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アイデンティティ(identity)〜“役割”を想って…
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オフィスでの雑談のなかで
日本論にも近い
national identity の話題になったんですけれど
そもそも
“identity”の日本語訳が
以外にややこしいんですね…。

ひとくちに語れないと申しますか
領域によって変わってくる

例えば
社会学的には、存在証明
心理学的には、同一性
そして哲学的には主体性
といったような。

なんとか纏めて
自己同一性なんて
訳され方もしてもいるみたい
なんですけれど
結構、掴み處ない感ありますよね笑

仮に雑談であったとしても
少なくとも
歴史的連続性
人格的同一性
というような目線では分けて考えなければ
収拾がつかなくなりそうで。

こちらそれぞれ
フロイトが論じた
“ある民族共通の精神構造から成る心安らぐ私的意識”
とか
ジェームズの謂う“性格”
に準じた概念なんですけれど

前者は、文化共同体への帰属意識的な感覚であり
後者は、自分らしくある根拠(充実感)で、
エリクソンが指摘して久しい捉え方であります。

ですが
彼よりずっと以前から形式論理学に云う
ロー・オブ・アイデンティティこと
同一律がありました。

所謂、身分証明、身元保証の類。
極めて原初的概念でありながら
否、であるがゆえ
最も端的にアイデンティティを
知らしめてくれてもいるみたいなんですね。

仮に、手元に身分証がない時に(取り分け海外で)
私達は自分をいちばん知り得る立場にありながら
他者にそれを証明できない
そうしたパラドクスに陥ります。

此処で求められるのが
共同体の中での立ち位置。
社会的関係性ですとか
家族の相補的アイデンティティ(父、子、妻など)

そうなんですね。
アイデンティティには
他者が必要にして不可欠のようで

言い方を変えれば
他者との関係性に於いて
初めて現実化されてくるもの
それがアイデンティティ
と言えなくもない。

よって
アイデンティティと役割には
切り離せない
密接な関係がある

結え
信じる道を自分らしく生きるためにも
改めて
自らの役割を思ってみたりもする訳です…。






















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テーマ:つぶやき - ジャンル:日記

【 2016/12/06 22:38 】

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