ディジョン郊外に広がるブルゴーニュ地域圏
セーヌ河やローヌ河の源流域であり
運河でも有名な地ですが
この季節には
見渡す限りの菜花が咲き誇るんです。


          *


そしてこの高原
かの(ブルゴーニュ)ワインでも有名。
なかでも(ニューヨークはクリスティーズで、1本20,000USDで落札されたこともあるという)
名酒ロマネ・コンティを生んだ場所でもあるんですね。

葡萄畑の名がそのままワイン名になったという
その畑は、当にフランス革命前
ルイ15世の美しき愛人ポンパドゥール夫人と争った末
手に入れた(それ以前は文字通りロマネー古代ローマ人ーの手によるものだったそう)
ブルボン朝コンティ公の所有地だったことでも知られています。

ロマネ・コンティに親しんだこの時と
同エリアで魅せられた
菜の花の優しいレンモンイエローという
極めて個人的印象がリンクし
高まった
ロマネ・コンティへの或る特別な想い。

”いつかきっと大切な時に・・・”

ささやかですが
私にとっては
限りなく愛しきエピですゆえ

このBLOGの片隅に
こうして
そっと
綴らせて戴きました・・・。




















































テーマ:つぶやき - ジャンル:日記

【 2016/03/24 16:53 】

| 気紛れドライブ | トラックバック(0) |
粉雪
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高原の春はまだ浅くて
空から
音もなく
舞い降りてくる
粉雪舞う朝

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冷えた大地にひとり


けれど
こころを暖めてくれるひとがいる

その寛さに
この心地よさに
その優しさに
このやすらぎに

いつも
ほんとうに
ありがとう・・・。
















































テーマ:つぶやき - ジャンル:日記

【 2016/03/21 08:19 】

| 気紛れドライブ | トラックバック(0) |
tie down~ドストエフスキーがくれたもの
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ドストエフスキーの作品群が
提起したもののひとつに
西欧精神の基盤とも謂える
実は協定にしか過ぎない文化を
絶対視してしまうことが招いた
西洋文明負の遺産への問題意識がありましたけれど。

超道徳的とも謂える世界観が描かれた一部空間
それは既に無意識を扱うロマン主義を超え
東洋原理に顕れた万象肯定の立場にも通じる世界観。
そこは、秩序もその矛盾も
さらには無秩序さえも踏まえた上で
ひとつの合理性が形成された次元とも云えましょう。

すべての外的事象は
内なる事象に還元されゆくものですが
その際、原衝動をも否定しないという
原初性の洗礼を受けることこそが
救済への道であるとした考えがひとつあります。

対立や分裂を止揚せんとする原理が見出すものは
相対性は相対としてそのまま認め
その上で絶対化してしまう精神的態度であります。

現実を否定しきれないところでは
自身の固定的視点を一旦離れ

改めて見詰め直す必要は
あるということなんですよね・・・。





















テーマ:伝えたいこと - ジャンル:日記

【 2016/03/20 02:27 】

| 文学~小説/詩/名言 | トラックバック(0) |
愛を憶えて
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根源的に
ひとは満たされなさを抱えた存在
なのかもしれませんね。
結え、
そこからの救済が
人類普遍のテーマとなってきた訳で。

そしてその先に
世界の根本原理とも謂える
永遠の調和への
知的好奇心のようなものが・・・。

抽象的思索
文学的遊戯、体感(瞑想)など
あらゆる手立てを駆使した各思想が
最終的に提出してきたもの
idea、不可知論、一体化、虚無論、崇拝(神)、
論理の外側、解無し、不可能性(Bewusstsein des Nichtwissens)
方法的懐疑、反実在論、空・・・
けれど
それぞれに導き出された答えは
どうも
あるものの”象徴”に過ぎないようで
それを悟るに至るには
克服(精神の強度)が求められる。

究竟
偉大なる力もひとの弱さも
歓喜も苦悩も
そのすべてが
実は人間の内側で起こる(哲学が導き出した”精神性”と近似値にある)
現象に過ぎないということ・・・。

ですが
そのことへの気付き
そこに辿り着くプロセスは
必ずしも理性によるものだけで叶うものでもないようで
此処は個人差が大きいようであります。
まして、キャパを超える悲しみにあっては
理性(分別)が間に合わないことも多分にありましょう。

