陽の光に代えて〜ドイツコラージュ Ⅳ

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ーーあなたへの
      贈り物は
       私の心

私のものすべて
       私の言葉
         ふるまい
           
想いのすべてを
あなたひとりに捧げますーー







ヘッセの
“知と愛”からのフレーズ

それぞれの輝き
その共鳴・・・
それは時に陽(ひ)の輝きとなって
私たちを照らし続ける。

































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陽の光に代えて〜ドイツコラージュ Ⅳ

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ファウスト
第二部の古代ヴァルプルギスの夜から零れる
ギリシア神話への理解

生を捉える
ダイナミックレンジ
その大きさ
それはそのまま精神性の広さと
同義とも謂えませんでしょうか。

有限なる命
が故の
精神運動


精神の志向性は
原理的に
無限なんですよね・・・。















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陽の光に代えて〜ドイツコラージュ Ⅲ

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古代ギリシアの
文藝の神ミューズ
に由来するMUSIC

そこには
それを創造せしめた
時代の精神傾向(Zeitgeist)
が息衝き
そのまま
人類の精神史ともなってきた。

時間だとか
場所だとかの
文脈を超えた
普遍的価値を内包しながら。

一定の分野を
突き詰める研究の背後にある
知と感性の無限の広がり

それは
生の信頼へと
私たちを誘(いざなう)う。













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陽の光に代えて〜ドイツコラージュ Ⅱ

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私たちが
哀しみに押し流されないように

祈りを捧げてくれた
かのルターの優しきコラール。

それはバッハの
調べにのって
今、なお私たちの弱さを救い・・・



トマス・マンの
”ヴァイマールのロッテ”は
”若きウェルテル~”のモデル
シャルロッテが
長い年月を経て
ゲーテを訪ねてくるお話しでしたけれど
こちら…

自然(純粋な神秘性)と精神(理性的明晰さ)を
自在に往き来出来るが故
双方を兼ね備えた二重性を基に
人類の寵児となったゲーテ

その意味で彼は
(シラーを超え)
ワーグナー
ニーチェ
ショーペンハウアー
(ルソーで繋がるトルストイ)より
究極的意味で完璧
と讃える
マンのゲーテ礼賛でありました。

持続の重みが
精神のチカラとなり
その上で
過去を
生き直す価値をも見い出す
“生の貴族性”という
深くも美しい眼差し。

優れた
芸術的創造は
いずれ死すべき宿命の
儚い生を受けて
生まれてきた私たちを
補って
余りあるようにも
感じています・・・。











































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陽の光に代えて〜ドイツコラージュ Ⅰ

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太陽の代わりに
”輝く文化”を育んだ
厳しく長い冬をもつ欧州のひとびと

そんな
分析哲学の恩師の口癖も
胸にこだまします。

         *

フランス、イタリア、チェコ・・・各国の
音楽も素晴らしいけれど
取り分け国土の多くが
深い森に覆われた
ドイツのそれは美しい・・・。

かつての
あの悲惨なレジームを超えて
独逸文化を支えているのは
・・・・
寧ろ生活の中の
暗黙知のようでもあり。

一般に
この国でルミナリーと謂えば
カントかもしれませんが

私的にはバッハであり
ゲーテであり
ヘッセ。

そして
(けして:Wagnerianerではありませんが)
古代ギリシアの精神を今に繋いでいるのは
バイロイト
といっても過言ではないのかと。

彼の歌劇”タンホイザー”(通称)では
愛の理想
その公約数を謡いあげる
エッシェンバッハに対し
主人公タンホイザーのそれは
内なる声であり
生命の賛歌でもあった。

         *

分厚いスコア
長時間の観劇にも関わらず
中途退出を許さなかった
そんなワーグナーの墓石には
墓碑銘がないんですよね。
名すら刻まれていない。

コジマと眠るその場所には
一枚の無装飾の石が
音もなく
横たわるだけ…。

手向ける花さえも
拒絶するかのように・・・。



※19世紀中葉の秋
ドレスデン宮廷歌劇場で初演された
ワーグナーの”タンホイザー”
こちら
ドイツの口碑集からとられ
オーストリアのフリートリッヒ2世の宮廷に仕えた
という伝説の騎士タンホイザーがモデルになったもの

