新穂高雪見の名湯に想いを馳せて


新穂高に雪見の湯があるのだとか。

雪景色の岩場
凛と冷えた戸外の空気に包まれて
浸かる名湯
憧れます。


器用に生きられない質(たち)で
せつない思いもしばしばな私ですが
気持ち通じ合えるひとと訪れることができたなら
心まで暖まりそうです。





































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【 2017/02/26 00:07 】

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2月21日のあなたへ〜古代、中世、近代、現代、どの時代区分とて抜きには見えてこないもの
IMG_1214.jpg

西洋近代の人間学(神学に対しての言葉です)は
キリスト教神学的思想と不可分な関係性の上に
構築されてきましたから
江戸時代後期から明治初期の知識人たちは
そうした思想を持たない日本人に
西洋の理論体系を紹介するに
困難を極めたんですね。

そのひとり、福沢諭吉。
彼の“西洋事情初編”からの
”アメリカ合衆国独立宣言”に含まれた
“God”の訳語は“天”でありまして
(明らかに概念を異にする訳ではありますが)
*人間の作為を越えている*
という意味合いを以ってしては
見事な訳語であり、
是をして西洋の近代人間学は
意外と正確に日本に導入されて来たんですね。
(こちらニーチェ以前、AC以降の西洋哲学を読み解く
ヒントにはなりませか?)

その後の“学問のすすめ”初編では
(世界の概念輸入のための辞書編纂を迫られる環境にありながら)
ヨーロッパ中世のキリスト教的世界観から
近代人間学に移行する過渡期の思想が
綺麗に日本語に表現されていて
感動致しました。

            *

新たなる知的体系
西洋の人間学を
導いてきたふたつの異なる思考様式。
そのひとつが理性を信頼してやまない
デカルト、ヘーゲル、
(プラトン、プロティノスの系譜による)ホッブズ、
(組織の意図的コントロールというサン・シモンの流れを汲む)マルクス、エンゲルスらが為したように
神の位置に人間の理性を置き換えることで
人間理性の作為によって議論を展開する合理論的人間学。
もうひとつは、ヒュームやスミスに代表される
理性にウェイトを置きながらもその限界をしっかりと認め
経験を最重要視し
生成のカテゴリーを軸に探究する経験論的人間学。

福沢が何れの思想性によったかは
その書からは読み取れませんでしたが
少なくとも
社会を作為するのは人間とした視座は見て取れ
尚、形而上的に非ず
実際的なそれに関心を寄せていた記述から
経験論的立場にあったことは垣間見えてはいました。

             *

そうした思想史の狭間のなかで
想起されて参りますのが或る語らい、
それは父の父の恩師だったという
穂積陳重氏の姿勢でありました。

氏は、日本で初めて
法律を体系的に論じた法学者とされ
日本思想の原型に
儒教、国学の影響を強く受けていた人物
そんな彼が現在を見据え
自然法主義の法律学から
あくまで“進化する自然法”を説いたその背景には
往時、輸入したばかりの
経験論的人間学を上手に受容された経緯があったんですね。

自然法論(自然)と法実証主義(作為)を
歴史法学(生成)に解消、融合させることにより
法律進化論なる法理論を展開せしめたのは
(古典が内包する見えざる付加価値)
取りも直さず、優れた理念、思想が紡ぎ出してきた書物を
広く読み込み
それらが必ずや内包する時代の価値観の違いや
その瑕疵に足を取られることなく
本質を掬い取ることでしか得られない学びであった訳で
その真摯にも積極的(貪欲)な知へのスタンスに尊敬が止まりません。






































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【 2017/02/25 00:51 】

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東洋経済オンラインニュースに
IQ(学歴など)では、仕事の能力は判断できない
仕事ができるかどうかは、仕事のIQにかかっている的な趣旨で
”世界中のエリートの働き方を1冊にまとめてみた”と”一流の育て方”(共著)が
大ベストセラーになった*グローバルエリート*ムーギー氏なる人物が
一流、二流の差を、下から目線で謙虚に紹介されているとの記事。

そこには何やら一定の確率で遭遇する
”二流のレジ精算者”への考察まで(笑)
そして一流のレジ精算者の例えに
前のひとのお会計もさらっと済ませちゃうこと
ですって^^

確かにレジ待ちの行列の先で
小さなお子さんやお年寄りの方が戸惑ってらしたら
などと想像してみるに
なるほど・・なんてちょっとheartwarmingなお話でした。























