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解釈 Ⅰ~思想書をどう読むか
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時間という名の洗礼を受けて
脈々と読み継がれてきた
古今東西の古典的思想書
人類の叡智その結晶と謂えなくもありません。

ただ
変遷しゆく社会のひとつの通過点
歴史という時間軸上
執筆された時点に於いて
深め重ねられた思惟のプロセス
並びにその結果が記述されたものが思想書
である以上それを読み解くには
どうしたってトランスレートが必要に
なってくるということ、
(無論、意訳の限界は弁えなければなりませんが)
それをどう読み解くかという
旧くて新しい問題があります。

特定の分野
普遍性を備えた記述に関してはそのまま
咀嚼すれば済むことですが

時にparadigm shiftにも近い
時代背景の相違を考慮せずして
古典を読み解くことは叶わないんですね
返って誤読を誘う事にもなりかねないんですよね(涙

真理論的なもの
”その思想が真であるか否かは
それが世界の在り方と対応しているか否かで決まる”
ですとか
”行動の指針を決定する上で有益であれば真”といった
プラグマティックな捉え方が必要なケ-スもあるでしょう。
命題の判断基準に、実益の有無を持ってくるなど
如何にも生活の知恵の如く発想のように曲解されがちですが
こちら、その提唱者の論理
”生に影響しない命題は意味を持たない”
というスタンスは
真理の概念その転換をも図ろうとする名辞ですゆえ
ラディカルにも立派な哲学理論と云え
また、理論と実践とを結びつけて考える
ケンブリッジ学派的視座も忘れてはならないのかと。

結果、思想の直訳
ではなくて
時代にあった文脈に従って
読み替える
思想の意訳という技術
そして時に、意訳をもこえた、
思想の再創造が要求されるということなんですね。

そもそもある思想(瑕疵なきものはありません故)を、
完成系と受け止めるのは危険ですらありまして
思想的同一性の堅持は意識しつつ
(適切な表現が見つかりませんので敢えて)
バージョンは確保して
レビジョンは幾つか生まれて然るべきであろうと言ったような。

或いは、1つの記述が
相反する2つの意味を持つことに拠って
対立する2つの解釈が成り立つという
その両義性を見据えながらの解釈を目指す
フレキシブルな思考性も
読解には求められてもまいりましょう。

思想無視の
現実追随にのみ生きる機会主義も恐いですが
思想を盲信してしまう
公式主義も危いということなんですね・・・。



※” psychodynamics”という言葉が在ります。
こちら日本では、精神力動などと訳されているようですが
思考が生み出す
力と力が紡ぎ出す精神の活動を指すんですね。

相反して湧き起る感情に
折り合いを付けながら歩むことを余儀なくされている
私たちは、
日々葛藤を繰り返して生きています。
そして、それを避けて穏やかにあることは
一見、理想の様にも見えますが
精神に停滞を齎すとされ
必ずしも望ましいとはされていないんですね。
効果的コンフリクトは
人間の成長に
不可欠なものでもあろうかと。

(近年では、組織運営においも
戦略的にコンフリクトを活用することが
推奨されてきてもいます。)

実際には
思想書の記述すべてをそのまま現代に平行移動して
真理から遠ざかってしまうことにならないように
この”精神力動連続性の原理”なる法則に従がって
生活を精神的に生きている
私たちの誰もが持ち合わせている能力を活かすに
広い視野が、豊かな社会経験が、中庸が、思考の柔軟性が
そして
読書でしか得られない多元・多時代的代文化観が
必須になってくるということなんですね・・・。













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【 2016/04/04 19:32 】

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