時間*その手に負えなさ

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時間とは
あまりと謂えばあまりに自明なもの
のようであるがゆえ

取り返しのつかない
事象に対して抱く

その不可逆性の手に負えなさは
尋常ではありません・・・。



























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失われし時を求めて~ホテルザッハーのトルテ~至上のしあわせ 接吻へ

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ザッハートルテ
香高いチョコレートに包まれたそれを
口に含んで広がるのは
”失われし時を求めて”のマドレーヌが呼び覚ます”幼少期”ならぬ
ウィーンは、ホテルザッハーだ。

さらに
ウィーン版アールヌーボー
ユーゲントシュティールは凄まじい。

ウィーン分離派の結成

19世紀末の藝術運動
美と生活の融合。

ー藝術の課題は時代の課題ー

オットーワーグナーの言葉も刺さる。

月桂樹のドームを冠する
分離派会館
効果的にゴールドを配した
その建築物に

眠る
ベートーベンフリーズ。

第2楽章の
黄金の戦士は
苦悩を突き抜けて歓喜に至るという
そんな
強さの象徴を描き出すクリムトの
最終楽章は、矢張り
恋人たち(接吻)

彼らの願った自由の息衝く地であり

マーラー自らの第九が流れた場所でもある。

そして
クリムト黄金様式の背後に潜む想い
そう
真なるクリムトが棲む場所。

彼に続く銀のシーレも
”一流の野蛮人”ココシュカも
其処に魅せられた?

東洋を巧みに取り入れたクリムト

けれど
美の極みは
何れも重なるようだ

その
あらゆる融合の先に在るもの

恐らく
それが愛だ。






























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映画 炎の画家ゴッホ

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昨夜メッセージを下さったあなたが観たという
20世紀半ばの映画
”炎の画家ゴッホ”

音楽こそ時代を感じさせますけれど
よく創り込まれていたと私も同感です。

取り分けゴッホ作品をそのまま
再現したかのような演出が随所に差し込まれて。
ゴッホの死から60年あまり後の映画製作のようです故
絵画のなかの風景が追いやすかった
というのもありましょうけれど
いかにもあるがままの風景が
彼の筆(=感性)によってデフォルメされゆくさまが
手に取るように伝わって参りまして感動的でした。

ゴッホの絵を、愛するひとならば
誰しもが
あんなゴッホだったろうな
と共感できる構成になっていたのではないかとも。

           *

ありのままの自然に向き合い続け
古典的優雅さと気品を備えた女性を愛するという
そんな恋愛観にも心惹かれました。

ですので
論理と秩序を好みながら
同時に暴力も辞さないというゴーギャン
ましてマラルメをも彷彿とさせる象徴主義的傾向の彼
その私生活は、享楽的にも映り
ゴッホとの確執は、必然だったよう・・・。

悲しいかな
互いにその才能を高く評価し認め合いながらも
避けようのない決別を迎えるという
なさそうでありがちな現実は、やはり厳然と存在する
それが此処でも
例外ではなかったということなんですね。

”鴉の群れ飛ぶ麦畑が絶筆になった”という
伝説を創った映画でもあるようですが
半ば納得です。

創作の勝利
という感、ありますから。

そして
ゴッホ美術館や
クレラー・ミューラーで邂逅した
この作品と同じ季節に描かれた作品群も
実は、
哀しいほどに
孤独に支配されていたこと
今も脳裏から離れないでいます。

寂寥の情景。

そもそもが孤独でなければ
ゴッホのような絵は描けないでしょうし

上手に生きられるひとにも
届かぬ世界観かと。

真面目で
愛に溢れながらも
不器用で、

ゆえに孤独から抜け出せない
そんな彼でなければ成し得なかった偉業。

絵画が放つ
あの圧倒的な存在感。

時を超えて
今日も
向き合うひとの深層に語り掛けてくる
そのメッセージ性への敬意と

絵画のチカラを
まざまざと見せつけてくれる
偉大な画家のひとり
フィンセント・ファン・ゴッホそのひとと
絶え間なく彼を支え続けたゴッホの弟さんテオが
なんだか愛しくてならない

