Paper Moon~犀星の詩(うた)
DSC_0486.jpg

孤独に住むが故
読み手の同じ場所に語りかけてくるひと
犀星。
淋しそうで・・・。
けれど
時を慈しむように
ほんとうの愛を待つという。

穢れなき孤独のなかで
暖めゆく愛。

ーーそのひとに逢うために僕は永い間苦しんだ
   求め足掻いた幸福と安息との一切が
    そのひとの中に充ち溢れることを感じた
   君と僕とは、手紙を交わして
    永い間お互いの高さや深さを知り合った

   君はいつの間にか
    僕の中に存在しゆく
     魂のある感動は言葉となり
      吐息となり
       僕の心と君の心とに行き来する

   僕はそのひとを友に得て
    この世に出て行かれる日があるならば
     鷲のように翼を得るだろう

   全世界のあらゆる美しい瞬間を集めてーー


信頼に繋がれた友情
其の上に築かれた愛
だからでしょうか
些かの遊戯性も疑念も退廃もない
清浄な愛の詩(うた)。

抒情に流されない
なぜかはそこから離れない
時に意思的愛の在り方。

確固たる誠実
ひととき
ひとときを真摯に生き抜く
清廉な人間たち共通の営み
例えば
ミレーの絵画
例えば
ヴィルギリウスの詩のように・・・。

       *      

紐育のあなたへ

ーーいつかは知らず祝福あれ
     いつかは知らず誠の恵みあれ
        誠のひとの訪れあれーー








































































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【 2016/04/30 21:54 】

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古詩集”ルバイヤット”を胸に~オーマーカイヤム


東洋薫るペルシャ思想を垣間見せる
科学者オーマーカイヤム

グレゴリオ歴の誤差をさらに縮めた
ジャラリー歴を考案したひと

彼の専門
数理天文学その学術書は
アラビア語で記されていた。

そして
ペルシア語で綴られた
古詩集”ルバイヤット”を
編んだひとでもある。

私は、英国詩人フィッツジェラルドの
英訳で知ったが
西欧文芸界では
たぶん知らない人はいない
偉大な詩人だ。

深紅の薔薇を胸ポケットに差し
赤ワインを傾け
思索を重ねる
カイヤム倶楽部がその証。

       *

矛盾は矛盾
懐疑は懐疑として
受け入れる
不可知論にも拠っている。

厭世でも
隠遁でもない
自然の無常
生の真実を凝視するがゆえの
反抗、享楽、絶念の上に
立ち昇る感情。

時に旧約の”伝道の士”
或いは仏教の”空”
万葉の悲哀
そしてギリシャ的なるものを
を思わせもする。

深海を見つめるが如くの眼差しで
死の意識を欠いた生の脆弱さ
を訴える・・・。

ペルシャ宮の
噴水の調べのなかで
美酒に酔いながら
憂愁を美的永遠に
置換するひと。


       *

想いを秘めたまま
この世を去った女性の墓所には
白い野の花が咲くという
ギリシア神話的感性も以外に遠くない
(彼の享楽には)
そんな純粋さも潜んでいたりして

生の一瞬一瞬を
愛しんで生きるという
真摯にも奥行きある深性を
感じてもしまうのです。
















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【 2016/04/29 00:23 】

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水性の・・・美~ケルト神話/エッシェンバッハ/ワーグナー/チャイコフスキー~ブルターニュへ
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芸術なるものに親しめば
ヴィーナスの誕生が象徴するが如く
古代の哲人たちが
美と水とは
極めて親和性が高い
と感じていたことが伝わってまいります。

その影響を受けてかどうかわかりませんが
私自身も
抵抗なくそう感じて参りました。

  
          *


シェイクスピアに
シュトルム
ゲーテの若き作品など
そうした
古代的イメージなく
作品自体が成立しないようでもあります。


セイレーンや人魚伝説しかり
小川、湖、大河、海
水の情景は
時に愛の情景にも
映ります・・・。



ケルト神話にも登場する円卓の騎士

ドイツ詩人エッシェンバッハの”パルツィファル”から
ムゼーウスの”奪われたヴェール”
ワーグナーのオペラ”ローエングリン”
そして
チャイコフスキーのバレエ音楽”白鳥の湖”へと
脈々と続くローエングリンの系譜。


