この書の内奥に・・・

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フランス文学が
個人の意識を掘り下げて行く
傾向を備えているのに比して

イギリス文学は
(英国で民族小説的ジャンルが隆盛した
経緯からも解るように)
全体的な心理傾向に随って発展してきたような
処があるように思うんですね。
さらには
スコットらのような歴史小説は
意識的に垂直軸にウェイトを置き
デイケンズ、エイリオットらの社会小説は
水平展開させながら
幅広く社会を炙り出す試みであったといったような・・。

そして
こうした傾向のうち寧ろ後者の功績こそが
ユゴー、デュマらの
フランス歴史小説を育ててきたんですよね。

一方でドイツに於いては
スコット系では
アレクシスあたり
社会小説では
アウエルバハ、フライターク
シュピールハーゲン、グツコウ
そしてハイゼらが名だたる所でしょうか。

バルザック、スタンダール系列の
フォンターネは未だ文学史的作品に非ず
現代的意義を備えた作家と感じさせる作風でもあります。

私たちが今日
偉大なる作品群を手に出来るのは

その源流で
互いに認め、高め合う土壌が
しっかりと構築されていたがゆえの
ことなんですよね…。
































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テーマ : つぶやき
ジャンル : 日記

孤独のひと榎本武揚/安部公房~真夏の冬景色

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安部公房の歴史小説”榎本武揚”に

ひとつの時代に対する忠誠ゆえに
次の時代には
犯罪者として迎えられる
そのことに対する思いが記されていたことを

昨夜
大切なひととの語らいのうちに想起いたしまして・・・。

作中では
忠誠そのものが
悪徳でないなら
時代が変わったと言うことに

どうして個人が責任を
負わねばならないのか

といったような表現をしていたように
記憶しています。

指導的立場になくば
責任の追及を
交わせもしましょうが
所謂
転向は余儀なくされるんですね。

時代の価値観が大きく変容し
それが非人道的と見做されれば
過ぎ去った時代への”忠誠”は
最早
憎悪の対象にもなりましょう。         

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数年前の真冬に
私は北海度 函館
五稜郭を訪れました。

そう・・・
仮に、五稜郭で抵抗した榎本の
本来的事由が
部下たちの意思が
殉教(旧時代の忠誠に拘る)にあるか
転向(新たな認識に立てる)にあるかの
その見極めのためだったとしても

榎本がそのままに
割り切った合理主義者であるとは
どうしても思えず
むしろ彼こそ、
時代の崩壊に
誰より傷付いた人物のひとりではなかったかと…。

細心の注意を払って
歴史を見つめるなら
時代が入れ替わるということの背後にある
当事者たちの慟哭も聞こえ
彼らにとっては
それほどに残酷な瞬間も
なかったかもしれません。
(映画ラストサムライのワンシーンが重なりもします)

そして良き(そうあらねばなりませんが)につけ悪しきにつけ
時代(=時代を成した者)を
引き裂いてゆくプロセスを
私たちが歴史と
呼んでいる側面があることを
改めて知らしめてくれたあの五稜郭の
音のない冬景色は
哀しみを含んでいるようでした。

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テーマ : つぶやき
ジャンル : 日記

The Age of Innocence/Edith Wharton~輪廻転生~精神の解放

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19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍した
米国の女流小説家
イーディス・ウォートン
後生はパリ在住でしたが
その”distinguished”が評価されてか
Pulitzer Prizeの受賞も果しています。

彼女が生きた時代の
米国社交界が舞台のこの作品

ストイックさ加減だけで云えば
フロベールのボヴァリー夫人は論外で
トルストイが描いたアンナ
(”アンナ・カレーニナ”の作品価値は
本筋にはありませんけれど)
の比でなく
バルザックの”谷間の百合”や
ラ・ファイエット夫人の”クレーヴの奥方”にも匹敵する
物語。