そんな気持ちにさせてくれる作品でもありました。








































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大切な不協和音

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人生長いですから
辛いことも多々ありますよね。

大切なのは
如何に乗り越えるか

乗り越える
そのこと自体に意味があるんですね。

恰も

美しい音楽に
不協和音が不可欠なように…。

























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贅沢な時間 II

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小淵沢にほど近い日野春
蒼々とした山に囲まれ
八ケ岳の全景が見渡せもする場所。

その一角にある昨年廃校となった小学校
そこに展示されていたのは
犬塚勉氏の作品群。

水面(みなも)の表現を求めて
ひとり八ケ岳に向かい
帰らぬひととなったという。

38歳の彼の瞳に
そのとき何が映ったろう。

そうした気持ちに捉われ
想いはめぐる

廃校の庭に
片隅の壊れた遊具に
廊下に残された学校理念に
校舎正面の大樹に

氏の筆によって描出された自然は
あまりに自然で
自然の中の自然で・・・。

草原
川面
ハルジオン
ヒメジョオン
上流の大きな石
山頂の礫

特別なことは
何もない

求めれば
どこにでもある

飾らない
けれど懐かしさを含んだ自然

原風景
時への愛しさ募る情景たちが
そこにはあって

それが
氏の自然を見詰める
透徹した眼差しによって
こころを帯び
向き合うものたちに差し出すのは

静けさだけが
刻む ”時”

日々、仕事に追われる私たちが
つい見落としがちな時

けれど決して見過ごしてはならない
大切な時。

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時間*fragmentation 終章

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”順序の実在性”
こちら、身体としての自我が
出来事のただ中に在ることを強調した
表現と云えましょう。

言葉の意味内実として
境界づける視点としての今が
刻々その位置を変える
縦の志向性が
横の思考関連を獲得することで
出来事は初めて
時間の中の出来事になり得るというこの辺りは、
まさに
心理主義と論理主義のせめぎあいであります。

流れるのは時間ではない
それを語る私たちだけ

ただものだけが
現前から不在(過去)となってゆき
不在(未来)から現前と推移する・・・

私たちは
それを意味付与的に働く志向性を介して

意味として所有するだけ

という理解。

そんな現象学的時間論には
時間を生き生きとした姿で見詰め続ける
真摯な姿勢が備わっているようです。

時間の構成を問うことの本当の意味は、
こうした姿勢にこそ息衝いているようであり
学びに値する書(理論)に潜む”意味(充実)”が
垣間見える思いがしています。


         *


ビーリの指摘を待つまでもなく
時間的生成の一方向性
また、その不可逆性
それと同様に
その都度の現在の時点もまた
説明が拒まれている

何故なら
すべては、内部の事だから。

ーー私なしには
    何ものも
      時間とて存在しないーー















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時間*fragmentation ⅩⅦ

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消え去った
過去は
”知覚され”
”残響”となる

メルロポンティが如く
(意味付与を行っている主体を体とするなら
意味は、それ自体にとって)
存立する本当の超越論的主観は体でなければならいんですね。

その体の定義は
構成する主観と
主観によって付与された意味を蒙り
そのただ中で生きる客観であり

能動性と受動性の両実を兼ね備えたものが身体
ということになりましょう。

主観自身を含めて
一切が時間的意味をもつものとして
与えられる・・・

なれば
時間は完全に有効な意味を持てるんですね。

流されつつ
立ち止まり(今に位置付けながら)
世界に意味付け
その付与に視点をもって関わる

その両義性

両義的存在としての體。





















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時間*fragmentation ⅩⅥ

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独我論に陥らず
客観性を保つべく救いとして
相互主観性が浮かび上がってまいります。