そうしたときの
救い、即ちそれが
(ヘッセら多くのhighbrowらの指摘を待つまでもなく)
信仰(=信じること=救済)なのかもしれません。

ですがその信仰と
そして思惟(論理的プロセス)によって探求された
人間内部に息衝く救いとは
どうも異質のものでもないようなんですね。
アプローチが異なるだけで
両者の親和性は高いようにも感じています。
それは詰まり
ひとつ、必ずしも自由意思が及ばない域がある点に於いて。
ひとつ、ひとを強く(解放)するという点に於いて。

(各々方法論としての)思索の旅
その果て
最終最後に見出した
理性の限界
その見極め、覚悟
そして尚
その先に到達しようとする(プロセスの中にこそ快楽があり)
希望。

多様性の海を泳げば
理知主義, 個人主義の行き詰りにあい
分裂、相克は避けられず
しかし乍
その是認の先で
調和に導かれる・・・
一切は大きな肯定観想となり
時は止揚され存在への畏敬を呼び
そこで初めて(理由なき)愛が可能となってくるようで・・・

すべては、精神を支える唯一の存在とも云える
真なる愛に収斂されゆくということでありましょうか。

そうした愛を憶えなければ
いつまでたっても
ひとは充たされることがないのかもしれません。





※愛は精神なんですよね・・・。
ビルマ国民の幸せを
家族の共通目標として
ひたすら絶え忍び
信念を貫いた女史のように
~映画”Tha Lady”
































テーマ:伝えたいこと - ジャンル:日記

【 2016/03/19 01:49 】

| 哲学 | トラックバック(0) |
詩情溢れる街並みに恋して
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欧州、随処にまみえる
所謂、”旧市街”と呼ばれる街並み

高層ビルや近代建築
その一切が排除され
中世そのままの情調が広がります。

(国内でも風致地区という概念ありますよね。
京都、奈良、鎌倉、長崎、横浜など
一部そうしたエリア見られなくもありませんが
やはり
近代建築が混じり、後方の高層ビルや電柱電線が
その風趣を損なっているのが
少し淋しくもあります)

ですがその中世の在りよう
多くが自然美(花鳥風月)を取り込むといった
日本古来の美意識とは一線が画され
ひたすら、石畳の両側に
中世的建造物がお行儀よく並んで
統一感重視の感あります。

しかしひと度街を出れば
見渡す限りの広大な大地
大自然に囲まれているといった事情もありますから
そうしたことを考慮した上での町創り
ということでありましょうか。

そして何より
町の中心部には
三角屋根に十字架という
絵に描いたような教会。

それが版で押したように
ヨーロッパ各所に散見される
そんな空間・・・。



       *



此の度、アメリカは
ニューメキシコ州サンタフェを
ご紹介下さり
独特の抒情性を醸し出す
アドービという建築様式を教えて下さったあなたへ
嵌まりました(笑

アメリカの開拓者たちは恰も
インディアン文化を排除するかのように
大陸開拓を推し進めてきたような
イメージありましたけれど
こんなにもNativeアメリカンの伝統を
慈しみ守ってきた
街づくりがあったんですね。

タオスだったでしょうか
ピュアな粘土細工の様な
可愛らしい教会の写真をみかけたのですが
屋根に並ぶ3つの十字架。
謂い様のないシンプルさが
堪らなく愛らしくって
真っ白なウェディングベールを身に着けた
笑顔の花嫁さんが似合いそうな
そんな優しささえ感じました。

有機素材的テクスチャ、
煉瓦の風合いに
柔らかな曲線的フォルム。
その素朴で飾り気のないな佇まいが
ある独特の詩情を呼び覚ましてくれる
アドービスタイルの街に
すっかり魅せられて・・・。

いつの日か
きっと訪れてみたい。
思い描くだけでも楽しい
そんな場所が
またひとつふえました♪






























テーマ:今日のつぶやき。 - ジャンル:日記

【 2016/03/18 10:11 】

| ヨーロッパ散歩(海外旅行) | トラックバック(0) |
バスタイム~Let it grow/エリック・クラプトン
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一日の仕事を終えて
眠りにつく前のバスタイム

癒されます・・・。

其処での音楽
今日はクラプトン

芸術に於いて
完璧さと表現力は
必ずしも比例するものでなく
別物
時に
相反すると申しますか
不完全故
憂愁が際立つといったところ
あるように感じます・・・。

彼の”Let it grow
心細さに
潰れそうなとき
効きます・・・。

          *

Standing at the crossroads,
trying to read the signs
To tell me which way I should go
to find the answer,
And all the time I know,
Plant your love and let it grow.

