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意思と自然~シェリングから親鸞へ
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近代の西欧哲学思想の中で
その問題の核心に自然を見い出したのは
シェリングではなかったかと。

とは云っても
意欲より他の存在は何もないとし
それを根元存在と見做した
あのシェリングでありますゆえ

先ずは
すべての述語
脱底性(grundlosigkeit)
永遠性
時間からの独立
自己肯定
を呼びよせるという
彼の強い意思への信頼がありまして。
(それは誇らしくもありますが・・・)

そして
各々が各々だけで存在し得たのに
他者なしで存在し得なくなるほどに
結び付けるのが
愛としたひとでもあるんですね。

そんなシェリングの
愛の原理への意思的理解には
必然
意思と意思との間に横たわる
本質的な
抗争と対立が含まれ
顕示の終局へと向かい
最期まで残る
あの二元性が
廃除できない・・・。

こうした
一連のプロセスを俯瞰で見詰めるとき

克服すら存在させず
異水を異水のままに
内なる清浄な水に転じて一体化させる
かの親鸞の
願心、慈悲という立場を
(願望と相俟って)想起せざるを得ません。

それは
愛の原理に必ず残る
その二元性をも
優しく溶解させるものではありませんでしょうか・・・。















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テーマ:つぶやき - ジャンル:日記

【 2016/09/07 12:19 】

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