こうした
理性的な生き方こそが
寧ろ愛を繋ぐ(永遠性を帯びる)
ようなところがあるのかとは
感じています。

輪廻転生を全く
信じてこなっかた私ですが

愛する人を得て
学んだこと

いにしえの恋
その想いは
どれほどの時を超えても
変わることがないようで

今を生きる私たちと
驚くほど
重なるということ。

かつて
叶わなかった願いは
後に同じ境遇に置かれた
人々のこころなかに
脈々と受け継がれ
通じ合い
融け合い
さらに純度を増して
先鋭化され
必ずや
どこかで結ばれ
その精神は解放される・・・

といったような意味での
輪廻転生は
あるのだろうと・・・。

同じような感覚で
今まで斜に眺めていた
量子力学の多世界解釈にも
耳を傾けたくもなる
今日この頃です(笑


※こちら
ー汚れなき情事ーというサブタイトルがついて
映画化も為されているようですね。









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ジャンル : 日記

季節感のある暮らし~モンマルトルへ想いを馳せて

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暮らしに季節を、取り入れるに
旬の食材をふんだんに使ったり
お花を飾ったり
インテリアをアレンジするのは定番。
特に
クッションやベッドのリネン、コットンなどの
ファブリックを変えると効果抜群で
時にロールで
生地を購入したりもしています。

かつて嵌ったモンマルトルの丘のふもと
バルベスにあった
あんな布生地マーケットの
潤沢な品揃えのショップは
未だに地元では見付ける事が出来ずにいて

季節の変わり目には
あの丘に
想いを馳せています(笑

近くのラシェル通りを抜けた
18世紀末に開苑されたモンマルトル墓地は
スタンダールにゾラ、デュマ、ハイネといた作家や
ベルリオーズ、オッフェンバックら作曲家
或いは、画家、フラゴナールやドガ
そしてヌーヴェルヴァーグの映画監督
フランソワ・トリュフォーなど
名だたる芸術家が眠る場所。

エッフェル搭をも見渡せる
眺めの良さもさることながら
そうした立ち位置から
この丘の歴史を辿るなら
訪れる旅人にどれだけの
深いノスタルジーを
投げかけてくれることか
それが
愛すべき街
モンマルトルなんですね・・・。




※パリと云えば寧ろ裏町
ジャポニズム全盛期に
わざわざ日本から
建築建材まで取り寄せて
日本をイメージしてデザインされた
パゴードゥも好きだった場所のひとつ。
映画館になっていて
併設のカフェも雰囲気ありました…。












テーマ : つぶやき
ジャンル : 日記

音楽と詩と・・・

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古来固く結びついていた
音楽と言葉

旋律(音)による
感情の揺さぶりは
独自であるより
言語に被さることで
より一層その意味を増す

ですが
いつしか
純粋な音の追及が始まる

誤解を恐れずに言えば
近代音楽は
音が
言葉から
引き離れてゆく歴史
と謂えなくもない。

そして
音楽自体
言語より寧ろ精緻な理論化が為され
透明な形式に純化されていった
そういった意味では
また
哀しい意味で言葉に近づいてきた
あの
12音音楽の様に
けれど
それは
玲瓏ではあるけれど
私的には作為にしか感じ得ない。

理性と感情と
分けて考える冷静さは必要でも
感情に裏打ちされない理性に
意味があるのかといったような・・・。

プロセスを鑑みるに
例えば
シューベルト
それは
一瞥して
純粋な音の芸術でありながら
内面的に
確かな言語が用意されている。
なぜなら
ミューラーの詩と
癒着して離れることができないでいるから。

持論になりますが
純粋なる音の背後には
確実な感情が
なければならないと・・・。

        *

精神の弛緩は
神話的(楽園追放)に
緊張を余儀なくされ
孤独を知り

そして
理念的には
それを意識した
精神的枠組み(近代的自我の目覚め)を構築することで
知的清潔感を保ってきたように受け止めています。

そうした
精神的緊張が
人間の孤独を永遠化する原理となり
それはそのまま
抒情の原型となってきたように思うんですね。

それを礎にした
音楽と文学

各、独立性
確かに
それもよいでしょう

ですが
名状し難い情念
そこに普遍性があればあるほど
双方は手を切れない
そして
深淵に訴える
ロマンティシズムにも結晶して行く

芸術に役割があるとするなら
そうした世界観が
ひとつ確保されねばならないものでしょうか。



















































テーマ : つぶやき
ジャンル : 日記

独自性の…

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あるひとつの局面を
限られた約束のなかで
記述して
特定の尺度に還元してしまうのでなく