人生の岐路に、
為す術ないときに、

そんな時こそ
愛の種を植え
育ててゆくなら

きっと・・・。


というようなこの詩(うた)

晴れた日も
雨の日も
雪の日も。

そしていつか
大切な花を咲かせる・・・。


”Love is lovely”
だから大切に育てよう
って・・・
愛を愛おしめるその感性
素敵です。

Looking for a reason
to check out of my mind,
Trying hard to get a friend
that I can count on,
But there's nothing left to show,
Plant your love and let it grow.

時に
信頼できるひとを
見失う事だってあるでしょう
けれど
そんな時にも
種を植え、
育て行こうとする姿勢

Time is getting shorter
and there's much for you to do.
Only ask and you will get
what you are needing,
The rest is up to you.
Plant your love and let it grow.

どうしたらいいか分らなくて
立ち止まっていたって
時間は待っては、くれない

そうするには人生
あまりに短すぎて。

そう
すべては自分次第なんですよね。

だから育てる
大切に育む。

陽の光に包まれ
雨の恵みを受け
雪の冷たさを糧にして・・・。




仕事に追われる日々
プライベートに
行き場のない状況に陥ったり
こころの余裕を失いかけてしまう時

何がいちばん大切なことか
そんなことを教えてくれる楽曲でもあります。

ひとはひとりで生きられるほど
それほどに
強くはいられないようで
かといって
移ろいやすいのもこころ(涙
まして終生揺るがぬ愛など
どこからか降ってくるものでなく
探せば見付けられる類のものでもなく

あくまで
種を植えて
そして
丁寧に育んでゆく他、手立てはない。
愛は必然であり
信じること
そしてまた
一面努力でもあるものでしょうか。








※謳い出しの
”Standing at the crossroads,”
あなたが教えてくれた
クリームの”Crossroad”へのオマージュのよう。























テーマ:暮らしを楽しむ♪♪ - ジャンル:日記

【 2016/03/17 00:06 】

| 音楽 | トラックバック(0) |
夏時間~サマータイムを思って・・・
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ヨーロッパ各国でも実施されて久しい
サマータイム。確かに
朝遅くまで暗く、夜遅くまで明るい
(いろいろな意味で太陽の恩恵をより享受したいと云う)
高緯度の国のスタンスは理解できます。
その上で、サマータイム効果って
実際どうなんでしょう・・・。
と申しますのは
長い間導入してきたロシアも廃止しています。
その1時間のズレが、健康に影を落としている
というのがその主な理由のようなのですが。
(ベラルーシやチリは、1年中サマータイムでも廃止になっているようですし)

あくまでメリット、デメリットという部分で
充分な議論が求められ
その延長上での動向とはなりましょう。

日本でもかつてサマータイムが実施され
メリットがないとして廃止された経緯があったようですが
それでも311の影響もあってか今日尚
その効果についての試算は、続いているようです。
公表されていたのはふたつ
ひとつは、電力中央研究所のそれです。
さまざまなシミュレーションがなされた上で
電力需要削減効果は見られなかったという
断定にも近い結論でした。
ふたつめの、産業技術総合研究所のそれも
生活時間を1時間前倒しすると、
14時の電力需要が抑えられる一方で
帰宅によって、16時に家庭での電力需要が増加し
業務と住宅を合計した最大電力需要は
寧ろ引き上げられる可能性が高い
というような試算結果でした。

電力需要に関して効果的でないという結論になれば
1時間という時間設定を変えるための
労力(コスト)も見過ごせませんし
後は、
アフターファイブの活性化による経済効果ですとか
犯罪抑止とかの目標が並んでいるようですが
実際サマータイム導入各国では
(なかには、寧ろ交通事故が増えたという
統計結果もあるようで)
国民が納得すべく総合的詳細なデータは
各年公表されているものでしょうか(涙




























テーマ:今日のつぶやき。 - ジャンル:日記

【 2016/03/16 12:36 】

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桐一葉~坪内逍遥/シェイクスピア~片桐且元~淮南子/説山訓
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19世紀末
”小説神髄””当世書生気質”で一世を風靡していた坪内逍遥。
シェイクスピアその”全集”の翻訳でも
夙に有名な彼の作品に
”桐一葉”(歌舞伎演目)がありました。

往時、魅力を失いつつあった”古典歌舞伎”の存在を憂いた逍遥が
その伝統美は受け継ぎながらも
(シェイクスピアの如く調和のとれた作品を目指すべく)
純粋にプロットをも愉しませるため、人物像を掘り下げ
かつ、時代考証含め意義深い藝術とする意図で発表した論文が
”我が邦の史劇”
そしてその実践版新歌舞伎が”桐一葉”だったんですね。

