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孫子 Ⅱ~巧久は拙速に如かず/老子~孔子へ
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前回は、故事の現代応用の観点から触れたものでしたが
本日は孫子理論の印象を綴らせて戴きます。

東洋思想は専門外ですが
戦略性の本義 を”戦わずして勝つ”とした孫子
またその深い人間理解と知的端的明瞭な文体に
魅了されたものです。

ですので
辞書などの類で拙速を引きますと
出典を孫子として
”出来は良くなくても仕事は速い”
といったような解説がでてくるのがなんとも辛くて(涙

”拙速を貴ぶ”も”巧久は拙速に如かず”も
孫子にはなかったと記憶しています。

南北朝末期の書からの王伟の発言
(或いは新日本書紀)には
ーー兵贵拙速(宜即进军)ーー
(兵は拙速を貴ぶ、直ちに進軍を宣すべし)
とあるようですね。
一方で
“戦は迅速に”的意味合いの“兵は神速を貴ぶ”は
三国志 魏書郭嘉伝に・・。

典拠が孫子ということであれば
当該箇所は恐らく”作戦”の件
ーー兵闻拙速,未睹巧之久也ーー
(兵は拙速を聞くも、未だ巧久を賭ざる成り)
ですが、こちら
孫子の論旨を眺むるに
拙くても良いとは解釈できないんですね。

(ーー兵の情*人材起用の理(ことわり)*は速やかなるを主としーー
はありますが、ここでは、拙いは見当たりません)

日本では、孫子とくれば”拙速”というくらい
有名なアフォリズムで
古来より折に触れ
戦場指揮の要訣として取沙汰されても来たものですので
出来るならば
適切な影響を受けたいナ
と感じた訳です。

少なくとも、世間に周知されている
画一的、思い込みの解釈は
苦手・・・というか。
広い視野、多角的視点を以てして
こうも考えられるけれど・・・
という振れ幅を失えば
思考ストップに陥りますゆえ。
あくまで素直な読後感覚としての
問題提起に過ぎません・・。

       *

(現代においても変わりありませんが)
そもそも戦自体が、目的になることってないんですよね。
達成すべきは、その先(例えば政治)であって
戦とは、あくまでその手段に過ぎない訳で。

そして
戦とは、いろいろな意味で
双方疲弊する種のもので
その勝敗の見極めが速やかなればなるほど
必ずやその被害(死傷者含め)は軽減されます。
よって孫子は
手段自体の達成度をして”拙”で止めよと。
詰まり、全滅させるほどの完璧な勝利を目指すことには
害はあっても利がないことは明白と考えられて
”拙”をとる賢明さを
と、説いていらっしゃるように受けとめていました。

相対的価値を否定していた
あの老子がその戦争哲学(現代の競争原理に充分応用)において
如何に止むを得ない事情があろうと
戦自体が、不詳の器、凶器であり
長引けば疲弊あるのみ
と語られた視座は孫子にも見受けられるのです。

政治的(本来の)目的が達成できるなら
手段となる戦の勝利が
充分である必要性はどこにもない
ということなんですよね。
であれば
速やかに終結させることこそ
最良の判断になろうかと。
実は、こうした理解から
(先の記事で引合いに出させて戴いた)
足るを知るの老子
ーー止まるを知れば危からずーー
の思想に繋がりました。
その軍事応用とも取れる
”拙速”

結果
一定の成果(拙)以上の成果(巧)は
被害の拡大を招くが
その必要性をよく考えよ
といったような
極めて孫子らしい適切なアドバイスとして
個人的には読み進んだというお話でした。

現実問題として
手段が拙劣で
スピードがあれば勝つとは思えませんし(涙

余談になりますが
魏の曹操の
ーー拙と謂えども速を以てする有らば勝つーー
こそは
現代的解釈の拙速に近しいとは存じます。
ですがこちら
時に”拙速を避け”時に”拙速を貴ぶ”
といったケースバイケースの戦術レベルのお話であって
普遍性さえ感じさせる孫子の戦略的な理論とは
次元が異なるようにも。

況して孫子の原意

ーー 孫子曰、兵者、國之大事、死生之地、存亡之道、不可不察也ーー

“戦争とは、国家の重大事であり、
国民国家の生死、存亡に深く関わる事態。
それを心得、計画を立てるべき”
とまで執拗に熟慮ー用意周到で綿密な準備(徹底した情報収集含め)ーを
促す孫子の根本思想を鑑みますと
軍事的勝利のために拙速で良いと解してしまえば
矛盾が生じて参ります(涙
先の記事で
”整合性が取れる”と記したものは
一貫性を信じたいと同義でもありました・・・。







※追記です。
あなたが教えて下さった
儒教最高の徳目”仁”は
Benevolenceなんですね。

思いやりの心を以ての共生
美しい実践倫理ですよね。

欧州で謂われる博愛しかり
それは慈悲の心であり
そのまま善行
延いては慈善という
社会的連帯感や倫理的義務感
となって立ち現れてくる概念なんですね。

ですので孫子の”仁”が
Greater Goodのためにという解釈をご教示頂き
そのより大きな善(大義)と
綺麗にリンクしてゆくようにも感じています。













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【 2016/03/05 01:00 】

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