ただしこちらも
公共的時間における
客観的同時性の関係を保った上のこと。

考え得るあらゆる思考を提示せしめたつもりでも
浮かび上がるパラドックス。

相反するように
見えてくる輪郭。

それは

時間は実在していない
実在するのは
時間ではなく
受動的に時間を語らしめるものだけ・・・。

時間は在るものでなく
語られるもの
そうした考え方がひとつできるということなんですね。












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時間*fragmentation ⅩⅤ~独断的見解に陥らないために

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内的時間となれば
フッサールが問題にした
過去把持的変容。

色褪せ行く過去
そう、原印象の褪色はなぜ起こるか
なんですけれど。

過去把持とは
過ぎ去った印象を今に引き留めておく働きであり
変容に抵抗する働きでも
生起させるものでもないものですから
過去把持的変容に無理はありません。

併し乍ら
彼が目指したような
実在の時間だけは
排除できようはずもなく・・・。




その理由は
時間経験そのものが
時間のなかの出来事だからなんですね。

よって
反って、時間の実在性を思い知らされる
そうした考察になっていました。

















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時間*fragmentation ⅩⅣ~独断的見解に陥らないために

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そうなりますと
ラッセルが言うところの
自己中心的特殊規定。
こちら、カントの直観の形式をさらに徹底化させた
時間の観念的性格を端的に表したものと謂えましょう。

空間は等方的。
時間は非等方的。

さらには、現在の記憶
に表されたベルグソンの時間論の危うさ

そこに照準を合わせたかのような
フッサールの 時間講義
その感覚与件
客観的時間構成への考察

こちらは、分かり易く言えば
今の意識を
絶対に変容されていない
原印象に関連させようとするもので
記憶や想像でない
知覚を通じた直接的印象
対象化された原意識の今を
時間構成の原点にしようとしたものでありました。

さらに読み解くなら
彼の理論は
寧ろ、絶対的意識流の自己時間化(自我の働きで構成)
として捉えようとした
自我論に近しいんですね。

突き詰めれば
今を基点とする時間への意識は
自我が機能するもっとも根源的形態です結え

生き生きとした現在
を実感するためには
客観的時間のみならず
内的時間を包括するのもまた必然でありましょう。















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時間*fragmentation ⅩⅢ〜独断的見解に陥らないために

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ましてボルツマンの
エントロピーの増大で
時間の流れの方向性を
定義しようとした提案は
恐らく必然・・
ではあっても
矢張り合理的説明には
致ってはいないんですね。

であれば、常に異なる今の連続
時の経過の向きは
不可逆的としか
説明の仕様がないのでしょうか。

そこで
”継起の秩序”
マクタガードの時間論には
時間の非実在性がありました。

こちら自我によって構成された
非実在的現象と換言することも出来ましょうか。

となれば
ここで自らが解釈した
ヘーゲルの言葉が想起されてくるんですねり

ーー実在は無時間的
それが反芻のなかで
時間系列のカタチを取っているに過ぎない。

なにものも変化しないなら
時間はありえないーー

存在論的には、両者がどう浸透し合っているかは
言えなくとも
変化と時間の不可分性は証明できましょう。

時間は、ある主観の働きを予想する
そう、
理性的意識が存在しない以上
時間の存在論って実は、不可能なんですね…。








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時間*fragmentation ⅩⅡ〜独断的見解に陥らないために

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それでも
時間の流れの円環性に
必ずや潜む不合理

純粋理性批判
外観の形式、すべて同時的に存在する空間
内観の形式、無限に伸ばし得る時間
絶え間なく消えゆく直線のイメージさえも
無理があるといえばそうなんですね。

そこで自然現象を支配している幾つかの
根本原理、因果律を
時間の言葉に翻訳してみますと
その時間の流れの方向性
分かり易いところで因果律の命題
原因は結果に先行する
から分析的客観的に
時間的順序が導かれてきた