こちら、
”関ヶ原の戦い”後にはじまった
豊臣家の擾乱が主題となった物語
ですので、舞台は必然大阪、
主人公は豊臣家忠臣、片桐且元であります。

タイトルとなった”桐一葉”は
”淮南子”説山訓からの

”一葉落つるを見て、歳の将に暮れんとするを知り、
          瓶中の冰を見て、天下の寒きを知る”

のフレーズ由来というのが通説であります。

しかし原典に
”桐”の文字はないんですね。

さすれば、主人公 ”片・桐”が
豊臣家衰亡の兆しを察して
桐 一葉落ちて・・・
という解釈もできます。

また、青桐(=梧桐)って、
他の樹木より落葉が早いとされていたので
先を察知させるには
より効果的な”素材”であるとは言えるんですよね。

一方で、
文献を紐解くと”桐一葉”が季語として多用され始めたのは
16世紀も末になってからのことで
秀吉の朝鮮出兵の際の戦利品のなかに
そうした文献が種々あったかと推定はできます。
そう致しますと、時代的には
李子卿の”一葉落知天下秋”や
夢梁録の”梧桐一葉落 天下尽知秋”辺りとの
相乗性も感じます。

”一葉秋を知る”
”一葉落ちて天下の秋”とかいうあれですね。
後半は、
”霜を履みて堅氷至る”
”瓶中の氷を見て天下の寒きを知る ”でしょうか。

”淮南子”そもそもの本意は
ともすれば見逃してしまいそうな些細な現象から
根元的、本質的有様を悟らねばならぬとし
小さな兆候から世の風潮、将来の趨勢、を予見するといった
あくまで
”近きを以て遠きを論ずる”バイアスのかからない
冷静なアフォリズムであったものでしょう。

ですが落葉とは、
耀く光の季節が終わり
厳しい冬将軍到来の知らせであることに変わりはありません。
それを
空を覆っていた大きな桐の葉が落ちるのと同時に
澄んだ秋の空にもその訪れを感じ取り
ひたすら
盛栄からの没落、衰亡、凋落の予兆としてしまうあたり
特有の(滅びの)美学がその沈着性の邪魔をして
幾分悲観的に伝承されてきたようなところもなくはないのかもしれませんね。

             *

余談になりますが
桐一葉となれば、想起されるのが
(印象批評に陥ってしまいそうですが)
”桐一葉日当りながら落ちにけり”
といった虚子の句。
こちら袂を別った
”赤い椿白い椿と落ちにけり”の碧梧桐を意識したように
読めなくもないんですね。

因みに”桐秋”は
旧暦七月(新暦八月)の異名でもあります。

どうあれ
日本の美意識に掛かれば
言葉そのものは斯くも
美しくあります
溜息がでるほどに・・・。
















※ A straw show which way the wind blows.

テーマ:知的快楽主義 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2016/03/15 11:01 】

| 文学~小説/詩/名言 | トラックバック(0) |
クリスマスローズ伝説~感性的生を生きる~アリストテレス/ハイデガー
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中世ヨーロッパで
戦場に旅立つ騎士が
残してゆく恋人へ贈ったとされる
クリスマスローズ。
そんな歴史を想うと
うつむき加減に可憐に咲く佇まいは
少し淋しげにも見えて参ります。

そこに託された想い
“relieve my anxiety”
追憶、慰め
それが
クリスマスローズの花言葉となったんですね。

そもそも花言葉って
草原に咲く野の花を大切なひとに贈る
そこに込められた思いそのものだった訳で
欧州各地で伝えられてきた
数多くの神話や伝説が
もととなったものなんですよね。

キリスト生誕の際に
ただひとりお祝いの品を持って来ることが出来なかった
マデロンと謂う名の少女の涙が地面に零れて
そこにクリスマスローズが咲いた
マデロンはそれを摘んで
キリストに捧げたという伝説が残されてもいます。


      *


感性的に生きることができるひとだけが
真なる人間関係を生きることができるように
精神の運動こそが
生きている実感を齎すというのもまた
事実でありましょう。

そもそも、人間のメルクマールは
根源的に感性的生にあるようですし
それはそのまま
ひととの関わり
その関係性の(触発と)運動変化
そこで享受される
感性的知覚であります。

私たちは
恣意性と偶然性の狭間で
生きることを余儀なくされており
そこで
その有限性の掛け替えなさを知り
哀憐をも強く肯定できることで
その生をより深く
感じることが可能になると言うような
謂わばアリストテレス的視座を初め
ハイデガーの感性的運動まで含め
哲学的学理、学説は
一見堅苦しいようにも映りますが
その理知的眼差しには
美意識の核心が内在してもいます。
それは、躰のすみずみ
指先にまで行き渡るほど
感性的運動からの享受を叶えるのです・・・。