さらには
海洋文学なんていうジャンルもありますよね。

古くは旧約 創世記からの
(バビロニア伝説由来とされる)
Noah's Arkにヨナ書。

ギリシアのトロイ攻略から凱旋帰国までの
20年の苦難の後
漸く愛する妻に再会するというあの
(ホメロスの英雄叙事詩)”オデュッセイア”

古代ローマの詩人
ウェルギリウスの”アエネイスの詩”
こちら
カルタゴの女王ディドとの愛を含む
(作者の死による)未完の作品ですが
その構成と言葉の取捨が見事な作品です。

英仏海峡のガンジー島での過酷な体験を糧に作品を著した
ユーゴーもいましたし

英国詩人バイロン”チャイルド・ハロルドの巡礼”に描き出された
深痛の貴公子が、歴史ととともにある地中海の
憂愁の美と光に戯れ、彷徨する情景美もありました。

他にも思いつくままに
ヌーボー・ロマンの作家、ケロールの”海の物語”に
マルケスの”ある遭難者の物語”
歴史家ミシュレの随筆集”海”
桂冠詩人メースフィールドやロングフェローの海洋詩
メルビル”白鯨”
ヘミングウェイ”老人と海”
そして
”渚にて””水先案内人””海狼”などなど。


         *


最後に
ピエール・ロチの
”アイスランドの漁夫”

19世紀末の北フランス
ブルターニュの小さな海辺の村が舞台のこの作品。

想い合いながらすれ違う辛い恋を乗り越えて
漸く結ばれたふたり。
ですがその僅か数日後
北海へ漁へ出たまま戻らない恋人を
ひたすら待って・・・・。

大洋に生きる人びとの
逃れられない哀しみを
水彩画のような美しさで描ききったこの物語


やはり
美は
”水性”なのかもしれません・・・。














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【 2016/04/27 21:48 】

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哀しみの先に~ソロモンの雅歌/ギリシアの古典


ギリシア古典
そして
ソロモンの雅歌
共通するのは

そこに展開さる
しなやかで
柔らかな世界観

憂寂や感傷はなく
曇りのない
清浄な愛が存在するのみ

けれど
(近代小説的人間らしさも含む)
旧約の
ソロモンの雅歌も

ーー空の空
    すべて空なりーー

その次に配されるという
絶妙さ

そう
哀しみを突き抜けて
得られた愛は
恐れるものさえないようなんですね・・・。



























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【 2016/04/26 00:33 】

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藤村詩集~言霊~ヨハネ伝


藤村詩集からの
”言葉のいのち”

ーー生命(愛)は力なり
   力は声なり
    声は言葉なり
     新しき言葉は新しき生涯なり
ーー


ひとは
愛することで
言葉のもどかしさを覚え
深遠を垣間見
その大切さを知るといいます。


       *


ヨハネ伝の冒頭にはこんなメッセージ

ーー初めに言葉あり(中略)
   よろずのものこれによりて成り
    成りたるものひとつとして
     これによらで成りたるはなしーー


こちら
日本古来より先人たちに
慈しみ育まれてきた
あの”言霊”
と綺麗に重なります。

愛を含んだ言葉が
時にダイヤモンドなんかより
耀くのは・・・・。


       *


韻律はリズムを刻み
声の響きが抒情を呼び覚まし
そこに陰翳が添えられ
想いは溢れ
精神は浄化されゆく

そんな関係性
美しいと思います。




































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【 2016/04/25 01:20 】

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すみれ色の想い出~アッピアの誘い


友人の一時帰国に合わせて
数年ぶりの再会

学内では
“すみれ”を切っ掛けに
仲良くなったから
おもてなしのテーブルセッティングは
すみれを中心に彩った。

そして
私たちは同志なのだ
あの夏休みに
古代ローマの道
(Aqua Appiaと共に施された)アッピア街道
その全長走破計画で
行動を共にした仲間のひとりだから。

