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桐一葉~坪内逍遥/シェイクスピア~片桐且元~淮南子/説山訓
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19世紀末
”小説神髄””当世書生気質”で一世を風靡していた坪内逍遥。
シェイクスピアその”全集”の翻訳でも
夙に有名な彼の作品に
”桐一葉”(歌舞伎演目)がありました。

往時、魅力を失いつつあった”古典歌舞伎”の存在を憂いた逍遥が
その伝統美は受け継ぎながらも
(シェイクスピアの如く調和のとれた作品を目指すべく)
純粋にプロットをも愉しませるため、人物像を掘り下げ
かつ、時代考証含め意義深い藝術とする意図で発表した論文が
”我が邦の史劇”
そしてその実践版新歌舞伎が”桐一葉”だったんですね。

こちら、
”関ヶ原の戦い”後にはじまった
豊臣家の擾乱が主題となった物語
ですので、舞台は必然大阪、
主人公は豊臣家忠臣、片桐且元であります。

タイトルとなった”桐一葉”は
”淮南子”説山訓からの

”一葉落つるを見て、歳の将に暮れんとするを知り、
          瓶中の冰を見て、天下の寒きを知る”

のフレーズ由来というのが通説であります。

しかし原典に
”桐”の文字はないんですね。

さすれば、主人公 ”片・桐”が
豊臣家衰亡の兆しを察して
桐 一葉落ちて・・・
という解釈もできます。

また、青桐(=梧桐)って、
他の樹木より落葉が早いとされていたので
先を察知させるには
より効果的な”素材”であるとは言えるんですよね。

一方で、
文献を紐解くと”桐一葉”が季語として多用され始めたのは
16世紀も末になってからのことで
秀吉の朝鮮出兵の際の戦利品のなかに
そうした文献が種々あったかと推定はできます。
そう致しますと、時代的には
李子卿の”一葉落知天下秋”や
夢梁録の”梧桐一葉落 天下尽知秋”辺りとの
相乗性も感じます。

”一葉秋を知る”
”一葉落ちて天下の秋”とかいうあれですね。
後半は、
”霜を履みて堅氷至る”
”瓶中の氷を見て天下の寒きを知る ”でしょうか。

”淮南子”そもそもの本意は
ともすれば見逃してしまいそうな些細な現象から
根元的、本質的有様を悟らねばならぬとし
小さな兆候から世の風潮、将来の趨勢、を予見するといった
あくまで
”近きを以て遠きを論ずる”バイアスのかからない
冷静なアフォリズムであったものでしょう。

ですが落葉とは、
耀く光の季節が終わり
厳しい冬将軍到来の知らせであることに変わりはありません。
それを
空を覆っていた大きな桐の葉が落ちるのと同時に
澄んだ秋の空にもその訪れを感じ取り
ひたすら
盛栄からの没落、衰亡、凋落の予兆としてしまうあたり
特有の(滅びの)美学がその沈着性の邪魔をして
幾分悲観的に伝承されてきたようなところもなくはないのかもしれませんね。

             *

余談になりますが
桐一葉となれば、想起されるのが
(印象批評に陥ってしまいそうですが)
”桐一葉日当りながら落ちにけり”
といった虚子の句。
こちら袂を別った
”赤い椿白い椿と落ちにけり”の碧梧桐を意識したように
読めなくもないんですね。

因みに”桐秋”は
旧暦七月(新暦八月)の異名でもあります。

どうあれ
日本の美意識に掛かれば
言葉そのものは斯くも
美しくあります
溜息がでるほどに・・・。
















※ A straw show which way the wind blows.
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テーマ:知的快楽主義 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2016/03/15 11:01 】

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