※感性的生の構造として
基本、自己は一元的存在であります
そこに対象を措定すると
二元性が顕れます。
その二元性のうちに
可能性を可能性として堅持する
二元的態度が構成され
そこには、実現すれば消滅する類の
”拮抗状態”が生じます。
具体的には
アリストテレスのejntelevceia
こちら
可能性が可能性のまま実現化(活性化/動的可能性)する
終極感性状態をいいます。
不断に揺れ動く
その運動そのものを享受すべく
モラルが求められ
それを最大限に甘受するための要件は、
誇りと知見(達観/諦観)であります。




















テーマ:芸術・心・癒し - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2016/03/12 08:04 】

| 哲学 | トラックバック(0) |
フィレンツェの高台に・・・女ごころ/モーム
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”冷静と情熱のあいだ”と同じく
フィレンツェを舞台にした小説に
モームの”女ごころ”がありました・・・。

何よりストーリーテリングを目指した作家
そして
アイロニカルというかシニカルというか
シニシズムのひとモームゆえに
好みは分かれるところかとも存じますけれど。
(私的には
純文学には珍しく重文、複文が少なく、
and,butが多用される簡潔な文体とその論理的構成
敢えて思想的な記述を避けてプロットに徹することに
寧ろ新鮮さも感じてきました。)

ただ、
古代ローマよりフローラ(花の女神)の街とされたフィレンツェ
あのドゥオーモの丸屋根(クーポラ)に
オレンジ屋根に統一された
美しい街並みを一望する高台の別荘に滞在する女性が主人公の
この物語に
忘れられないフレーズがありまして・・・。

文学的感動含め
絵画に彫刻に音楽
日頃から
溜息が漏れるほど美しいscene(作品)に
巡り合うと
こころ震えるほどの歓びに
相俟って感じる切なさ
それは
たぶん
このフレーズに
集約されるものかと。

ーーLife isn’t long enough for love and art.ーー




















テーマ:芸術・心・癒し - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2016/03/10 06:55 】

| 文学~小説/詩/名言 | トラックバック(0) |
sense of balance~Doctrine of the Mean/the middle way/temperance/medium/moderate/reasonable
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このフィールドには
タオの風が吹く・・・。

バリエーション豊かな
諸子百家に於いてさらに
雑家に分類さる”淮南子

柔らかなるその思想傾向は
官僚理念から
遍く市井に行き渡る
処世術にまで及び
道家なる大地に
儒家なる森
法家なる耕地も広がる。

けれどいつの時も
正解はひとつではないということ、
二律背反、パラドックス・・・
如何にあろうとしても
(本BLOGに於きましても
繰り返し綴って参りましたように)
瑕疵のない思想など
存在し得ないんですよね。

何故なら
これほどまでに多様化した価値観
最早、混沌たる感さえある
世界情勢のなかで
まして
たったひとつの事象でさえ
多分に流動的で多面性、重層性を内包しますゆえ
避けがたい論理矛盾も生じて参ります。
さらには
立場や、視座が変われば
寧ろ、対立概念が生まれて来ない方が
不自然でありますし。

結え、特定の視点、画一的概念に
捉われずして、真理を見極めるべく
バランス感覚が求められるんですよね。

言い古されてきた言葉で謂えば
中道ですとか
中庸ですとか
古代ギリシアはアリストテレスのメソテース・・・etc.

ですが
それは、広い視野のもとで
知見を深める努力はもとより
本来的思考に
柔軟性、寛容性を用意して於かねば
到底叶わないもののようです。

多様の解釈を許す文体もあれば
すべては表現できないという言葉の限界もあり
ましてそこに到達点があるとも思えません。
かと謂って不可知論に嵌っても思考停止に陥ります(涙
私たちの日々は
そのために費やされゆく
その道程こそ
真に生きる
ということのようにも感じています・・・。








































テーマ:伝えたいこと - ジャンル:日記

【 2016/03/09 19:38 】

| 哲学 | トラックバック(0) |
ロダンの創造~リルケの詩(うた)     
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作者はフランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン
タイトルは”大聖堂