論理に従って
本質を省察するといったような

純粋なる思惟。

ひとりよがりにならないための
広い視野は
学問の伝統に培われた
さまざまな検証
その理論の先に。

同時代の知性に照らしながら

課題を見出し
然るべき方法で
論理的責任を以て
観念的に追求する

そうした
思索的営みのうちに
新しい提案を
論証を交えて
示すところで
初めて独自性が
認められるものでしょうか。

















テーマ : つぶやき
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鷗外を想って Ⅸ〜バッハの調べ

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ほんとうの
ぬくもりは
凛と冷えた空気の中でこそ
深く得られるが如く

哀しみの淵にあってこそ
揺蕩うように
浮かび続ける俤があるもの

ただ
どれだけの
精神性の高さを備えれば
そうしたなかで
凛とした生き方が
叶うことでしょうか。


※大変な御家族思いでらして
その愛に報いるためだけの
望まぬ不幸な結婚
心身ともに衰弱しゆく
生活のなかでの
舞姫執筆
(こちら、丁寧に読み込めば
最後の完結文 かの人物への”恨”
その説明に過ぎない作品構成になっていること
が解ってもしまうのですが)

鷗外の心は
作品そのものでなく

舞姫を執筆せんとした
動機のなかにこそ
あったものでしょう。

それは
鷗外が終生
傍らに置いたという遺品のひとつ
モノグラム型テンプレートからも
伝わってまいります。

こちらドイツでは
花嫁が
婚礼に際し
愛するひとのために
支度するのが伝統となっている品で

自らの死期を悟った鷗外が
全て焼却させた
エリーゼとの往復書簡の束とともに
忘れ得ぬ想いの証のひとつと言えましょうか。


樋口一葉、与謝野晶子ら
当初賛否あった
無名の女流作家、歌人の
才能を認め
手を差し伸べ激賞した鷗外。

病弱の一葉には
与うる限りの優しさを注ぎ
彼女の訃報に接しては
役所から
馬に跨り軍服のまま駆け付けたといったような…

鷗外ならではの
さまざまに
奥行きのある人生は
バッハの調べが如く
憂いとの狭間故の旋律
あのシンフォニアが
あのゴールドベルクが
織り成す絢のように
例えばその第15変奏が21変奏が
そして25変奏
終章のアリアこそが…
私の胸の中で重なり
そうして
いつまでも
止むことがない音楽

そうした類の美なる空間
それが
私の“生を充たして”くれた
鷗外文学であります。

余談ですが

作中人物に
恋心にも似た感情を
抱いたのは
後にも先にも
彼の作品をおいて
他にありませんでした。





























テーマ : つぶやき
ジャンル : 日記

鴎外を想って Ⅷ

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ーー二十歳の身の浮き沈み
歓びも哀しみも知る
袖の釦鈕よ かたはとなりぬーー

〜釦鈕/鷗外

生涯を通じた作品群から垣間見える
忘れられないひとへの思慕

例えば
こちらの“釦鈕”という詩
そのワンフレーズに過ぎませんが
そこに込められた
想い。

自身も出征した戦い(日露戦争)で
戦死した
同士への鎮魂のうたでありますが
(此処でも鷗外はその死の夥しい数にも
決して
数字に済ませることはなく
丁寧な文字でその名をすべて記したといいます)

そのように
生死の狭間に身を置いていたからこそ
片側だけ失くしてしまった鈕
に自身のドイツ留学時代を重ね

失われた
二度とは戻らない日々を
愛しんで止まなかったんですね。

そして
例えば
舞姫から
下って20年後に
鷗外が執筆した
“普請中”

こちらは
かつての恋人との再会と
永遠なる別れを感じさせる物語

同時期に発表された
“桟橋”に比し
家族思いの鷗外の
牽制的作品
のようでもあり
(長く続いた書簡だけの結びつきに
終わりを告げた)
鷗外二度目の結婚に
促されるように
嫁いだ彼女を断ち切ろうとしたものか。