といったような
謂わば思想史のような捉え方が
より近しいのかと。

もちろんそこでも
仮定的側面から逃がれられては
いませんでしたけれど・・・。















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時間*fragmentation ⅩⅠ

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此処で現象回帰を
時間の回帰と読み替えたと解釈するならば

また、
彼の"瞬間と永遠"を見落としさえしなければ
ニーチェは理解しやすくなるんですね。
そして、ハイデガーの考え方の様に
永劫回帰思想を
肯定方式に至らせた経緯もみえてまいります。

時に歴史学の利害を語ってもみたニーチェ
そんな彼は、

未来に向けて行動し
過去も同時に引き受け肯定する
即ち瞬間として存在できるひとこそ
過去と未来の対立的結合をみ、その瞬間
そこに円環的時間をなす
とも語っていました。

こちらまさに
永遠は瞬間にあるという
ニーチェの”時間への止揚”であり
彼は自己超克を此処に求めたんですね。


ニーチェが絶えず想いを巡らせたギリシアの
天球の円環的循行こそ完全な均一運動とした限りで
時間と円環を結びつけた
アリストテレスの時間論にも似ています。













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時間*fragmentation Ⅹ

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現代の私たちには、あまり馴染まない
ギリシアの輪廻転生や
シャーマニズムにも結びつくこの概念をして
ニーチェの記述は印象的でした。

ーー世界を一定量の力として

一定数の力点として考えることが許されるなら
その存在の大いなるサイコロ遊びのなかで
有限数の組み合わせ、経験数の組み合わせを
経験していると帰結できる。

無限の時間のなかでは
可能なあらゆる組み合わせは
いつかは一度は実現されてきたであろうし
まして無限回の実現もあろう。

もし世界が有限量の力、力点からなっているとすれば
エネルギーが恒存である以上
世界の事物の配列は有限である他なく
従って無限の時間経過のなかには
同じ配列が反復されざるを得ないーー
~力への意志

さらにツァラトゥストラに至っては

ーー 一切の直線的なものは嘘をつく
一切の真理は曲線的である
時間自体がひとつの円環であるーー

こうした一連の
ニヒリズムにして
最大の定式化回帰思想。

となれば
無限に反復される回帰のなかで
意味を持ち得る人間的努力はあるのかなんて
そんなところへさえも思索はめぐります笑

ですが彼の到底の視点ー認識が生み出す世界ーに立つならば
世界の事物配列の有限性と
時間の無限性という仮説
その反復可能性を一笑に付すには早計のよう。

無論、ニーチェ自身
時間の円環性が結びつく
積極的理由のないことも承知の上の”告知”でありましょうから。

そう致しますと
回帰し得るもの
それは、
時間そのものではなく
現象の形式
という理解になってまいりましょうか。


















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時間*fragmentation Ⅸ

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ギリシア的コスモスの下に
なし得なかったこと
其処に
キリスト教的時間の観念が寄与したその一方で
近世の物質観
その根本原理もしかりなんですね。
あの慣性の法則も
原理的にはガリレイが既に発見していて
その定式化をデカルトが成し遂げた
ということで。

この差って
地球に縛られたか否か
そのまま
無限を知るひとだったか否かに
尽きるようでもあり

よって
慣性の法則は
空間における思考の変革をもたらし
同時に
時間の変革をも促していったんですね。



ですが
元来的には、
規則的に循環する天体運動や
巡る季節を以ってしても
時間のなかに何かしらの円環性が残るのは
否めないようでもあります。

それは、
ギリシアに古くからある
回帰の思想しかりで
ピタゴラス学派の大いなる世界年
その回帰的時間とも重なるのですけれど・・・。

こちら
お気づきの方もいらっしゃるかと存じますが
ニーチェの 戦慄すべき永劫回帰
あの礎となった考え方でもあるんですね。

















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ジャンル : 日記

時間*fragmentation Ⅷ

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そこで
思想史を紐解いてみると
やはり何かしら見えてくるもの
あるんですね・・・。