優しさのヴェールを
纏ったかのようにも映る
この作品
その存在感。

そして
この手は
ひたむきに丁寧に
日々の仕事を
成してきたひとの手のように見受けられる。

互いに慈しむように
向き合い
今にも重なり合いそうな
右手と右手

しかし実はふたり
触れ合っては
いない。

私的には
触れ合えそうで合えないその
緊張感と
ふたりの手と手の間の
僅かな空間に包まれた安らぎ
その対照性に
計り知れない美を感じてならない。

見えない
にもかかわらず
その空間に息衝く
確かな信頼とぬくもり。




         *




そして
彼もまた
自然を原泉とした
偉大なる芸術家で

詩人リルケの手紙には
この作品に纏わる
ロダンとのアトリエでのダイアローグが記されてる。

ロダン曰く
”是は、クレアシヨンなのだ、創造なのだ”

ロダンにとって
創造することは
とても特別なことで、
それはそのまま
自分の居場所そのものだったよう。

そして彼は自分の”創造”と
或る映画のなかの詩人の科白を
重ねあわせてもいたようだ。

ーー居場所がない
   しかし核心なる”言葉”を紡ぎ出せた瞬間
     其処が居場所となるのだーー











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【 2016/03/08 00:04 】

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鈍(にび)色の空に~サグラダファミリア/ガウディ~優しみの泉


横浜の空は鈍(にび)色
今にも泣き出しそうな
その空色に
重なる想い

視線を落とせば
足元には
ホワイトクリスマスローズ

あの泉は
こんなところにも
息衝いて・・・。

      *

かつて
サグラダファミリアが
麗しいコンサートホールになったあの日
 
フォーレのレクイエムは
魂を揺さぶるような
荘厳なる調べに変わった

他の追随を許さない
和声の響
パイプオルガンの音色

ステンドグラスを通した
柔らかにも
確かな意志を放つ光と協奏し
胸に差し込んでくる

その設計者ガウディは
見事なまでに
自然を捉え同化させたひと・・・。

      *

すべての原泉は
自然であって
絶え間なく溢れくる
優しみの泉となる

それは
いつの時も開かれ
決して
閉ざされることはない。














   






  































 


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【 2016/03/07 00:32 】

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孫子 Ⅲ~敗因は自身にあり勝因は相手にあり~ビジネスと謂う名の戦場で
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最期に印象的なsequenceを。

ー負けない態勢づくりは可能だが 
    勝てる態勢づくりは不可能ー

何故なら
敗因は自分のなかにあり
勝因は相手のなかにあると考えるから

拠って名将は、
負けない戦はできても、
必ず勝つ戦いはできなのだと。

この
負けない態勢は自分に依存し
勝てる態勢は寧ろ相手(の隙)にこそ依存するとして
出来ることと出来ないことをしっかり区別し
出来ることには最善を期そうとする
緻密で隙のない名将の在り方。

決戦前に既に
負けない万全の態勢を固めた上で
敵が敗れるべく機会を見極め
その好機を確実に捉え逃すことを許さず
しかける
それが勝利の条件だと謂うんですね。

換言すれば
最早破れる定めの相手としか戦わない
則ち、既に其処で不敗の地位を確保している
ということ。
なんとも卑怯(笑)なまでに完璧な備えであります。

勝つべくして勝つ訳ですから
華やかなる戦術は無用
悪情況下にさえ自軍を置かない
という徹底ぶり。
事前にあらゆる事態を想定し備え
すべてをスムーズに運ぶ周到さ、
華麗です。

成り行き不透明なままに見切り発車することが
如何に危険かということ。
その機を逃さない慎重さ含め
戦略的勝算を得てしか、戦いに挑める態勢と見做さない
徹底した合理主義を説く孫子からの學びは少なくありません。












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【 2016/03/06 08:19 】

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孫子 Ⅱ~巧久は拙速に如かず/老子~孔子へ
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前回は、故事の現代応用の観点から触れたものでしたが
本日は孫子理論の印象を綴らせて戴きます。

東洋思想は専門外ですが
戦略性の本義 を”戦わずして勝つ”とした孫子
またその深い人間理解と知的端的明瞭な文体に
魅了されたものです。

ですので
辞書などの類で拙速を引きますと
出典を孫子として
”出来は良くなくても仕事は速い”
といったような解説がでてくるのがなんとも辛くて(涙

”拙速を貴ぶ”も”巧久は拙速に如かず”も
孫子にはなかったと記憶しています。

南北朝末期の書からの王伟の発言
(或いは新日本書紀)には
ーー兵贵拙速(宜即进军)ーー
(兵は拙速を貴ぶ、直ちに進軍を宣すべし)
とあるようですね。
一方で
“戦は迅速に”的意味合いの“兵は神速を貴ぶ”は
三国志 魏書郭嘉伝に・・。