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【 2017/02/23 01:07 】

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宥和にして融和の道


古代ギリシア人の在り方に起源をもつ
西洋の文化主義的立場と
私たち東洋なる自然主義の立場。

世界文化学的哲学の二つの大きな潮流
端的にそれは
抽象現象に謂う超越を内在させ
切り開く人生と
自然に委ね自己を安らわせる調和の人生と
換言できましょう。

いずれが是とか否とかの議論でなく
大切なことは
努力の及ぶ範囲か其の先かの
丁寧な見極めに添った
融和の道でしょうか…。

















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【 2017/02/21 18:22 】

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映画 コッポラの胡蝶の夢 III〜科学負の遺産と東洋思想との親和性への警鐘


本作品は各シークエンスごとに
深いメッセージが鏤められ

優しささえ痛みに変わるほどに
細やかに創られており
その解釈の仕方次第では
思索深度まで見透かされてしまいそう(涙


          *

言語の起源って
取りも直さず
そのまま意識の起源
なんですね。

よって
此処でもまた“言葉”でしょうか。

ー“時間”という概念ほど客観性に欠けるものはないー
こちらに絡めて
心の二元性がひとつめの主題かなと。

さらに
作品を通奏低音のように流れていたのが
東洋思想それと
核利用へのスタンスとの親和性
その警鐘でしょうか。

シヴァ神への言及の意味性
それを東洋思想に謂うある“悟り”として括ってしまうことの恐さ
(タイトルは荘子のそれですが、彼の思想はこと本作の局面に照らせば
老子とは、似て明らかに非なるもの…)

と申しますのは
作中、科学技術に起因する負の遺産
核さえ受容してしまうかのような哀しい科白が
ありまして。

こちら
ー善と悪は意味を失い
存在は無ー
そうした東洋哲学の立場を
核を認めることと結び付けてしまう愚かさへの
コッポラの問題提起なんですよね。

目的は手段を正当化しません。

そもそも
ヒンドゥー教は
古代、あくまで“自然現象”を神格化したものが多いヴェーダ由来
不可抗力の自然災害と
科学負の遺産の区別もできない
そうした悟りならば
私もそんなものは要りません。

コッポラが示しているように
そうした意味での善悪は、やはり厳然と在るんですね。


*未来の子供たち
生きとし生けるものを取り巻く環境を守るため
(負へ進む現実には徹底的に抗し)
今を生きる大人たちが
それぞれの立場で
出来る限りのことをすべく責任があろうことは
明白ですから…*






























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【 2017/02/20 22:38 】

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絵画と音楽のケミストリー
20170218184458b16.jpg

休日の昼下がり
手早く家事を済ませ
食材の買い物
帰りに元町のカフェで束の間の休息

大き過ぎるほどのカップに
たっぷり注がれた
アールグレイの香りのなかで

手元にあった画集を開いた

店内に流れるアンニュイなBGMが
彼の描出する色彩
デフォルメされた情景
と混ざり合い不思議な
融合を魅せる

この感覚はなんだろう
新たなケミストリー。

日々僅かな時間を見付けては
木洩れ陽、光る雲、そよぐ風
自然のなかに身を置くこと
それが最上級のしあわせと願う私が

彼の世界観に嵌まって
身動きできない
自然にない情感が此処にある
空気に色が備わり
昼と夜の狭間が揺れるこの臨場感

ひとが描き出す絵画は
言葉では説明不可の
底知れない印象を齎らすようで

アンニュイな旋律が
それを引き出し
表現者の想いに想いが重なり
小さな共振が次第に大きくなり
心の琴線を震わせる…

生の充実感は
こんなところにも潜んでいるようだ。



















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【 2017/02/19 16:07 】

| 絵画/彫刻 | トラックバック(0) |
映画“コッポラの胡蝶の夢 II〜哀しみの在り処
DSC_1206.jpg

永遠の愛を込めてー

言葉は一葉でも
カタチも角度も様々。

取り分け
男性のそれと女性のそれは
別物のように思えて来ました…。

ー私が一生をかけた仕事は未完
その上彼女まで失ってしまった
人生は“無“ー

生涯の研究テーマの完成をみれば
人生は無でないのが
男性の人生かもしれません。
女性はそれを感じ取るから
だから身を引く

一方で
愛を失えば仕事がどうあれ
無と感じるのが……。


            *


作品終盤で
“研究の完成”の代償が彼女の命と気付き
別れを決意しますけれど
これは
もう愛以前
倫理かな…と。
なぜなら
たぶん相手が誰であっても
命を重んじるだろうから。