作中、彼女を泊まらせたホテル名は
奇しくも
かつてのエリーゼが宿泊したそれと同名
しかもふたりの会話は
ドイツ語
なんですね。

双方の書の記述をなぞって
それぞれベルリン
銀座(から芝へ)を歩いてみるなら
鷗外が意図して重ねた描写から
物語の相似性に
気付かされ

切ない
カモフラージュの裏にある
途切れない想いに
胸が熱くなります…。



※医学博士であられながら
文学博士という
研究姿勢としては寧ろ相反するような分野をして
(個人的には自然科学ならではの視点からの文学を
期待してもしまうのですが)
鷗外は
両者を混同してはならない
文学は純粋に文学でなければならない
といったような見解を
述べられていたのが印象的でした。

鷗外に纏わる文献を
紐解けば紐解くほどに
周囲の方への気遣いに溢れた
思いやりのひとであったことが
伝わってもまいりますけれど

であればこそ
所謂 舞姫論争のうちの
関係者に架かる軋轢
その不可抗力に抗することのできない
無念さに溢れる鷗外の言葉をして
枷にも似た罪悪感と終生向き合った
鷗外の苦悩を思います。

(当時、やはり医師であられた
鷗外の弟さんだけが
ふたりを応援してくれていたんですね。)











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鷗外を想って Ⅶ 〜シェッフェル/笛の音

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--苦しかりけり我が恋は
哀しかりけり我が恋は

潮風荒き荒磯に
吹かれて立てるそなれまつ
寄せ来る波に打ち折られ
岸から遠く離れ行く

翠の波のそのうちに
浮きつ沈みつ見えにけり
鷗の鳥の数あまた
飛びて辺りをめぐるなり

夜深き波に月冴えて
沖辺を遠く舟ぞゆく
おりおり詩(うた)の聴こゆるは
もの想うひとや漕ぐならん--



こちらは
ライン河岸辺にて謳われた

互いに惹かれ合いながらも
別れを余儀なくされる
青年とプリンセスとの
水辺の恋

ドイツ詩人シェッフェル
“笛の音”からの一節です。

この作品はかなりの大作であり
翻訳者の鷗外が
帰国後程なく
舞姫に先立って翻訳し
発表したものなんですね。

彼が訪れたという
アルトベルリンに
流れるシュプレー川にも
往時幾分かの鷗が飛来していたことは
同時代の文献にも
記述があり

筆名含め
あまりに
重なりゆく想いに
読み手の胸まで痛んでくる
翻訳になっています。































テーマ : つぶやき
ジャンル : 日記

鷗外を想って Ⅵ

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東大総合図書館に遺されている
或書の扉には
エリーゼ宛ての
鷗外自筆のメッセージ

マルセイユからフランス船で帰国した鷗外が
数日後に
ブレーメンから
ドイツ船で来日せんとする
彼女も必ず通るコロンボにて
託した想い

“旅の最後に、時間が余れば読みなさい”といった
内容が
鷗外らしい律儀なドイツ語で記されていた記憶がありますので
あまりお勧めの類ではなかったようですが

“路上の雪は
稜角ある氷片”となるほど
厳しい寒さを迎えるドイツで
同じ作品を鑑賞し
読後感を交換しながら
互いの心を暖め合う
そんな
ふたりの語らいが
聴こえてきそうな微笑ましい
エピソードですよね。

ココ
時代を越えて
変わらない
恋人たちの歓びのようで

たぶん
愛なる
普遍感情
なんですね…。














テーマ : つぶやき
ジャンル : 日記

鴎外を想って Ⅴ

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鷗外作品に
各々描出された
獨逸模様

脳裏に刻まれた
其の当該フレーズは
私のドイツ散歩の
ガイドブックであり
散策のパートナーでもありました(笑

取り分け
メインストリートととなる
遊歩道
ウンター・デン・リンデンは
その意(菩提樹下)らしく
菩提樹の並木道にベンチが並び
人々が集う
美しい通り。

豊太郎(鷗外)とエリス(エリーゼ)が
出逢った
運命の場所。

さらには
15世紀に描かれたという
“死の舞踏”でも知られる
レンガ造りのゴシック様式
聖マリア教会

アルトベルリン

そして
こうした場合の多くで

”場所”が
もつ意味は

私たちが暮らす空間に
今尚生き続ける
文学が
それを示唆し
象徴しているようにも
感じてなりません。



































テーマ : 伝えたいこと
ジャンル : 日記

鴎外を想って Ⅳ〜鷗外旧邸



ドイツからの帰国後まもなく
執筆を始めたという
所謂 ドイツ三部作
舞姫(ベルリン)、うたかたの記(ミュンヘン)、
文づかひ(ライプツィッヒ)
のうち前二作は
此処、鷗外の暮した
通称“舞姫の間”で執筆されたんですね。

