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すべての遠景は青に近付く Ⅷ~春の嵐/ゲルトルート~ヘッセ
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人生の手引き書とも謂えるほど
生への学びが凝縮された
ヘッセ珠玉の一冊 ”春の嵐”

思索の遍歴を通じて
内面的成長を遂げ行く主人公の
繊細な心理を描き出す
その卓抜した表現力によって
青を基調とした水彩画のような瑞々しさが添加され
(ゲーテとはまた別種の)
ヘッセ独自の美しきビルドゥンクスロマンを為しています・・・。

Bildungsroman
ドイツ本流とも云える教養小説的作品。



            *



処女詩集”Romantische Lieder”(自費出版/l899年)
全編を貫くはヘッセの孤独。

私の友だち
洋上に彷徨う渡り鳥
難破した船乗り
羊飼いのいない羊の群れ


故郷を持たぬ風
~告白


その後、(バーゼルの古本屋さん時代の)詩文集
”Herma Lauscher”にも
世情を憂う 厭世のヴェール
深まる孤独
そしてその先の詩集に“樹”が誕生します。

此処でヘッセは、
樹を孤独者に見立てます。
ですが、それは
逆境から逃れようとする隠遁的孤独でなく
ベートーヴェンやニーチェが如くの
大樹なる孤独者でありました。

豊かな梢にすべてを受容せしめ
根は雄大なる大地に張る。
けれどヘッセはそれで是としません。
大樹を
内なるあらゆる力を以て
ただ一つのことを成し遂げんと鋭意し
あるべき自分を
自ら力強く創造せんとするメタファとして
そうした生き方を肯定したんですね・・・。

そして結びます。
根本法則(真理)を見詰め
生の一回性のなかで
永遠なるものを見出さん
と・・・・。

思索を重ね、
徹頭徹尾、自分の心の声を聴きながら
それに従って生き
自らの意思と力で人生を創りあげようとする。
されど
真理は追うのでなく
自身を開き
拓き
受け入れ
沈思し
思索する。
同時に
自分を置き他者を思う。

そしてそれは彼の詩集からの
こんなフレーズに
端的に表れています。

ーー自分があるところのもの以外になりたいと願わない
    自分があるところのもの
     それ自体が故郷であり幸福だ
       救いの道は左にも右にも通じていない。
         それは自分自身の心に通じているーー


こちら究極の
アイデンティティの確立であり
それを為し得るなら
それほど人を強くするものは
そうはないようにも感じます。

少なくとも
ヘッセのこのメッセージは
東洋的思想に拠りながらも
それとは明らかに似て非なるものを含んでいます。
(ショーペンハウアーを彷彿とさせる諦観にも映りますが
その先に生きがいを見出すのがヘッセかと・・。)

論理立てた結論
純粋理性に限界はありましょう。
その外側に真理があるのも解ります。
ですが
弛まぬ努力でその境界を押し進め
見極めるのもまた
純粋理性しかないんですよね。

人知でなく無知を解く老子
自我を否定し、無我を説く仏陀
論理より情緒を愛する日本文化
彼らは、真理を得るに
理性を眠らせようとするんですね。

方法論としての東洋思想
その素晴らしさは
須らく認めていますし
何より執着から解かれますゆえ
精神が解放され(楽になり)ましょう。
ですが
人間で最も大切な心の領域から逸脱してしまうといった
無為無心の境地に至ることは
一方で
何かに自身を無条件に委ねてしまう現実をも含んでしまう。

キーワードは、内省。
(ここでも)方法論であります。
ヘッセのそれは、
何かに頼るでもない
何かを盲信するでもない
あらゆる環境(師、書)に学びながらの
明かな能動的知的活動であります。

ヘッセが好んで遣った言葉
例えば、”Meditation”
こちらラテン語のMeditari(熟考する)由来の言葉であり
(デカルトの書“Meditationes de prima philosophia”が
省察録として知られていますが、
こちらが”第一哲学に関する省察”と訳されてもいるように)
論理的にものごとの本質を見極めんとする立場を意味するものです。

例えば”Contemplation”
(ギリシア語のTheōriaに呼応する語であり)
やはりラテン語のContemplatus(凝視)由来の言葉で
ギリシア哲学に云う
実践的態度の対極にある静観的態度から本質を探究する沈思を示すものです。

”Meditation”も”Contemplation”もいずれも
直感的、感覚的理解とは
一線を画した言葉であります。

そして
人間理性の届かない場所
自然律に象徴される”完全なる調和”とは
当然ながら(人間中心であってはならず)
人間にとっての調和では決してないんですよね。

そこでヘッセは
人間の内にある理性
愛、その優しさをして
それが時に自然や運命より
強くあり得るとする
なんとも深い人間理性への信頼を
春の嵐のなかに
息衝かせたんですね・・・。

大自然に抱かれたときに
素晴らしき藝術(詩/絵画/彫刻/音楽)に
大切なひとを想う時間に
そうした瞬間に
見出すことのできる
純粋なる調和、清澄な世界観は
他のどこかに宿るものでなく
全くもって自分の内部の
深遠なるところにこそ
湧き起るものであり
また高みと謂っても
そこに辿り付けるのも他の何でもなく
人間精神そのものなんですよね。
たぶんすべてのひとが
公平に持ち合わせていながらも
哀しみを多く数えたひとほど
その感動が一層際立つという
そのこともまだ事実でありましょう。


            *


(東洋的達観と云う)
ひりひりする胸の痛みを超越した境地では
こうした”真なる瞬間”は
どのように存在し得るのでしょうか


”春の嵐”からは
ヘッセの
こうした囁きも聴こえてくるんです・・・。













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【 2016/02/02 01:18 】

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