隔絶の5番


マーラーの5番(取り分けアダージェット)を聴いていると
果たして哀しみは乗り越えるべきものだろうか
そんな想いに囚われる。

忘れ去り
屈託なく在ることが是
なのだろうか
といったような。

それは…
この5番のなかに息衝くあの5番
其処にかのベートーヴェンが生きている
という
そのことと無縁ではないのかもしれない。

それが崇敬あっても
敬愛であっても
貴みであっても

例えばそう、
続くマーラー6番のような重みに息喘いだとしても

良い意味で引き摺る生き方が
呼び寄せるその先の息吹まで

胸に秘め共に歩む姿勢に潜む
人間精神の深さ
その奥行きが
多分私は好きなんですね…。






















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【 2017/03/31 20:02 】

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倫理による正義、自然による不正義
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正義は倫理的な見方ができても
不正義は
倫理だけでは測れない
何故なら
それは自然が引き起こすものだから
と言った趣旨で
ヘーゲルとマルクスが
一致を見るのはたぶん
偶然ではないんですね。

この概念は形式的には
弁証法の一部に違いないのだけれど
それを除いたとて
真理に近付くにあまりある
そう云わざるを得ません。

どれだけ
文明、文化が発達し
どれだけ
歴史の過誤を学んでも
紛争は絶えず
胸を塞ぐような
痛ましい事件(原発政策が招く事故含め)があとを絶たないのは
理屈や倫理ではない何ものかが
そこに潜んでいるから。
報復、我慾 …
(勿論、其れを律せるひとが大多数と信じたいのですが)

人間という生き物(自然)が
抱えるやり切れなさ

綺麗事でなくば
哀しいかな
永劫的な世界平和など
恐らく
来ようはずもなく…。
























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【 2017/03/30 19:45 】

| 哲学 | トラックバック(0) |
言語と謂う名の壁、翻訳という名の罠
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殊、論理性に深く絡む書物(例えば哲学書の類)
その組み立てが難解であればあるほど私たちは
翻訳に足を取られ
原書で読む必要に迫られるんですね・・・。

拙訳は論外でありましょう
けれど例えば
小さな
極めて小さな齟齬が
論理を阻み誤訳を誘っている場面に直面するたび
痛感せられるのは
哲学は哲学である前に
語学であるという現実であります。
































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【 2017/03/28 23:58 】

| 哲学 | トラックバック(1) |
通勤途上で


薄紫が醸す
花色ほどの優しさ

どうかあなたに
届きますように・・・。





















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【 2017/03/27 08:59 】

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空の揺籃
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小説の ”プロット”
其処(抜き取られたプロット自体)には
作者の意図(思想)は、殆ど含まれていない
古典にはそんな作品が少なくない。

当該作品にとって最も大切なものを
置き去りしたプロットが
独り歩きし評されるその様子は
空の揺りかごを揺らし
幼子を寝かし付けている親のようにも映る。











































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【 2017/03/26 23:45 】

| 文学~小説/詩/名言 | トラックバック(0) |
その胸に・・・
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あの日、恩師に案内された
ストックホルムの小さな森の教会

此の地で邂逅したあのブロンズ像は
向き合う者を
抱き留めるかのように
優しく両手を広げ

心に寄り添い離すことがない
そんな暖かみに溢れていた。







愛の限界を知る
片隅の小さな白い花にも

包み込まれる安らぎの時に
すべてを委ねられる
遥かなる想い出。








































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【 2017/03/24 23:39 】

| 気紛れドライブ | トラックバック(0) |
心象風景のなかに・・・
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詩を読む時
そこに謳われる情景、
緑豊かな大地、水の調べ
取り分け色彩
それは、必ずしも作者の前に広がるものとは限らない。

ときにそれが、心の奥深くに沈殿する
心象風景だったとき・・・。

            *

ヨーロッパにありながら
その文化の中心から
隔絶していたアイルランドには
ゲール語に始まるケルト文化
その独特の世界観が息衝いて・・・
(アイルランドは他のヨーロッパ諸国と違い
ローマ帝国の浸入を逃れたために
物質文明に侵されない
純粋なアイルランド−ドルイド–的文化の
歴史的ベースがありますゆえ)