時間の流れを表してきた
その伝統的形象としては
大きく分けて二通りあったようです。

そのひとつは
ギリシアの民が愛した
永遠の円環運動です。

こちら文字通り
自然の円環性を見詰め続けたもの。

いまひとつは
キリスト教の終末論的世界観に基かれた
起点(創造)と終点(終末)を備えた
謂わば上昇せる直線運動です。

両者の長い思想論争の結果
(先の記事に記したように)直線的進歩史観
即ち現代の私達の心情的理解に根ざした時間意識である
不可逆的時間といった観念へと
導かれてきたんですよね。

ですので
ニュートンの絶対時間に収斂された
近世の時間意識とて
そもそもは
その無限性の存在根拠を神のうちに
見出だしていたということなんですね。

結果、ギリシア的円環から
直線化された時間

ですが・・・。

















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時間*fragmentation Ⅶ

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ここで忘れてならないのは
時間の問題は
人間論には、なくてはならない
重要な要素であるということ。

その理由、それは
現実が、同時的に存在する無限空間によってのみ
相互交換が可能であること、
また、人生の重大事の多くは
取り返しのつかない事象から成り立っていること

よって
時間の存在理由は
不可逆性に潜む
といっても
過言ではないのかもしれません。

時間とは
変化、浸食作用、無常
その原理であり
その絶対的器とも謂えましょう。

そんな時間に対し
”一切が同時に与えられることを妨げるもの”として
時間に積極的な働きを与えようとしたベルクソンが如く

もしかしたら
私たちが、今乗り越えねばならないのは
時間の自明性そのものかもしれません・・・。

























テーマ : つぶやき
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時間*fragmentation Ⅵ

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そうしたなかで数量化或いは
空間化(時計で測る時間=時計の針が動いた文字盤の長さ=空間の長さ)されゆく時間を
時の経過そのものの時間(純粋持続)と区別しようとした彼ら。

そうして西洋で展開されてきた様々な時間論
取り分け、
記憶と知覚の関係を円錐形で表したベルクソンの方向性と
時間が時間として構成される最も根源的な形態を問題にしたハイデガーのそれは
真逆でありましたけれど。

こちら、先に記したように
時間の表象は極めて曖昧ですゆえ
その視角の差が
そのまま表象自体の差に繋がってしまうが故のことでしょう。

個人的には、ハイデガー(フッサールも近しいですが)の言う“人間の時間性、時間化”
所謂“時熟”の概念を胸に留めていたいと思ってはいるんですね。

なぜなら
自らの有限性を引き受けると申しますか
時間の内なる存在を自覚してこそ
凛とした生き方が叶うように感じるからであります。














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時間*fragmentation Ⅴ〜時間への眼差し、その変遷

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と申しますのは
ニュートンの絶対時間の考え方に
私たちは自ずと傾き
そこから殆ど進歩していないようにも見受けられ…。

彼の著作”自然哲学の数学的原理”
その注釈にあった、時間を観念的にしか考えられない
そのことへの問題提起がありましたけれど
確かにそうしたスタンスも
持ち合わせておかねばならないものでしょう。

かつてのアリストテレス
”自然学”その4巻にもあるように
”時間は変化(運動)なしにはありえない”の例にもれず
ニュートンも時間を物体の運動を測る尺度としたんですよね。

