コクリコ坂から雪のひとひらへ〜永遠の安らぎ〜ゲーテ

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フランス語で雛芥子(ひなげし)を意味する
コクリコ
英語ならばシャーレイポピー。
(そー言えば、漱石作品の“虞美人草”
コクリコの別名なんですよね)
花言葉は、労わり、思いやり、明るい優しさ
そんなコクリコをタイトルに掲げた映画
“コクリコ坂から”

昨夜、こちらの作品のワンシーンを
贈って下さったあなたから学んだこと…。


主人公の少女“海”が学業の傍ら
両親不在の留守宅を健気にも懸命に守るなか
ある日みた夢
それは
居る筈のない両親が帰って来てくれた夢。

気丈に振る舞いながらも
張り詰めていた長女としての
責任から解き放され安らぎに包まれる…

けれどそれも束の間。
次の瞬間
目覚め
また
現実に引き戻され
甘え方さえ忘れた少女の頬を伝う涙…

こちら
本編にはさして影響のない
さり気ないエピソード
ですが

確かに子供心に
母親の朝食の支度の音で目覚め
父親の力強い腕のなかにあると言うのは
形容し難い安らぎが
あるものなのかと…

母性、父性とは
こうしたものなんですよね…。

柔らかに
暖かく
優しく
そして何より
胸に抱える辛さ、苦しさに
そっと寄り添ってくれる…

そんな愛。

此処、ゲーテの謂う
“永遠に女性的なるもの我らを導く”
にも通ずる部分あるのかなって。

さらにそれは
女性的とも限らないようで。

例えば
ギャリコの“Snowflake”

ひとり残され孤独に消えゆかんとする
雪のひとひら最期の時に
聴こえてきたのは
彼女が終生愛し続けた雨のしずくの囁き。
彼が汲み尽くしてくれたのはその悲哀
そうした深い理解に懐かれ
哀しみからも
痛みからも解放され
安らぎに抱き締められて
至福のなか旅立ってゆく…。

たぶん
こちらもまた
(先日の知音に繋がる)
理解
なのかなって感じたんです

私たちを導いてくれる
“永遠なるもの”って
深い理解に繋がるものだと。

何故なら真なる愛なくば
ほんとうの理解に
届きはしないだろうから
そして
“理解”以上の救いが
他にあるのだろうかと。

紗希





















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