瞳を合わせれば
こころはあの季節へ飛ぶ。

       *

手繰り寄せる記憶の糸。

ローマのセルウィルス城壁カペーナ門を起点に
アドリア海の港町
Brindisiまでの道程。

目を引いたのは里程標
マイル(1ローママイル=1.5KM)を刻む
大理石の円柱
カンピドリオ広場の第一マイルストーンには
ラテン語で綴られた
“Via Appiaantica”の文字

初期キリスト教のカタコンベが点在し
かの暴君ネロに追われ
聖ペテロがイエスの幻影をみたという場所には
ヴァディス教会が建つ。
最終的にサン・ピエトロに眠った
ペテロとパウロが葬られもした
サン・セバスティアーノ教会が胸を覆う。
ここからの松並木は
この場所でしか得られない独特の美を湛えているのだが
ボローニャ出身のオットリーノ・レスピーギが
交響詩ローマ三部作のひとつ”ローマの松”に
その感覚を見事に聴覚化していた。
敷地外には
往事、数万人を収容したという 
マクセンティウス帝の競技場跡
その片隅
マクセンティウス帝の子、ロムルス廟にも人影はない
静まり返った古代ローマの広大な土地
見上げれば、今にも泣き出しそうな暗い鼠色の空の下で
鳥の群れが幾重にも旋回していた・・
あの情景だけは
今尚、鮮明に脳裏に刻まれている
歴史という名の巨大な生き物が、
寂寥の風を吹かせていたからだろうか。

カエサル、ポンペイウスとともに
(第一回)三頭政治の一角を為したクラックス。
彼の義理の娘チェチリア・メテッラの墓碑銘に
鼓動が高鳴る。
政治家たちのヴィラが建ち並び
英雄のレリーフが畏怖を添えていた。
背後に位置するアルバーノ丘陵は
皇帝、貴族たちの避暑地だったという。
こうして
海に面したTerracinaまでの約100kmが
その礎になったわけだ。
すべての道はローマに通ずの如く
古代ローマ最初のインフラ事業でもあった
街道づくりの中心 Via appia
紀元前3世紀、役人財務官アッピウスによって立案され
自ら総監督として指揮し敷設されたことがその名の由来
ローマ街道網15万KMの女王と呼ばれる
アッピア街道。

軍用道路として
政治的思惑が働いて行政が為したがゆえの優れもの。
橋とトンネルというツールを駆使した
ほぼほぼ
まっすぐに続く美しい道。
ヴェスヴィオスから運んだ固い火山岩で石畳を敷き
水はけまで考慮された文字通りの舗装道路。

沿道には、石積みの浴場、古代の城壁
それを利用した民家に
石柱、彫刻、古代建造物・・・。
文字通りのロマネスク
どこまで行ってもロマネスク
憂寂を連れた過去の葬列。

Capuaから
Benevento、Taranto、Brindisiへ
ここからアドリア海の海路をゆけば
ギリシアにも繋がる。

まっすぐに
ひたすら真っ直ぐに進む
愛しきアッピアの道
歴代ローマの偉人が通過したあの道は
恰も人生の道しるべかのように
時空を越えて
私たちを誘ってくれる
見えない愛を数えながら・・・。











【 2016/04/24 00:19 】

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宵待草に寄せて














せめて

言い訳
して欲しかったナ・・・。


























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【 2016/04/23 00:38 】

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ティムシェル~だいじょうぶ☆心配しないで
DSC_0115_201604151004415d5.jpg

好きな言葉のひとつに
”ティムシェル”があります。
こちらヘブライ語で
”意思あらば、可能ならん”
といったような意味合い
ですので
出口の見えない状況であっても
あなたの意思さえしっかりしていれば
必ず乗り越えられるという
ポジテイブにも
救いをもたらすニュアンスを含んだ言葉だと
私的には受け止めています。
結え、
”どんなに辛い時でも
だいじょうぶ!!
心配しないで”って
そんな
暖かくて優しい言葉として
聴こえてくるんです。





”ティムシェル”が放つ
メッセージ
素敵だと思います・・・。







※ここでもまたひとつ
解釈の問題あるんですけれど
創世記に登場する
この”timshel”
そこでは、”あなたが支配なさい”と
命令形で訳されるようなんですね。
(罪に打ち勝ちなさい)
本来の意には
受け手の選択権が付与されているように
映りますが
通底するものは確かにあります。

