時間*fragmentation ⅩⅢ〜独断的見解に陥らないために
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ましてボルツマンの
エントロピーの増大で
時間の流れの方向性を
定義しようとした提案は
恐らく必然・・
ではあっても
矢張り合理的説明には
致ってはいないんですね。

であれば、常に異なる今の連続
時の経過の向きは
不可逆的としか
説明の仕様がないのでしょうか。

そこで
”継起の秩序”
マクタガードの時間論には
時間の非実在性がありました。

こちら自我によって構成された
非実在的現象と換言することも出来ましょうか。

となれば
ここで自らが解釈した
ヘーゲルの言葉が想起されてくるんですねり

ーー実在は無時間的
それが反芻のなかで
時間系列のカタチを取っているに過ぎない。

なにものも変化しないなら
時間はありえないーー

存在論的には、両者がどう浸透し合っているかは
言えなくとも
変化と時間の不可分性は証明できましょう。

時間は、ある主観の働きを予想する
そう、
理性的意識が存在しない以上
時間の存在論って実は、不可能なんですね…。








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テーマ:つぶやき - ジャンル:日記

【 2017/06/18 15:10 】

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