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カタチのないものを信じるチカラ
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essentialismとconstructionism(constructivism)
それぞれ、本質主義、構成(構築)主義と訳されているようですが

欧州ではその哲学的思潮において
両主義者の概念は
長らく対立見解として位置づけられて来たんですね。

事象には必ず普遍的本質(特定の構成要素、因果性)が
あると考える前者と
当初は非決定的で、その後環境に影響され乍
多様なプロセを辿り決定付けられ成り立ってゆくとする後者。

私たちが愛しみ慈しんでいるものが
どれも不確かなものであるという後者的概念を
そのまま受け入れるには
(人として)幾分かの淋しさが付き纏うことは否めないように感じています。
かといって、前者に寄りすぎても違和は残りますし
実際、社会的事実が作用して構築されていると考えれば
理解可能になってくる事象の方が多いようなんですね。

何れに致しましても
二元論に還元できる類いの
お話ではないようで。

        *

人間にしか叶わない領域
こころの理論と申しますか
抽象概念の域に入ってまいりますと

本質主義的傾向にある
”カタチないものを信じるチカラ”が
求められるんですよね。
(それはもとより、認識の第一歩のようでもありますし)

そうして或る”対象”の奥に、
なかば理屈抜き(本能的)に
何かを感じとることの意味深さ
(それを形にしたものが宗教かとも思えるんですけれど)
そうした”存在”は思いのほか(というか、とても)大切なことで
人間であるが故の姿勢のよう・・・。

それは時に
理性をも纏わせ
他者を思い遣り
ひとを高みに押し上げ、尚
美しくあらしめるような素晴らしさを
内包しているように感じています・・・。




























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【 2016/04/16 22:45 】

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