文豪たちが、作品のメインテーマに扱うほどに
意義深い言葉です。











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【 2016/04/20 01:36 】

| 文学~小説/詩/名言 | トラックバック(0) |
時の涙を拭うもの~古い書物から月の光へ


雫は
時の涙かもしれません

憂いが水の流に似ているように
淋しさは雫に似ているから

野辺で見つけた
あの真っ白なヒースは
見失ってしまったけれど

古い書物に
通り抜ける柔らかな風
そして
小さく聴こゆ優しみのピアノ
あと
透明な月の光さえあれば
生きてゆくには充分です。




















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【 2016/04/19 04:47 】

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美とは・・・哀しみが創るもの


向き合ってきた美しき絵画、彫刻、
音楽、文学・・・
其処に
翳りのない美などあっただろうかと
そんなことを考えています。

そもそも
翳りのない美など存在し得るのでしょうか。

哀しみを知らないひとが
真なる美を感じられるのでしょうか・・・。


          *


あらゆる意味で
ひとは不確実性を生きる他手立てがないんですよね・・・。

その不確かさを
愛することができなければ
どこまで行っても
何かに怯えて暮らさなければならない。

限られた時間である以上
少しでも穣に
時を重ねたい
ならば
不確かさを愛して
今、此処に在る美を最大限享受したい
そんなふーに思っています。













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【 2016/04/18 00:12 】

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カタチのないものを信じるチカラ
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essentialismとconstructionism(constructivism)
それぞれ、本質主義、構成(構築)主義と訳されているようですが

欧州ではその哲学的思潮において
両主義者の概念は
長らく対立見解として位置づけられて来たんですね。

事象には必ず普遍的本質(特定の構成要素、因果性)が
あると考える前者と
当初は非決定的で、その後環境に影響され乍
多様なプロセを辿り決定付けられ成り立ってゆくとする後者。

私たちが愛しみ慈しんでいるものが
どれも不確かなものであるという後者的概念を
そのまま受け入れるには
(人として)幾分かの淋しさが付き纏うことは否めないように感じています。
かといって、前者に寄りすぎても違和は残りますし
実際、社会的事実が作用して構築されていると考えれば
理解可能になってくる事象の方が多いようなんですね。

何れに致しましても
二元論に還元できる類いの
お話ではないようで。

        *

人間にしか叶わない領域
こころの理論と申しますか
抽象概念の域に入ってまいりますと

本質主義的傾向にある
”カタチないものを信じるチカラ”が
求められるんですよね。
(それはもとより、認識の第一歩のようでもありますし)

そうして或る”対象”の奥に、
なかば理屈抜き(本能的)に
何かを感じとることの意味深さ
(それを形にしたものが宗教かとも思えるんですけれど)
そうした”存在”は思いのほか(というか、とても)大切なことで
人間であるが故の姿勢のよう・・・。

それは時に
理性をも纏わせ
他者を思い遣り
ひとを高みに押し上げ、尚
美しくあらしめるような素晴らしさを
内包しているように感じています・・・。




























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【 2016/04/16 22:45 】

| 哲学 | トラックバック(0) |
priority
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付けられたプライオリティ
それは時に
そのまま答になって

哀しいまでに
真実を教えてくれます・・・。





































     




















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【 2016/04/15 23:09 】

| 未分類 | トラックバック(0) |
sincerity
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誠実さって
言葉の外側
音のない世界でしか
生きられないんですね

        *

18世紀の英国詩人
サミュエル・ジョンソンの言葉を思います。

ーーThere can be no confidence without sincerity,
     and no friendship without confidence.ーー









































     




















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【 2016/04/14 04:29 】

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シェイクスピアの・・・法概念
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先に日本(=独・仏など法治主義的傾向)と英米系(=法の支配的傾向)
その法解釈の違いに触れましたけれど歴史的に