(官能肯定の詩を残した彼が歓楽を極めた
ドイツ、テューリンゲンのヴェーヌスには
ヴァルトブルク城があり
その領主ヘルマンの屋敷では歌合戦が催されていましたので
このお話を含んでいます)

タンホイザー含め
ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハも
献身の聖エリーザベト(ルートヴィヒ4世の妃)も
12~13世紀実在の人物であります。

真なる愛は何処にでも存在し得
そして
最後の救い
それは
そうした
無償なる愛だけ。
或る、
ひとつの
詩的真実が持つ意味を思います。







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詩神の訪れ~イェイツepilogue~永遠なる命の泉を求めて~月の光と儚さと

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若きケルトの英雄クーフリンが
漸く辿り着いた
永遠の生命を約束する水

けれど容易に
それを口にすることはできない

その水(泉)を守る女性は
鷹となって舞を始めて・・・。


ケルトの心性と能のそれとの通底に気付いたイエーツが
フェノロサ、パウンドらの能楽論を基に
”養老”をbrushupして
書き上げた”鷹の井戸”

その後本作品は逆輸入され
翻案新能”鷹の泉””鷹姫”へと
受け継がれても来たわけですが。


      *


いろいろな意味で
誤解されやすい詩人ゆえ

レッテル張りされた
イエーツ論は後を絶ちませんが

少なくとも
元来、能の国
日本のこの美意識を持ち合わせている私たちがゆえに
理解できることはあるように思っています。


      *


”月の沈黙を友”とすることで
得られる精神の柔軟性は
時に強さと同義であると。

ひたすら
合理的、現実的に生きることでは
往々にして
逆境は乗り越え辛いもの

折れるのでなく
しなる強さ
と申しますか

命の恵み
生の源であるかのような
陽の光に比し
自ら光ることも出来ず
陽光をその身に受けて
届けるだけの月光

その役割を知るひとたちには
独特の強さがあるようにも感じています。

光と翳

届かないものを求め
支配したいと願い続ける
人間の
愚かさ
無力さ

そこから
無常観を受容しながらも

鷹の神秘性に
救いを見出せるのは

余情をもてるものたちだけ
なのかもしれません。

そもそも
私たちはこの地平に立つのみで
鷹の様に舞い上がることも
井の様な深度での沈潜も許されていない。

それを叶えてくれるのは
個のうちなる精神の豊かさ
だけなんですよね。
その場所が
より多様で
より多彩であれば
厳しい現実の苦難を
上手に躱すことができるものでしょうか・・・。

儚さのうちに美を見出す詩人
イェイツ哲学からの
学びは少なくありません。


※英国ロンドンで初演されたという
音楽と舞踏、戯曲が一体となった
踊り手のための劇”鷹の井戸”には
3つの音楽が付けられているんですね。

一つ目は
(イェイツも了解していた)
あの美しき挿絵を手掛けた
画家Edmund Dulacのそれ。
音楽家でないことも幸いしてか
しっかり”朗誦”が尊重されている。

二つ目は
伊藤祐司氏。
フルートパートが付与されていますが
やはり地謡に沿っています。

三つ目は
山田耕筰氏。
前者ふたつをみかねて
作曲されたものですが
それは既に朗唱ではなく
調性感をベースにした
近代的和音の響きをもつ歌曲として仕上げられています。

スクリャービンの影響を受けて
舞踊詩を多く手掛けていた山田氏ですから
彼らしい表現主義的な作品といえばそうで。

そして何より
内省的で、人生の意味を問い
謳い上げられた
イェイツの詩にふさわしい
調性の揺らぎがあって
それを、多様な和音にしてハープに乗せ
さらに
心理描写を備えた歌唱旋律を持ってきた山田氏
その作曲手法は見事としか形容の仕様がありませんが
朗唱の魅力は失われているんですね。

イェイツの詩は英語ですから
朗誦に適した
等拍的リズムを付けるのが難しかったという
その理由は容易に察せられはします。

ですが
西洋演劇と能の融合を目指した
イェイツとデュラック
彼ら本来の意図である
地謡風の英語での朗唱は
”鷹の井戸”には、欠かせない要素であり
まさにそこが
彼らの苦しんだところでもあるんですよね。

非西洋、日本的(能)志向を狙った
前者ふたつの曲性と
能の素養を排除し
別の文脈からの解釈で
西洋モダニズム的に創作した
山田氏の試み

ですがそのおかげで
私たちは
それぞれの表現の違いを愉しむことができる
そのことに感謝しています。

















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陰翳が呼ぶ幽玄の世界観

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遮るもののない光より
雲間から射し込んでくる
光が好きです。