ですので
鷗外文学発祥の地と
言えなくもありません。

当初、多くのペンネームを使い分けた鷗外
ですがこの筆名由来
(諸説ありますがうちひとつは)
吾妻橋の上流に在る
鷗の渡し(=吉原)の外にあって
遊興の地には遠く
近寄らない
という、愛に対する
誠実な姿勢が込められていると
伝えられてもいます…。

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テーマ : つぶやき
ジャンル : 日記

鴎外を想って III

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歴代、津和野藩の典医という家系にあって
曾祖父の気概に
“論語”“孟子”そして
語学など
両親の英才教育を受け
立身出世を
半ば宿命のように背負わされていた
鴎外。

そんな彼にもかかわらず
愛ゆえに挫折に直面し
優秀さゆえに愛を選び取れなかった

鴎外のその苦悩は
ドイツで邂逅した女性
とも重なる
かの“舞姫”
最後の完結文に集約され
今、尚
対峙する者の胸に
深遠なる想いの在り処を
問い掛けています……。






ーーされど我が脳裏に一点の
彼を憎むこころ
今日までも残れりけりーー









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ジャンル : 日記

鴎外を想って II

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日本近代文学
文学史としての
余裕派と申しますか
高踏派と申しますか
反自然主義にして
努めて主知主義的感性を
持ち合わせていた偉大なる作家
その双璧と言えば
やはり
鴎外と漱石でしょうか。

国内では
漱石派の方が圧倒的多数
のようですが…。

確かに
作品自体は
漱石の方が
愉しめるのかもしれません。

ですが
人物的に

鴎外ほど魅力を感じる作家を
私は他に知りません。













テーマ : つぶやき
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鴎外を想って I〜寂しき人々/ハウプトマン

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ハウプトマンの戯曲
“寂しき人々”

こちら
今日でも
本国ドイツに於いて
もっとも上演回数が多い作品のひとつ
となっているようですが

その理由は

現代の私達の感覚との
類縁性を
放っているからでありましょう。


キーワードは
孤独です。

如何に
物資的に恵まれ

仮に
家族に友に
囲まれていたとしても

人間の本質的な処
精神が
満たされていなければ
真なる歓びは
得られないというそのこと。

それは
精神が
潜在的に
その核になる部分で
通じ合い
分かり合える対象を
希求しているものだから

それなくば
孤独は
ココロの隙間に忍び込み
容易には
解放してくれません……。





時間芸術という宿命を背負うが故
置き去りにされがちな戯曲(マイノリティの芸術)
ですので
参考までにあらすじを少し…。

∬家族とともに
湖畔の別荘に暮らす
ヨハンネス

其処に或る日
哲学を専攻する
ひとりの女子大生マアルが現われる

思想傾向が似たふたりは
共に語り合ううちに
精神的に深く結び付くようになる

ですが
それは
あくまで
友愛であった

にも
関わらず
周囲の理解は得られず

その先の

マアルからの
一切の拒絶

そして
悲劇的結末へ……∬




テーマ : つぶやき
ジャンル : 日記

言語空間



--研ぎ澄まされれば
研ぎ澄まされるほどに
対象の存在性は大きくなる

言葉は豊かになり
そこでの純度の高い響き合いは
自己表現的に自己自身を形成してゆく--


言語空間は
理屈ではないということ
そう
感覚そのもの
といったような。


シニフィアンとシニフィエの関係とは
違うcontextで
世界を眺めることの
意味を

思います・・・。













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異文化理解の原理〜ディスクール IV

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歴史を紐解けば

大衆を衝突に導いてきたのは
思想のようで

であれば

文明の平和共存を促してくれるものも
やはり

思想であろうかと…。


だからこそ
前に進まなければ
ならないんですね
私たちは。









テーマ : つぶやき
ジャンル : 日記

異文化理解の原理〜ディスクール III

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異文化理解の原理
それは
自らの文化を絶対視しないことを大前提に
共通の価値観を見出してゆくこと