其処は、ケルト神話
伝説の国。

太古の昔から自然を慈しみ
其処に精神の源
文学的背景をもつ人たちと
私たち日本古来よりの感覚には通じるものがあるよう
例えば
ピュアな文学精神と言ったような。

近付いては怖れ
怖れては近付く
止むに止まれぬ繰り返し。

望むは
より高い精神的高み
荘厳な精神世界。

そして
有限と永遠を繋ぐのは
最早、哀しみだけのようでもあって・・・
けれど
それは
洗練された美しい哀しみであります。

           *

心のなかの特別な場所を占めるひと
夢の中でしか逢えぬひと
けれどその胸は
実存を、わからせてくれる最後の可能性
そうした情感を抱ける場所でもあるようで・・・。


















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【 2017/03/23 23:45 】

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想像力が支える藝術作品
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芸術作品が正しく存在するのは
それが現実的知覚にではなく
想像力に訴える場合だという
サルトルの論を待つまでもなく

奥行きのある
鑑賞こそが
作品の存在価値を高める
というのは誰しも
異論のないところでありましょう。

例えば
小説で云えば
何が書いてあるかでなく
いかに書いているか
といったような・・・。

要は
当該作品を内部から支えている
藝術的構造なんですよね。

想像力によって
表現されたるそれを
受け手の想像力を以ってして
再生することによる
鑑賞。

それが
内的構造を理解せしめ
より深い感動と
余韻を齎すということになるんですね・・・。



















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【 2017/03/22 21:29 】

| 絵画/彫刻 | トラックバック(0) |


横浜は雨
雨の月曜日

春まだ浅い
冷たい雨

ですけれど
地上に舞い降りた
雨しずくは
お花たちに
潤いを与えて
こんなにも生き生きと綺麗。








































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【 2017/03/21 09:34 】

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選択
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核燃料サイクル
という名の夢

恐らく、関係者の誰もが
上手くゆくとは思っていない。

その先にある
未来を踏まえた選択が
何故為されないのだろう…。
















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【 2017/03/20 18:38 】

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いつも“心にさす傘”を用意しているひとなら
安心だけれど

土砂降りの雨も構わず濡れてゆくあなたの話に
ココロの傘さしかけたくなって…。

























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【 2017/03/18 23:48 】

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願い
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そのひとのしあわせを
願うその気持ちの大きさで

どれだけ
そのひとを大切に想っていたかに
気付かされてみたり…。


































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【 2017/03/17 22:55 】

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豊かさの在り処
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古典を読むって
各時代でそれをどう受容し
どんな意味を引き出し得たか
その書をめぐる
人間の精神史を紐解くことでもあるんですよね。

そうしたプロセスが
ある作品を古典として形成せしめる
そして、そんな人々の営為にこそ
人間精神の豊かさが潜んでいるようにも感じています。




























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【 2017/03/16 06:02 】

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Saint Patrick’s Dayを思って


まもなく3月17日
セント・パトリックス・デー

アイルランド発祥のこのお祭り
5世紀にアイルランドに派遣されカトリックを布教した聖パトリック
そんな彼の命日を祝日にして
その功績を称えようというのが由来のようですが

この国の神話では
アイルランドから蛇を駆逐した聖者として
綴られてもいましたっけ。
ですので今でもアイルランドに野生の蛇はいないのだとか(笑)

首都ダブリンでの
セント・パトリックス・フェスティバル
(St. Patrick’s Festival)
街は緑一色

緑色は、エメラルド色の島として愛される
アイルランドのシンボルカラーであり
そんなアイルランドに敬意を表してこのSaint Patrick’s Dayに
各国のアイリッシュ・パブで緑のビールが登場したり
その他、噴水をGREENに染めるなど
緑色をテーマカラーにしたイベントが様々に開催されてもいるようです。

あの英国バーミンガムのセント・パトリックス・デー・パレードは
ニューヨークに次いで大きなイベントなのだとか。

日本にはあまり縁のないお話かもしれませんが
世界を緑色に染めるというそのコンセプトは
素敵かなって。

















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【 2017/03/15 08:45 】

| ヨーロッパ散歩(海外旅行) | トラックバック(0) |
……を越えて。


音楽や美術に
国境はないんですね。

そして

言葉の壁はあっても
文藝にも国境はない

同様に学問にも。

もちろん
恋にも。


そう考えると
何だか
虚しい概念ですね
国境って…。



















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【 2017/03/14 05:53 】

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主語の論理、述語の論理 終章
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こうしてみますと
主語の論理 、述語の論理 は、
従来の様に対立するものでなく
相互に相補し合う思考法であることに気付かされもします。

実際、自己とは理性
これは主語も主語
根本の主語の立場でありながら
自己は、述語(環境、経験、教育)から
成長、育成されるものでもありますゆえ。

相互関係、相互転化
自己への問いかけ
その出発点 として
自己を主語の論理の立場で考えてゆくと
実存に至るということなんですね。

不安定、疎外、(社会に巻き込まれる)物象化に対し
東洋では、述語の論理の世界観へ問いかけることにより
自己の消去その営みから
究極の述語である自然との一体化に至るという
生命観でありました。