陰翳が
呼び寄せる独特の美しさ
ありますよね・・・。

幽玄という名の
美的概念。

ヨーロッパの様に
概念規定に
填め込まない
或る・・・
日本らしさ。

その
メタファの世界観も
好ましく思っています。

    
        *


夏も
まもなく
終わりを迎えて

暫くすると
もう
秋・・・

秋が来る。




ーー秋風に
      たなびく雲のたえまより
         漏れ出る月の影のさやけさーー















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詩神の訪れ~イェイツ IV

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詩を読む時
そこに謳われた
情景
色彩
水の調べ

それが
作者の前に広がるものとは
限らない。

ときに
それは
心の奥深くに沈殿する
心象風景だったりもするんですね。


       *


アイルランドと云えば伝説の国
アイルランンドらしさと云えばケルト神話

神話的世界から
精神の力学を読みとるチカラ

その洗練された文学精神は
日本の美意識とも通底する場所がある。


失われた時間は戻らない
”取り返しのつかなさ”
それこそが
過去に他ならない訳で

時の経過は
瞬間、瞬間の堆積であり
不可逆性のものなんですよね。

ですが
単なる蓄積では
決してないと思うんです。

例えそれが哀しみであっても
向き合う姿勢によっては
時を重ねることによって
掛け替えのない
精神性の結晶へと昇華させ

記憶という名の
豊穣なる泉
にもなリ得るのだと・・・。

そして

有限界と永遠界を結べるものは
たぶん
哀しみだけだけ

哀しみを知るひとだけが
永遠を知ることができるということ。

”時” なんかに
束縛されない永遠を
教えてくれたのは

イエイツがくれた
あの
美しき
”言葉の音楽”でした・・・。










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詩神の訪れ〜イェイツ III〜mysticism

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イェイツの
mysticism
その原義が秘義であることからも
わかるように
mysticismは、その核心が語られることは
ないんですよね。
秘密厳守それがmysticism

語れないがゆえに
暗示となり
沈黙となる

よって
イェイツの内奥に息衝いているのは
ある核心であって
イメージが結晶化された詩。

文脈から浮いた表現や
指示のない代名詞
一見して不手際に見える箇所こそ
重要な意味をもってたりもするんですね。

“歓びとは何か”で
締めくくられる作品“Vacillation”
そのタイトル(揺れ動く)通りの詩脈。
(大江氏がノーベル賞受賞講演のなかで
強調されていたものもそのひとつ…。)

そして
イェイツのいう
”仮面”(=マスク理論)抜きには語れません。

自己の内奥の真実
生の神秘を映し出す
”反対自我(アンチセルフ)”
逆説の鏡・・・
それは
生を映す死の鏡。

その個別性を原型的仮面に落とし込んで
普遍性を見出してゆくという
イェイツmysticismの修辞法。

それは
自身の網膜に自己は決して
映ることがないという
認識の盲点に光が当てられて…。

生そのものが
神秘の中の神秘であり

誰もが
その“生の主体者”であり
客観的に生を
認識することはできない。

そこに
たったひとり
答えを出したオイディプスは
イェイツにとって生の神秘を知る英雄
となった。

イェイツは
“A Vision ”のなかで
暗示的に語っています。

オイディプスは
ホメロスの時代から
或一つの
象徴的イメージ

スフィンクスの恐怖も
ガリバーの恐怖も
悪の華の恐怖も同じ

それは
英雄たちの盲目性。
瞳に映らないものを見るための逆説。

(モローは
“オイディプスとスフィンクス”を
互いの 瞳を見つめ合う一組の恋人として描いていましたけれど
他者の 瞳に自己を映すことで
自己認識を得たと言うことの示唆なんですね。)

生は死の逆説の鏡にのみ映る
真の生は死せる人々によってのみ保持され
生を死
死を生
によって映す
逆説の鏡
これが
仮面の詩法でありまして。

そうした
主客反転から
ハロルド・ブルームが言う
クリナーメン(意味のカスタマイズ)を
ベースにして
普遍的仮面を
世界神話に求めた。
イェイツの世界観
ミクロコスモスとマクロコスモスの一致という信念のもとに…。