前者は、私法中心の法体系・・
それは取りも直さず個人の意思を起点とした
実体法が軸となった理論的体系であったようで

後者は、中世英国の思想”法の優位”が基本原理となり
公法を中心に育った体系であったよう

そうした成り立ちを鑑みますと
前者は成文法自体に抵抗が薄く概念的で形式的、
恒久的色彩が濃く
後者はそもそも国家的意向が強かったがゆえ、
権力をこそ法で拘束し
被治者の権利を守ろうとする
多義的原理を備えているのかと
そんなことを考え始めますと・・・
もう興味は尽きません(笑

そうした視点で文学作品を読み解いてゆくと
例えばシェイクスピア作品群が語るもの
権力者が法律家を厭うシーンが象徴するように
彼もまた
権力に対しては懐疑的であって然るべきと
察知していたことが読み取れます。
確かに、
歴史を紐解くなら
法の支配なき法治主義は、やはり
全体主義と親和性が高いようなんですね。
しかし“法の支配”はその抑制に働く
結え、
法治主義は、法の支配のもとでこそ
正しく機能すると考えるのが妥当であるかの如く
歴史は示しているようです・・・。



















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【 2016/04/13 06:36 】

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解釈 Ⅲ~simpleに美しく~父との想い出~法文解釈
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法律家であった父との想い出
その記憶を辿りました。

         *

法の一般理論
主に基本原理を研究する法理学
法の解釈その方法論について・・

要は、
法律家が法文をどう読むかという
そのスタンスの件(くだり)なのですが

法文解釈では、立法者の思想が
裁判官、検事、弁護士など法適用者のそれより
優位に置かれるという法律的視座

法律学と謂えば、法律上の文言がすべて
という立場の成分法主義が色濃く残っている日本では
この傾向が顕著だったと云うような処。

考えてみれば制定法を
立法者の意思と違(たが)って解釈してしまえば
法令自体を変えて仕舞うことにも繋がりますので
当然と謂えば当然の帰結なのだろうと
一定の理解はできます。

ですが制定法をアルファとして
その解釈
それに関して
構成された概念の是非だけを論じるという
法律学の在り方に
なんと論理技術的性格の強い学問だろうという印象は
そのまま素朴な疑問に変わりました。

法と謂えば
現代(いま)を生きる人間を裁くものです故
時代を見据えた血の通った解釈なくしてだいじょうぶだろうか
と。

そこで教えられたこと、それは
英米の法律学は
日本とは少し様子が違い
正義に適う法こそあるべくその姿で
社会関係のなかでしっかり通用する法を追求することが
その解釈の前提になっているということ。
ですので
法律学の関心領域は
法の文言そのものではなく、
寧ろ、哲学(思想)、歴史、文学であり
法と人文系学問の関連性に重きを置く
という傾向が顕著であるということなんですね。
例えばシェイクスピア、ドスエフスキーら名だたる文豪の
作品群には法とは何か
それは正義と謂えるかといったような
法律学上の論点が散りばめられているものが幾つもあり
当初から“法と文学”をカリキュラムに組み込んでいるという
英国ロースクールその法解釈の姿勢に思索は広がります・・。

    
     *
               

物理学の分野で
理論家でなければ解明できないことがありながら
実験家がいなければ真実は分からないといったような
そんな双方の協調のもとで進歩してゆくのに
少し似ているかもしれません(笑

※法解釈と人文系学問のような
学問のクロスオーバーを
美しいと思います。

ピアノを弾くたびに得られる
音楽の見事さはつくづく数理的イメージと
重なりますし
芸術的才覚が大切と
口癖のように語る理論物理学者の
友人の仕事振り
素敵だと感じてもいます・・。








 









































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【 2016/04/06 20:43 】

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解釈 Ⅱ~クラシック音楽
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音楽ですと
楽譜解釈の問題になりますね。
取り分け
クラシック音楽にあれば
それは殊の外大きなウエイト占めてくるようで。
演奏の根拠となるものは譜面に他なりませんから
当然ながらスコア通りに演奏されている筈。
にも関わらず
各演奏者の音源を聴き比べてみると
なんとも違う世界観が展開されてくる不思議。
こちら、クラシックの解釈が
大変にセンシティブな性格を帯びているということの
顕れでもあるんですね。
そしてそれがまたこの分野の愉しみのひとつでもある訳で。