そして今、現実に照らすなら
日々直面する生活、あらゆる事象に対し
そこで安らげる何かを信じる(盲信)のでなく
やはり学び、考えるという姿勢
それなくば、自己の(安定)深まりもなく
そのプロセスからの発展を望むべくもない訳で。

個々の人生は
運命とは違うんですね。
それを支えるのが
東西に交錯する歴史であり思想であろうかと・・・。


















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【 2017/03/13 09:45 】

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主語の論理、述語の論理 Ⅵ
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指向目標

それは、生(から死へ)の考慮であり
対処であり、その克服と謂えましょう。

ですが、思い、悩み、考える
そのことのなかに
既に、生を開き
克服する道が内包されていることに
私たちは気付くべきなんですよね。

自己充足の叶わない部分
その極み。
換言すれば、運命との調和、死の問題も
個人の受容或いは
宗教任せという側面もありましょう。

ですが、ほんとうに哲学で解決できないものか。
理性での自己完成を諦めねばならないのか。

サムサーラ、流転、輪廻転生を鑑みても
確かに、生の中に死は内包されます。
生なくば死はない訳ですから
生あるものは必ず・・・的論理で
素直に理性で受容可能な問題だと考えます。
(病の苦しみは別途対処せねばなりませんが)
よって此処で、死を問題にすること自体
絶対的不可能と戦う愚かさ・・・的印象は拭えません(涙
(これを受容できるか否かの問題でしかない)

また、輪廻転生の
死からの生は、そもそも論理矛盾。
(ないところから何も生まれませんから)

是、(個々の内省的営みないし努力であり、自己の確立というより安定なくば無意味でもある)哲学的理論によれば
超越(永遠の存在)は自己の生の中に在りますが
死は、上記の様に何れの場合も悩む次元にない
怖れるに値しないものになる訳で

問題を単純化して考えれば
死から生を考えても意味のないことを先ずは受け止め

方や、生は、既に死を超える道を内包しているんですね
その意味で
死は、生に転化させることができる

自己の立場と
自己を消去してゆく営みへの技術で
生を充実させてゆくという理性的にして
至極シンプルなこの道筋を
やはり私は美しいと思います。













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【 2017/03/12 22:45 】

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主語の論理、述語の論理 Ⅴ
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自己の自覚、そこでの問題意識は、
社会の中の自己として高度で自由な意識となり
自己の立場から社会への問いかけへと変わってきたんですね。

そこでなぜ、哲学かと謂えば
哲学の役割、その論理性。
で、この論理性こそが、世界の思想を
理論的に交流させることができるからなんですね。

ですが日本を含む東洋の文化は
ある程度までの論理化はできても
西洋思想史のような
展開、その系統付けが難しいんですね。
思想史は基本、展開過程が基準になりますゆえ。

まして文藝、文学から捉える思想は
理論化がし辛い。

ですが、目を凝らせば、理論を越えた特性が
そこには沈潜しています。
ですのでそれそのまま
生活史展開の場で成立した文化の営みの研究となり
結果、西欧でなされてきた思想、文化、歴史の分野を
交錯させても来たわけで
こちらは広義の哲学となりましょう。

系統だった哲学を持たない東洋では
それが、上記の如く
文藝文学に投影され受容されて来た
こと詩歌に謳われた自然観として。

そんな文藝、文学の有り様。

個別の哲学でなく、世界人類共存のための
グローバルな視点での
目的理論の成立を
時代は必要としている…。




格差の激しい現状もまた、
そのまま不安の徴候となって…。











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【 2017/03/11 12:51 】

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主語の論理、述語の論理 Ⅳ
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物象化が呼び寄せる人間たちの苦悩
もっと謂えば
現代に生きる私たちの不安って
寧ろ保障、確立前提ゆえに
そこからの疎外感として生まれると謂えなくもありません。
そしてこの問題こそが
実存主義となって浮かび上がって来たんですね。

(最初に実存を明確に指摘してきたのは
19世紀半ばのキルケゴール、ニーチェ
(取り分け、児童文学の国デンマークのキルケゴールには
アンデルセンにも似たあの痛みがあったんですよね。)
そして20世紀中葉大戦後のフランス
サルトル、カミュらへ受け継がれていった。
日本に輸入された実存主義は
この期の思想家、文学者の立場によるものなんですね。
そして必然、文藝作品へと投影されてゆきました。
よって、そうした作品群に向き合うことで
そこに潜む思想は
読み手に
その人生観から社会観を経て世界観、歴史観に至る
指向本来の生きるチカラを齎してくれる・・。

