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或る詩学 Ⅹ〜指先から零れ落ちてゆくものたちへ
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言語理論を現象学的側面から
分析すれば

意識のなかで排除し合う関係
然しながら、他方の意味を照射するという
その関係性を
掬い取ることが適うんですね。

例えば
光と翳
例えば
彩色と無彩色
といったような。

意識の外側は
隔離された事象のようで
分かり辛いのですが
それを
構造原理として理解しようとする試みです。

例えば排除されたかにみえたものでさえ
実は意識の何処かで概念化せずには
像を結ぶことができないわけで
相反する類いの事象を
結合する・・・

事象の統一は
具体的現実のプロセスの暗々裏にある
概念によって成し遂げられている
ということなんですね。

フッサールの言葉を借りれば
存在と非存在

ヤコブソンなら
徴つき、徴なし
といったところでしょうか。

文化において
ネガティブなものは
見逃されがちですので
全体統合のなかで果たしている役割への配慮を
しっかりと
考えてゆく必要があるということなんですね。

もっといえば
非存在こそが
存在を明らかならしめるというようなころがある
ということ。

さらに具体的に謂えば
秩序を支えているのが
非存在であり
その意味を絶えず再確認させているのが
存在の働きといったような認識が大切だということ。

そうした両者の間に存在する関係を
総合的方法で理解してゆけば
存在が醸造する混沌は
非存在の安住が脅かされるときにこそ
明確になってくる・・・

通時的出来事と
共時的構造を
結びつけるもの
それがことばなんですね。

両者の中間に浮遊することばが
通時性に振れれば
時間に接触し、文脈をもち
静から動へと解放される。

体系と時間性の橋渡し
その可逆性
その仲介的機能のはじまりで

構造は
文によって現実の新しい次元を
捉えてゆくんですね。

そして
この働きを
私たちは
プロジェ(企投)と呼んできました。

大切なことは
ターナーのあの
(文化の全体性を把握するに適切とされる)
周辺性の理論が焙り出してくれてもいます。

権利や義務に支えられる構造という社会的側面

情感の共同体とするコミュニタス。

そうしたなかで
半構造、反社会が表面化する側面を
彼は周辺性と呼んだわけで
周辺性の常態は
非存在、徴なし、翳、無彩色に他なりません。

そして
ほんとうの問題は
そうした周辺性のなかにこそ
………。
























































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テーマ:つぶやき - ジャンル:日記

【 2016/08/12 21:04 】

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