私が最も共感したのは

共通項からのズレ
違和感を排除し
整合性をつけながら
理性的にカスタマイズして
真意を読み解く
クリナーメンという概念。

大切なのは
表面的字面や
読み解かれた結果に
流されないことであり

こうした理知的、客観的視座を
もって
偏見を持つことなく
冷静に本質を掬いとってゆく
姿勢そのもの。

東西思想バランスよく
向き合う対象が
広ければ広いほど
より
真理に近づいてゆけるものでしょうか。


※解釈はさまざまですが
イェイツの詩全体
その文脈からみて
“自己呵責”のなかに
その核心は潜んでいるよう。

ケルト的文脈と良心を苛む原罪(考古学的にも実証された創世記に登場するスフィンクス的要素)ケルブとの融合から
彼は深い存在への問いに
一定の答えを得たよう。

歓びという名のエデンは
生と死の狭間におかれた
ケルブにあると。

ケルブはエデンの園の番人ゆえ
エデンの在りかを指し示す
逆説的道しるべになる
ということなんですね。
そしてこの概念は
イェイツの言葉を借りれば
ある“高貴なる日本の劇”
(能の流れを汲んだ)
”鷹の 井戸”(鷹姫へ)とも重なっている訳で
それは彼女がエジプト風衣装をまとっていることからも
伝わります。

能の影響を受けた戯曲
その多くに
ケルブの暗示があるように感じています…。








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詩神の訪れ〜イェイツ Ⅱ

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Rose of all Rose,
Rose of all the world.


イェイツが
時の十字の上の薔薇に寄せた想い。

彼が愛した薔薇は
精神的、知的な美
と同時に
地上に生き、戦う実人生の象徴
でもあったんですね。

ですが
その薔薇は
シェリーやキーツのそれとは
大きく違っていた。

と申しますのは
イェイツの薔薇には
寧ろ、実在のうちでは
与えられることない
”深い親密さ”が
備わっていたから。

それは
精神世界の共有
心の交わりだけを
通じてのみ
得られるものだったから。

結え、
イェイツと彼が愛するモードは

”mystic marrige”

へと導かれながらも

近付いては
怖れ
怖れては
近付く
出会いと別れの
止むに止まれぬ
繰り返し。

”The Lover tells of the Rose in his Heart.”

のなかで
大切な小箱から溢れくるのは

”He remenbers forgotten beauty”



・・・・。
ひとつの人生

ほんとうの愛は
ひとつしかないものでしょうか。

終生願いながら
叶わなかった彼の想い

ですがそれは
”Leda and the Swan”のなかで

ギリシア神話の
(白鳥に姿を変えた)ゼウスと
レダの間に生まれた
ヘレナに擬えられて
魂の融合を果たすんですね。

やがて
彼はそこから
叡智に満ちた
精神世界に漕ぎ出る
あの
荘厳な精神世界へ。

その先
彼のマスク論は
逆説的な意味で
あるがまま・・・

という
自然体の境地へと
導かれていったんですね。


      *


心のなかの特別な場所を占めて
譲れないひとがいるということ。

夢の中でしか逢えない
にも拘らず
其処には
深い情感が齎されて・・・

私的には
こうした場所にこそ
実存を解からせてくれる
最後の可能性が
残されているようにも
感じています・・・。

























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詩神の訪れ〜イェイツ Ⅰ

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人間のほんとうのゴールは
美を凝視する内面世界にある

軈て
死に際したときには
美こそが
美だけが
価値をもつ
そんな境地に辿り着いた詩人
イェイツ

高貴さと神聖さを兼ね備えた
あのシェリーの詩のヒロインのような
美しき女性モード
愛する彼女のために
恰もアイルランドの精神を
具現化したが如くの女性を主人公にした
文学劇を書き上げた
ひとでもある。


彼の作品群の
背後にリフレインするのは

"piping so sad"
"piping so gay"

彼はこうした
相反する感情を
同時に内在させる
アンチノミーの詩人
でもあったんですね。

二極性の矛盾
その葛藤のなかで
生き続けたイェイツ。

ゆえの
芸術
歴史
哲学への深い洞察力、

ですが
考えてみれば
現実とは寧ろ
相矛盾した
そうしたものでは
ありませんでしょうか。

そんなサスペンションの状態
二律背反の狭間
微妙な拮抗状態
にこそ私は
リアリテイを感じてなりません。

ブレイクの
”歓びと哀しみが結び合されたもの”こそ
人生という
あのスタンスにも似て。

バランスのとれた
成熟した人間こそが

物質主義、商業主義が招く
精神の貧困に抗しきれると信ずる彼は
アイルランドのヴィクトル・ユーゴーに
なりたかったんですよね。

国家だとか
人種だとか
個だとか
種々別々に見えるものであっても
実は
その内奥にある
イメージの束で統一されるということに
気付き得ていたそのこと
それは
芸術含め文化統合の理想でもあり
存在の統一体となるものなんですね。



