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音楽と詩と・・・
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古来固く結びついていた
音楽と言葉

旋律(音)による
感情の揺さぶりは
独自であるより
言語に被さることで
より一層その意味を増す

ですが
いつしか
純粋な音の追及が始まる

誤解を恐れずに言えば
近代音楽は
音が
言葉から
引き離れてゆく歴史
と謂えなくもない。

そして
音楽自体
言語より寧ろ精緻な理論化が為され
透明な形式に純化されていった
そういった意味では
また
哀しい意味で言葉に近づいてきた
あの
12音音楽の様に
けれど
それは
玲瓏ではあるけれど
私的には作為にしか感じ得ない。

理性と感情と
分けて考える冷静さは必要でも
感情に裏打ちされない理性に
意味があるのかといったような・・・。

プロセスを鑑みるに
例えば
シューベルト
それは
一瞥して
純粋な音の芸術でありながら
内面的に
確かな言語が用意されている。
なぜなら
ミューラーの詩と
癒着して離れることができないでいるから。

持論になりますが
純粋なる音の背後には
確実な感情が
なければならないと・・・。

        *

精神の弛緩は
神話的(楽園追放)に
緊張を余儀なくされ
孤独を知り

そして
理念的には
それを意識した
精神的枠組み(近代的自我の目覚め)を構築することで
知的清潔感を保ってきたように受け止めています。

そうした
精神的緊張が
人間の孤独を永遠化する原理となり
それはそのまま
抒情の原型となってきたように思うんですね。

それを礎にした
音楽と文学

各、独立性
確かに
それもよいでしょう

ですが
名状し難い情念
そこに普遍性があればあるほど
双方は手を切れない
そして
深淵に訴える
ロマンティシズムにも結晶して行く

芸術に役割があるとするなら
そうした世界観が
ひとつ確保されねばならないものでしょうか。



















































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テーマ:つぶやき - ジャンル:日記

【 2016/07/26 12:31 】

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