これ等は
時間を感覚でしか捉えられなかった
その”感覚世界”からの解放
とした見方もできましょう。

当に、絶対的な
数学的時間であります。

相対時間から区別された
この時の流れ
どんな変化をも受け付けない
としたニュートンのメッセージが
胸に残っています。

さらには、自然な一日の長さを測定しても
正確なそれは得られない
が故に修正を加えるといったような
時間の流れその均一性への科学的拘り。






























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ジャンル : 日記

時間*fragmentation・・digressed

少し休憩🎶

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小林秀雄が愛した
清春の地

この春もまた
彼の植えた桜は
薄桃色の花を纏い

傍らにひっそりと佇む
梅原のアトリエに、

その信念を象徴するがごとくの
ルオー礼拝堂に、

寄り添い、舞いながら
音もなく地面に還った。

ルオーの手によるステンドグラスは
変わらず
初夏の眩しい陽を
穏やかな優しい光に変容させ
訪れるものを包み込んでゆく。

そして
歴史を重ねる白樺美術館は
なんといってもあの
ルオーの 聖顔 が
待つ場所だ。

どんな哀しみも
抱きとめて癒してくれる
そんな深い抱擁性を湛えた表情。

或いは
ロダンの
終わりのない企画展に

“選べないままに”歩く男
“愁いの”マダムロダン
“古代ペルシア伝説由来”打ちひしがれたカリアティッド

文字通り
三角形を描くように
生きる三様。

また、ときに
人生の文脈を優美に映した
アナトール・フランス像。

自身の生涯を暗示したかのような
千恵子の欅
その空間が醸造する憂愁と

溢るる想いを秘めながらも黙す
光太郎の裸婦座像が
溶け合う場でもある。

白樺林のなかを
さらさらと
通り抜ける風に

各々の作品たち
その礀に立ち昇る
豊饒な感情は
様々に揺らぎ
交錯しながら

同時に
その精神は解放されてゆくようだ。

時折小鳥の囀りだけが遠くこだまする

しんしんと
刻まれ
ただ、ただ
降り積もりゆく
清春、初夏の“時間”

それはあまりに高密度な
贅沢過ぎるほどの
ひとときだった。

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時間*fragmentation Ⅳ

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後のガリレイ
振り子の等時性の発見などによる
近代科学の始まりによって
時間は精密に捉えられるようにもなったのですが
実は、そうした数量化された時間は
経過しつつある時間でなく
経過し終えた時間
即ち、
時の経過が空間に投影された影に過ぎない
といったような主張を展開する
哲人は少なくなくて・・・。
確かに其処では、時間の経過自体のイメージが
分かりづらいのは否めません。
まして彼らの提言は今にそのまま通じる
普遍的志向性であり
傾聴に値する
論理的構成にもなってはいました。
ですがそれでもやはり幾分かの
言葉遊びな感は否めないんですね(涙

けれどその豊かな知見、広い視野、確かな論拠に基づく姿勢
通俗的思考に流されまいとする思考態度
まして、そこに横たわる底知れない奥行き結え
その志向性が私たちを、本来的自己に立ち還らせる
契機になることだけは確かなようで
安易に見過ごしたくはない概念と
受け止めてきました。






















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時間*fragmentation Ⅲ

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時空という言葉が示しているように
較べて論じられる機会の多い
時間と空間。
けれど(カントの問題設定にもあるように)
空間は、それ自体の構造が
考察の対象になる幾何学を有している一方で
時間には、定理らしい定理すら見当たりません。

それだけでも
時間の表象性の貧しさを
物語ってもいるようで

ウィトゲンシュタインが残した言葉
ーどんなプロセスも“時間の経過”と比較することは出来ないー
もしかりです。

そうした性質上からか
歴史的にも、古典ギリシアの時代のアリストテレスの試みに始り
精神の分散を超越し、その緊張を解明せんとした
アウグスティヌスや
あらゆる価値の剥奪として
ニヒリズムの元兇としたニーチェなどのように
時間は超克の対象にもなって来たんですね・・・。


















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プロフィール

saki

Author:saki
sakiと申します。
ご訪問ありがとうございます。
横浜の小高い丘の上で
no music(baroque)no lifeな暮らしをしています。
よろしくお願い致します。

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