※ヨーロッパ文化の中心から
隔絶されていたアイルランド。

ゲール語に始まるケルト文化には
独特の世界観が息衝いて

アイルランドは他のヨーロッパ諸国と違い
ローマ帝国の浸入を逃れたために
物質文明に侵されない
純粋なアイルランド−ドルイド–的文化の
歴史的ベースをもった国
そこに精神の源
文学の背景をもつイェイツ
そんな彼は
その学びの姿勢から
東洋的

さらには
ヨーロピアンマインドをも備えていて
実際
アイルランドのユーゴーだったのかと
感じてもいます。











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或る詩学 Ⅻ〜現象学的地平に立って…

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一般に
現象学的と云えば

対象の現実を
一元的でなく
多元的に
把握しようとする
基本的立場を指しましょうか。

ですが
私的には
規範的パラダイム
に非ず
現象学的パラダイムの不可欠性
を意図する感覚が重なります。

相対的視点
客観的客体
実在論への疑義…。

ハイデガー経由の
サルトル的実存哲学にも似たレヴィ・ストロース
とは
一線を画した
現象学的地平に立つこと

それはそのまま
深層の遊戯であります。

そして

選び取る言葉の質が
私たちの意識の質を
どのように
規定してゆくかに思いを致す必要は
あるだろうと思うんです。

空間的オリエンテーションが
ある意味と意義を
決定するかのように…。

























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或る詩学 Ⅺ〜言語の弁証法的対立その理論的背景に…

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社会がパロール(言葉)を制度化してゆく訳ですが
知性化のプロセスは
標準的言語に負うところ大きいんですね。
なぜなら
言語は抽象化されることによって
精密さを
的確さを
備えるから。

そしてその先。

純粋に形式を問題にする
言語分析研究は
機械化、標準的基範、秩序、
既知のもの、中心性へと向かい

言語美学の展開を分析する研究は
活性化(此処で云う活性化は隠喩と本質的に同一)
異化、反秩序、詩的言語、美的機能に流れる
こうした、謂わば
芸術にも似た理論装置が
文化の基底に潜在的に存在している。
(この観点から出発したのが
かの知的モンタージュ理論であります)