(彼女はただ彼の賭していること
その役に立ちたいだけで…)
まして
ー君の死を見守るより
若くて美しかった君
再び美しくなる君を失う方がいいー

こんなに哀しい愛の言葉があるでしょうか。

ふたりの愛は
それぞれに真実の愛には
違いないものでしょう。

けれど
その間には
埋められない溝が横たわっている

すれ違う想い

それが

胡蝶の夢が如く
3本目の薔薇
あの場所で
初めて埋まる
裏を返せば
あの場所でしか
互いに埋まらないのかもしれません。














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【 2017/02/18 10:15 】

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愛しむ時間に・・・


荘子”胡蝶の夢”も
バルカ”人生は夢”も
芥川”黄梁夢”も
三島の能”邯鄲”も
古井”邯鄲の”も
そしてコッポラも・・・

生のなかで
そうした境地になる(なれる)瞬間って
たぶん
誰しもあるんですよね
きっと。

けれど或る達観に至るには
現実はあまりに現実で
リアルに過ぎて
そして長い・・・。

特に辛い時
過ぎ去るまでが
とにかく
長いんですよね
乗り切れるか不安になるほどに(笑)

それでも
動じず
揺れないというのが
ほんとうに難しい

こちらも
時間の二重性と申しますか。

けれど
だからこそ
丁寧に愛しめる
そうした考え方もできる訳で。

(寒さは冬のはからい
そんなキャッチコピーがどこかにありましたけれど
好きです
あんな余裕のスタンス)

この期を逆手に取って
生を愛しみ尽くしたい
今、そんなふーに思っています。






















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【 2017/02/17 09:26 】

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映画 華の乱〜与謝野晶子/有島武郎〜シューベルト/水の上で…

ー美しいものは
すべて淋しいものですー



永畑道子さんの
“夢のかけ橋”は下敷きになっているだけで
やはり映画のタイトル通り
“華の乱”がメインストーリーなんですね。

ですので鉄幹との愛その影は薄いです。

与謝野晶子と周辺人物
有島武郎、島村抱月、松井須磨子、
波多野秋子、大杉栄、伊藤野枝らを追ってはいますが
当然乍、その会話の多くがフィクション
けれど
ほんとうにまことしやかに
描かれていて

深層の心理には
そんな感情もあったのだろうと。

心あるひとを苛む
秘めた想い
深い志に自身を重ねられるような
巧みな作品構成になっていました。


そして
死に至る病を乗り越えさせるものとは…。

















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【 2017/02/16 01:01 】

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冬のさくら〜愛してるって言えなくたって/山下達郎


御茶ノ水で打ち合わせを終えての帰途
この橋の向こう側は、横浜ベイブリッジ
雲がなければ右手前方には富士山がみえる場所

カーステレオから流れて来たのは

山下達郎さんの“愛してるって言えなくたって”

こんな曲あったんだ…

ドラマ“冬のサクラ”主題歌だったのだとか。

雪のなかに咲く
花びらにこころ寄せる感性…

❇︎走る車の内部空間その音響効果と
ハンドルの先に広がる夕景が溶け合うとき
世界にひとつの
コンサートホールに変わって❇︎


日本古来からの抒情
古き良き時代の慎ましい
切々とした息遣いまで聴こえそうな
切ないけれど
優しい愛に溢れた世界観が
臙脂色に染まる胸に沁みました…。
















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【 2017/02/15 01:31 】

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映画 コッポラの胡蝶の夢 I〜若さなき若さ〜荘子


少しもロマンティックでなく
クリスマス・イブに始まる物語。
タイトルから察せられる通り
荘子の“胡蝶の夢”をベースにしながら
プレリュードで
死ぬまで君を愛し続ける
と語らせ
しっかりと貫せる
真実なる愛に忠実なストーリー
胸が苦しくなるほどに。



時間をどう扱うか
こちら
もしかしたら
記憶の活かし方の問題なのかもしれません。

中観に照らせば
時間は
現実であって
現実になく

またある時は
確かに
夢の二元性に
近しくもあるようで…。



思想的には

人間に必要不可欠なもの
との問いに
西洋の文化遺産
音楽と詩
ある分野の古典哲学
と並べ

そして
何よりも科学
と続ける。

それが
創造の神であり
同時に破壊の神である
シヴァ神にも結び付いて仕舞うが如くの
哀しきスタンス


そして
3本目の薔薇はやはり

カタチなく
感情なく
無となり
選ばす
意識なく
すべては消え去り
遥か遠く
跡形のない

その手に…。




*音楽は、あの“耳に残るは君の歌声”のゴリホフ
だったんですね…納得の作曲家です。









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【 2017/02/14 00:20 】

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視野の相対化


深い記憶構造のなかに
ある論理を以て浸透し
音もなく降り積もる学びの跡

それは軈て
視野の相対化を齎し
直観力を鍛えるという…。












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【 2017/02/11 22:03 】

| 哲学 | トラックバック(0) |
雪降る街に…


雪の帷が降りると
あたりは真っ白に埋め尽くされる

間もなくの
雪解けとともに
すべてが消えてなくなるなら
それでいい
それがいい

新しい朝は
必ず
またやって来る

控えめな陽の光と
少し前向きな風に
小さな小さな
やすらぎをのせて















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【 2017/02/10 20:13 】

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優しきstoryteller


物語を紡ぐ
ストーリーテラー

独自のロジックのうちに展開させ
特定の雰囲気を纏わせながら構築する
ある世界観
その記述。

けれどそれは
必ずしも時系列に並んでいる必要は
ないんですね。

時に
来たる哀しみを和らげることに
次なる準備をすることに
心を砕き
(筋の巧さやスリリング性だけを是としない)
深い配慮を備えたストーリーテラーがいることを
私はある作品から学びました。