典拠が孫子ということであれば
当該箇所は恐らく”作戦”の件
ーー兵闻拙速,未睹巧之久也ーー
(兵は拙速を聞くも、未だ巧久を賭ざる成り)
ですが、こちら
孫子の論旨を眺むるに
拙くても良いとは解釈できないんですね。

(ーー兵の情*人材起用の理(ことわり)*は速やかなるを主としーー
はありますが、ここでは、拙いは見当たりません)

日本では、孫子とくれば”拙速”というくらい
有名なアフォリズムで
古来より折に触れ
戦場指揮の要訣として取沙汰されても来たものですので
出来るならば
適切な影響を受けたいナ
と感じた訳です。

少なくとも、世間に周知されている
画一的、思い込みの解釈は
苦手・・・というか。
広い視野、多角的視点を以てして
こうも考えられるけれど・・・
という振れ幅を失えば
思考ストップに陥りますゆえ。
あくまで素直な読後感覚としての
問題提起に過ぎません・・。

       *

(現代においても変わりありませんが)
そもそも戦自体が、目的になることってないんですよね。
達成すべきは、その先(例えば政治)であって
戦とは、あくまでその手段に過ぎない訳で。

そして
戦とは、いろいろな意味で
双方疲弊する種のもので
その勝敗の見極めが速やかなればなるほど
必ずやその被害(死傷者含め)は軽減されます。
よって孫子は
手段自体の達成度をして”拙”で止めよと。
詰まり、全滅させるほどの完璧な勝利を目指すことには
害はあっても利がないことは明白と考えられて
”拙”をとる賢明さを
と、説いていらっしゃるように受けとめていました。

相対的価値を否定していた
あの老子がその戦争哲学(現代の競争原理に充分応用)において
如何に止むを得ない事情があろうと
戦自体が、不詳の器、凶器であり
長引けば疲弊あるのみ
と語られた視座は孫子にも見受けられるのです。

政治的(本来の)目的が達成できるなら
手段となる戦の勝利が
充分である必要性はどこにもない
ということなんですよね。
であれば
速やかに終結させることこそ
最良の判断になろうかと。
実は、こうした理解から
(先の記事で引合いに出させて戴いた)
足るを知るの老子
ーー止まるを知れば危からずーー
の思想に繋がりました。
その軍事応用とも取れる
”拙速”

結果
一定の成果(拙)以上の成果(巧)は
被害の拡大を招くが
その必要性をよく考えよ
といったような
極めて孫子らしい適切なアドバイスとして
個人的には読み進んだというお話でした。

現実問題として
手段が拙劣で
スピードがあれば勝つとは思えませんし(涙

余談になりますが
魏の曹操の
ーー拙と謂えども速を以てする有らば勝つーー
こそは
現代的解釈の拙速に近しいとは存じます。
ですがこちら
時に”拙速を避け”時に”拙速を貴ぶ”
といったケースバイケースの戦術レベルのお話であって
普遍性さえ感じさせる孫子の戦略的な理論とは
次元が異なるようにも。

況して孫子の原意

ーー 孫子曰、兵者、國之大事、死生之地、存亡之道、不可不察也ーー

“戦争とは、国家の重大事であり、
国民国家の生死、存亡に深く関わる事態。
それを心得、計画を立てるべき”
とまで執拗に熟慮ー用意周到で綿密な準備(徹底した情報収集含め)ーを
促す孫子の根本思想を鑑みますと
軍事的勝利のために拙速で良いと解してしまえば
矛盾が生じて参ります(涙
先の記事で
”整合性が取れる”と記したものは
一貫性を信じたいと同義でもありました・・・。







※追記です。
あなたが教えて下さった
儒教最高の徳目”仁”は
Benevolenceなんですね。

思いやりの心を以ての共生
美しい実践倫理ですよね。

欧州で謂われる博愛しかり
それは慈悲の心であり
そのまま善行
延いては慈善という
社会的連帯感や倫理的義務感
となって立ち現れてくる概念なんですね。

ですので孫子の”仁”が
Greater Goodのためにという解釈をご教示頂き
そのより大きな善(大義)と
綺麗にリンクしてゆくようにも感じています。













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【 2016/03/05 01:00 】

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今度、生まれてくるとしたなら・・・
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今度生まれて来るとしたなら”を
教えて下さったあなたに
こころからの感謝を込めて・・・。




”今度生まれて来るとしたなら
ーー愛するひとを
    手離すことがないように
       一生一度の尊い愛を
          そっと暖め暮らしたいーー




一度聴いたら
忘れられないフレーズです。

You got me!

