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詩神の訪れ〜イェイツ III〜mysticism
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イェイツの
mysticism
その原義が秘義であることからも
わかるように
mysticismは、その核心が語られることは
ないんですよね。
秘密厳守それがmysticism

語れないがゆえに
暗示となり
沈黙となる

よって
イェイツの内奥に息衝いているのは
ある核心であって
イメージが結晶化された詩。

文脈から浮いた表現や
指示のない代名詞
一見して不手際に見える箇所こそ
重要な意味をもってたりもするんですね。

“歓びとは何か”で
締めくくられる作品“Vacillation”
そのタイトル(揺れ動く)通りの詩脈。
(大江氏がノーベル賞受賞講演のなかで
強調されていたものもそのひとつ…。)

そして
イェイツのいう
”仮面”(=マスク理論)抜きには語れません。

自己の内奥の真実
生の神秘を映し出す
”反対自我(アンチセルフ)”
逆説の鏡・・・
それは
生を映す死の鏡。

その個別性を原型的仮面に落とし込んで
普遍性を見出してゆくという
イェイツmysticismの修辞法。

それは
自身の網膜に自己は決して
映ることがないという
認識の盲点に光が当てられて…。

生そのものが
神秘の中の神秘であり

誰もが
その“生の主体者”であり
客観的に生を
認識することはできない。

そこに
たったひとり
答えを出したオイディプスは
イェイツにとって生の神秘を知る英雄
となった。

イェイツは
“A Vision ”のなかで
暗示的に語っています。

オイディプスは
ホメロスの時代から
或一つの
象徴的イメージ

スフィンクスの恐怖も
ガリバーの恐怖も
悪の華の恐怖も同じ

それは
英雄たちの盲目性。
瞳に映らないものを見るための逆説。

(モローは
“オイディプスとスフィンクス”を
互いの 瞳を見つめ合う一組の恋人として描いていましたけれど
他者の 瞳に自己を映すことで
自己認識を得たと言うことの示唆なんですね。)

生は死の逆説の鏡にのみ映る
真の生は死せる人々によってのみ保持され
生を死
死を生
によって映す
逆説の鏡
これが
仮面の詩法でありまして。

そうした
主客反転から
ハロルド・ブルームが言う
クリナーメン(意味のカスタマイズ)を
ベースにして
普遍的仮面を
世界神話に求めた。
イェイツの世界観
ミクロコスモスとマクロコスモスの一致という信念のもとに…。



私が最も共感したのは

共通項からのズレ
違和感を排除し
整合性をつけながら
理性的にカスタマイズして
真意を読み解く
クリナーメンという概念。

大切なのは
表面的字面や
読み解かれた結果に
流されないことであり

こうした理知的、客観的視座を
もって
偏見を持つことなく
冷静に本質を掬いとってゆく
姿勢そのもの。

東西思想バランスよく
向き合う対象が
広ければ広いほど
より
真理に近づいてゆけるものでしょうか。


※解釈はさまざまですが
イェイツの詩全体
その文脈からみて
“自己呵責”のなかに
その核心は潜んでいるよう。

ケルト的文脈と良心を苛む原罪(考古学的にも実証された創世記に登場するスフィンクス的要素)ケルブとの融合から
彼は深い存在への問いに
一定の答えを得たよう。

歓びという名のエデンは
生と死の狭間におかれた
ケルブにあると。

ケルブはエデンの園の番人ゆえ
エデンの在りかを指し示す
逆説的道しるべになる
ということなんですね。
そしてこの概念は
イェイツの言葉を借りれば
ある“高貴なる日本の劇”
(能の流れを汲んだ)
”鷹の 井戸”(鷹姫へ)とも重なっている訳で
それは彼女がエジプト風衣装をまとっていることからも
伝わります。

能の影響を受けた戯曲
その多くに
ケルブの暗示があるように感じています…。








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テーマ:伝えたいこと - ジャンル:日記

【 2016/08/19 20:48 】

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