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フィールド・ワーク〜パトスの知
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アリストテレス倫理学に語られたpathosは
様々な感情 の類を指していたようですが
今日パトス的と言えば、
受動的といったニュアンスで
遣われることが多いよう

私たち人間は
外界からの働きかけに身をさらしながら
生きる他手立てはない訳で
それによって齎される感情に振り回され
結果、否が応でも
パトス的存在なんですよね。

近代科学は
そうした自然(環境)を対象化し
その分析による知を以てして
法則を見出し
その支配さえ意図してきた側面は否めません。

まして
文化的所産のなかでも
選れて科学
その発展にリミットはないようにも見受けられ
自ずと頼ってしまっているようなところもあったりで。

ですがやはり
其処に限界はある訳で
私たちは時に
厳しい現実に曝される…。

そうした生を眺るに
パトスの知を捉えることの
大切さを考えずにはいられない。

そう、私達は
努力の外側
決して避けて通れない
広義の意味での自然を受け入れるべく存在
であることを自覚し
状況が齎す苦難
その痛みを肯定出来ることで
科学的知のような
自然との冷ややかな対立から解き放たれ
内奥に潜む生の重層性を読み取り
意味づけ
対処してゆくという
濃密な時間を構築することができる……
謂わば五感に統合される
生き生きとしたパトスの知

もっと言えば
フィールドワーク
知の働き。

客観主義でなく
主体的、行為的にコミットし
普遍性によらず
潔く責任を負う立場で
今を生きる。

そして
論理主義や原子論に囚われない
総合性、共有感覚によって
深層の真理を模索する。

確かに
経験は論理に比して
曖昧には違いない

けれどこうした知こそが
チカラになる局面って
必ずくるのかと……。

















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テーマ:つぶやき - ジャンル:日記

【 2016/12/15 18:55 】

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