紗希







































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【 2016/03/03 09:18 】

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孫子 Ⅰ~巧久は拙速に如かず~老子~孔子へ
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”巧久は拙速に如かず”といった
拙速を貴ぶこの格言
こちら
中国の兵法書”孫子”由来のものなんですよね。

一般に、
拙速とは、拙くても良いから速く、
巧久とは巧みだが時間を要すること
と解され
(完璧さを心掛けることは大切でしょうけれど)
完璧さを求めるあまり
時間をかけすぎて
機を逃してはならない
そんなニュアンスで
使われているものでしょうか。

ただ、
老子を想い
孫子の一貫性を鑑みるなら
その意味合いは少し違って受取られもするんですね。

と申しますのは
老子の
”巧ヲ絶チ利ヲ棄ツレバ盗賊アルコトナシ”
ですとか
”大巧ハ拙ナルガゴト”
ですとかのフレーズに代表されるように
其の書に
"作為を捨てて自然にまかせなさい"
"本当に優れたものは、寧ろ拙いように見えるもの"
的な論述がありますことから
老子の云う”巧”は
”上手”以前に
”作為性”を意図しているようであり
よって
”拙”にこそ、”作為なき自然のまま”
という肯定的ニュアンスが含まれている印象を
持ってもいましたので。

ですので孫子の謂う”拙速”も
拙くてもいいから
ではなく
方略(計謀)などはやめにして
緊張感をもって短期集中を図り
有効的に時間を遣えば
その業は効果的に熟されますよ
と云う様な理解の方が
全体に整合性が取れる感がなくもないのですが・・・。


※巧久も推して知るべしといったところですが、
老子も兵法と
囁かれてはまいりましたが
この辺りで
符合するものが見出せもしますね。

論語のなかの孔子も
(やはり老子に学んでもいたようで)
その拙速にさえ
さらに
総合的勝利を目論むなら
目先の利でなく
後の憂い(大局)を見よ
と言うような
戒めを提示してもいらっしゃいました。

勝負ごととは云え
現代のそれは多岐に渡るものですゆえ
どこに付加価値を求めるかにもよりますが
仕事仲間の間では
今日の理想とも謂える”巧速”を培うのは
老子に学ぶ拙速の積み上げこそ
といった認識もございまして
こうした仕事術を身に付けるというのを
目指して日々戦っております。























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【 2016/03/02 00:02 】

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solitude ~The Great Gatsby/フィッツジェラルド
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辺りが闇に溶け
色を失くしてゆく淋しさは
いいようもないけれど
落陽のあとの
静けさに
助けられているのもまた事実で

月明かりは

優しい・・・・・。



ふいに
たったひとりのひとを
愛し
生き
死んでいった男性を描いた
フィッツジェラルドの
グレート ギャツビーを想った。

凡そ100年前の物語。
けれど
こんな時代だからこそ
敢えてフィッツジェラルド。
※原書は美しい詩文調で
”(オックスフォード出身を示す)old sport問題”含め翻訳は極めて難しい作品だ

主人公ジェイ・ギャツビー
40エーカーの土地に、豪奢な邸宅、大理石のプール・・・
彼にとってのそれは
目的でなく(その為の虚飾はあっても)手段だった。

最終的に富も名声(複数の勲章)も得ながら
そんなものにはなんの執着もなく
たったひとつの愛に向けて
痛々しいほどに
ストイックに生きたひと。

        *

どれほどの殷富を極めても
真なる愛を知ろうとする心を持合せていなければ
(トムの書評含め)人生そのものまで
イミテーションに見えてくる不思議。

ーーみんな束になっても
    ギャッツビーひとりの値打ちもないねーー

作中一人称でギャツビーを語る
ニック・キャラウェイの言葉が印象的だ。

不器用で盲目的にも映る
愛に於いては
足るを知らないギャツビー
そして
愛するに価しないと判っても
その事実を引き受けることも出来ない
少しもGreatではない彼
だけれど
その人生倒潰の翳に
こころの貧しさは微塵もない。

どこまでも自分の想いに正直に生きる姿勢が、
若しくは
手にした分り易い幸福には目もくれず愛に殉じた姿が、
胸を打つのだろうか。

愛の一途さほど
ひとのこころに響く
清雅はないのだ。

ただし

それを
受け取る情調なくば
海の藻屑にさえ届かない類いの
淡い真珠性
だけれど・・・。

たぶん
逸れで
いい。

だから
いい。

分からないひとには
分かって貰わないほうがいい。

”T・J・エックルバーグ博士の眼”のように。
















































































































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【 2016/03/01 00:28 】

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