楽譜に全幅の信頼を置くこと
ですがそれは所詮、単なる記号の羅列に過ぎません故
譜面を表面的になぞっただけの演奏は
正確な”演奏見本”にはなっても
聴衆の心揺さぶる音楽には届かない
といったようなことがあるのは
否めないように感じています。

当該作曲家の他作品はもちろん
時代性をも考慮した
適正な解釈による楽曲の理解(研究成果)を
施せる指揮者こそが
さらなる深み、躍動感、立体感を生み出しているような
印象を受けることは少なくないんですね。

指揮者が”ほんとうの音”に
翻訳することに迫られ
そしてその翻訳プロセスが”解釈”と呼ばれる。

(演奏技術に優れていることがすべてではないということ)
解釈が齎すそれをオーケストラに活かすその表現力をして
優れた指揮者という評価(共感するひとがより多い)に繋がってゆくものでしょうか。

            *               

そして実際
一見、記号が並ぶだけに見える楽譜
ですが
見詰めているとその深層と申しますか
情景が浮かび
作曲家の思想性のようなものが
立ち上がってくる譜面があるんですね。
ほんとうの名曲とは
そうした側面を備えた作品かと
私的には感じています。

            *

そもそもクラシックの楽譜には校訂
という作業工程があります。
そして校訂者によって
複数の版が存在するという現実があるんですね。
所謂レビジョン違いのような・・・。

また、古典派の協奏曲には
バロック時代の装飾音に
カデンツァ(自由演奏)もありますし
まして、音量やテンポは、
時代に大きく左右されることから
この辺りが翻訳の
メインファクタにもなってまいりましょう。

           *

そして
楽譜からの解放が
JAZZのJAZZ足る所以なんですよね(笑

ジャジーな感じもまた好きです















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【 2016/04/05 20:51 】

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解釈 Ⅰ~思想書をどう読むか
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時間という名の洗礼を受けて
脈々と読み継がれてきた
古今東西の古典的思想書
人類の叡智その結晶と謂えなくもありません。

ただ
変遷しゆく社会のひとつの通過点
歴史という時間軸上
執筆された時点に於いて
深め重ねられた思惟のプロセス
並びにその結果が記述されたものが思想書
である以上それを読み解くには
どうしたってトランスレートが必要に
なってくるということ、
(無論、意訳の限界は弁えなければなりませんが)
それをどう読み解くかという
旧くて新しい問題があります。

特定の分野
普遍性を備えた記述に関してはそのまま
咀嚼すれば済むことですが

時にparadigm shiftにも近い
時代背景の相違を考慮せずして
古典を読み解くことは叶わないんですね
返って誤読を誘う事にもなりかねないんですよね(涙

真理論的なもの
”その思想が真であるか否かは
それが世界の在り方と対応しているか否かで決まる”
ですとか
”行動の指針を決定する上で有益であれば真”といった
プラグマティックな捉え方が必要なケ-スもあるでしょう。
命題の判断基準に、実益の有無を持ってくるなど
如何にも生活の知恵の如く発想のように曲解されがちですが
こちら、その提唱者の論理
”生に影響しない命題は意味を持たない”
というスタンスは
真理の概念その転換をも図ろうとする名辞ですゆえ
ラディカルにも立派な哲学理論と云え
また、理論と実践とを結びつけて考える
ケンブリッジ学派的視座も忘れてはならないのかと。

結果、思想の直訳
ではなくて
時代にあった文脈に従って
読み替える
思想の意訳という技術
そして時に、意訳をもこえた、
思想の再創造が要求されるということなんですね。

そもそもある思想(瑕疵なきものはありません故)を、
完成系と受け止めるのは危険ですらありまして
思想的同一性の堅持は意識しつつ
(適切な表現が見つかりませんので敢えて)
バージョンは確保して
レビジョンは幾つか生まれて然るべきであろうと言ったような。

或いは、1つの記述が
相反する2つの意味を持つことに拠って
対立する2つの解釈が成り立つという
その両義性を見据えながらの解釈を目指す
フレキシブルな思考性も
読解には求められてもまいりましょう。

思想無視の
現実追随にのみ生きる機会主義も恐いですが
思想を盲信してしまう
公式主義も危いということなんですね・・・。



※” psychodynamics”という言葉が在ります。
こちら日本では、精神力動などと訳されているようですが
思考が生み出す
力と力が紡ぎ出す精神の活動を指すんですね。