このように、
藝術のなかでもとりわけ哲学に近しい文学ではありますが
論理によって成り立つ哲学に比して
言語、文章表現で成り立つ文学なれば
論理的理解でなくて
感覚、感性、想像力、ときに直観によっての共感で
受容することが本来の在り様なんですよね。
また、だからこそ
私たちは心、意識、精神作用に影響を与えられ
時に自ずとある思想がカタチ創られてもゆく・・。

時代の洗礼を受け、読み継がれてきた文藝作品の中には
心、意識、精神、風潮、気概を
知る、感じる、捉える
その素因が含まれているようで
実際それらの構造には
共通性、共感性あり
継承性、発展性が備わっているようであります。

結え、文藝作品は、時代を越え、環境地盤を超え
世界の作品群の中から
或る思想的付加価値を受容することが叶う類の
偉大なる芸術かと・・・。















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【 2017/03/10 08:58 】

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主語の論理、述語の論理 Ⅲ
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俯瞰で見詰めれば
東洋の”ない”から
拭いきれなかった負の側面
その自閉性に胸が痛む。
けれど、それは
西洋の”ある”によって目覚めさせられたんですね。

         *

生命観に照らせば
ー死は生のなかにありー
哲学に照らせば
ー超越は内在するー
訳で。

”ない”は
あるのなかにこそ
宿るもの。
実は、”ある”こそが
大前提なんですね。

であれば、ふたつの生命観
ある(生)とない(空)
両者を自己内で一体化させる道
それこそがあるべき 
生命観でありましょうし
此れこそが
私たち現代哲学(日々の営み)の根本課題なんですよね・・・。

















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【 2017/03/09 16:10 】

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主語の論理、述語の論理 Ⅱ
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先の記事のように
西田の哲学的根拠を待たずとも
この
日本古来の哀愁に満ちた美しい概念
非存在への深い配慮を
私たち(日本文化)は無理なく受容してきました。

また、彼の説く”述語の論理”
非存在(ない)からの存在(ある)への指向性さえも
身体に染み付いてるように見受けられます。

ですが西田のような
(異なった文化圏であっても理解できるべく)
哲学的眼差しで宥れば
其処では”自己としてのある”がどうしても希薄なんですね
それが、彼の憂う
”ないの文化”の弱点であり、不明瞭さの所以にもなりましょう。
併し乍ら、ハイデガーが行き詰まったように
”ない”は ”ないの文化”から考えなければ
真なる理解は叶わないというのもまた
事実のようであります。

主語(はじめ)の主語の研究と
述語の究極段階の研究と
ざっくり二極分化して来た思想界にあって
20世紀を迎えるに前後して西洋では
この”ない”の問題が起こりましたよね、
世に言う実存主義哲学であり
西洋思想に根本の反省が与えられてゆく…。
(日本の戦後実存主義に比して深刻さがありました由)

そして(というか、だから)
生命観にも重なりゆく
大乗仏教の根本、空の思想 。
こちら、古代インドはサンスクリット語の漢字訳であったようですが
此処で
”色即是空、空即是色” (形あるものは空 、空こそ形あるもの)
が想起されてまいります。
是、西欧哲学風に語るなら

ーー色は空の現れ
      空は色の中に宿る ーー
といったところでしょうか。

さらに哲学用語に換言するなら
ーー”空”は超越であり、あるを超えた”ない”
であり
その”空”は”ある”からの問いかけ、
”超越論への道 ”ーー
になってしまうんですね(涙

”空”はあくまで
ない からの ない
であり
ブッタのパーリ語からの伝承
それは、大いなる死 であり

ーすべてのものは過ぎ去ってゆくー

当に、法顕の名訳、名文
諸行無常 であります。


ない の起源 を見詰めるたびに
胸を去来するは
日本古来の
生命への あはれ の美観。

それは、
西洋の実存をも包み込む
安らぎなる高次元での ない であり
優れて豊かな思想表現と云えませんでしょうか。















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【 2017/03/06 17:16 】

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主語の論理、述語の論理 Ⅰ


日本では20世紀初頭
九鬼の訳に始る 実存 の概念は
アリストテレス”主語の論理”の立場(実在)からの系譜

そして、かつてのプラトンが唱え西洋思想に沈んだ
”述語(イデア)の論理 ”こちらは
(お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが)
日本古来の自然観に近しいんですね。