即ち
文明の多元性を認めながら
人間の普遍性を求め
ともに創出する…
それを置いて
他に手立てはないものでしょうか。























テーマ : つぶやき
ジャンル : 日記

異文化理解の原理 〜ディスクールII

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ヘーゲルが提唱した
絶対者の弁証法
それが
国家の論理
延いては
世界史の論理になっているという
そのこと

ですが実はこちら
西洋だけの論理でも
ないようなんですね。

と申しますのは

東洋の伝統的思想って
西洋のそれより
さらに強く
宗教的色彩を帯びている
という実態がありまして
そうしたことを鑑みての
東西比較哲学に於いて

ヘーゲルやマルクスに代表される
西洋の弁証法を
さらに
高い見地から
分析致しますと

例えば
大乗仏教の論理も
広義の弁証法と捉えることができる

それはとりもなおさず
全く別物と見做されてきた
東西思想を結びつけ

更には
普遍性を内在させる
重要な共通項を見い出すことをも
可能にさせる

東洋的伝統に立ちながら
西洋の思想文化を咀嚼して
血肉とした
日本の哲学者たち
例えば西田のような
思想傾向は
東西論理比較を超えて
グローバルな解釈を目指したものであったように
個人的には理解しています。









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ジャンル : 日記

異文化理解の原理〜ディスクール I

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イデア、純粋形相、神、そして理性、精神。
こちら
かつての西洋哲学が見出した
自然原理
その変遷であります。

これらが象徴するが如く
西欧では
自然を超えた原理を軸としたその思考様式は
哲学と名付けられ
西洋文化形成の中核を成して来たんですね。

然し乍ら
19世紀末以降(ニーチェあたりから)の哲学は
そうした思考法に叛旗を翻し
明らかな方向転換をみせてきました。
そうした動きは
言ってみれば
西洋哲学者らによる
西洋哲学批判(解体)に他ならなかった訳で。

そして
“万物が自然”と考えた
ソクラテス以前の考え方
所謂ギリシア早期の自然観は
東洋の取り分け
古事記にみられる古代日本人のそれとも
通底する
極めて自然な思考態度でありました。

ですのでその中間に存在した
ソクラテス、プラトンあたりから
ヘーゲル辺りまでの
思想的営みとは
対極の視座にあったと
云って良いでしょう。

ただ

物質的自然観にのみ
焦点を当てて否定してしまうことで
取り零してしまうものがある

誤ちを
数えるだけでは
やはり
真実は見えては来ないんですね…。

埋もれ行くかつての叡智をも
見極めながら丁寧に
真理を掬い取ってゆこうとする姿勢

思い込みや
偏見に囚われない
柔軟な眼差しと
広く受容し
その上で本質を見詰めようとする姿勢

そうしたスタンスだけは
失わずに在りたいと
思っています。



















テーマ : つぶやき
ジャンル : 日記

生きる姿勢〜ヒューマニズム/神性尺度



古代文学の評価に始まる
学者たちの運動で発達した
ヒューマニズム
こちら広義には
生きる姿勢そのものを
指す言葉と認識していますが

その起源が示唆しているように
叡智って
人間の理解力に
始まったんですね…。

そして
自己に内在する
divinity(神性)の尺度が
それを方向付けるそのことを
忘れないでいたい

人文主義者が
古代研究のなかで
世界の豊穣に、気付き
人間の価値の再発見をした
あのときの有り様のように…。





※16世紀オランダのエラスムスが
最大の人文学者とされているようですが
人文主義を創始したのは
そこから更に遡ること200年前の
ペトラルカ
こちら14世紀のお話で
彼は、“Epistrae”でその概念を構成し
“De viris illustribus”で偉人の運命を語り
“備忘録”で所見を示し
ラテン語の叙事詩“アフリカ”で
桂冠詩人の称号を受けたんですね。