相反して湧き起る感情に
折り合いを付けながら歩むことを余儀なくされている
私たちは、
日々葛藤を繰り返して生きています。
そして、それを避けて穏やかにあることは
一見、理想の様にも見えますが
精神に停滞を齎すとされ
必ずしも望ましいとはされていないんですね。
効果的コンフリクトは
人間の成長に
不可欠なものでもあろうかと。

(近年では、組織運営においも
戦略的にコンフリクトを活用することが
推奨されてきてもいます。)

実際には
思想書の記述すべてをそのまま現代に平行移動して
真理から遠ざかってしまうことにならないように
この”精神力動連続性の原理”なる法則に従がって
生活を精神的に生きている
私たちの誰もが持ち合わせている能力を活かすに
広い視野が、豊かな社会経験が、中庸が、思考の柔軟性が
そして
読書でしか得られない多元・多時代的代文化観が
必須になってくるということなんですね・・・。













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【 2016/04/04 19:32 】

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ブルゴーニュ Ⅲ~アルフォンス・ド・ラマルチーヌ
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ラマルチーヌと
科学者の妻ジュール・シャルルとの許されない恋
彼女の病により永訣を迎えることとなった彼の
哀惜に沈む想いを綴ったとされる作品が
残されています。

どれだけたくさんのひとに
囲まれていても
癒えない孤独の冷たさが痛いほど
伝わってくる詩集であります・・・。


       *
 

一方、彼との出会いの切欠になった書は
”Le Tailleur de pierre de Saint-Point”

サン・ポワンの石切り職人
タイトルそのままに、教会建築の現場で働いている
石切り職人が主人公のこの物語
政治家でもあったラマルチーヌらしいのかと。

       *

何のために働いているのですか
という素朴な問いかけに
石切り職人三人三様の答が返ってきます。

ひとりめは、生活のために
ふたりめは、自らのスキルを磨くため
三人目は、多くのひとの安らぎの場を創るため
と。

職人気質と申しますか
建築には、熟達した専門技術は必須でしょうから
その観点から考えますと
もしかしたらふたりめの職人さんが
規定通りの整った石を造るのかもしれません。

ただ・・・
そこが平和と相互扶助のための
美しい教会になるという高い意識を持っている
三人目の職人さんは、そうした目標の元に
全体の構造に見合うべく石の大きさやカタチ
或いは
素材や組み上げ方法などまで
職人ならではの提案
まして、職場の同僚と協力体制を構築し
実現しようとする
創造性やリーダーシップを内在させてもいるようで。

充実した生を得る条件とは
そのひとが与えられた環境自体などではなく
意識の在り方が左右する・・・
そのように読み取れもします。

強い組織を創り上げなければならない立場にあると
考えられる
彼の指導者的眼差しに思いを馳せるなら
構成員のひとりひとりが
組織の目標を共有し
常に最高のモチベーションを維持すべく
人材の育成を意図していたであろうこと
想像に難くありません。そしてそれは、
組織のためというより
何より、本人たちのためでもあったのかと・・・。

そんなことを
教えてくれたのが、彼の小説
”Le Tailleur de pierre de Saint-Point”
だった訳です。

主人公(石切り職人)のものとされるお墓が
ブルゴーニュのこの村に実際にありまして
その立て看板を読んで
帰途、この書を購入したという
こちらもまた限りなく私的な
お話でありました・・・。










※フランス政界で赤い旗がシンボルとなっていた
二月革命では既に党を主導。
1848には臨時政府のメンバーとして
外相に就任、事実上の首相の役割を担ってます。
社会主義者(労働者層)と対立し
有産階級の利害を代表することとなり
六月蜂起を収拾できずその後
大統領選挙に落選
1851年にルイ=ナポレオンがクーデターで
第二帝政への道を開くと同時に
ラマルティーヌは政界を引退しました。






















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【 2016/04/03 07:02 】

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さくら~美しい季節に Ⅲ
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【 2016/04/02 22:14 】

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さくら~美しい季節に Ⅱ




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【 2016/04/01 21:38 】

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