こうした眼差しで思想史を見渡すに
西洋は”主語の論理”傾向にあり
自己は、国家観 、社会観
世界人類共同体への理念、論理を開く
といった精神構造。

東洋は”述語の論理” 傾向で
自己は(究極の述語)儘、全自然、自然生命観となり
”もののあわれ”という精神的態度となって
自然と一体化しゆく思想性。

”主語の論理”も”述語の論理”も
いずれも存在根拠の追究には、違いないんですね。
ですが、存在、非存在という視点でみれば
好対照の思考態度と謂えましょう。
(強いて言えば、ハイデガー。彼は西洋に於いて数少ない非存在に
注心して論理展開をした人物ですが
それでもその非存在は、
あくまで”存在の否定”でしかなく
”存在”の域を逃れることは叶わなかったんですよね。)

かの西田の書には
”非存在を考慮した思想”で貫かれた東洋の文化への
こんな記述が残されていまして
それが私の胸の奥に沈潜してその場所を譲ることがありません。

ーー形相を有となし
形成を善となす西洋哲学の絢爛 には、
尊ぶべきもの学ぶべきものが許多なるは、云うに及ばないが
幾千年来の我らか祖先を育みつつ来た、東洋文化の根底には
形なきものの形を見、声なきものの声を聴く
といったようなものが潜んでいる
我々の心はかくのごときものを求めてやまない。
私はかかる要求に哲学的根拠を与えてみたいと思うのであるーー



















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【 2017/03/05 07:28 】

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映画 君の名は。~RADWIMPS/前前前世*なんでもないや
ーーずっと何かを
       誰かを探しているーー

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新海誠氏の”君の名は。”からのフレーズ。

ーー組紐
寄り集まってカタチを創り
捻じれ絡まって、時に戻って
途切れ、また繋がり。
それが結び。
それが時間ーー

なんだか
納得(笑)

”時間”って結びなんだ・・

だから
生という時間のなかで
一度は結ばれて
なぜか解けて
はぐれてしまったひとを無意識に
探しているような感覚が残る。

これって
多くのひと
もしや
誰しもが抱えてる
感覚かもしれないナ
なんて
そんなことを今
ぼんやり考えています・・。






※新海誠氏
”秒速5センチメートル”
その由来が、桜の花びらが地上に舞い降りる速度
と教えられた、そうしたイメージのひとで、
それ以上でも以下でもなかったんですけれど

機会あって観た”君の名は。”

歴史にもしがあったお話
とゆーか
新海版”胡蝶の夢”
ならず
時空を超えた愛に信頼を寄せる
ストイックな素敵さを感じました。

そして
”ひとを暖めるような風景”
そんなフレーズが胸の奥に残った。

いい……。



エンドロールで流れてきた楽曲。

ーーもう少しだけでいい
あと少しだけでいい
くっついていようかーー


そうなんですね。
ずっと
とか
永遠
とかを求めてるわけじゃなくて

あと少しだけ
ほんの少しだけで
いいんですね。

そして


ーーふたりの間
通り過ぎた風は
どこから寂しさを運んできたの

泣いたそのあとは
やけに透き通っていたんだーー



妙に共感を呼ぶこのフレーズ
その理由は・・・

長さじゃなくて
クオリティを思うから?

それとも

淋しさと爽やかさは
少し似ているから?

そして

ひとを想うこと
そのこと自体に既に
淋しさが含まれているから?






        ⁂




ーー叶えたい夢も今日で100個できたよ。
たったひとつと
いつか交換こしようーー














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【 2017/03/03 00:16 】

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愛しき日本思想
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先の記事で日本思想史の原型(古事記、日本書記)
に触れましたが
世界の名だたる思想群なかでも
その顕著な特徴、それは
そこに通常浮かび上がる筈の
座標軸が見られないということ。
(文献上の問題もありましょうけれど)

座標軸の不在
それはそのままに雑種性であり
多元主義の議論であります。


神道とはそもそも
思想的に雑多な感は拭えませんが
好意的にみれば
”無限なる抱擁性”を備えているとも云え
それこそが
日本思想を伸びやかならしめてきた
と見做すこともできましょう。

強靭な基軸を持たないがゆえ
絶対的存在がないという
ある種の微笑ましさ。


日本固有の思想に相埃って
儒教、仏教、法家などの
構成要素を俯瞰で見詰めるに
日本思想の原型では
作為のウェイトが極めて低いんですね。
で、生成のカテゴリが中心になっていた。

それが軈て自然、生成、作為の
三分法的思考様式へと変遷して…。
(そう考えてみますと、英国経験論に近しいと
いうことも垣間見えても参ります。)


古事記来の
そうした日本思想の流れを鑑みるに付け
そのたおやかさを
愛しいと思います。
















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【 2017/03/01 19:53 】

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