弁証法的対立(緊張感)をみせる両者の
その理論的背景を見渡しますと

文脈を異にするふたつの概念は
しっかりと
互いに照射し合っているという
深淵が見えても参ります。




















テーマ : つぶやき
ジャンル : 日記

或る詩学 Ⅹ〜指先から零れ落ちてゆくものたちへ

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言語理論を現象学的側面から
分析すれば

意識のなかで排除し合う関係
然しながら、他方の意味を照射するという
その関係性を
掬い取ることが適うんですね。

例えば
光と翳
例えば
彩色と無彩色
といったような。

意識の外側は
隔離された事象のようで
分かり辛いのですが
それを
構造原理として理解しようとする試みです。

例えば排除されたかにみえたものでさえ
実は意識の何処かで概念化せずには
像を結ぶことができないわけで
相反する類いの事象を
結合する・・・

事象の統一は
具体的現実のプロセスの暗々裏にある
概念によって成し遂げられている
ということなんですね。

フッサールの言葉を借りれば
存在と非存在

ヤコブソンなら
徴つき、徴なし
といったところでしょうか。

文化において
ネガティブなものは
見逃されがちですので
全体統合のなかで果たしている役割への配慮を
しっかりと
考えてゆく必要があるということなんですね。

もっといえば
非存在こそが
存在を明らかならしめるというようなころがある
ということ。

さらに具体的に謂えば
秩序を支えているのが
非存在であり
その意味を絶えず再確認させているのが
存在の働きといったような認識が大切だということ。

そうした両者の間に存在する関係を
総合的方法で理解してゆけば
存在が醸造する混沌は
非存在の安住が脅かされるときにこそ
明確になってくる・・・

通時的出来事と
共時的構造を
結びつけるもの
それがことばなんですね。

両者の中間に浮遊することばが
通時性に振れれば
時間に接触し、文脈をもち
静から動へと解放される。

体系と時間性の橋渡し
その可逆性
その仲介的機能のはじまりで

構造は
文によって現実の新しい次元を
捉えてゆくんですね。

そして
この働きを
私たちは
プロジェ(企投)と呼んできました。

大切なことは
ターナーのあの
(文化の全体性を把握するに適切とされる)
周辺性の理論が焙り出してくれてもいます。

権利や義務に支えられる構造という社会的側面

情感の共同体とするコミュニタス。

そうしたなかで
半構造、反社会が表面化する側面を
彼は周辺性と呼んだわけで
周辺性の常態は
非存在、徴なし、翳、無彩色に他なりません。

そして
ほんとうの問題は
そうした周辺性のなかにこそ
………。
























































テーマ : つぶやき
ジャンル : 日記

或る詩学 Ⅸ~プラハ学派~美的機能〜規範

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プラハ学派の美学理論に於ける
人間行動その
機能の多次元性

中でも
美的機能という概念
こちら
人類学理論にも
ダイレクトに関係してくるようですが

それは
外的世界に対する
主体の自己主張の方法に纏わるもので

芸術の分野においては
前面に押し出される美的機能

そして
他の領域では
潜在的に働くだけ
のようでありながら
実は
働いていない領域こそがないほど。

まして
人間が現実に対する関係を創出するに
最も重要なファクタのひとつになっているという事実。

それはそのまま
美的機能の分散であり
さらには重層性
最終的には自立性さえ備えてくるんですね。

そして
主体は機能的活動の中心として
定義され
その行為が構造を成してゆく。

これこそが
(規則とは似て非なる)
規範を形作るものなんですよね…。
















テーマ : つぶやき
ジャンル : 日記

或る詩学 Ⅷ~中世日本三大物語

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物語の物は
その物が属する周囲の状況
という意味合いも
含むんですね。

そして
語りには
話すと騙る・・・

日本の小説の歴史は
物語に始まったんですよね。

そして
物語は
インドの古典を受け継いで発展したようなんです
7世紀頃のお話ですけれど。

その後
あらゆる説話が見境なく
物語と呼ばれるようになって(笑

10世紀の日本三大物語のうち
洗練された文学表現の源氏物語と
大衆的表現の今昔物語とでは
ほんとうに好対照であり
ゆえに
補完関係にあるともされてきました。

大江氏の
指摘
”偉大なる小説は
危機の時代に形成される”
も、半ばあたってる
と申しますか

勝れた小説は
文学的、宗教的、歴史的、神話論的、宇宙論的
そして美的に
取り分け美的に
時代を再建し
多様な時間感覚とリズムで
普遍的魅力を、醸造せしめた
その成果と
謂えましょう。

そこで
私たちは
作者が仕掛けた深層の現実に曳かれ
そこでまた或る
他者に遭遇する

そのための
装置

それが小説といったところでしょうか。




















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ジャンル : 日記

或る詩学 Ⅶ〜日本文化の神髄~源氏物語

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源氏物語

本作品ほど
物語らしい物語も
ないと思えるほど
見事な物語でありますが
その所以は・・・

源氏物語の基礎にある
アルカイック性
そしてその
エントロピーの提供の仕方。

catastropheに直面させることなく
緊張を切らさない運び

輝かしい地位に絡める
複雑な内面

そしてその文章美学。

潜在的構造を
表層構造(此処では神話論的伝統)に
綺麗に包み込ませ

物語の否定的要素を
プロットを展開させる為の
チカラへと
返還させている・・・。

見事
としか言いようがありません。

こちら同じ
中世をもつ西欧と比するに
その秀逸さがよくわかります。
例えば
バタイユのデュメジル論がごとく
その多くが
対立軸が鮮明で
破壊的様相を呈して来るんですね。

源氏物語の
(今昔物語のような開かれた世界観ではありませんが)
その美的に織り成された調和に
日本文化が備える
優美なる美意識を思わずにはいられません。

























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或る詩学 Ⅵ〜ポー/意外性の弁証法

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想定されるなかに
予期しないものが立ち現れる愉しみを
詩のメトリーと
心理的立場から
最初に説明したのは
ポーではなかったかと思うのですが

