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差異の受容性を求めて
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高踏派の時代にあって
自己の心情を曝け出すといった意味では
つとめてロマン派的でもあり
卓抜した技法を鑑みれば古典的
そして其の詩論を紐解けば
象徴派の魁とも謂えるボードレール

彼なしに考えられないのは
巷で謂われるポーだけでなく
ヴァレリーも
ランボーも
マラルメもしかりと謂えるでしょう。

彼の詩集”悪の華”
ユーゴーの賞賛が端的に表しているように
それは”戦慄”へのそれであり
尚、
戦慄もまた価値であります。

すべてに共通する問題意識を軸に
自己存在の核心を見詰め
その先に新たな普遍性を与え
高みを目指すそうとする彼の姿勢を
私は美しいと思います。

それからまもなくして
客観美を求めた
ゴーチェの芸術のための芸術理論が生まれ
それを開花させた
サント・ブーヴが
その格調を愛し祝福した詩人リールが登場し
そこから
19世紀後半の
ヴァンビル、プリュドム、マンデスと続き
広くギリシア、ローマ、ルネサンス、東洋への憧憬が
精巧に描出される作品像に至った。

この辺りが顕著ではありますが
文学史のどこを
眺めても
行き当たるのは
ソシュールの指摘
”言語のうちにあるのは差異だけだ”
それを発展させれば
文化とは
そのまま差異の体系と
謂えなくもありません。

であれば
受容性、寛容性抜きには何も始まらない。
ですがそれは批判精神を否定するものでなく
包括するものであります。

結え、人生への効益に寄与し
なにものにも限定されることのない
普遍性抜きに
藝術は無しえないとした
トルストイの芸術論とも矛盾するものではないものでしょう。













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テーマ:芸術・心・癒し - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2015/10/31 00:19 】

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