そして
ストア哲学の立場から人間精神の尊さを賛美する
“世の侮りについて”“孤独な生活について”を
書き上げるに至った。

そんな彼の後継者がボッカチオ
彼の功績を端的に表すが如く
15世紀ローマのヴァチカン図書館や
フィレンツェのメディチ家図書館創設の
契機となった人物でありました。





















テーマ : つぶやき
ジャンル : 日記

文学の核心



所謂“英雄”
その業績って
民衆が評価してきたんですよね
そして
それが伝説となり
ある原理のもとに
文学作品となる。

ですので
フランスに伝わる
“ローランの歌”も
ドイツに輝く“ニーベルンゲンの歌”も
作者は不詳。



あの“イリアス”や“オデュッセイア”だって
ホメロス以前に物語は
あったはずで
まして
ホメロスの存在自体を訝る研究者もいるほど。

そうした伝承に
命を与え見事に甦らせた作品が
“パンタグリュエル(ラブレー)”であり
“ファウスト”であり“ドン・ファン”etc...

文学(詩)の原理は此処にあるんですね。
そう
情緒が吹き込まれる…。
それは
極めて個人的で内密なもので
それなくば
単なる文章でしかなくて。

そして
そのエモーショナルを感じ取るのは
受け手の感応力次第なんですね。

そこに客観的尺度はないのだけれど
その個性的表現から受ける
意識的な喜びを
芸術とよんで良いのかと。

それは
予備知識や
鑑賞の繰り返しを通じて明瞭になり
経験のなかで啓発され
確信に変わってゆくもの。

万巻の書が精神を生成する訳ではないけれど
ひとつの精神は
数多の書から豊かなる
糧を得るんですね。

文学の識別は
自己表現そのもので
文学の核心も
自己表現を起点とし
普遍的な真理へと
歩みを進めるものでありましょう。

























テーマ : つぶやき
ジャンル : 日記

世界文学という名の精神世界 III〜負の連鎖からの開放



世界文学の存在意義として
人間の多様性を学ぶことが
ひとつある

翻訳に先立ち
その著作者に習い
自己形成をするという
緻密にして繊細な作業は

人類に通奏低音のように流れる
人間の統一性をも
炙り出す。

この精神世界のなかで
私たちは
違いを数えるのではなく
共感力を鍛えるのだ
それが
世界文学の恩恵といって
差支えないだろう。







テーマ : 伝えたいこと
ジャンル : 日記

世界文学という名の精神世界 Ⅱ



ダンテ
ぺトラルカ
セルヴァンテス
カルデロン
そして
シェイクスピア
さらには古代インドへと
時間軸を遡り
いにしえを求め彷徨ったのが
ドイツ浪漫派であった一方で

同時代への運命的連鎖を認め
同時代に広く意義を与えたのがゲーテ

そして彼の壮大な構想には
文学によって
創造され
結合され
境界を排し
永遠に人間的なるものに
辿り着くことで
寛容性を養うという
普遍的文学的視野が備わっていた・・・。













テーマ : 伝えたいこと
ジャンル : 日記

世界文学という名の精神世界

IMG_1837.jpg

ゲーテの言葉を借りれば
精神的財貨を交換する場
それが
世界文学

テクストの海を泳げば
他民族のなかにあっての
忍耐をも
覚えるという。

其処に横たわる
言語形式の差からくる
拙訳や
文脈理解の差異などは
そうした観点から宥れば
さして問題ではないのかもしれない

文人たちの
美しきエクリチュールが
響き合う
この精神的空間には
確かな
生の営みがあり

夢があり
そして

愛がある・・・。













テーマ : つぶやき
ジャンル : 日記

上海

IMG_2609.jpg

トランジットで
空港から朝陽だけを眺めに・・・

高いビルが加わって
印象も少し変わっていました。














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アンコールの空の下で Ⅷ~epilogue


IMG_2379.jpg
アンコールワット第3回廊最上部より





アンコールワットが
果てしのないような
密林のなかに位置すること
伝わりますでしょうか…。

































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横浜の小高い丘の上で
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