謂ってみれば
こちら
意外性の弁証法であります。

新しい扉を開いてくれる
詩的言語は
いかにも
他者性を開示するようでいて
“構成上不可欠の他者”
即ち
自身が
本来的に持ち合わせていた場所に
導かれただけ

詰まり
私たちは
そこで再創建され
全体性に赴かされるんですね。

そして
人間存在の真の条件に
またひとつ近付いてゆく
そんな見方もできるわけです。




















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或る詩学 Ⅴ〜言葉を超えた記述体〜ボードレール

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哄笑(哄然)は、人間存在の証
そう述べたのは
かつてのボードレールでしたが

微笑が存在の二重性の導とするなら
哄笑は
時に
対立を否定しながらも
統合させ
始原的混沌(遊戯性)への
還帰さえみせる
ひとつの隠喩とも言えましょう。

こちら
忽ちにして
五感に働きかけてくる
藝術の
深層コミュニケーションに
似てもいます。

そして
こうしたときに
私たちの記憶は
帰還可能な過去
そのものにも成り得る。

文化の相対的な文脈のなかで
もっとも深い意味での
実在性を有する身体に訴えるものであります。

緊張関係のもとに成立する文化を
こうしたカタチで捉える方向性は
シュールレアリスムにも
象徴主義にも
通じましょう。

歴史を構成するあらゆる層に
斬り込める
ひとつの
記述体として捉えています。




















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或る詩学 Ⅳ〜思考拡大の必要性〜イメージ/類似性/メタファー

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イメージは
想像力に喚起され

そのイメージを構成する
言語表現は
修辞によって
分類できます。

例えば
暗喩
例えば
直喩
時に
パロノマシア
時に
寓意、象徴から
言葉遊びまで
さまざまに。

ですが、
そのいずれもが
語句の統辞論統一を守っており
意味作用における
重層性を確保しています。

そして
イメージのもつ最も
顕著な部分
”矛盾律に挑める特性”
を生かしつつ
私たちの思考を拡大せしめる。

これが
俗に言う
メタファー
であります。

さらに
そのメタファーは
類似性(感応)
を前提に成立しますから
それはそのまま
意味作用の沈殿を齎します。

そうして

意味が新しく生まれ来る
その地平を
探り始めるんですね・・・。


















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或る詩学 Ⅲ〜歴史(過去)は循環的ディスクール

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歴史は
いつのときも
通時態

多重性を秘めた
深層構造

そして
過去に存在するもの

にも関わらず
時の流れに
消え去ることなく
耐えず
還帰し
現在に顕れるたぐいのものでもある
その不思議。

それは
隠れた現在
であるが故に
再び出現する

神話が
ある反復と変種による
循環的ディスクール
であることにも
似て・・・。













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或る詩学 Ⅱ〜バフチン〜エマーソン

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バフチンは
その著
“生活のディスクール、藝術のディスクール”の中で
外的な制御に従うことのない内的発話こそが
詩人のスタイル
としていました.

そして
そうした詩人のスタイルを
エマーソンは
小説の理論に適用してゆくんですね。

表層の現実に惑わされない
メッセージ。

現実は
一枚岩なんかでは
決してない
と言うことなんですよね・・・。












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或る詩学 Ⅰ〜レビィストロース/ラカン/フーコー~言語不信~歴史の開放~セルバンテス/ドストエフスキー~藝術の意味

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それぞれのアプローチは異なっていますが
人間の意識を深層構造で見ようとした研究者たち
人類学的視点の
レビィ・ストロース
心理分析的眼差しのラカン
そして
哲学(構造論)的視座でのフーコー

ですが
取り分けフーコーだけは

”社会”とか、”文化”とか、延いては
”人間”といった言葉が
実は、相対的なものの総称に過ぎないことを
示し
私たちが言語学的議定に陥ることの危うさを知らしめてくれた。

それはそのまま
混沌から秩序を峻別するような
体系拒否的姿勢であり

一言で言ってしまえば
言語不信そのものであります。

そうしてこうした立場が
後のフーコー流歴史学に繋がっていったんですね。
(フランスの歴史学者ミシェル・ド・セルトーにもかなり近い)

