FC2ブログ
言葉は想いを越えられない~Ⅱ
DSCN0240.jpg

近代社会の消費重視傾向
大量生産を支えるのは(哀しいかな)
”消費”そのものであることは否めず
そうした合理的経済サイクルの輪のなかでは
古いものを大切にするという価値観は
置き去りにされてしまいがちです。

社会に於ける活動は
等価交換に始まりましたので
(社会通念上、恵与には洩れなく代償が付いてくる)
当然、同等性誇示へと誘われ
そのまま対等な地位が構築されるはず。
広くは
互酬性規範の発現にも貢献したシステムであります。

ただ
現実にはそう巧くはゆきませんし
況して確固たる自己なくば
周囲に振り回され
ときに軋轢(プライドは傷付き)も生じ
ひとつ間違えばサンクションにもさらされるといったように
センシティブに生きざるを得ない情況に陥りがちなのも
周知の事実であります。

The Selfish Geneに照らしても
避けては通れない問題でありながら
その鬩ぎ合いを俯瞰で眺めてしまうと
虚しささえ覚え、非合理性時代を
愛しむような感覚にも陥ります。

そして
愛は精神の運動(知りたい欲求)に他なりませんが
その発露は、提供にあるようで
そこに付き纏う先程の社会通念上の対価からくる負担を
相手に強いらせないように試みるという
愛するがゆえの(優しさを含んだ)愛を定義しようとすると
持たざるものを贈る
という
あのフレーズに回収されましょうか。

もっと謂えば
瞳に映るもので、愛は表現できない
ということにもなるのでしょうけれど
ぞれは所詮
言葉遊びの世界観

やはり私たちは
それでも
表現したい

何がどうであっても
論理的理解をしていたとしても
ひとは多く立ち止まることが出来ないんですね。

だからこそ素敵。
人間らしいのかとも思うんです^^

よって
愛は美しき懊悩、憂悶となり
哀しみとは極めて親和性が高いと云えましょう。

ここでもやはり
届かない世界
愛の不可能性に行き着きます・・。





























関連記事
スポンサーサイト



テーマ:芸術・心・癒し - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2015/12/07 00:35 】

| 未分類 | トラックバック(0) |
トラックバック
トラックバックURL
http://saki2000.blog.fc2.com/tb.php/1098-ddef5405
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |