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主語の論理、述語の論理 Ⅵ
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指向目標

それは、生(から死へ)の考慮であり
対処であり、その克服と謂えましょう。

ですが、思い、悩み、考える
そのことのなかに
既に、生を開き
克服する道が内包されていることに
私たちは気付くべきなんですよね。

自己充足の叶わない部分
その極み。
換言すれば、運命との調和、死の問題も
個人の受容或いは
宗教任せという側面もありましょう。

ですが、ほんとうに哲学で解決できないものか。
理性での自己完成を諦めねばならないのか。

サムサーラ、流転、輪廻転生を鑑みても
確かに、生の中に死は内包されます。
生なくば死はない訳ですから
生あるものは必ず・・・的論理で
素直に理性で受容可能な問題だと考えます。
(病の苦しみは別途対処せねばなりませんが)
よって此処で、死を問題にすること自体
絶対的不可能と戦う愚かさ・・・的印象は拭えません(涙
(これを受容できるか否かの問題でしかない)

また、輪廻転生の
死からの生は、そもそも論理矛盾。
(ないところから何も生まれませんから)

是、(個々の内省的営みないし努力であり、自己の確立というより安定なくば無意味でもある)哲学的理論によれば
超越(永遠の存在)は自己の生の中に在りますが
死は、上記の様に何れの場合も悩む次元にない
怖れるに値しないものになる訳で

問題を単純化して考えれば
死から生を考えても意味のないことを先ずは受け止め

方や、生は、既に死を超える道を内包しているんですね
その意味で
死は、生に転化させることができる

自己の立場と
自己を消去してゆく営みへの技術で
生を充実させてゆくという理性的にして
至極シンプルなこの道筋を
やはり私は美しいと思います。













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テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2017/03/12 22:45 】

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