客観性と言う
幻想から
歴史を・・・

”歴史”を解放したんですね。

見馴れたものを
見慣れないものにする
知的作業と申しましょうか。

かつてのミシュレやニーチェが
見出しながらも
時代にかき消されてしまった類のあの作業であります。

           *

ーー真実がフィクションにより救済されているーー

こちら
ドン・キホーテに対する
ドストエフスキーの評でありますが

フィクションという手段を通じてしか
達することができない事象って
確かにあるように感じています。

経験的方法が
少しも役に立たないといったような
現実のある層。

現実を規定する
現実以前のもの

謂わば”不動の真”

          *

可視の歴史テキストのうちに
不可視の歴史の変化
あるメタファーを読み取る必要があるということ。

そのひとつが藝術であろうかと。

それは時に
そのままに
"人類経験の深みを探究する過去"と
換言もできましょう。










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自然主義〜田山花袋〜国木田独歩〜島崎藤村〜夏目漱石へ

P1150381.jpg

文学って
特定の作家を研鑽しながらも
相反する作品その階層的コントラストを
合わせて鑑賞してゆくと
より深い理解が得られるような処
ありますけれど。

国文ならば
例えば
日本自然主義。

同じ立場にありながら

“時は過ぎ行くなり”として
一切の事象を流転の相として
時の流れのもとに眺めた花袋と

“時は過ぎ行くにあらざりなり
我過ぎ行くなり”
と考え時間の経過より
人間の営み
その変化に意味を見出した藤村。

言って見れば
時間の流れ(自然)を客観的に観照する花袋に対し
藤村は、人間の生命力そのものを自然と考え
その充実と実現を目指すべく
自我の生成変容を見つめ続けた作家であったかと。

結果、
藤村は花袋をして
“ひとの葛藤でなく
自然の力を主体とするなかの
人間の悲劇的位置を描写する”作家と
評しながらも
そうした有り様に物足りなさを禁じ得ず
時間に抗するがための
人間の最後の望みを
描出していないことに疑問を
提します。

藤村の姿勢は
時間の力より人間の力
と申しますか
社会通念(宗教含め)に捉われずに
現実的態度を以って自然見つめるものであり
それはそのまま
永遠を摑みとるが如くの
生の充実を謳うものでありました。

一般に
自然主義作家で括られながらも
その自然観は
物理的チカラ
動物的もしくは
西洋的とも言える人間の本能的チカラ
或いは
機械的合理的な自然など
実に多様。

花袋も年を重ねるに連れて
デビュー当初のsentimentalismから
藤村が評したような
彼流の自然主義へと変遷を見せもする訳ですが
それは時に東洋的虚無主義
諦観にも似た
仏教的境地と近しい世界観
(ココはフランス自然主義がゾラあたりからユィスマンスに
向うに従い宗教的傾向を強めたのに重なります)
そして
こうした視点から
形而上に押し上げていったのが
例えば国木田であり

同じ自然讃美にありながらも
そこに
自己を見出し、改革し、進化させ
生の意味を見出そうとした
藤村のその文学的技法は
自然から真実を掬い取りもした。

此処
真実は真実であって
事実とは
似て非なるものでありまして。

こうした藤村の言わば循環的発展
に比し
弁証法的展開を見せたのが漱石であった訳で

文学の確信は
こうした処にも
息衝いているということなんですね…。





























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人間の精神史と絵画~ラファエロ・サンティ~アルブレヒト・デューラー

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古典...古代神話に始まる
人類の精神史。
それは
破壊的チカラに抗し
正義へ向う建設的努力
その闘争という見方がひとつできるかと思うのですが
(こうした視座で歴史を眺めることは
言葉にならない力も貰える・・・
私はそうしたところも好きなんですけれど)

例えば
ピュートンに対するアポロンしかり
ヒュドラに対するヘラクレスしかりで

それを
聖書に目を移してまいりますと

この主題は
現世的虚無主義に対するミカエルの戦いに
投影されてくるんですね。

”恐怖の象徴”との闘争
それが
ヨハネの黙示録・・・。

こちらは
多くの作家にインスピレーションを与え

結果
(よりよく生きる為の姿勢は)
キリスト教美術の世界で
多彩な表現を獲得しています。

その極みが
ラファエロであり
デューラーのそれであったかと。

(南欧と北欧で比しても
やはり環境が過酷となる
北側のほうが
その表現が厳しくなる
そんな
傾向が見受けられもしますが)

生を見詰める眼差しは
時代を超えて
私たちに勇気を
与え続けてくれているようです。














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横浜の小高い丘の上で
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