大切にしたいのは
物語の本質

そんな優しきストーリーテラーを
私は愛して止みません。














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【 2017/02/09 19:52 】

| 文学~小説/詩/名言 | トラックバック(0) |


結果的には事なきを得られた様で
先ずは一安心。

けれど一時は遺言まで描かれた(絵画?あなたらしいですね)
と云う穏やかならざる胸のうちで
大切にして来たはずのものがそうでなく
切り捨てて来たものが宝に思える
そんなあなたのメッセージが
どうにも響きました。

私の拙い経験の外側
ですのに
想像に余りある
と申しますか
妙に堪えて
脳裏から離れません。






















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【 2017/02/05 17:57 】

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春待ちびと


元気いっぱいな陽射し
shopのショーウィンドウ
芽吹く街路樹
フローリストの華やかさ

街のあちらこちらに
春の息吹が
いっぱい

待ち遠しかった春も
もう
すぐそこ

訳もなく
ただ
ただ
楽しみです✨


















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【 2017/02/04 12:56 】

| 気紛れドライブ | トラックバック(0) |
堺事件〜森鴎外から大岡昇平〜晶子の愛した堺 妙國寺貫首


切腹の現場となった妙國寺の現貫首をして
“事件を正しく知るには、大岡を読む他ありません”
と謂わしめた
大岡版堺事件“堺港攘夷始末”

物語性を排除して史実に徹した
“レイテ戦記”の大岡ですゆえ
わからなくもありません。

往時、大きな転換期であり
アナクロニズムにあって
それは痛ましさにしか映りませんし
まして現代とは価値観を異にするため
細部への言及も避けたいところであります。

あくまで歴史小説でありますゆえ
当時盛んに論争されたという
フランス人等への表現の差異は
あって然るべきかとも存じます。

鷗外、大岡に
共通しているのは
当時大きな衝撃を与えたであろう
この事件
その当事者たちへの深い
鎮魂、哀悼の含みを感じること…。

ただ
世界広しと言えども
死に際し
こうまで潔い人間への
記述を日本文化以外では
私は知りません。














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【 2017/02/03 23:55 】

| 文学~小説/詩/名言 | トラックバック(0) |
本質を見詰める眼差し


絵画、彫刻、音楽
映画、舞台などの芸術的分野の作品たちは

時代や環境の違いも相まって
さまざまに受容されてゆくたぐいのもの

けれど
思想書の類は
そこが取り分け難しいよう。

そもそも瑕疵のない思想はない以前に
正誤でなく
価値観の違いでしか図れない問題もあるだろう

時代の洗礼を潜り抜け
受け継がれてきた書物たちには
私たちの学びに値する豊かな本質が
必ずと云って良いほど息衝いているよう

時代の権力者たちに曲解され
時に悪用もされてきた偉大なる思想家たちの書
プラトン、ルソー、デカルト、オルテガ、カント、マルクス、
ニーチェ、フロイト、ハイデガー、ユーゴー・・・

瑣末なことに足を取られると
本質は霞んでゆく…

何が大切で
何がそうでないか
見極めるチカラを備えたい。
























プラトン・ルソー・デカルト・カント・マルクス・ニーチェ・フロイト・ハイデガー

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【 2017/02/02 23:59 】

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改めて・・・文芸作品というもの
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原作を知らない文芸作品は
気に入ると
必ずと言っていいほど
原作も読みたくなります。

けれど、基本
映画と小説は
まったく別物だと思っています。

文字で表現したい意図
その多くを
映像と音楽
短い科白(或いはナレーション)に置き換えてゆく作業

まして
映画には時間の制約がありますゆえ
心に深く響いた記述さえ
ひとつひとつ
極限まで削ぎ落して
かつ表現材料を変えてでも
監督が解釈し得た本質を
抽出する必要に迫られるんですね。

想像するだけで
悩ましい(笑)

ですが
それゆえに
その作品解釈が如実に伝わってもくるんですよね。

特に結末を周知された古典の映画化など
それぞれのシークエンスから
監督が原作をどう受容されたのかを垣間見ることができて
寧ろそれが楽しい
それが醍醐味
みたいなところまであります・・・。











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【 2017/02/01 00:46 】

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